担当
「……ウルリケ」
か細い声だった。
けれど、寮への道をひとり歩いていたウルリケの耳は、しっかりとそれを捉えていた。
それが確かに聞き覚えのある声だったからだ。
ウルリケは足を止め、周囲を振り返った。
だが、人の気配はない。
「……ウルリケ」
声が、また聞こえてきた。
「ねえ、ウルリケ」
どうやらその声は、道の脇の茂みから聞こえてくるようだ。
「誰?」
ウルリケは言った。
それが誰の声なのか、ウルリケにはとっくに分かっていた。
けれど、もう決して聞くことのできない声のはずだった。
だから、ウルリケはもう一度、茂みにおそるおそる呼びかけた。
「誰なの?」
「ウルリケ」
その声はまた彼女の名を呼んだ。
「ここよ。ここにいるわ、ウルリケ」
ためらいながら、ウルリケは辺りをきょろきょろと見まわした。
いつもは多くの生徒が行きかうこの道には、今はなぜか彼女のほかに誰の姿もなかった。
「……ウルリケ」
彼女を呼ぶ声が、不意に小さくなった。
「早く。ウルリケ」
消えてしまう。
ためらっている暇はない。
ウルリケは慌てて茂みに踏み込んだ。
「待って、行かないで」
それから、確かめるように呼び掛ける。
「……お母さま、なの?」
「ウルリケについて、みんなどう思っているの?」
ルネはクラスメイト達を見まわす。
だが、誰も答えない。
「ケリー」
ルネは一番前の席に座る女子の名を呼んだ。
「あなたはどう? 授業の連絡の件だけど、わざとあの子に伝えなかったの?」
「わざとのわけないわよ」
ケリーは言った。
「あのときも言ったと思うけど、あの子はいつも一人で、誰とも交わろうとしないから、それで私も忘れちゃったのよ」
「それは仕方ないと思う」
べルティーナがケリーを庇うように言う。
「ウルリケは自分のことしか考えていないし、人の好意も悪く受け取るし。私だってお話ししたくないもの」
「そう、わざとじゃないのね」
ルネは頷く。
「他の人は、どう思う?」
「私は」
この流れを変えなくてはいけない。そう考えて、ハイデは手を挙げた。
「ウルリケにも問題はあると思うけど、でも必要な連絡をしないのは話が違うって思う」
「だから、わざとしなかったわけじゃないから!」
ケリーが苛立った声を上げる。
「忘れちゃっただけって言ってるでしょ」
「ウルリケだけが二回もって、やっぱり不自然だと思う」
ハイデは言った。
「ケリー、それに二回とも忘れたのはあなたでしょ?」
「嫌がらせでやったって言いたいわけ?」
ケリーの表情が険しくなる。
「私がそんなつまらないことをすると」
「つまらないことだと分かっているのなら」
ハイデはケリーの鋭い視線を真正面から受け止める。
「しなければいいのよ、そんなことは」
「話にならないわ」
ケリーが首を振り、それにデルマも加勢した。
「ケリーが嫌がらせでやったっていう証拠でもあるの? ないのなら、ハイデ。そんなのただの言いがかりよ」
「うおー」
ライマーがはしゃいだ声を上げる。
「盛り上がってきたな!」
それにラウディが、ぎゃはは、と笑う。
「連絡は、きちんとしないといけないわね」
ルネが口を挟んだ。
「ウェシンハス先生は掲示板に書けばいいとおっしゃっていたけれど、口頭で説明しないと伝わらない事柄もあるし。そういう時は、ちゃんと伝えないといけないわ」
「私が悪いっていうの?」
ケリーが顔を赤くしてルネを睨む。
「さっきも言ったけど」
ルネはため息混じりに言う。
「ウルリケに伝わっていなかったことは事実だわ。それについては、ケリー。あなたにも非があるでしょう」
「非なんかないわ」
ケリーは首を振る。
「私はただ親切心で、日直の仕事を手伝ってあげただけだもの」
「だから、別にあなただけを責めているわけじゃないわよ。連絡をするときは、必ずみんなに伝わるように注意しなければいけないわね、ということを」
ルネがそう補足したが、ケリーの怒りの矛先はクラス委員の方へと向いた。
「そんなに連絡が大事なら、クラス委員のあなたが全部やってくれればいいじゃない」
「私が?」
ルネが形のいい眉を上げる。
「どうして?」
穏やかな笑顔を浮かべていたが、ルネの声にぴりっとしたものが混じる。
それに気付いたデルマがケリーの肘を叩くが、興奮したケリーは止まらなかった。
「だって、そうでしょ。あなたはクラス委員なんだから、クラスのみんなのために働く義務があるはずだわ」
「それ、本気で言っているの、ケリー」
ルネは笑顔のままで、そう問いかけた。
「私がそんなことをしなければいけないと、本気で」
「もちろん、本気」
「じゃないわ」
そう遮ったのは、ベルティーナだった。
「そうよね、ケリー」
ベルティーナはケリーににこりと微笑みかけた。
「本気のわけ、ないじゃない。ねえケリー」
「え、あ」
ケリーは我に返ったように、二人の貴族の令嬢の顔を見た。
それから、こくこくと頷いた。
「ええ、本気のわけないわ。ごめんなさい、言いすぎた」
「いいのよ」
ルネは笑顔のままで言った。
「分かってくれたなら、それで」
やはり貴族の生徒たちには、平民の生徒にはない独特の迫力のようなものがあった。
それは普段穏やかなルネであっても例外ではない。
乱暴者のラウディでも茶化せない雰囲気の中、貴族のレオンが口を開いた。
「ケリーの件はともかく、このクラスのほとんどみんなが今のウルリケにいい感情を持っていないのは確かなんじゃないかな」
レオンはそう言って、ハイデを見た。
「ハイデ。君の意見は正しいと思う。ウルリケのことを、僕もあまり好きではないけれど、だからといって連絡すべきことをしないというのは、違うと思う」
「あ、ありがとう。レオン」
レオンはハイデににこりと微笑んで続けた。
「だから、ウェシンハス先生の言う通り掲示板を活用するのはもちろんだけど、書いただけでは伝わらないような込み入った連絡とか、彼女個人に連絡する必要があるときは困る。だけど、僕らはみんな彼女と話をしたくない。彼女の方でも、僕らとまともに話をしようとしないことは、さっきの態度を見ても分かるだろう。それなら、誰か彼女の担当を決めておけばいいんじゃないかな。彼女とちゃんと話ができる、仲のいい誰かを」
「レオン、立派なこと言ってるように聞こえるけど、中身は空っぽだな」
ラウディが鼻で笑った。
「お前、自分でも、みんなあいつと話したくないって言ってるじゃねえかよ。あいつと仲のいいやつに任せるなんて、そんな都合のいいやつがいるわけねえだろ」
だがラウディは、そこで戸惑ったように目を瞬かせた。ルネもレオンも、そちらを見る。
「何だよ、レクト」
ラウディが訝しげな声を上げた。
ずっと黙っていたレクトが、まっすぐに手を挙げていたからだ。
「お前、何か言いたいことあるのか」
「どうしたの、レクト」
ルネが優しい声で言った。
「何か意見があるのかしら」
「ぼ、僕は」
レクトは言葉に詰まった。
緊張で声が震えた。
みんなの視線が集まると、それだけで顔が真っ赤になってしまうのが自分でも分かった。
だけど、今ここで言わなきゃだめだ。
言うんだ、レクト。
「僕は、ウルリケとオリエンテーションで一緒だったから」
レクトは早口で言った。
「だから、みんなよりも喋れるし、僕がウルリケの担当でいいよ」
「お前が?」
ラウディが目を剥いて笑う。
「ははは、そりゃちょうどいいや。お似合いの」
「ありがとう、レクト」
ラウディの言葉は、レオンに遮られた。
「勇気ある発言だ。僕は、君の発言を評価する」
「おう、そうだよ。レクトなら適任だぜ」
明るい声をあげて立ち上がったのはライマーだ。
「みんな、レクトに頼もうぜ、なっ、なっ」
そう言ってクラスメイト達の顔を見まわす。
ライマーとしては、レクトとウルリケを応援しているつもりなのだろう。
そして、彼がこうやって明るい声を出すと、みんな何となく、言い争う気を失くしてしまう。
これはライマーの特性と言ってもよかった。
「そうね」
ルネは微笑んだ。
「ありがとう、レクト。それなら、何かあったらウルリケへの連絡はお願いできるかしら」
「うん」
レクトが頷くと、ぱらぱらと拍手が起きた。
ラウディは隣の席のジルコと顔を見合わせて、面白くなさそうな顔をしていた。
「じゃあ、話し合いは終わり」
ルネが言った。
「遅くまで残ってくれてありがとう」
「ルネこそ、お疲れ様」
ベルティーナが優しい声でクラス委員をねぎらう。
「有意義な話し合いだった」
そう言って、レオンが満足そうに立ち上がった。
レクトが、まだ緊張の余韻で高まったままの鼓動をどうにか抑えながら帰る準備をしていると、ハイデが静かに近寄ってきた。
「ありがとう、レクト。名乗り出てくれて」
ハイデはそっと囁いた。
「本当は、こういうことじゃなくてみんながウルリケを受け入れるようにしたかったんだけど」
「いいんだ。ハイデこそ、ありがとう」
レクトは答えた。
「多分ウルリケも、みんなに歩み寄らないといけないんだと思う。でも、とりあえずは僕が」
「少し見直したわ、あなたのこと」
ハイデはそう言って、困った顔のレクトに手を振って帰っていった。




