1.
新緑も目にまぶしい穏やかな放課後。
棚田が並ぶ景観豊かな郊外に、陽光がバイトをしているメンタルクリニックがある。裏の土手を降りると川原があり、様々なレジャーが楽しめる自然にあふれた場所だ。
とはいえ、平日はさすがに閑散としている。今も、制服を着た女子生徒が一人、しゃがみ込んでいるだけだ。
「慧ちゃんめ……」
陽光は雇用主の言葉を思い出して溜息をついた。慧は精神科医であり、陽光のいとこでイケメンでもある。先ほど、バイトが終わって帰ろうとしていると、しかつめらしい表情をしてこう言ったのだ。
――ある少女を口説いて欲しい、と。
中間試験のヤマと引き替えとはいえ、意味不明すぎる依頼だ。一度は断ろうと思ったが、それが咲原香波だと聞いて考え直した。
彼女の名は、男子の間ではよく噂されている。ほとんど学校に出てこない、病弱ではかなげな美少女。慧の患者だとは知らなかった。
口説けというのは、慧なりの冗談に違いない。話し相手になる程度ならば、陽光にも少し興味があった。
香波に近づくと、肩の辺りでそろえられた黒髪の隙間からすっきりとした横顔が見えた。
「あのー、あんた、三組の咲原だよな?」
声をかけると、香波は驚いたように振り向き、その拍子に、小石が手の平から落ちた。
「ええと……?」
いぶかしげな視線を向けられたので、陽光は慌てて続ける。
「ああ、驚かせてごめん。オレ、二組の森陽光っていうんだ」
「森……。あ、そういえば、少し前からいとこがアルバイトに来てるって、先生が」
「ああ、それそれ」
香波の表情が少し和らいだ。「それで、なにか用?」と、控えめに付け足す。
「いや、特に用ってわけじゃないんだけど……。慧ちゃんから咲原のこと聞いてさ、何してるのかなって気になって」
まさか慧の言葉をそのまま告げるわけにもいかず、陽光は適当にごまかした。そんな陽光を、香波はじっと見つめている。話し終えた後も反応がないので、陽光は頬を掻いた。
「あー……、ええと」
「ふうん。先生に言われてきたってわけね」
香波は小さく息をつくと、唇の端を上げた。
「悪いけど、邪魔しないでくれる? ――私、今、石と会話しているところなの」
「……は?」
(石と、会話だって?)
陽光はぽかんとした。
香波はその言葉通り、先ほど落とした石を拾ってなにやら話し始めた。陽光は呆気にとられたまま、呆然とその様子を眺めていた。