アルマーク
背の高さから考えて上級生だろうとレクトは思っていたが、やはりアルマークは、三年生ということだった。
レクトにランプを返してくれた後で、アルマークはこんな時間に一年生がどうして校舎にいるのかと尋ねてきた。
その静かな口調に、最初、レクトは自分が彼に叱られるのではないかと思った。
以前、寮で消灯時間を過ぎてもふざけていた一年生男子を怒鳴り飛ばしていたエメリアという三年生のことを思い出す。オリエンテーションの日に食堂で突然席を外してしまった女子生徒だ。
彼女みたいに、一年生がこんな時間にふらふらしているんじゃない、と怒鳴ってきたらどうしよう、とレクトは少し警戒する。
だが、アルマークは穏やかな表情でレクトの返答を待っている。気に食わない答えだったら怒鳴り散らそうと思っているようには見えなかった。
「忘れ物を取りに来たんだ」
レクトは言った。
「明日までに出す課題に必要な資料を」
「課題か。思い出して良かったね」
アルマークは同情顔で頷く。
「それじゃあ取りに来ないわけにはいかないね。先生は誰だい」
「ウェシンハス先生」
「ああ」
アルマークはため息をついた。
「それは、絶対に出さないといけない」
「うん」
同意してもらって嬉しくなったレクトは、手に持つ資料を差し出す。
「これがないと、絶対にできない課題だから」
「見せてくれるのかい」
微笑んだアルマークは、資料を受け取るとそれに熱心に目を通し始めた。
「ああ、これはいい資料だね。さすがウェシンハス先生、資料はとても分かりやすい」
「うん。話は分かりづらいけど」
「そうだね。僕もそう思う」
レクトとアルマークは顔を見合わせて笑う。
「そうか。ガライの社会にはこんな魔法具まで浸透しているのか。旅の途中で見たことがなかった。これは便利だな」
そう言いながら、アルマークがレクトの資料をめくる。
その真剣な表情を、レクトは不思議に思う。
同じ内容を勉強してきたはずの三年生が、どうしてこんなに初めて見るような顔でウェシンハス先生の資料を読んでいるんだろう。
「二年前の勉強を、もう忘れちゃったの?」
レクトが尋ねると、アルマークは顔を上げて、ああ、と微笑む。
「僕は勉強してないんだ」
「え?」
「この間、三年生に編入してきたばかりだから」
「あっ」
そうか。
この人か。
レクトは改めてランプに照らされた彼の顔を見た。
北からやって来たという三年生の編入生。
「北から来たっていう……」
「うん」
アルマークは資料を読みながら頷く。
「よく知ってるね」
「噂になっていたから」
「この学院ではすごく珍しいそうだね、編入生って」
アルマークは微笑む。
「僕は入れてもらえてよかったよ」
アルマークはそれから思い出したように顔を上げて、窓の外に目を向けた。
「ああ、こんなところで話していると夕食の時間に遅れるね。歩きながら話そう」
ランプの灯が歩く二人の足元を照らす。
「アルマークは、こんな時間にどうして校舎にいたの?」
「僕は、補習だよ」
アルマークは答える。
「瞑想の訓練を、イルミス先生が見てくれているんだ」
「ああ」
イルミスというのは、どのクラスの担任も受け持たずに魔術実践の授業を専門にしている男性教師だ。
分厚いカーテンの閉められた魔術実践棟にいつもいる顔色の悪い痩せぎすの教師の顔を、レクトも思い出す。
とっつきづらそうな先生だが、レクトたち一年生がイルミスの授業を受けるのは、もう少し先だ。
「瞑想から始めているんだね」
レクトは言った。
「アルマークは、魔法がまだ使えないの?」
「そうなんだ」
アルマークは特に恥ずかしがる様子もなく頷く。
「だからまずは瞑想から、授業が終わった後でイルミス先生に教えてもらっているんだ」
レクトはライマーに聞いた話を思い出す。
「そういえば、一年生の瞑想の授業に参加して、追い出されたって」
「本当によく知ってるね」
アルマークは苦笑する。
「一年二組の授業に混ぜてもらったんだけど、僕がいると一年生のみんなの気が散っちゃうらしくて」
「そうなんだ」
分かる気がする。
レクトは、隣を歩くアルマークをそっと観察した。
どう言えばいいのか。うまく言葉にはできないのだけれど、アルマークは他の生徒たちとは何かが違った。
まとっている雰囲気が違う。
身のこなし一つとっても、そうだ。
こうして話していると穏やかで静かなのだけれど、表に出てこない抜け目無さそうな何かを感じる。
それが、北からやって来たという彼の特殊な背景によるものなのか、それとも別の何かか、レクトには分からなかった。
「エルドとシシリーって知ってるかい」
アルマークは言った。
「その時に仲良くなった一年生なんだけど」
「二組の生徒は、あんまり」
レクトは首を振る。
「名前くらいは聞いたことあるかも」
「そうか」
アルマークは頷く。
「そうだよね。僕もまだ他のクラスの人のことは分からない」
「アルマークは、北からどうやってこの学院まで来たの」
「歩いてだよ」
「歩いて?」
思わずレクトはアルマークの顔を見た。
「どれくらいかかるの」
「一年半くらいかな」
「ええっ」
レクトが驚きに目を見開いたその時、ばたばた、という羽ばたきの音とともに、大きな蛾がランプにぶつかってきた。
「うわ」
茶色っぽい、レクトの手のひらよりも大きな蛾だった。
ランプの明かりにおびき寄せられたのだろう、がさがさと音を立ててランプにぶつかる。
「僕、蛾って苦手で」
「触るとかぶれたりするからね」
アルマークは穏やかに頷く。
「でも、この蛾は触っても平気なやつだ」
「そうなの? でも怖いよ」
レクトは丸めた資料を蛾に向けて振った。
「あっちいけ」
だが、蛾はますます激しくランプにぶつかってくる。
「うわあ」
その瞬間、アルマークの手がぱっと伸びた。
と思ったときには、ランプの周りから蛾はいなくなっていた。
アルマークの背後で、蛾が混乱したようにばさばさとはためく音がした。
「今、捕まえたの?」
「うん」
アルマークはこともなげに頷く。
「さっきも言ったけど、あれは大きいだけで毒はないから、触ってもかぶれないんだ。チャサイモンマダラガ」
そう言って、手についた粉を払う。
「まあ、名前は最近勉強したんだけど」
「あんな速さで捕まえるなんて」
目にも留まらぬ速さだった。
レクトには、最初何が起きたのかよく分からなかった。
アルマークは蛾を捕まえて、自分の後ろに放してやるまでを、ほとんど一瞬のうちにやってのけていた。
「さっきランプを拾ってくれた時も思ったけど」
レクトは言った。
「アルマークって、その、何というか」
「何だろう」
「すごく、手が速いね」
その言葉に、アルマークは笑った。
「手が速い、か。初めて言われたよ」
「言い方が変だったかな」
レクトは首をかしげる。
「でも、すごいと思ったよ」
「ありがとう」
アルマークは静かに微笑む。
「この学院では、僕はできないことばかりだから。すごいなんて言われると嬉しいよ」
その表情にレクトは改めて、この生徒が野蛮な北の国からやって来たようにはとても見えない、と思う。
「さあ、また蛾が戻ってくる前に帰ろう」
アルマークはレクトを促して歩き出した。
やがて、二人は寮に帰り着いた。
食堂の方からは、まだ生徒たちの声ががやがやと聞こえてくる。
「どうやら夕食には間に合ったみたいだね」
「うん」
「ウェシンハス先生の課題、頑張って」
「ありがとう。アルマークも瞑想、がんばってね」
寮の大扉を入ったところで二人は別れた。
だが、アルマークがすぐにまた駆け寄ってきた。
「レクト」
「なに?」
驚いてレクトは足を止める。
「さっきのウェシンハス先生の資料」
真剣な顔でアルマークは言った。
「今度、僕にも貸してくれないか」
なんだ、そんなことか。
思わずレクトは笑顔になる。
「うん、いいよ」
「よかった。あれ、すごくいい資料だよ」
ほっとしたように笑うアルマークを見て、レクトはこの三年生は本当に勉強が好きなんだなあ、と感心した。




