4人の候補者(1)
とある場所の一室。薄暗い室内には数本の蝋燭の灯りだけが揺れていた。二人の男が小声で会話をしている。いかにも人目を忍んでいる様子だ。
「しかし困ったものだ…〈天の花嫁〉に花婿を決めさせるなど呆れて話しにならない。これでは的が絞れなくなる」
「確かに難しくなります。どれも有力で少しの油断も出来ません」
「誰か一人が候補であればそれを狙う者が尻尾を出すと思っていたのに…とんだ番狂わせだ」
「確かに困った事態だと思われます」
「いずれにしても花婿候補である、オベール公は限りなく怪しいが…第三王子であるシャルルの実父の侯爵家にしても…マティアスの宮廷での栄華を狙うシャブリエ公爵家に愚鈍なユベールを担ぎ上げる貴族共か?舞台は揃ったようだ。長年待ったことが成就するのも近いだろう。〈天の花嫁〉に感謝と言うものだ」
「はい。誠に…」
二人の思惑と共にオラール王国の夜は更けていく――
ユベールは不承不承、フェリシテの世話役となってしまったが、こんなことなら真面目に東の元帥職をしていれば良かったと今更ながら後悔していた。軍を東西の地区に分けた東の軍最高指揮官なのだが女王の指摘通り、手抜きもいいところだったのだ。
今朝から早速、女王の使いで彼女の元へ行かなければならなかった。しかも毎日行って自分に報告しろとの王命だった。全く面倒だと思うしかなかった。
〈天の花嫁〉の夫候補にまさか自分がなるとは思っていなかったのだ。順番で行けば有力候補なのは確かなのだが、彼が気ままな生活を好んでいる事は宮廷中知らない者はいない。王権に関わる事で誰も彼を指名するものはいないだろうと思っていたのだ。
ユベールは大きく溜息をついて、フェリシテのいる部屋の扉を開いた。
彼の訪問にフェリシテは光りを弾くような笑顔で迎えた。
「おはようございます。ユベール王子」
不機嫌なユベールは答えずに、女王から預かってきた絹貼りの箱を差し出した。
受け取ったフェリシテは箱の蓋を開けると、そこには一組の耳飾りが入っていた。
〝太陽の刻印〟 を模った黄金と宝玉で細工された代物だった。それはまるで聖剣を彷彿させた。
「これは?私に、ですか?」
「それは王族の証でね。女王より付けるようにとのお達しだ」
「王族の?」
飾りを手にとってかざして見た。思い浮かべれば昨日の女王を含めて皆、つけていたような…ふと王子を見れば彼も同じ耳飾りをしていた。これだけ見れば派手な感じだが彼の髪自体が黄金色なので目立っていない。他の皆も髪の色が黄系だからだろうが自分が付ければそうはいかないだろうと少し考え込んでしまった。
「どうしたの?さあつけて」
「……はい…」
覚悟を決めてフェリシテはつけてみた。慣れない重さが耳に下がった。頭を振ってみると細工がシャラシャラと鳴った。
「似合うよ」
ユベールは思わず言ってしまった。
黄金の飾りは漆黒の髪に鮮明に映えて引き立っていたからだ。それなのに当の彼女は怪訝な顔をしていた。それから壁に掛かっていた鏡にその姿を映して確かめている。
「結構派手ですね。王子達がつけているのは気にならないのに…私は似合って無いと思います。やっぱりこの黒髪が駄目みたい」
「え?黒髪だから似合っていると思うけど?そういえば先日も言っていたけどその髪の色、嫌いとか言っていたね?勿体無い、珍しくて綺麗なのに」
フェリシテは褒めているようで相変わらず本気に思えない彼を、きっと睨んだ。
「綺麗だなんて王子みたいな誰でも羨むような黄金の髪をしている人から言われたくないです!この髪の色で今まで散々嫌な思いをしてきたから!」
「それは失礼。私も好きでこんな髪の色に生まれた訳じゃないからそれはどうしようにも無いのでね。私は正直に美しいものは美しいと口に出したまでだよ」
「ご、ごめんなさい。申し訳ございませんでした。ついカッとなってしまって…昔から良いように言われたことが無かったので…本当にすみませんでした」
気分を害した様子のユベールを伺いながらフェリシテは話しを続けた。
「王子も初めてお会いした時もそうでしたが、皆さん私のことをその…ジロジロ見ませんよね。何だか嬉しかったです」
フェリシテはそう言いながら開いた胸元に何気なく手を当てていた。
「ジロジロ?ああ、君のその髪や身体のこと?」
その通りだった。フェリシテの頬に朱が差した。
(あの無理やりな淫行罪にしてもそうだが…いままでかなり大変な目にあってきたようだな……まあ、この容姿なら分からなくもないけど。そのせいで自分の価値を全く分かって無いとはね)
何時も適当に流す彼には珍しく会話を続けた。
「確かに君は 〝豊穣と美の女神〟 あ、この表現も嫌いだったね。しかし、それぐらい素晴らしいのだから同じ女性からは妬まれていたんだろうな。それに余程最低な男しか出会わなかったのだろう。それも周りに良い女がいない奴に違いない。君は堂々としているといいよ。此処では今後はそんなことで誰も君を傷つけるものはいないから」
「妬まれていた?周りに良い女がいなかった? ああっ、そうか!此処は貴族の集う王城ですよね。美しい人ばかりだから皆さん慣れていらっしゃるのですね!あっ、今の言い方だと私が綺麗みたいな言い方でした…えっと、なんだろう?えっと…」
また一人で自問自答始めたフェリシテを愉快そうにユベールは眺めた。
(君ほどの女性はこの王城中探してもいないと思うけどね……)
自分も見とれていたのを棚に上げて、他の候補者達が呆けたようにフェリシテを見つめていた様子を思い浮かべて笑んでいた。
一応、用事が済んだと思って去ろうとするところにマティアスが現れた。
「どちらに行かれますか?ユベール王子」
「女王からの用件が終わったから退散しようとしているところだよ」
「申し訳ございませんが今から私の講義に入りますからご一緒願います」
「マティアス、君がするのだから今は良いだろう?」
無表情に近いマティアスの緑青色の瞳が光った。
「いいえ、ご一緒して頂いて私の講義した範囲の把握とその補いをして貰うようにと、陛下より言われております。陛下からお聞きになられていませんか?王子は他の三人の講義に全て付き添うようにと…」
「なんだって!そんな馬鹿な!冗談だろう?」
「いいえ、私は冗談を申しません」
あれこれ会話などせずに早々に立ち去るべきだったとユベールは後悔したが、それを見抜いたかのようにマティアスは淡々と追い討ちをかけてきた。
「早く立ち去られていても無駄でございます。既に先手は打ってありますからいずれにしても此処に戻られたかと思います。陛下の命がある以上、私に付き合って頂きます」
マティアスは軽く頭を下げながらも自分より少し背の高いユベールを有無を言わさない瞳で見据えた。
「はあ――っ。本当に敵にまわしたく無い男だな。私の行く先々に罠を巡らしていて此処に戻るようにしむけているのだろう?彼にはフェリシテも気をつけたら良いよ。怒らせたら宮廷では一番恐いからね」
「恐いのですか?マティアス様が?」
(印象では花婿候補の中で一番物静かな感じなのに?)
「王子、戯言はそれくらいにして早く始めたいのですが。宜しいですか?」
「相変わらず面白味のない。戯言には戯言で返すのが常識と言うものだろう?」
マティアスは不満そうな彼を一瞥しただけで手に抱えてきた書物を卓上に置いた。
「では、フェリシテ。始めましょうか?」
「あ、はい。宜しくお願いします」
マティアスは彼女の椅子を引いて座らせると自分も隣に腰掛けた。
講義が始まると侍女達は退室してしまい、広い室内とは言っても男性と密室で過ごすことに慣れていないフェリシテにとって冷や汗が出るくらい緊張してしまった。
ユベールは離れてはいたが目に見える位置で講義を聞いているのか聞いていないのか全く分からないが、退屈そうに長椅子で寝そべっていた。時折身動きする度に絹ずれの音や、身に付けた宝飾の触れ合う音がして存在を感じた。しかも真横にはマティアス。それこそ体温を感じられるくらいに近くにいる。彼の落ち着いた深みのある男性的な声が一層緊張感を高まらせていたが彼の話術の巧みさと礼儀正しい態度にその緊張も和らいでいた。中盤には自分から質問するぐらい打ち解けてきたようだった。
マティアスは彼女の以外に呑み込みが良いのに目を見張っていた。女王の思いつきには驚かせられ、学も無い者にどれだけ教えることが出来るものかと思ってもいたのだが…
「……になります。他に質問が無ければ今日はこれぐらいにしましょう」
「ふぁ~終わったみたいだね」
ユベールは背伸びをして長椅子から立ち上がると、優雅に二人のいるところへ歩き出していた。
フェリシテはその様子をチラリと見て、クスリと笑った。
「ありがとうございました。王子もお疲れ様でした。マティアス様の講義は神殿の教授方よりも分かり易くて助かりました。質問にも丁寧に答えて下さったし、もっと沢山教えて下さいね」
「………」
マティアスは改めて彼女を見た。こんな講義など退屈だろうと思っていたのに彼女の言葉からはそんな事は微塵も感じなかった。先日も感じたが彼女は非常に探究心に溢れているようだった。
(女王は育ちから別格なのだから比べるのに値しないが…世の女性達はこの様な難しいものより他に幾らでも楽しみがあって、それらを多いに追求しているものだが……)
「フェリシテ、貴女の知識は神殿の学問所ですか?」
「いえ。その…初めはそうだったのですけど、私が質問ばかりするので疎まれてしまって、でも学問所の蔵書は全て読みました」
「蔵書を?あの数を?」
「はい。マティアス様、ご存知なのですか?」
「ええ、学問所の蔵書は興味深く何度か拝見したので…しかしあの数に専門的なものが多くて読むだけでも大変だったでしょう?」
「私…何も持って無かったのですが時間だけはたっぷりありましたから…私は捨て子だったので誰も相手にしてくれませんでした。空気みたいな存在ですよ。でも、だから誰にも邪魔をされず好きなだけ本が読めました」
ユベールとマティアスは顔を見合わせた。無理に明るく話す彼女の過去を思い浮かべると、そんな仕打ちをした神殿の者達に憤りを感じられずにはいられなかった。