クラス委員
「ウルリケ」
その日の昼休み。昼食を終えたレクトは、食堂から一人で教室に帰っていくウルリケの背中を見付けて追いかけた。
「さっきはごめん」
「ああ、レクト」
振り向いたウルリケの表情は心なしか、いつもよりも冷たかった。
「何が?」
「僕のせいで、フルエプラムの種を持って来ることが君に伝わっていなくて」
「ああ、そのこと」
ウルリケは肩をすくめる。
「別にいいのよ。次はちゃんと教えてね」
「う、うん」
僕はケリーにお願いしたんだけど。そう言おうかどうしようか、レクトは悩んだ。
このままじゃ、僕がウルリケのことを蔑ろにしたみたいになってしまう。
「じゃあね」
だがレクトが口ごもっているうちに、ウルリケはさっさと歩き去ってしまった。
周囲にほかの生徒はたくさんいるのに、レクトはなんだかぽつんと取り残されたような悲しい気持ちでウルリケを見送った。
「ルネ。ちょっといい?」
その日の放課後のことだ。ハイデは教室を出ていこうとしていたクラス委員のルネを呼び止めた。
「話があるんだけど」
「何かしら」
ルネは小首をかしげてハイデを見た。
1年1組のクラス委員に任命されたルネは、貴族の令嬢らしいおっとりとした物腰と穏やかな態度、それに何といってもその美貌でクラスメイト達から一目置かれていた。
一年生はまだ試験を受けたことはないが、それでも夏の休暇前に行われる初めての試験では、きっと彼女の成績は良いのだろうと皆に思わせるだけの聡明さがあった。
けれど、ルネはクラス委員としてこのクラスをまとめるということに関してはあまり熱心ではないようだった。
担任教師からの伝達事項はきちんと伝えるけれど、そこに決して補足や自分の意見を付け加えたりはしない。
「ヴィルマリー先生からは、以上です」
淡々と伝達事項を読み上げた後、可愛らしい声でそう言って、優雅に腰を下ろす。
それが彼女のいつものやり方だった。
オリエンテーションのときの三年生のクラス委員たちは、むしろ率先して先生の指示の足りない部分や言外の意図を汲み取って仲間と共有しようとしているようにハイデには見えた。
自分と同じ一年生のルネに、三年生たちのようにしろとは言わないが、それでも彼女の委員としての仕事ぶりはあまりに事務的で淡々としていた。
だから、彼女は頼りにならないかもしれない、とハイデは最初から思っていた。
けれど、ルネは先生から認められたこのクラスの代表なのだ。
話はしておかなければ。
「ここだとちょっと」
周囲には、まだほかのクラスメイト達もいる。ハイデは出来ればルネと二人きりで話したかった。
「外で話さない?」
「別にいいわよ」
ルネはにこりと笑って、鞄を手に教室のドアを開けた。
ハイデの話が終わったら、そのまま帰るつもりなのだろう。
廊下の突き当りの、ほかの生徒の来ない場所までルネを連れてくると、ハイデはそこで話を切り出した。
「今日のウルリケの件なんだけど」
「ウルリケ?」
ルネは黒目がちなつぶらな瞳をくるりと回す。
「何だったかしら」
「ワルハット先生の授業で、あの子だけ種を持ってこなかったでしょ」
「……ああ」
ようやく思い当たったように、ルネは微笑む。
「あったわね、そんなこと」
それから、ハイデを不思議そうに見た。
「それがどうかしたの?」
「あなたはどうして、あの子にだけ指示がいかなかったんだと思う?」
「日直のレクトが忘れていたからでしょ?」
どうしてそんなことを訊くのか、という顔でルネは答えた。
「あの時レクトが自分でそう言ってたじゃない」
「それはそうだけど」
焦れったくなって、ハイデは少し口調を強める。
「ルネ。あなた、種のことって誰から連絡を受けた?」
「ええと」
ルネは形のいいほっそりとした人差し指を頬に当てる。
「誰だったかしら。レクトじゃない?」
「レクトじゃないわ」
ハイデは首を振る。
「私は、ケリーに教えてもらった」
「ああ、ケリー!」
ルネは微笑む。
「そういえば、そうだったわ。私もケリーに聞いた気がするわ」
「そうでしょう」
ハイデは頷く。
「だから、ケリーがウルリケに伝えなかったんじゃないかと思うの」
「きっとそうでしょうね」
平然と頷くルネに、ハイデは苛立つ。
「でも、ケリーはあの授業中に何も言わなかった。手を挙げたのは、レクトだけ」
「それはその日レクトが日直だったからでしょ」
ルネの口調はあくまで穏やかだ。
「本来はレクトが伝えなきゃいけないことを、ケリーがウルリケに伝えていなかったからって、ケリーを責めることができるかしら」
「それは」
ハイデは言葉に詰まる。
確かにその通りだ。でも、そうじゃない。
「ケリーは、わざとウルリケにだけ伝えなかったんじゃないかって、私はそう思ってるのよ」
「どうして、そんなことを?」
ルネは目を瞬かせる。
「ウルリケとケリーたちの仲が悪いことは知ってるでしょ」
ハイデはこの際きっぱりと言ってしまった。
「え、そうなの?」
ルネの返答にハイデはがっくり来る。
この子はとぼけているのか。それとも、本当に気付いていないのか。
「そうよ。この間だってべルティーナがウルリケの態度に怒って教室を飛び出しちゃったんだから」
「そんなことがあったの」
仕方なく、ハイデは先日の小さな諍いをルネに話して聞かせる。
「そういうことがあったばかりだから」
ハイデは言った。
「ウルリケ一人だけに連絡が行っていないなんて、タイミングが良すぎるなって思ったの」
「でも、その時ウルリケと揉めたのはべルティーナなんでしょ?」
「うん」
「じゃあ、ケリーがウルリケに意地悪する理由にはならないじゃない」
「ルネ」
ハイデが疲れた顔をすると、ルネは慰め顔に頷く。
「だってそうでしょ? ケリーはそんな意地悪な子じゃないわ。それに、もう終わった話じゃない」
「終わった?」
「ええ。ワルハット先生の授業は、ウルリケが隣のエダーに見せてもらって、それで済んだでしょ。先生だって、犯人探しをするつもりはないって言ってたじゃない」
「それはそうだけど」
「じゃあこの話は終わりね」
ルネはにこりと笑うと、ハイデの肩を叩いた。
「また明日ね、ハイデ」
取り残されたハイデは、何とも言えない徒労感にため息をついた。
「これじゃ、ただ単に私がケリーの悪口を言っただけみたいじゃない」




