口づけのゆくえ(2)
いよいよ御前試合の当日。幕開けを知らせる空砲が鳴り響き観客の興奮を高めていた。
試合に先立ち競技場には一斉に参加の騎士達が集っていた。今回の試合は騎乗せず長剣のみで行われ剣技を競うのだ。各々の服装は様々で、重たそうな甲冑を着けているものもいれば、軍服姿のもの。
意外と軽装なのが優勝候補筆頭のギスランやマティアスだった。しかもユベールなどは普段と変わらない服装だ。自分の魅力を十分知ったうえで選ぶ華やかで豪華な貴族らしい衣装で、御前試合には全く相応しく無い。しかし女性観客の人気は勇壮なギスランと二部しているようだ。ユベールが動く度に歓声が沸き、それに応えるかのように手をあげて微笑むので、始まる前から卒倒者が出そうな勢いだ。
「そなた、やる気はあるのか?手抜きは許さんぞ!」
恰好からしてやる気の無いユベールをギスランは一瞥して叱咤した。
「この恰好ですか?不評ですね。皆、公のような目をして私を見ます。慣れないものを着る方が大変なんですよ。甲冑なんか着て無様に倒れたらみっともないでしょう?今日は公の胸を借りるつもりで頑張りますよ」
反論しようとしたところへ、女王陛下の先触れが高らかに鳴り響いた。
静まり返る場内でユベールは、近くにいるギスランとマティアスだけに煽るように囁いた。
「今日のフェリシテは何時にも増して素晴らしいと思うな。母上に言われて私が今日の為に最高の品を選んであげたから。出来上がりは見なくても分かる」
ユベールの選ぶものに間違いは無いだろう。彼こそ並み居る美姫より美しいと言われる宮廷一の美貌の持ち主で、その身を飾る服飾に関して非常に趣味が良く煩いのだ。
その彼が自分の選んだものとは言え褒めるのだから期待は高まってくる。
その彼女が登場する貴賓席は意外にも競技場の中央で最も下段にあった。弾かれた剣が降ってきてもおかしく無い場所だ。しかし女王は昔から臨場感溢れるこの位置を好んでいる。おかげで近衛兵達は試合の間中、胃に穴が開く思いで警護しているのだ。
その近衛兵らを引き連れて女王ブリジットが現れた。
女王の名を呼び観衆は歓喜した。女王は周囲をゆっくり見渡すと手をあげて皆を静めた。それから後ろを軽く振り向き、フェリシテに出てくるように促した。
貴賓席の入り口から現れた彼女を見て皆、息を呑んだ。それから場内が割れるかと思う歓声が起きた。口々に人々は彼女を称え、声をあげている。
〝素敵だと思うよ〟 と二人を挑発していたユベールさえもフェリシテの姿に目が離せなかった。彼女が身に纏っているのは自分が用意した物だし、ある程度予想も出来ていたが実際は 〝素敵だと思うよ〟 と言うどころの話では無かったのだ。
フェリシテは豪華なレースを飾りにたっぷり使った、真っ白な絹のドレスに身を包んでいた。それにビロードのような真紅の薔薇を模った紅玉細工を、胸元と細い胴に縫いつけられている。まるで白銀の天上にある花園のようだ。豊かで艶やかな黒髪は軽く結い上げられ、その紅玉の薔薇が輝きながら咲いている。風に揺れる王家の飾りと細い首元に絡む黒髪。翠の瞳に知性が溢れ、歓声の大きさに少し戸惑いながら微笑む姿。知性と純真さの中に官能的な香りを放つ〈天の花嫁〉に皆、夢中になった。
「ふっ、これは参りました。ユベール王子。やはり本気で戦わせて貰います」
マティアスがユベールに耳打ちした。
マティアスだけでは無い。競技場の騎士達は殺気だってきた。我こそ勝者となると咆哮をあげるものまでいる。血の雨が降りそうだとユベールは思ってしまった。
女王の開幕宣言により、いよいよ御前試合は始まった。最初に組み合わせのクジを引く。二組に分かれての対戦だった。各組の勝者同士で最後の決定戦が行われる。ユベールとマティアスは同じ組となった。対戦は二組とも交互に行われるが初めの方は決着も早く、次から次へと組み合わせは進んでいった。
ギスランはほとんど二、三合で相手の剣を弾きとばしている 〝紅蓮の騎士〟 の名に恥じない戦いぶりだ。
マティアスの恐さはその頭脳にある。相手の攻撃の型を分析して、まるで先が読めるかのように動きを封じていく。いとも簡単に決着がついていった。
ユベールはと言うと…出場したからには東の元帥を名乗っている以上、簡単に負けてはそれこそ威信に関わる。対戦に運良く名のある騎士と出会わなかったので、まあ適当に相手をして勝利を収めていった。
しかし、組の最終決戦の相手は予想通りマティアスだった。もう一組の勝者は当然ながらギスラン。彼と戦うのはユベールかマティアスだ。もちろんマティアスは本気だ。殺気さえ感じる。ユベールは剣を待ち直しながら思った。
(ここまでくれば十分威信は守れた筈。適当なところで退くとしようか)
だか、彼の脳裏にフェリシテの言葉がよぎった。
〝優勝して下さい!絶対、絶対、お願いします!〟 口づけするならユベールが良いと言い張った姿を思いだした。
(……全く。私が良いとか気楽に言ってくれて…人を何だと思っているんだ。そこまで彼女にとって私は無害な人種か?嗤える状況だな…)
ユベールの剣を握る手に力が増し、宝玉のような碧い瞳の色が濃くなり細められた。
力は五分と五分か?嫌、ユベールの方が優っていた。マティアスが彼の攻撃を読めていないのだ。それにはマティアスも驚きは隠せなかった。従兄弟で幼馴染でもある彼らは手合わせなど何度も経験している。しかしマティアスはユベールの本当の力を一度も見切ったことは無かった。そのユベールがまるで舞うように自分の剣をかわしながら追い詰めて来るのだ。剣と剣が交差する。
「王子。興味が無かったのでは?」
「悪いな。約束を思い出してしまってね。優勝してくれとねだられていたんだ」
ユベールはそう言うなりマティアスの剣を押し戻して叩き落とすと、彼の首元で剣をピタリと止めた。
「勝負あり! ユベール王子殿下! 」
わぁ――と、歓声が上がる。
最終決戦はユベールとギスラン。筋書きが出来ていたかのように東西の元帥対決。場内は最高潮に盛り上がっていた。
女王も満足気に高らかに笑っていた。
「どうじゃ。フェリシテ、楽しいであろう?残念なことに夫候補は増えなかったが。いずれにしても頼もしい候補達であろう?ましてユベールがここまでやってくれるとは思わなんだ。そなたの願いが効いているのではないかな」
「………」
(王子は約束通り勝ち進んでくれている。後はギスラン様だけ…)
フェリシテは初めて間近で見る真剣勝負の剣戟に心奪われていた。マティアスの鋭い剣にギスラン
の烈しい剣捌き。でも一番心惹かれたのはユベールの剣だった。それは風の中を舞うかのような華麗な剣。見ていて心が熱くなる気がした。
小休憩を挟んで最終決戦の幕があがった。
対峙する二人はお互いの間合いを読んでいる。じりじりと剣を構えたまま隙を狙っていたが、先にギスランが打ち込んできた。ユベールはそれを剣で受け止めかわしながら身体を入れ替えて応戦する。それからは目にも止まらない速さで刃と刃が交わる。凄まじい剣戟だ。もう何合目か数えられない。ギスランの重い剣をユベールは優雅にかわす。
フェリシテは蝶のようだと思った。優雅に空に舞う蝶のようだと―――
「ユベール! そなた中々やるな」
「叔父上は相変わらず馬鹿力ですね。もう手が痺れてきましたよ」
「その呼び方は気に入らんと言っていただろう! 」
「それは失礼いたしました。しかし、もう私も限界ですから終わらせて頂きます」
そうユベールが言い終わらないうちに彼は地面を蹴って舞い上がったように見えた。ギスランの剣に一撃を与えると、彼の頭を超えて宙返りし背後をとったのだ。
「はっ、私の負けだ。本気のそなたと戦えて楽しかった」
「長引けば私は負けておりました。オベール公の焦りが敗因だっただけです」
「生意気な口を利く」
振り向いたギスランはユベールの肩を叩くと、彼の左手を高く持ち上げ宣言した。
「勝者! 王子ユベール! 」
大観衆が大歓声をあげた。足踏みをしながら勝者のユベールを称え、見応えある戦いをしてくれたギスランの名を歓呼する。
隣で話す声も聞き取れない程の歓声の中、女王とフェリシテは試合会場に降り立った。女王は両者の健闘を称えてそれぞれに声をかけた。女王の言葉の後には観衆もその都度歓声をあげていた。
次はフェリシテの番だった。ギスランが彼女の前に跪いた。
「ギスラン様、今回は残念でしたけれど、どの試合も本当に素晴らしかったです。とても感激しました」
そして恐る恐る手を伸ばすとギスランの頬に口づけをした。ギスランは目を大きく見開いて口づけされた頬に手を当てた。
フェリシテは真っ赤になっていたが女王は、ニッ、と笑っている。健闘した褒美に敗者に頬で良いからと、急に女王が彼女に言ったのだ。
見詰め合う二人に観衆は歓喜している。
心の中で気に入らない声を発しているのはユベールだけだった。
(なんだ?私が良いとか言っておいて、叔父上でも問題なかったじゃないか。頬も唇も距離的に差は無いし…頑張って損した。マティアスからも後で嫌味を言われるだろうし。こうなったらフェリシテにはたっぷり褒美を貰おう)
ユベールはこちらを向いたフェリシテに、口の端を上げただけで微笑んだ。
「?? ユベール王子。おめでとうございます。その栄誉を称えます。あなたに天界の神々の祝福がありますように」
フェリシテは跪くユベールの頭上で祝福の印をきる。
その手を下ろしたと同時にユベールが立ち上がった。フェリシテの瞳を碧い瞳が見つめている。
「では、褒美を頂きましょう。天の花嫁の甘い口づけを」
ユベールの手と顔がフェリシテの顔に近づいて来た。彼の長い睫毛の下で碧い瞳が光っていた。薄く微笑みを刻む形の整った唇が、どんどん近づいてくる。
「いや―――っ。駄目! 」
はやし立てていた観衆が一瞬黙り込み、大爆笑した。
フェリシテは思わず、両手でユベールの口を塞いだのだ。その状態のままフェリシテは真っ赤になって必死に訴えた。
「駄目! 駄目です! こんな公衆の面前で口づけなんて出来ません! それに王子、とっても嫌らしい目をしているんですもの!」
「嫌らしいって? 何だよ! それ? どこがさ?」
ユベールはフェリシテの手を剥がしながら小声で言った。
「変なこと考えている瞳をしています! 嫌らしいです!」
二人の様子を見ていた女王は高らかに笑い声をあげた。
「皆のもの。天の花嫁は奥ゆかしいので恥ずかしいそうじゃ。褒美は後ほど誰もいないところで行うとのことじゃ。それで許してやっておくれ」
再びどっと笑いが出ていたが、微笑ましい彼女の姿と哀れな王子に観衆は口々に声援を送っていた。
『王子様~しっかり姫様の熱い唇をものにして下さいよ~』
『そうだ、そうだ! 頑張って下さいよ!』
『姫さん~嫌なら、あたい達が代わって王子としてやるよ~』
『接吻の仕方を教えてやろうか?』
などなど言いたい放題で場内は騒いでいた。
どちらかと言うと王子に 〝頑張れ〟 と言う声が大半のようだ。
ユベールは苦笑いを浮かべながら、仕方なく手を振って応えた。
フェリシテも場内の声に真っ赤になりながら小さく手を振っていた。女王が耳打ちする。
「のお、フェリシテ。そなたユベールは範疇外だったのでは?」
フェリシテは困った顔をして更に頬を赤く染めたようだった。
それを確かめると女王は満足そうに微笑んだ。
フェリシテは自分でも驚いていた。王子は大丈夫だと思っていたのに……でもギスランと戦う彼の姿に胸が高鳴っていたのだ。最後にふわりと舞い上がった時は息が止まりそうだった。覚悟していたとは言っても王子の顔が近づいてくると我慢出来なかった。それは恐怖ではなく、女王の言ったように恥ずかしくて手を出してしまったのだ。
それに王子の何時も冷めた瞳に熱を感じた。冷めた人形のような瞳なら何にも感じ無いが今日はそうでは無かった。欲望にも似たものを感じそれを恐れてしまったのかもしれない。
女王の思惑通りこの日を境に、フェリシテはもちろん彼女を取巻く候補者達との関係は急速に発展していくようだった。
ちょっと本気を出してしまったユベールです。怠け者でも実は武術も◎だったは定番ですよね?まぁ~私の小説には当然の設定でした。二人の関係はこれからもじれったく続きます。早く独占欲や嫉妬で心渦巻くユベールになってもらいたいものです。