相談
「先生」
瞑想の授業の後。
ハイデは、教員室へ帰ろうとしているヴィルマリーを廊下で捕まえた。
「何ですか、ハイデ」
ヴィルマリーは背筋を伸ばしたまま、すうっと振り向くと、目だけを動かしてハイデを見下ろした。
「あの、ええと」
ハイデは言葉に詰まった。
この教師と話すときは、担任だというのに他のクラスの教師たちよりも緊張してしまう。
「相談したいことがあるのですが」
「ここで話せることかしら」
ヴィルマリーは、目を細めた。
「それとも、場所を変える?」
「そうしたいです」
ヴィルマリーは軽く頷くと、ハイデを手招いて廊下の脇に寄る。
「ここでいいわね」
「え、あの」
ハイデは返答に困った。
廊下の真ん中から避けただけで、すぐ隣を生徒たちが普通に行き来している。
場所を変えたとはとても言えない。
こんなところで話したら、いろんな人に聞かれてしまう。
ハイデの困惑した表情をよそに、ヴィルマリーが黒い指示棒を振った。
二人の周囲に、すとん、と白い魔法の幕が下りる。
周囲の音が消える。
一瞬のうちに、二人だけの小部屋のような空間が出来上がっていた。
「人には聞かれません」
ヴィルマリーは言った。
「立ち話になるけれど、それでいいかしら」
「は、はい」
ハイデは気を取り直す。
今は、ヴィルマリーの魔法に驚いている場合ではなかった。次の授業まで、あまり時間がない。
ハイデは、ウルリケがクラスで孤立しかけていること、それによってクラスの雰囲気が悪くなっていることを手短に説明した。
「クラス委員のルネにも話したんですが」
ハイデはなるべくこれが告げ口に聞こえないよう、言葉を選んだ。
「彼女はあまりそれを気にしていないみたいで、それで」
ヴィルマリーは一言も口を挟まず、ハイデの話を黙って聞いていたが、そこで初めて口を開いた。
「ケリーが日直の連絡を回さなかったせいで、ウルリケは授業に必要なものを持ってこられなかった。あなたはケリーがわざとウルリケに伝えなかったと思っている。そういうことね」
「……はい」
「あなたは、どうしたらいいと思うの」
「ええと、私は」
ハイデはうつむく。
「クラスの雰囲気が良くないと、すごく勉強しづらいんです。余計なことに気が散るし、集中できないっていうか……だから、みんなに仲良くしてほしいです」
それを聞くと、ヴィルマリーは微笑んだ。
「ハイデ。あなたのその率直さは美徳ね」
「えっ?」
「魔術師になろうとする者は普通、魔術師や魔女の弟子になる。それは知っているわね」
「はい」
先生は突然何を言い出したのかと訝しみながら、それでもハイデは頷いた。
ノルク魔法学院に入学できる子供は、一年で五十人にも満たない。それは、世界中の魔術師になろうとする者の総数からすれば、極めて少ない数だ。
だから、ほとんどの者は魔術師や魔女の弟子となって、師匠から魔法を習うのだ。
「だけど、この学院ではたくさんの子供たちを一つの場所で一緒に生活させて、一緒に授業で学ばせる。それが何故かといえば、その方が教育効果が高いからよ」
「効果、ですか」
「ええ」
ヴィルマリーは頷く。
「あなたたち同士が刺激し合い、共鳴し合うことで、成長が促される。それが優秀な魔術師になるためには必要な過程だということよ」
ヴィルマリーの言っている意味がよく分からず、ハイデは黙ったまま彼女を見上げた。
ヴィルマリーは続ける。
「あなたたちは魔術師になるためにこの学院で学んでいる。別に、ここに友達を作りに来ているわけではない」
その言葉がウルリケが以前言ったこととそっくり同じだったので、ハイデは思わず眉を顰めた。
「だから、クラスの全員と仲良くする必要はない」
ヴィルマリーは言った。ハイデは曖昧に頷く。
そう。ウルリケも同じことを言ったのだ。
「ハイデ。あなたはこの学院にお友達を増やすために来ているの? 私は魔術師になるために来たのだけれど」
さすがのハイデも、あのときはむっとしたものだ。
けれど、ヴィルマリーがそう言うということは、やはりウルリケの言うことが正しいのか。私の考え方は間違っているのか。
だが、ヴィルマリーは続けてこう言った。
「でも、その目的を達成するためには協力し合うことが絶対に必要ね。誰も一人では魔術師にはなれない。それは、この世界で誰も一人では生きていけないのと同じくらいに自明のことなのだけれど」
ヴィルマリーは微笑んだ。
「三年生や中等部にさえ、そのことを理解していない生徒がいる。これはそれくらい難しい問題です。毎年一年生がこういう相談が来るのは夏の試験前くらいなのに、今年はずいぶんと早いわ。ハイデ、あなたはその行動力を大事になさい」
ヴィルマリーはそう言うと、指示棒を小さく振った。
それと同時に、周囲の音が戻ってきた。
いつの間にか、ハイデたちを包んでいた白い幕は消え去り、二人は廊下の片隅に立っていた。
「今度、一年生の交流行事があるのは知っているわね?」
ヴィルマリーの言葉に、ハイデは頷く。
「はい。あの、クラス同士で競う」
「ええ。三クラス対抗の運動競技会」
「はい」
「その準備を兼ねて、ルネに話し合いの場を設けるよう指示しておきます」
ヴィルマリーは言った。
「よく話し合いなさい。自分たちが優れた魔術師になるためには、どうすればいいのか」
そう言って、ハイデの肩を叩き、ヴィルマリーは歩き出した。
「この学院では、答えを出すのはいつも生徒たち自身よ。あなたたちの先輩も皆そうしてきたわ」
その日の放課後。すっかり日も落ちて間もなく夕食という時刻。
レクトはランプを手に、一人校舎から寮への道を歩いていた。
課題をするのに必要な資料を、教室に忘れてしまっていた。
さんざん森で遊んだ後に、寮に戻ってからそのことに気付いたのだ。
もう少し早く気付いていれば、森からの帰りに校舎に寄って帰れたのに。
だが、課題は口うるさいウェシンハス先生の授業のものだ。取りに来ないわけにはいかない。
昼間とは違って人気のない静まり返った校舎の中を、レクトはびくびくしながら歩いた。
怖くない、怖くない。
何にもいない。何にもいないぞ。
二階に上がり、教室のドアを開けたときの音に自分でびくりと震えたりしながらも、レクトは何とか目当ての資料を机から見つけ出した。
さあ、早く帰ろう。
足早に教室を出る。
廊下の窓から見える木が、月明かりに照らされてまるで太い両腕を広げた巨大な怪物のように見えた。
怖くない、怖くない。
レクトは自分に言い聞かせる。
あれはただの木。化け物じゃない。
そんな風だったので、一階に下りたところで突然誰かが脇から出てきた時、レクトは思わず悲鳴を上げてへたり込んでしまった。
「うわあっ」
「おっと」
驚きのあまりレクトが放り出したランプを、床に落ちる寸前にその生徒が素早く掴み上げる。
一瞬の早業。
まるで獣のようなしなやかな身のこなしだった。
「危ない危ない」
そう言って微笑んだその男子生徒の顔に、レクトは見覚えがなかった。
「驚かせてごめん。大丈夫かい」
男子生徒が手を差し出す。
「僕はアルマーク。君は?」
アルマーク。その名前も聞いたことがなかった。
レクトはおずおずとその手を取って立ち上がる。
「僕は、レクト」
それが、レクトとアルマークとの出会いだった。




