瞑想
初等部一年生の瞑想の授業は、特別教室で行われる。
瞑想室と呼ばれるその教室は校舎の一階にあり、窓は全て分厚いカーテンに覆われていて昼でも夜のように真っ暗にされている。
初めてこの教室に来た一年生の中には、暗さに驚いて中に入ろうとしない生徒もいたほどだ。
レクトも、この教室の暗さが最初は怖かった。
特に部屋の隅の方のじっとりと暗い闇の中には、何か得体の知れないものが隠れているような気さえした。
けれど今ではもうすっかり慣れてしまった。というのも、一年生は瞑想の授業が毎日あるからだ。慣れというのはすごいもので、最初の頃は「あの教室、嫌だね」なんて言っていた生徒はたくさんいたのに、今ではもういちいち怖がる生徒はほとんどいなくなっていた。
瞑想をするには、この暗さがちょうどいいのだ。
瞑想について学ぶにつれ、レクトにもそういうことが理解できはじめていた。
「さあ、始めましょう」
瞑想の担当は、一年一組の担任教師でもあるヴィルマリー女史。
厳めしい顔つきのこの教師は、彼女の代名詞ともいえる黒い指示棒の先に、魔法の灯をともしていた。
「瞑想をする上で、重要なのは成果を焦らないことです」
ヴィルマリーはその独特の低い嗄れ声で言った。
「慣れてきたからといって、瞑想を雑に済ませようとする生徒がいます。そういう生徒が真の魔法の技術を身に付けることは、決してないでしょう。もしも、早く魔力を練れればその分早く魔法が教えてもらえると思っているのであれば、それは大間違いです。魔力を上手に練れようが練れなかろうが、あなた方の今の段階で教える魔法はありません。だから余計なことは考えずに、じっくりと瞑想をしなさい」
淡々と、ヴィルマリーは厳しいことを言った。
何人かの生徒が不満そうに口を尖らせる。
ラウディやその取り巻きのジルコもそうだ。
いつも、口癖のように「つまんねえよな、早く魔法使えるようになりてえな」と言っている彼らの気持ちは、レクトにも理解できた。
ノルク魔法学院に入ったのだから、早く魔法を教えてもらって魔術師になりたい。そう思うことの何がいけないのか。
だが一方で、ヴィルマリーの言うことが正しいのも分かっていた。
瞑想は、魔術師が魔法を使う上で大前提となる土台をつくる行為だ。
瞑想なくして、魔法を使うことはできない。
自分の身体の中にある魔力を感じ取り、それをじっくりと練り上げる。
粗い原石を磨き上げて美しい宝石にするように。
そのままではとても使えない粗い素の魔力を、体内で魔法の原動力にできる状態まで磨き上げる。
それが魔術師の瞑想だ。
それは幼い一年生たちにとっては地道で退屈な作業だったが、しかしそこから始める以外にはなかった。
だから、ヴィルマリーもわざわざ釘を刺したのだ。
さっさとできた気になって、手っ取り早く魔法を教えてもらおうなどと思わないことだ、と。
まるで習慣のようにウルリケの姿を目で追ったレクトは、ヴィルマリーの魔法の明かりで照らされて陰影がくっきりとした彼女の表情にも、やはり不満がくすぶっているのを見てとった。
オリエンテーションの時からそうだった。
ウルリケは、いつでも最短距離で魔法の力を求めていた。
「それでは、間隔を開けて」
ヴィルマリーの指示に従い、レクトたちはそれぞれ一定の間隔を開けて椅子に腰を下ろす。
「消すわよ」
ヴィルマリーの言葉とともに、教室を照らしていた灯が消えた。
静まり返った教室に聞こえるのは、生徒たちの静かな呼吸音だけだ。
レクトは、自分の身体の中にある魔力をゆっくりと練り始める。
練る、といっても実体のない魔力を指でこねくり回すことはできない。
全てはイメージだ。ヴィルマリーはそう言っていた。
自分のイメージの中で、魔力を練り上げてみせろ、と。
イメージに正解はない、とも言っていた。
魔力のイメージは魔術師それぞれで、驚くほどに違うのだという。
レクトが自分の身体の中の魔力に対して抱くイメージは、砂だった。
身体の中のあちこちに散らばった、砂。
それをまずはイメージの中で一か所にかき集める。
集める場所は、胸の中心。
集められた砂の中には、まだ大小さまざまな石が混じっている。
レクトはそれを、ふるいで濾していく。
もちろんふるいも、自分のイメージの中で生み出すものだ。
外見上は、レクトは教室の椅子に静かに座っているに過ぎない。だがそのイメージの中では、休むことなく慎重に魔力の砂をふるいにかけていた。
余計な石が取り除かれ、きめ細かな砂だけが残る。
それがレクトの考える、練られた魔力のイメージだった。
隣を通りかかったヴィルマリーが、そっとレクトの肩に手を置いた。
「良いイメージですね、レクト」
まるでレクトの頭の中が見えてでもいるかのように、ヴィルマリーはそう囁いた。
「あなたは魔力を練るのが上手です。その調子で続けなさい」
「はい」
めったに人から誉められたことのないレクトは、めったに人を誉めるのを見たことのないヴィルマリーから誉められて、思わず弾んだ声を出した。
そのせいで、イメージの中の砂はまたあちこちに飛び散ってしまった。
「……ああ」
思わずうなだれる。
いい感じだったのに。
「いいのです。最初から始めなさい」
ヴィルマリーは言った。
「やり直すことを面倒だと厭ってはいけません。魔術師の魔法とは、その作業の繰り返しです」
「はい」
小さく返事して、レクトは再び目を閉じた。
人から少し声を掛けられただけでイメージが崩れてしまうのは、まだそれがしっかりと固まっていないからだ。
ヴィルマリーの気配が遠ざかっていく。
レクトは再び身体の中の砂をかき集めた。
「そういえば、聞いたか」
瞑想の授業の後、一組の教室に戻る途中、ライマーがレクトに声を掛けてきた。
「昨日、二組の瞑想の授業に、三年生が一人混ざったんだってよ」
「三年生が?」
レクトは思わずライマーの顔を振り返る。
「どうして」
オリエンテーションの魔術実践棟でルクスやウェンディが見せてくれた通り、三年生はすでにいくつもの魔法を自在に使いこなしている。
それはつまり、レクトたち一年生が毎日瞑想の訓練を通してなんとかその状態に持っていこうとしている魔力の理想的な状態を、三年生はもうあっという間に作れるのだということを意味している。
そんな三年生たちが、どうして今さら一年生の瞑想の授業に参加する必要があるのか。
「いや、その三年生ってさ」
ライマーは笑いをこらえるように言った。
「魔法がまだ一つも使えないんだってさ」
「ええ?」
三年生で、魔法が使えないだって。
それはあり得ないことだ。この学院に通う生徒は全員、その才能を認められて入ってきているのだから。
そんな状態で、二年生までの試験を通過することができるはずはない。
「そんな生徒、いるわけないよ」
「それがいるんだよ」
ライマーは得意げに言った。
「レクトも聞いたことあるだろ? 三年生に編入生が来たって話」
「編入生? ……ああ」
そういえば、聞いたことがあった。
今年、三年生の歳になってから、突然編入してきた生徒が一人いると。
もうオリエンテーションが終わった後のことだ。
この学院で編入なんてことができるのか、と驚いたことをレクトも覚えていた。
「確か、北から来たっていう」
「そうそう」
ライマーは頷く。
「中原よりももっと北から来たんだってさ」
レクトたちの出身地域である南には、大国ガライ王国を中心に、三つの公国がある。
それより北に行くと、中原と呼ばれる地域がある。
フォレッタ王国とウィルコール王国という二つの大きな国を中心に、いくつもの国がある地域だ。
そして、中原よりもさらに北、メノーバー海峡と呼ばれる海を越えた先が、北と呼ばれる地域だ。
北についての情報は、南ではほとんど耳にすることはない。
ただ、南や中原ではとっくに絶えて久しい戦争が、北では今でもずっと続いていて、凶悪な“北の傭兵”と呼ばれる人々が徒党を組んで我が物顔で各地を荒らしまわっているのだという。
「北って、本当の北のことかい」
レクトは尋ねた。
「ずっと戦争が続いてるっていう」
「ああ」
ライマーは頷く。
「その北らしいぜ」
「怖いね」
レクトは肩をすぼめた。
一年生には、北から来た生徒なんて一人もいない。
そんな恐ろしいところから来た生徒なら、きっとクラスの乱暴者のラウディよりもさらに乱暴なのだろう。
「うちのクラスの瞑想には来ないといいけど」
「その心配はねえってよ」
ライマーがくすくすと笑う。
「二組でも、授業の邪魔だからってヴィルマリー先生に追い出されたって」
「そうなのかい」
「変な三年生が来たから、二組のやつらみんな集中できなかったらしい」
「ああ……」
それはあるかもしれない、とレクトは思う。
突然見たこともない上級生が参加してきたら、そっちばかり気になって瞑想どころじゃなさそうだ。
とはいえ、そんな怖そうな生徒をさっさと追い出せるなんて、さすがヴィルマリー先生だ。
怖いけれど、そういうところはすごくしっかりしている。
レクトは、ほっとしながらそんなことを考え、自分のクラスの担任教師を心の中で称えた。
だが、レクトは結局、北から来た編入生と出会ってしまうことになる。




