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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

SSSランクダンジョンの奥地で追放された俺と、見放さなかった聖女。魔物に殺された聖女に呪われた結果、無限に再生する【聖女の呪い】と【魔物を喰らうほど強くなる特殊体質】で最強へと至る。

作者: 勇者

【7月3日追記】


先日7月2日に連載版投稿を始めました。連載版の題名は「【SSSランクダンジョン奥地で追放された荷物持ち】唯一助けてくれた幼馴染の【聖女】も殺され→自身の潜在能力とかけられた【聖女の呪い】に気付いた男の成り上がり~俺は聖女を諦めない~」となっています。


『第十三話 一方その頃、追放者たちは①(シャリオ視点)』から続きとなっております。

また、細かい部分を変更しているのでそれまでの話も興味がございましたらぜひ読み返してください。


作品URL→ https://ncode.syosetu.com/n2844hs/

 

「雑用係モルド・ベーカー、本日をもってお前をこのパーティーから追放する」


「……えっ?」


 起き抜けに突然言われ、俺は思わず聞き返す。


「いやいや、ちょっと待ってくださいよ。……というか何なんですかこの縄は」


 俺の両手、両足は縄でしっかりと締め付けられていた。

 見渡せば景色はほの暗い。洞窟だ。

 そうだ。確か、昨日、俺は……

 俺が所属するパーティー【革命の風】の仲間たちとともに、

 SSSランクダンジョン、タオラル大迷宮の下層域に初めてアタックしたはずで……?


「念のための拘束だよ、君が万が一にも逃げのびないようにするための……ね」


 そう言うと、リーダーであり、勇者に近い実力を持つといわれるシャリオは、金の髪をつまみながら溜息をついた。


「端的に言うとね、君には死んで欲しいんだ」


「……は?」


「僕の言う事がわからないかい?」


「そんなのわかるわけ――――がぁっ!?」


 シャリオは俺の腹を蹴飛ばして、冷ややかな笑みを浮かべる。


「あはは、口答えするなよ」


「ぐ……っ」


 シャリオは俺の腹をぐりぐりと踏みつけながら、言葉を続ける。


「追放ってさ……いや、解雇って正式な手続きを踏もうとすると結構めんどくさいんだ。法律とか不文律とか金とかがね。だから死んで欲しいんだ、この迷宮の奥底でね。ここなら僕たちが手を出さなければ証拠は出ないし、魔物の胃袋に入れば死体が出て来ることも稀だ」


「……全員、納得してのことなのか? そんな、俺を、殺す、なんてこと……」


 俺が問うと、横から長耳の魔女と恐れられる魔術師のクロエが、シャリオの腕をとって俺をゴミでも見るような目でみて言った。


「正直、視線がいやらしくて毎日最悪な気分だったのよねえアナタといると。弱いくせに口ばっかりは煩くて耳障りだったし……」


 続けて、筋骨隆々、前衛で盾役を務める大男のエドガーが頷きながら答える。


「……うむ、筋力も魔力もない貧弱者は消えるのが一番だからなっ! 豪快に死んでくれ!」


 ワッハッハッと笑うエドガーは諦め、俺はその隣に並ぶ二人に目を向けた。


「レイラ、お前もなのか?」


「…………ッ」


 レイラ・エイバース。

 耳にかかるくらいの空色の髪と、同じ色で綺麗に輝く瞳が特徴の少女。

 その正体は、かのランドルド勇者大学に10歳という飛び級で入学し、もう学ぶことはないと超スピードで中退した天才錬金術師。


 無口だから勘違いされることもあるけど、とても優しい女の子だ。

 しかし、妹のように可愛がっていたその彼女でさえ、

 勢いよく顔を背け唇を噛んで視線さえくれなかった。


 ――そんなに俺って嫌われてたんだ……。


 軽く絶望して、俺は縋るように最後の一人に目を向ける。


「ティナ……」


「…………………………」


 ティナ・フルール。

 俺の幼馴染にして、どんな傷も一瞬で治してしまう【聖女の加護】を持つ回復術師。

 純金をそのまま溶かしたような、どこか高貴さや神聖さを思わせるロングヘアをたなびかせて、彼女は俺の前に立った。

 深い蒼色の瞳が、じっと俺を見つめてくる。


「……ごくり」


 思わず喉が鳴る。

 俺はこれまで、彼女のためを思って冒険してきた。

 俺には才ある者が与えられるという女神の加護なんてものはない。

 加えて、剣術も魔術も、素養なんてものはさらさらなかった。

 ――だが、それでも。

 彼女が英雄と呼ばれるようになるまで。

 彼女が幸せになるまでは、手伝いたいと思ったのだ。


「…………………………」


 しかし、彼女は――、


「私も賛成に決まっています。正直、私、あなたのことがずっと嫌いでしたから」


 他のメンバーと同じように、ゴミを見るような目で俺をみて、そう言い放つのだった。


「うそ……うそ、だ、そんなの……」


 俺は……もうどうすればいいのか分からなかった。

 俺、モルド・ベーカーには家族がいない。

 幼馴染のティナに会う前、別の村で大人だけが死ぬ病魔によって死んだからだ。

 そして、ティナの住む村に引っ越した後。

 そんな隣の村で起きた惨事が噂になっている中、ティナだけが俺の友達になってくれた。


 だから、俺は彼女のために生きると誓った。

 俺は彼女のために、俺の戦いをしてきたつもりだ。

 彼女がそれを拒否するならば、それが実はただの迷惑だったというのならば、もはや俺に生きる理由もない……。


「がははっ、この歳になって泣くとは、まさに貧弱ッ!」


「ねぇシャリオ、ティナの言う通りこんな泣き虫で気持ち悪い目をした男、ここに置いてさっさと帰りましょうよ。私、お腹が空いたわ」


「あはは、それもそうだね」


「…………」


 放心する俺を囲んで、嘲笑の声が響く。

 顔を上げると、目の前には下卑た笑みを浮かべるシャリオが俺の服の中をまさぐっていた。


「貴重な貴重な転移結晶と……金と鉱石と魔物からドロップした素材は……うん、このくらいのようだね。他は金にもならないようなものしかないし、じゃあ、これで――――」


「ぐ……っ、《炎弾よ・我が意のままに・獲物を――」


「《痺れろ》」


「ぐぁああああああ――――ッ!」


 俺の詠唱が完了するよりも早くシャリオの詠唱が完了し、俺の腹を雷が貫いた。

 雷系初級魔術・【エレクトリック】だ。


「まったく、詠唱短縮もできないくせに、この選ばれた僕に歯向かおうと思ったのかい? それは傲慢というものだよ、無能君」


「ぐ……ぁ……」


「ふむ……ふとした拍子に縄がほどけてしまっても面倒だ。エドガー」


「おう、なんだ?」


「動けなくなるくらいまで、やれ」


「ワッハッハ、了解したァッ!」


 筋骨隆々の男、エドガーが腕をポキポキ鳴らして近づいてくる。


「天国に連れて行ってやるぜぇ? モルドォッ!!」












 ――――――――――――――――――――



「ま、そんなわけだからさ。僕たちはもう転移結晶で帰るよ……って、聞こえてないかな?」


「ワハハハハハ! あれだけ殴りゃあもう気絶してんだろ!」


「ねぇねぇ帰ったら私の相手をしなさいよね? 今日は絶対に私たちパーティーの記念日になるだろうから♡」


「あはは、仕方がないなぁクロエは……」


 殴られ続けて顔が腫れているからか見えないが、奴らの声が聞こえてくる。

 俺はその方向を睨み続けた。


「ティナ、レイラ、何をしてる? 早く転移結晶を出しなよ」


「……うん、わかった……」


 虹色の結晶を取り出すレイラ。

 しかし――、


「ん? どうしたんだいティナ」


「……私はもう少しここに残ります。数年彼と過ごしただけの皆さんと違って、私には十年分近くの恨みがこの人にはありますから」


「あはは、怖~♪」


「ガハハハハハッ!」


「ふふっ、そういうことなら後で待ち合わせしよう。いつものところで食事をとるから、そこで集合で」


「ギルド受付前のレストランですね、わかりました。それではまた後で」


 ティナがそう告げると、他の三人は結晶を天井に向けて掲げた。


「「「転移、宿屋アルバ前」」」


 光に包まれた彼らは一瞬にして姿を消した。

 そしてその後、レイラが小声で転移を唱え、姿を消した。


「さて……」


 ティナが近づいてくる。

 どうせもう、俺は動くことができない。

 というか、彼女が俺に危害を加えたいというのなら甘んじて受け入れよう。

 そう思ったのだが、あろうことかティナは俺の拘束を解き始めた。


「あ、じっとしててくださいね、モルド――――《安らぎ癒せ》」


 ティナの詠唱が完了し、俺の体を眩い緑色の光の粒が包んだ。

 すると、みるみるうちに腫れや傷が癒えていく……。

 回復系初級魔術・【ヒーリング】。

 ちょっとした傷を治すだけのはずの魔術だが、【聖女の加護】を持つ彼女にかかればどんな怪我も治す万能の魔術に早変わりというわけだ。

 いや、今はそんなことよりも……。


「ティナ、これはどういう……?」


「……えっと、もしかして私が本当にモルドのこと嫌ってたって、そう思ってます?」


「え、だって実際……」


「はぁ……あんなの嘘に決まってるじゃないですか」


「嘘!?」


 あのゴミを見るような目が!?


 俺が絶句していると、ティナは俺の肩を担いですくっと立ち上がった。


「そんなことより逃げましょう。このタオラル大迷宮と【革命の風】から」


 そして俺は、衝撃の真実を彼女から伝えられるのだった。



 ――――――――――――――――――――



「え、レイラのも演技だったの!?」


「……それに気づかないのは本当にどうかと思いますよ。まぁ、無口なあの子にも非はあるんでしょうけど……でも、普段のあの様子を見て裏切りを疑うとか、ホントに乙女心を分かってないというかなんというか……」


「? ご、ごめんなさい?」


「まぁいいです、続きを話しましょう」


 ティナは俺を治療したあと、今回の計画について話をしてくれた。

 事はつい前日、それも夜のこと。

 以前から兆候はあったようだが、シャリオが正式にメンバーを集めて俺の追放について説明したらしく、そのときにはもう、ティナとレイラはパーティーを密かに見限っていたようだった。


「レイラと私ならあの三人くらい実力で捻じ伏せることもできたんですけどね。ほら、あの子って人に武器向けられるのが、特に苦手じゃないですか」


「ああ……そういえば」


 昔、他のパーティーと争うことになりかけたとき、レイラはびくびくと震えてたっけ。

 天才錬金術師と言われたレイラなら、本当はあんなに怯える必要ないんだろうけど。


「それで、皆の前では芝居を打って、あとで集合→街から脱出、というわけか」


「はい。レイラには転移場所を宿からずらして隠れてもらっています……大魔導図書館の3Fですね。あそこなら見つかっても錬金術師の彼女なら不審がられませんから」


「なるほどなぁ……それで俺たちが集合するのは、街の大門前ってところか」


「ええ、荷物は朝のうちに次の街に輸送してもらってますから、安心してもらって大丈夫です」


「手際がすごいな、手際が」


 呆れるが、脱出後の準備は済んでいるらしい。

 昨日の今日で本当によくやったものだ。

 だったら後は――、


「じゃあ、そもそもどうやってこのダンジョンから脱出するんだ? まさか、転移結晶を手に入れたとか?」


「そうだったら良かったんですけど……まぁ、そんな都合よくはいきませんでした」


「まぁ、それもそうだろうなぁ……」


 転移結晶。

 それは、使用者が行ったことのある場所を思い浮かべ、唱えるだけでその場所に瞬間移動させてくれる、俺たち冒険者にとってなくてはならない魔道具だ。


 だが、その性能と比例して、とても希少な魔道具なのである。


 そのため、大手のパーティーが買い占めて初心者がバンバン死んでいく……なんてことを防ぐために、実績に応じて決められた量の結晶が毎月ギルドからパーティーに支給されるのである。


「モルドに渡された転移結晶が奪われるのは、彼らの目的を考えれば思いつくことでした。ですから、ちゃんと手を打っています」


「手って?」


 ティナはピンと人差し指を立てる。


「ここは下層の入り口とも言われる第60層ですが……他のパーティーに依頼してここから10層上の50層に待機してもらっています。そこまで行けば合流して安全に帰ることができるはずです」


「……なるほどな。でも、攻撃役がいないのに二人で10層ってのもかなり無理があるよな……」


「まぁそこはほら、私は危なくなっても転移結晶がありますし」


「……この薄情者」


「これぐらいは譲歩してください…………って、あれ……? あの、モルド、あれって……」


「え――?」


 ティナが指を差す方を注視する。

 ああ……そうか。

 俺はすっかり忘れていたんだ。


 ここが、曲りなりにもSSSランクダンジョンの『下層』であるということに。


 ――――ズッッ


 その赤い影が現れたとき、俺たちの間に流れていた弛んだ空気は一瞬で消し飛んだ。


 カランカランと、ティナの手から結晶が地面に虚しく落ちる。


 そいつは、体長が5Mもある巨人。

 そいつは、全身を赤く、光沢のある鎧で包んだ騎士。


 兜の隙間から、赤い二つの炎がゆらゆら揺れる。

 そいつは、亡霊のように迷宮を彷徨い、下層以下で探索する数多くの冒険者を葬ってきた。


 その魔物の名は【彷徨う(リビングデッド)赤き鎧(レッドアーマー)】。

 その異名は――――死神。


『ギギャギャギャギャ……』


 鎧を纏った赤い死神が、獲物を見て嗤いながら近づいてくる。

 俺は咄嗟に地面に落ちた転移結晶を拾いあげ、ティナの手をとった。


「逃げるぞティナ!」


「は……はい!」


 俺は走りだす、と同時に周囲の様子を目に焼き付けた。


「あの岩陰なら……!」


 隠れられる場所に検討をつけ、後ろの【彷徨う(リビングデッド)赤き鎧(レッドアーマー)】の動きをちらりと見やる。

 奴はグググッと足を曲げ、跳躍する力をためているようだった。

 奴の背中には長剣が一振りある。

 5M(メトル)の体躯を持つ奴が所持する、巨大な長剣だ。

 あれで俺たちを一網打尽にするつもりなのだろう。


「ティナ! 俺の合図で十時方向の、あの岩陰に飛び込んでくれ!」


「はいっ!」


「3、2、1……今!」


 カウントと同時に、俺たちは岩陰に飛び込んだ。

 数コンマ後、奴の巨剣が強襲する。


 ――ドッガァアアアアアアッッ!!!


 凄まじい衝撃と暴風が洞窟内に巻き起こるが……、


「「はぁ~~…………」」


 俺たちは無傷だった。


『ギィ……?』


 しばらく隠れていると、死神もついには諦めたらしく、俺たちの前から去っていった。


「ふぅ……なんとかなったな」


「さすがの観察力です、命拾いしました」


「はは、まぁ、あいつらにはウザがられてたみたいだけどな」


 俺のこの観察力は、荷物持ちとして冒険に同行する傍ら、どうにかしてティナの死亡率を少しでも下げることができないかと考えているうちに身に着いた能力だ。


 魔物による攻撃の予測や、弱点の判断などが八割方可能だ、と自負している。


 ……まぁ、戦闘で活躍できる攻撃職の奴らにとっては、不要なものだったのかもしれないけれど。


「いえいえ、あの人たちに見る目がなかっただけですよ。私も回復術師ですから後ろから戦闘を眺めることが多かったですけど……モルドがいなければ、私含めて十回は死んでると思います」


「ははは、それは言い過ぎだろ」


「……はぁ、自分の価値に気づいていない、あなたにも多少問題はあると思いますよ……」


「?」


 よく分からないが、今はそんなことを話している場合じゃないな。


「そんなことより、これからどうする? 奴が向かったの上層に繋がる方だぞ」


「そうですね……とりあえず、モルドはそれで帰ってください」


 ティナが指さしたのは、俺の手に握られたものだった。


「転移結晶か……それで、ティナはどうするつもりなんだ?」


「私は……とりあえずこのフロアで何日かやり過ごします、それで……」


「無理だな。【彷徨う(リビングデッド)赤き鎧(レッドアーマー)】みたいなユニークモンスターは同じフロアにとどまる習性がある。ここはある程度のリスクを背負ってでも1層下のフロアに降りるべきだ」


「……でも、次の階層に繋がる場所なんて、マップもないのに……」


 俺はトントンと自分の頭を指差した。


「ここに全部入ってる、深層以外の情報ならな」


「!」


「だから連れて行ってくれ、きっと後悔はさせないから」


 俺はできるだけ真剣な面持ちで、彼女の目をみつめて言った。

 ここで彼女を置いて転移して帰るなんて、ほとんど見捨てているのと同じことだ。

 そんなことは、断じて許されない。


「はぁ~~……もう、そんなの、本当だったらこっちから頼みたいくらいですよ……」


 ティナは、どうやらようやく折れてくれたようだった。


「ごめんなさい、村を出てからずっと、モルドには危険な目に遭わせてばっかりで……」


「はは、そんなの今さらだろ」


 俺は村にいた頃のように、ティナの頭を撫でる。

 金の髪が揺れ、雪のような白い頬がポッと赤くなる。

 ティナは「子供扱いしないでください!」とちょっとむくれて、でも、やっぱり笑ってくれて。


「俺たち二人で帰ろう。偉大な冒険者になるのが夢なんだろ?」


 俺がそう問うと、


「……はい、これからもよろしくお願いします」


 ティナはそう言って、はにかんだ。


 ――ああ。

 これから、何が起ころうとも。

 きっと、二人でいれば、何とかなる。


 俺はこのとき、根拠もなくそう信じきっていた。



 ――――――――――――――――――――



 俺たちは三日ほど、脳内マップを頼りに下層第60層を探索した。

 俺はひたすらに観察に力を入れた。

 何せ、回復術師と雑用係の二人である。

 本格的な戦闘に入った時点で、負けが確定するのだ。


 魔物になるべく近寄らないように立ち回り、魔物に気づかれそうになったらすぐ隠れる。

 木の実や下層では珍しいD級レベルの魔物を狩っては、それを食糧にする。

 そんなことを繰り返して、約三日。


「ようやく辿り着いた……」


「ほ、本当に長かったです……」


「これで本来の目的地とは逆の方向っていうのが軽く絶望的なんだが、まぁ、それはそれとして……この大橋を渡れば、次のフロアだな」


 俺たちの前にあるのは、石でできた巨大な橋だ。

 橋の下にはただひたすらに闇、闇、闇が広がっている。

 当然だが迷宮内部にあるため、手すりなどあるはずもない。

 落ちてしまえば、抵抗する間もなく奈落へ真っ逆さまだろう。

 ……まぁ、この闇が何層まで続いてるかなんて知らないんだけどな。


「う、うぅぅ……」


「ははっ」


 俺はびくびく震える彼女の手をとって、橋を渡り始めた。


「な、なななななるべく慎重に進みみましょう……」


「そんなに怖がらなくても、この広さなら堂々と真ん中歩けばいいだけだろ。なんだ? もしかしてティナは高いところが怖いのか?」


「ばっ! ち、違います! なに勘違いして――――」


 ティナが真っ赤になって怒って――、しかし、その顔は急速に青ざめていった。


「あ、あれ……? う、うそ…………」


 ティナが指さす先、橋の中央。

 その地面が丸く膨らみ赤い光を灯す。


 ――パキパキパキパキッッ


 卵が孵るような音。

 それは迷宮が魔物を産み落とす音。


 そこに現れたのは、【彷徨う(リビングデッド)赤き鎧(レッドアーマー)】だった。


「なるほど、な……」


 奴が現れ、俺は一人納得していた。

 奴がなぜ、死神という異名で呼ばれているのか。


 迷宮を研究する学説の一つに、迷宮を生き物に例えるものがある。

 その学説からすれば、俺たち冒険者はいわば体内に入った異物だ。


 異物を排除する機能を持つものが、魔物だとして、

 死神とも呼ばれる魔物には……SSSランクダンジョンの下層に進むほど実力のある冒険者を殺して回る魔物には、普通の魔物とは違う機能が備わっているのではないか。


 例えば、迷宮内を自由に移動できるような――そんな機能が。

 それも、迷宮内の様子を把握した上で、だ。


 単なる妄想として片付けることはできないだろう、だって現に奴は、俺たちの進行を予測していたかのように現れたのだから。

 無論、奴から逃げることができた冒険者はいたのだろう。

 それゆえにギルドには奴の情報があるのだから。

 だが――、


「どっちにしろこの距離じゃ、逃げ切れないか……」


 今、俺たちは橋の上にいる。

 目と鼻の先には死神が構えており、

 後ろを見やっても隠れられる場所などない。


 詰みだ。完全に詰みだ。

 だからこそ俺は、ここで覚悟を決めなければならない――!


「ティナ、ごめん……」


「え――――きゃっ!」


 俺はティナの胸倉を掴んで、後ろへと投げ飛ばした。

 筋肉ダルマのエドガーには笑われるだろうが、毎日筋トレしてきた甲斐があったみたいだ。

 そして俺は、懐から転移結晶を取り出し、それを後ろへと投げた。


「モル、ド……?」


「はは……」


 俺は自嘲的な笑みを浮かべ、視線を前に向ける。

 もう後ろは見ない。

 決意が、鈍るだろうから。


「ティナ、それを使って逃げてくれ。そしてできれば、できるだけ早くA級以上の冒険者で討伐隊を組んで、助けに来てもらうとたすかる」


「え……? そ、そんなの絶対……聞き入れてもらえるはずが……」


 そんなの、分かってるよ。


「……頼むよ、俺は討伐隊が来るまでなるべく時間を稼ぐからさ」


 でも、分かるだろ?

 頭の良いティナなら、俺の意図を、組んでくれるだろ?


「頼む」


 俺はもう一度だけそう呟いて、ジャケットの裏からサバイバルナイフを取り出す。


「嫌……嫌ぁぁぁああああああ――――!」


 後ろから聞こえた最愛の人の泣き声を合図に、俺は奴の元へと駆け出した。



 ――――――――――――――――――――



 突撃を敢行した俺を向かい打ったのは、死神の一振りだった。


 ドッガァアアアアアアッッ!!!


「ぐっ――」


 俺はすんでのところでバックステップで回避する、が――、


「ぐぁぁあああっ!」


 たった一振りで石橋には罅が入り、捲れた石の破片が身体を直撃した。

 額から流れ出す血。

 なんとか立ち上がるも、ガクガクと震える足。

 目の前には、死神が構えている。


『ギギャギャギャギャ!』


 怖い。

 怖い怖い怖い怖い怖い。


 目の前にあるものは、死、そのものだ。

 相対するだけで、数秒後の己の死が手に取るように分かる。


 だが――、引くわけにはいかない。

 少なくとも、後ろに控えるティナが逃げ出すまでは。


 恐らく、俺がすぐ死んでしまえば、彼女は恐怖と放心で動けぬまま死ぬだろう。

 これは、彼女が俺を諦めるための戦いだ。

 冷静さを取り戻した彼女が、俺を諦めて生還してくれるまでの戦いだ。


「うぉおおおおおおおおおおおおおお!」


 俺は声を荒げながら突進する。

 横薙ぎに振るわれる長剣。

 それをスライディングで回避しながら、俺は詠唱を開始する。


「《炎弾よ・我が意のままに・獲物を撃ち抜け》!」


 炎系初級魔術・【ファイアボール】。

 直進する火の球が、ティナの元へと向かおうとしていた死神の足首を撃ち抜いた。


「お前の獲物はこっちだぜ、鎧野郎!」


 ギョロリ、と兜から覗かせた炎の視線がこちらを向く。

 無論、【ファイアボール】などで奴を倒すことはできないだろう。

 俺の魔術適性も最底辺で、詠唱短縮もできなければ、使用できる攻性の魔術だってこれ(ファイアボール)しかないのだ。


 だが、少なくともこちらに注意を引くことくらいはできるはずだ。


『ギィアアアアアアアアアア!』


「うおっ!?」


 奴が咆哮を上げながら踏み込むと、石橋が地震のように激しく揺れる。

 そこで足をくじかせたのが悪かった。

 奴の振りかぶった長剣を、今度は避けきることができなかったのだ。


「――――づぁ!?」


 致命傷には至らないが、肩口から引き裂かれ鮮血が舞う。

 長剣には何か魔術的な効果があるのだろう。

 傷口が、焼けるように痛い。

 ――と、そんな風に俺が苦悶の表情を浮かべていたとき……


「……《安らぎ癒せ》」


 蛍のような優しい光が全身を包み、俺の体を癒す。

 俺は視線の先にいるティナに叫んだ。


「なに回復してんだ! 逃げろよ!?」


「でもっ、だ、だって……」


「うるせぇっ、早く、いけえええええええええええッ!」


 俺は叫びながら、回復魔術を使ったことで標的にされかけたティナの前に立つ。


 守らないと。

 守らないと。

 俺が。

 俺が、ティナを守るんだっ!


「うぉおおおおおおおおおおおおおお!」


 そこからはもう、ただただ本能で動いていて。

 その瞬間から、意識はぷつりと消えていた。

















 ――――――――――――――――――――



 それから、どのくらいの間、戦っていたのだろう。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ…………」


 いや、きっと戦いなんて呼べる代物じゃなかった。

 俺はひたすらに避けて、「時間を稼いでいる」ようにみせるよう必死だったから。


 だって、あんなサバイバルナイフや初級魔術でダメージなんて与えられるわけもないだろ?

 ……まぁ、もうそのナイフさえも手に取ることはできないんだけどな。


「はぁっ、はぁっ……ははっ」


 右腕は欠損し、断面からはどろりどろりと血が溢れては地面に落ちていった。

 身体中が痛む。

 たぶん、怪我してないところなんてないほどに、切り刻まれてきたのだろう。

 瞼の上を斬られたのか、視界もままならない。


「でも……ティナは逃げられた、みたいだな」


 途中まで続いていた回復は、いつの間にかされなくなっていた。

 おそらく、転移結晶でダンジョンから離脱したのだろう。

 よかった、これで……。


『ギィ……』


 死神が、長剣を突の構えで持つ。

 長剣が迫る。

 俺は諦め、目を閉じた。

 そして。


「《安らぎ癒せ》」


 そんな透き通った声で、目を覚ました。

 目を開けると、俺は地面に倒れていて。





 目の前には。


 長剣によって胸を貫かれた、ティナの姿があった。



 ――――――――――――――――――――



 緑の光が、体中につけられた切り傷を癒していく。


 死神の長剣が引き抜かれ、鮮血が散る。


 金色の髪がふわりと宙を舞う。


 膝をつき、倒れそうになった彼女の体を受け止めて。


 それでも、頭の中の整理なんて、ついてくれるはずがなかった。


「な、なんで!? お前……転移で、帰ったんじゃ……」


「ごめんなさい、モルド……約束、守れそうにないみたいです……」


 そう言って、えへへ、と笑うティナ。


「おぇ……うぅぅ……ぁ……」


「ティナ!」


 ティナは口から血を吐き、胸からはごぽごぽと同じものが溢れ出ていた。

 いや、それだけじゃない。


 心臓と同じ部分にある不可視の魔力生成器官……いわゆる『魂』が破壊されたため、胸に空いた穴からは魔力が白い燐光となって宙を舞う。


 魔力は血と同様、生命を維持するために必要なもの。


 それが失われれば、当然待っているのは――――死だ。


「ティナ、胸の傷口をふさげ! お前ならできるだろ!」


「う、ん…………《安らぎ……癒せ……》」


 虚ろな声で紡がれた詠唱が完成する。

 回復魔術の、蛍を思わせる優しい光が舞う、が――、


「馬鹿野郎! 俺じゃねえよ!」


 緑色の光が包んだのは、俺の右腕だった。


 先ほどの回復でも治りきれなかった失っていたはずの右腕が、【聖女の加護】でブーストされた圧倒的な回復魔術によって完治する。


 そしてティナは、もうすべきことはすんだと言わんばかりに、満足そうに微笑む。


 ティナからはもう、魔力を感じない。


「なんで、なんで、なんで……ッ!」


「えへへ……ほんとに、ごめん……ごめん、なさい……」


 何度も謝罪を繰り返して、ティナは懐から虹色の結晶を取り出した。

 ティナの血で濡れた転移結晶だった。


「これ……」


「これを使えるのは、一人だけ、ですから……モルドが、使ってください。それで、逃げて……街で待ってるレイラと合流して、次の街に向かって、それで、それで、ね……?」


 はぁはぁ、と息継ぎをしながら、それでも苦しそうな表情なんて浮かべずに。


「どうか、生きて……幸せ、に……」


 そんなことを、言って、たったそれだけを言い残して。


「ティナ……?」


 彼女の青色の瞳からは、光が失われた。


「あ……あぁ……あああ…………」


 同時に、世界の全ての色が失われたかのような錯覚に陥った。

 俺は何も考えられずに、ティナの亡骸を抱き締める。

 もうティナのものでないそれは、まだ温かくて。

 けれど、どれだけ強く抱きしめても、鼓動が返ってくることはなくて……。


「はは……生きて、幸せに? そんなの……」


 お前が……ティナがいない世界で、そんなことできるわけないじゃないか。

 そう結論付けて、気付く。

 俺は、自分ができそうにもないことをティナに押し付けていたんだ。

 ティナも……俺と同じ気持ちだったのだ。


「まだ、まだだ……何か、方法が……」


 考える。

 考える考える考える。


 けれど。

 そんな都合の良い方法なんて、思いつくはずもなくて……。


『ギギャギャギャギャギャッ!』


 声に反応して顔を上げると、そこには、今の今まで成り行きを傍観していた【彷徨う(リビングデッド)赤き(レッドアーマー)】が、長剣を手放し、腰を落ち着けて腹を抱えていた。


「何を――笑っていやがる!」


 俺が睨みつけると、死神はスッと静かに立ち上がった。

 そして剣を構える。

 少なくとも俺の身長ほどはある長剣に、赤い炎が収束する。

 剣は赤熱し、刀身が伸びたかのような錯覚を覚える。


「クソ―――ーッ!」


 迫る長剣。

 俺はとっさにティナの亡骸を抱いたまま、真横に身を投げ出した。

 次の瞬間、激烈なる衝撃は迷宮全体を揺らしたかのように思えて――、


 ――メキメキメキィッ!


 見れば、橋全体に亀裂が走っていた。

 先程とは比較にならないほどの揺れが発生する。


 ――これはまずい。


 俺がそんな風に思ったときにはもう……橋の崩壊は始まっていた。


「ぁ……」


 言葉にならないような声が漏れる。

 橋は石の瓦礫と化し、手を伸ばしても体を起こすことは叶わない。

 抵抗虚しく、俺の体は、ティナの亡骸とともに闇へと……奈落へと落ちていく。


 視線の先では【彷徨う(リビングデッド)赤き鎧(レッドアーマー)】も、俺と同じように藻掻いている。

 その姿は少し滑稽で、笑えてきた。


「ああ……」


 ……俺は、十中八九死ぬのだろう。

 ここから次の階層までどのくらいの高さがあるかは分からないが、底を見渡せないほどの闇だったのだ。人間が落ちて生存することなど叶うわけがない。


 けれど、俺はどこか落ち着いていた。

 いや……諦めていたと言った方が正しいだろうか。


 だって、仕方がないじゃないか。

 俺が一番守りたくて、一番幸せを願った彼女は。

 今、胸に抱いている、幼馴染の回復術師はもう……




 ――――死んでいるのだから。











 ――――――――――――――――――――



 ちゅんちゅんちゅんちゅん。


 小鳥の囀る音で、俺は目を覚ます。


 周囲を見渡せば、広がっているのは深い緑。

 大きな木が乱立し、地面には芝生が広がっている。


 ――あれ、俺は一体、何をしてたんだっけ?


 そんな疑問を抱いていると、奥の方からスカートをたくし上げながら走ってくる少女の姿があった。


 少女の姿には見覚えがある。


「あ、モルド! やっぱりここにいましたね……」


「ティナ……? えっと、俺、何してたんだっけ?」


「それはこっちが聞きたいんですけど……またお昼寝でもしてたんですか?」


 言われ、気付く。

 背中を預けた大木から香る匂い。

 周囲の木々と比べても、飛びぬけて大きな木だ。

 木漏れ日は温かく、そよ風は心地いい。


「ああ……」


 ここは俺とティナの故郷、ダーハ―村だ。

 そうだ。

 俺はティナと約束をしていて、それを忘れた(フリをして)ここで昼寝をしてたんだった。


「まったく、昨日、加護の授与式が終わったらこれからついて話し合おうって話だったのに、モルドったら無視してどっか行っちゃうんですから……」


「……うるさいな。授与式って言ったって、クラスで加護もらったのティナだけだったじゃないか。というか、そんなに言うんなら、もう進路決めてんのか?」


「ふっふっふっ……当然です」


 ティナはまだ発達途上の胸を精一杯張り上げて、宣言する。


「私、ティナ=フルールは偉大な冒険者になることを、ここに誓います!」


「あー、やめとけやめとけ」


「なぜです!?」


 ティナは憤慨していた。

 同時に驚愕、といったご様子。

 おいおいマジか自覚ないのか。


「いいか、冒険者ってのはすごーく危険な職業なんだぞ? そのくせ安定した収入が得られるかなんて分からないギャンブルみたいな仕事だ。おっちょこちょいで箱入りお嬢様なティナじゃ無理だって」


「無理じゃありません! おっちょこちょいでも箱入りお嬢様なんかでもないですから!」


「だってお前、この前俺んちの皿割ったし……ピーマムの炒めものだって食えないだろ? あと、たしかグリフォンの手羽先も軟骨の部分噛み切れないからって捨ててたよな?」


「皿割ったのは本当にごめんなさい……けど、ピーマムとかグリフォンの軟骨とか、冒険者と関係ないでしょう!」


「そうか? 例えばパーティーの備品を頻繁に壊すような奴はたぶん嫌われるだろうし、冒険をする以上、食事に好き嫌いなんかしてられないぞ? 手に入れた食材でできるだけ栄養を取り込まなきゃだからな」


「うぐ! むむむぅ……」


「それに、冒険者って言えば同業者に舐められるのもご法度だ。幼馴染の俺にさえ敬語が抜けないようじゃ、夢のまた夢だろうなぁ……」


 ティナは女神教の敬虔な信徒である両親に育てられた。

 そのせいもあってか、同級生にも常に丁寧語なのだ。

 これはもうクセだ。治ることはないだろう。


「む、むむむむむ!」


 涙目になってむくれるティナ。

 仕方ないな、と俺はティナの頭に手を置いた。


「仕方ないから、俺も冒険者になってやるよ」


「え……?」


 不思議そうな顔をして見上げるティナ。

 俺は金色の髪を撫でながら答える。


「確かに俺には魔術の適性もないし、加護なんて特別な人間が貰えるギフトも才能もない。けど、まぁ、家事はできるからな。ティナの身の回りの世話ぐらいはしてやるよ」


「むむむ! また子供扱いして!」


「だって子供じゃん」


「子供じゃありませんもう立派な大人の女です! というかモルドだって同い年じゃないですか!」


「大人の女(笑)。田舎娘が何か言ってら」


「あなただって田舎の芋男じゃないですか!」


 ぷりぷりと怒るティナ。

 だが、撫でられた俺の手から逃れようとはしないようだった。

 何だかんだ、やっぱりまだ子供である。


「ま、ティナが独り立ちして俺をクビにするまでは一緒にいてやるよ。やることもないしな」


 俺がそう言うと、ティナは顔を真っ赤にさせる。


「じゃ、じゃあ……ずっと、一緒ですか?」


「……え、何お前、一生自立しないつもりなの?」


「ち、違います! えっと……その……そうだ、逆! 逆ですよ! 私がモルドを養うんですから!」


「へぇ……それはそれは……」


 俺は思わず緩んでしまう口元をバレないように後ろを向いて。


「あんまり期待しないで待っててやるよ」


 照れ隠しに、そんなことを言うけれど。

 頭の中では、大人になった二人で生活している様子を、鮮明に想像していた。


 二人でずっと一緒にいて、笑って、怒って、泣いて……。

 そんな永遠を、何度も夢想していた。




















 ――――――――――――――――――――



 目を覚ますと、そこは冷気に満ちていた。

 手はかじかみ、吐く息は白い。


 どれだけ寝ていたのだろう。

 優しい夢を見ていた気がするが、内容までは鮮明に思い出せない。


 代わりにこれまで起こった出来事はフラッシュバックするように思い出した。

 パーティーから追放されて、ティナと冒険をして。

 ……そして、ティナを失って。


 思えば、必死に抱き締めていたはずのティナの亡骸はどこかに消えていた。


 託されたはずの転移結晶も見当たらない。


 そうだ。

 俺は、橋が崩れて、落下して、それで……?

 生き残ったの、だろうか?


「ここは……」


 どこだ?

 視界に入る情報を必死に処理する。


「あ……あぁ……」


 そして、一つの結論へと至る。

 地面や壁は、白濁色。

 それはなんというか、大理石と氷が混ざったような、目にしたこともないものでできていて。


 けれど、直接目にしたことはなくとも、見覚えはあった。

 パーティーの雑用係として、ギルドの資料を読み漁っていたときに目にしていたから。


 そこは、S級の冒険者パーティーがたった一度だけ足を踏み入れて。

 そして、逃げ帰ったとされる場所。


 肌を突き破るような寒さが、ここを死地だと訴える。

 見たこともない景色が、ここが人の踏み入れるべき場所じゃないことを証明する。






 ここはSSSランクダンジョン『タオラル大迷宮』、第90層以下。


 ――――深層、未開拓領域。



 ――――――――――――――――――――



「……深層……」


 改めてその現実を認識し、俺は呆然と上を見上げた。

 俺が見上げた先に、天井はない。

 延々と闇が続くばかりである。


 おそらく、あの橋から落ちて、そのままここまで真っ逆さまということだろう。

 ならなぜ、俺は無傷なのか。

 その考えに至ったとき――


「ひっ!」


 俺は思わず声を上げた。

 目が慣れてきて足元を見てみると、そこには

 赤い血が池を作るようにべったりとついていたからだ。


 そして気付く。

 俺が着用している衣服も、赤黒く変色していることに。


「これは……どういうことだ?」


 触れてみると、まだ生温かい。

 普通に考えれば俺の血なのだが、俺に外傷は見当たらない。


 誰かが治した? モンスターが? 何のために?


「……考えても仕方ないか」


 なんと言ってもここは深層、人類の未開拓領域。

 ある程度の不可思議は容認しなければならないだろう。

 いや、容認しなければ生きてはいけない、と言った方が正しいか。


「……とりあえず、ここを離れた方がいいな……」


 血はまだ温かかった。

 あれが俺の血だとすれば、俺が落下してまだあまり時間は経っていないはずだ。

 落ちたときの衝撃音で魔物が集まれば、俺はひとたまりもない。


 俺は頭の整理もつかないまま、目的もなく彷徨い歩いた。



 ――――――――――――――――――――



 岩場などの立体物に隠れながら進む、進む、進む……。

 慎重過ぎるほど慎重になっていた俺だったが、奇跡的に魔物と遭遇することはなかった。


 しばらく歩いていると、ザァーという水の音が聞こえてきた。

 川が近くにあるのかもしれない。

 サバイバルに水は必須だ。

 ましてや深層。助けなど期待できない。

 ならばと――、安易に近づいたのが間違っていた。


 ……結果的に、そこに川はあった。

 もの凄い勢いで流れる濁流ではあったものの、水を確保するのに問題はなさそうであった。

 問題なのは、川の前にいた異物である。


『キュ……?』

「兎……?」


 そう、それは一見可愛らしい見た目をした兎だった。

 普段の俺だったらティナを押しのけて撫でに行っていたところだろう。

 首から上、頭蓋のみが骨でできた骸骨の見た目でなければ、の話だが。


 ――カタカタカタカタ。


 首を振り回して鳴る骨の音は、俺を嘲笑しているようだった。

 俺は一見雑魚モンスターに見えるこの骨兎にも、警戒を怠らなかった。


 小型の魔物だと言っても、ここは深層。

 戦うことなど考えてはいけない。

 俺は中層で【彷徨う(リビングデッド)赤き鎧(レッドアーマー)】にそうしたように、目くらましを使って逃走しようとした。

 が――、


「?」


 気づいた時には、兎は目の前から消えていた。

 そして。


「おおっと……」


 俺は何かに躓いたようで、前のめりに転んでしまった。

 立ち上がろうとして、再び転倒する。

 何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も。


「……?」


 そして、ようやく違和感に気付く。

 脳が情報を整理して、現実に起きたことを把握する。

 ずちゃり、という気色の悪い音。

 首を回して違和感の元を探す。

 それは右の足。

 そこには本来あるものがなかった。


 足首から下が、消失していた。


「あ、がぁぁああああああああああああああ!!」


 鋭い痛み、燃えるような痛みが襲ってくる。

 どくどくどくどくと流れ落ちる血。

 血と痛みは精神をも犯していくようだった。


 ――痛い、痛い痛い痛い痛いっ!


 だって、死神に片腕をやられたときとは訳が違う。

 この痛みに大儀はない。

 大切な者を守るという使命に酔えない今、俺の前にあるのは恐怖と絶望だけだった。


 視線の先の骨兎を見る。

 頭蓋の骨と白い毛皮を血で濡らしながら、俺の足を食む兎。

 ぼとりぼとりと、食い損ねた足の指が周囲に散らばる。


「……ぁ」


 そして、気付いてしまった。

 その後ろから覗く、二十は超える白い毛玉と骸骨の存在に。




 ――カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ……………………




 聞き間違いなんかじゃない。

 俺は今度こそ、確かに俺を嗤う悪魔たちの声を聞いた。



 ――――――――――――――――――――



 ――駄目だ、死ぬ、殺される!


 俺は、倒れた俺を見下ろす骨兎たちから逃げるため這いずりながら立ち上がった。

 右足はないが、喰われたのは足首から下だ。

 立ち上がれないわけじゃない。


「――――づぁっ!」


 骨が覘く断面を地面につけた瞬間、刺すような痛みが走る。

 だが、立ち止まれば死ぬ。

 俺はがむしゃらになって走った。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ…………」


 凍り付くような恐怖で流れ落ちる涙が視界と理性の邪魔をする。

 ずびずびと鼻水を垂らし、口からは泡が溢れ出る。

 少しでも前へ、前へ、前へ――――!

 そう願って走ったが――、


「ぐぁっ!?」


 俺は再び転んでしまった。

 左足、ふくらはぎに鋭い痛み。

 先頭の一匹に噛みつかれたようだった。


 ――グチグチグチグチ


 肉が抉られる。食い散らかさられる。

 痛みは加速度的に増加する。

 両手、両足、脇腹、背中、首――……

 その痛みが俺の頭蓋にさえ届こうとした、そのとき――、


 ドッガァアアアアアアッッ!!!


 轟音が鳴り響き、突風が巻き起こった。

 俺を囲んでいた骨兎たちの動きが、ピタリと止まった。

 視線を動かしてみれば、迷宮の壁に複数の骨兎がぺしゃんこになっていた。

 ぽとりぽとりと無常に落ちる深紅色の魔石と骨兎の血に濡れた毛皮。

 それらを拾い、グチャグチャと口の中に放りこむ大きな影が一つあった。


『オオオォ…………』


 ――それは、巨人だった。

 全長は10M弱だろうか。

 大きさでいえば、あの【彷徨う(リビングデッド)赤き(レッドアーマー)】すらも凌駕している。


 さらに山のように盛り上がった筋肉と三つの大きな目玉。

 両腕には、その大きさに見合った巨大な棍棒が握られていた。

 そして――、


「溶けて、いるのか……?」


 巨人の体も、顔も、ドロドロに溶けて腐っていた。

 身に着けている衣服も、何か魔物の毛皮を纏っているようだったが、すでにボロボロだ。

 その様子はまさに、巨人版アンデッドといったようだった。


『キュッ!』


 棍棒の襲撃から免れた骨兎たちは、一斉に散らばるように逃走を開始した。

 まとめて潰されないようにするためについた習性だろう。

 だが―ー、


『ォ、アアアアアアアアアアアアアア!!!』


 それは全くの無駄となった。


 巨人の咆哮に、骨兎たちはまるで電撃魔術でも食らったかのように体を硬直させる。

 巨人はそんな獲物を見て満足そうに笑みを浮かべると、

 一匹ずつ確かめるように棍棒で叩き潰していったのだった。


 ズズズズズッ。

 巨人はペースト状になった骨兎の肉塊と血と魔石を、スープを吸うように飲み干していく。

 一匹、二匹、三匹、四匹……。

 そして十匹ほどをまとめて手で掴み、地面ごと抉り取って飲み込んだ。


『ンハァ~~~~~~ッ!!』


 満足そうに息を吐く巨人。

 視線は自然と、一人余った俺に注がれる。


「あ……あ……あ……っ」


 俺は三つの眼に睨まれ、動けないでいた。

 先程の巨人の叫びで体が痺れていたのもあるが、

 単純に、恐怖で足が竦んでいた。


 巨人は棍棒を持って近づく。

 その表情は、表情の見え辛かった骨兎とは違い、はっきり分かる。

 それは、子どもが虫の足を捥ぐときのような、凄惨な喜びに満ちた顔だった。



 ――――――――――――――――――――




『ハァッ、ハァッ、ハァ~~~~ッ』


 ついに俺の前に立った巨人は、涎を散らしながら恍惚な表情を浮かべていた。

 棍棒の内、一つが高々と掲げられる。


「あ……」


 俺はそれを呆然と眺めることしかできなくて。


『イヒ……ッ』


 そして、巨人はそんな俺を嗤いながら、棍棒を振り下ろした。


「がぁあああああああああああああああ!!!」


 棍棒が直撃したのは、まだ失っていない左の足。

 その膝が粉々に粉砕されたのを自覚する。


「ああああっ、ああああああっ!!」


 激痛に地面をのたうち回る。

 しかし、これで終わりではなかった。

 巨人は俺に馬乗りになると、

 今度は右腕、左腕を指の先から棍棒で潰していった。


「あ、が……っ、あっ……ぐぁああっ!」


 指の先から始まり、両肩まで破壊したあと、巨人は馬乗りをやめて立ち上がる。

 真横に立つ腐敗した巨人。天井に触れるほど掲げられた二つの棍棒。


「や、やめ……っ」


 だが、両腕両足を壊された俺に逃げる方法などない。

 怒涛のラッシュが、俺の腹を叩きつけた。

 棍棒が振るわれるたび、迷宮が衝撃で揺れる。


「が!? あ、うぇっ! おぇっ、おお、あああっ、あぐがぁああっ!!」


 口から空気が吐き出されたと思ったときには、もう遅かった。

 腹の底に溜まっていた内容物を少し嘔吐して、

 その後は血を噴き出す。

 噴水のように噴き上がる。


「あ――、うーー、え――、が――、あ――、あ――、あ――、あ――、あ――、あ――、あ――、あ――、あ――、あ――、あ――、あ――、あ――、あ――、あ――、あ――」


 視界はぐにゃぐにゃと曲がり、意識が白と黒を行ったり来たりする。

 痛みはすでに感じない。

 早くこの苦痛が終わることを願いながら、目を自力で閉じることも出来ずにその時を待つ。


 ――そして、その時は唐突に訪れた。


「――――あ?」


 巨人の首から、血の噴水が沸き上がったのだ。

 どすっ、という音を立てて巨人が膝から崩れ落ちる。

 俺は霞む視界を細めて集中し、何があったのかを確認した。


 そこにいたのは、五匹の黒犬だった。

 だが、愛玩動物のような可愛らしい存在ではない。

 黒犬たちは巨人の首に噛り付くと、

 その牙で皮を突き破って肉を喰いあさっていた。


 その姿は、まさしく野生の猟犬。

 五体不満足な俺では、到底太刀打ちできそうにもない魔物。


『ガルゥ……』

「あ……」


 だが、そのうちの一匹と目が合う。

 次の瞬間、そいつは一瞬にして姿を消した。


「え――?」


 違う、姿を消したんじゃない。

 奴は影になったのだ。

 影、そのものになったのだ。


 ――どぼん


 水に飛び込むように、もう一匹が地面へと吸い込まれる。

 地面に溶け込んだ二つの影が迫る。


「う、ぉ、あああああああああっ!」


 呼吸を入れることで僅かながら思考力を取り戻した俺は、

 反転して、内側が粉々になった体をもぞもぞと動かしながら川の方へと向かった。

 身体を濁流の方へと動かしながら、顔は反対側、後ろの影の方を向く。

 俺は目を見開き、その動きを観察する。

 集中する。


 慣れ親しんだスローモーションの世界。

 影の動きから、飛び出す場所、タイミングを分析する。


 ――速い!


 這いずっているだけでは、いずれ追い越される。

 打開する手段は――!


「《炎弾、よ……我が意の、ままに……」


 詠唱を紡ぐ俺に、影が追いつく。

 影は俺の体をも通り抜け、二匹の黒犬が唸り声とともに現れる。

 目前に迫り開く顎。

 その獣の牙に自ら手を突っ込む。

 俺はありったけの魔力を込めて魔術を解き放った。


「――――獲物を撃ち抜け》ぇっ!」


 瞬間、轟音。

 衝撃で吹き飛ばされる体。

 黒い煙が、黒犬の口の中と俺の右腕から上がる。

 至近距離で放ったため、魔術を行使した俺自身でさえ火傷を負ったのだ。


 だが、黒犬はSSSランクダンジョンの深層に跋扈するモンスター。

 それにあの巨人をも屠る魔物だ。

 おそらく効いてはいない、だが――――、


 ――ゴォォォォ!


 濁流までの距離は目と鼻の先。

 これで、逃げられる。

 逃げたところで死ぬには変わりないかもしれないが。


『ガルルルルゥァッ!』


 迷っている暇はない。


「うぉあああああああああああああああっ!!」


 俺は意を決して、濁流に飛び込んだ。






 ――意識が――、

 ――――遠のいて――――、

 ――――――い、く――――――…………



















 ――――――――――――――――――――



 目を覚ますと、そこはさらに深い闇で覆われた洞窟だった。

 天井は、そこまで高くない。

 俺が立ち上がれば届きそうなほどの、おそらくは洞穴のような場所だった。


「お、ぅ、ぇぇぇえええええええっ!!」


 気持ち悪くなり、腹の中にあるものを全て吐き出す。

 おそらくは流された時に入ってきた水を。

 そして少し冷静になって考える。

 俺はどのようにして、この洞窟に引き上げられたのか、と。


 確認しようと立ち上がろうとして、気付く。


「ぐぁ……っ」


 全身の骨は砕かれており、激痛の中にいたということを。


 ――ゴォォォォ


 耳を澄ませば、水の流れる音がする。

 視線だけを動かせば、濁流と岩が見える。


 ――おそらくは、あの岩に引っ掛かったんだとは思うけど……


 引き上げた存在は謎のまま。

 しかし、意識が完全に覚醒して、

 目も慣れてきて、さらなる真実に気づく。


 ……いや、気付いて、しまった。


「ぇ……」


 モゾモゾ、モゾモゾモゾモゾ……

 全身を、何かが這っている。

 右腕に、痛み。

 血の滴る音。

 何かが欠けている感覚。


 俺は、視線を右腕に向ける。

 そこには白いムカデが這っていた。

 数えきれないほどのムカデが這っていた。

 ムカデは肉を食んでいた。

 腕には無数の孔が空けられていた。

 その無数の孔から、ムカデが頭を覗かせていた。

 腕の中を這う、ムカデの姿があった。


「い……ぁ…………」


 身体を動かすことは、できない。

 地獄が終わり、悪夢が始まった。



 ――――――――――――――――――――




 ひたひたひたと、氷柱のような天井の突起から水滴が落ちる。

 それを顔で受け止めながら、俺は必死に現状を打開しようと藻掻いていた。


「あ、ぁぁぁああああっ!!」


 喉が枯れるほど声を荒げ、ジタバタと暴れる。

 そのたびに体のどこかから白ムカデが飛び出す。

 俺は何とかムカデを体の中から取り除こうと、のたうち回った。

 しかし、身体から出て行くムカデよりも、

 肌を突き破り、入り込んで肉を貪ろうとするムカデの数の方が圧倒的に多いようだった。


 やがて、俺の前に一際巨大なムカデが現れた。

 その全長は、俺の腕の長さほどであった。

 巨大ムカデが、のそり、のそりと近づいてくる。


「嫌、だ……嫌だ嫌だ嫌だ来るな来るな来るな来るなっ!」


 巨大ムカデは、俺の言葉に首を傾げるように体を傾けると――、

 ――その体を、俺の口の中に捻じ込ませてきた。


「ぉ、ぼ、がぁぁァアアアアアアアアアアッッッ!!」


 腕ほどの大きさのムカデが食道をその無数の足で冒しながら内臓を突き破っていく。

 異物を追い出そうと嘔吐感に苛まれるが、それを無視する勢いでムカデは侵入してくる。


 巨大ムカデだけじゃない。

 巨大ムカデに触発されたのか、他のムカデもその活動を活発化させてきた。


 ――痛い、痛い痛い痛い痛い痛い嫌だ嫌だ嫌だ嫌だイヤ…………


 ムカデたちは耳や鼻、肛門など、体中の穴という穴から侵入してきた。

 さらに、そのうちの二匹が俺の目の前――「目」の前に現れた。


「やめ……あ…………っ」


 二匹は、俺の眼球を突き破った。


「あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ」


 カチカチカチと、頭の裏側で音が鳴る。


 喰われていく。喰われていく。喰われていく。

 あたまのなか、はいまわる、むかで。


 びちゃびちゃびちゃ。


 あ、いま、なにか、とびでた。

 なんだろう。

 め、みえない。

 なにもみえない。

 わからない。


「―――――あはは」


 もう、なにも。


「はははははっ」


 なにも、わからない。


「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは――――――――――――――っっっっっっ!!!!!!」












 ――――――――――――――――――――



 身体を喰われ孔を空けられる激痛と不快感に、何度も目を覚ました。

 どれだけの時間が経ったのだろう。

 何十時間も経ったか、

 それとも、ほんの数分を永遠のように長く感じていただけか。


 正気と狂気を行ったり来たりしているうちに、心は死んでしまっていたようだった。


 俺はとにかく、疲弊して、疲弊して、疲弊して……。

 疲弊した俺は、逃れることができないと思っていた痛みすらすでに感じなくなっていた。


 今ここにあるのは、絶望感と無力感と――、

 ――そして、後悔だけ。


 俺は、彼女を――ティナを、守ることができなかった。

 彼女は、俺の全てだったというのに。

 俺の思い描く「幸せな未来」には、彼女がいつも隣にいたというのに。


 守れなかった。

 死なせてしまった。

 ――なら、なぜ俺はまだ生きている?


 そうだ。

 俺は死ぬべきだったのだ。

 死神に剣を向けられたあのときか。

 迷宮の底に落ちたあのときか。

 骨兎に喰われたあのときか、巨人に棍棒で殴られたあのときか、

 黒犬に襲われそうになったあのときか。


 どれでもいい。

 命を絶つ機会は何度もあったはずだ。

 自らナイフで首を切る選択肢もあったはずだ。


 なのに、なぜ生き残った?

 なぜ、醜く足掻いた?

 どれだけ生き延びようと、俺が望んだ「幸せ」には辿り着けないというのに。


 ――もう、死なせてくれ……


 俺が、心の中でそう願ったとき――、



『――そんなこと、言わないでください』



 聞きなれた鈴を転がすような声が聞こえてきて。

 俺は、見えないはずの緑色の光を幻視した。



 ――――――――――――――――――――



 ちゅんちゅんちゅんちゅん。

 囀る小鳥の声。広がる深い緑。

 そして、一際大きな木が、目の前に立っている。


「ここは……」


 いつかの夢の中で見た、故郷のダーハ―村だ。

 優しい景色が郷愁を誘う。

 ただ、夢の中の景色と違う点があるとすれば、それは――


「久しぶりですね、モルド。やっと……やっと、会えました」


 純金を溶かしたような長髪。

 作り物の宝石のように青く澄んだ瞳。

 その瞳は、今にも涙が零れ落ちそうなほど潤んでいる。


 大木の前に、ティナが……夢の中の彼女じゃない、成長したあとのティナがそこにいた。

 毎日のように顔をつきあわせて、たくさん怒って、たくさん笑って――

 そして、俺の目の前で死んだ、幼馴染の姿があったのだ。


「ティナ、どうして……?」


 俺が問うと、ティナはぐしぐしと目を拭った。

 こほん、と咳を入れて、ティナは腕を後ろに組む。


「ごめんなさい、勝手に入ってきてしまって……。でも、安心してください。あなたに伝えることを伝えたら、私はすぐに消えますから」


「入って……? 消える……? えっと、そもそもここは……」


「ここはモルドの『セカイ』。精神世界にして魂の在り様を示す場所……魂の輪郭と言えば、モルドには分かりますよね?」


「あ……」


 魂の輪郭。

 それは魔石を持つ魔物のように魂の実体を持たない人族が持っていると言われる個々人の魂の形を示すものだ。


 それは、その者が根源としているようなものだと言うが……。


「そうか、ここが……この景色こそが、俺の魂の形なんだな」


 そう口にして、納得する。

 ここには俺の大切が詰まっていた。

 ティナとの思い出が、詰まっていた。


「そして、ここにティナがいるってことは……」


「――はい、私はあなたを……呪ったんです」


 呪い。

 魔術と似ているが、ちょっとだけ違う超常の現象だ。


 魔術のように詠唱を必要とするものもあれば、もっと特殊な儀式を用いるものもある。

 藁の人形に釘を打ち込んだり、鶏の血で陣を描いたり……

 そういった有名な呪いの過程で行うことは、二つ。


 一つは悪意であれ好意であれ、特定の誰かを強く想うこと。

 そしてもう一つは、対象の魂に自分の魂の一部……つまりは魔力を注ぎ込むこと。


 呪いで重要なのは、あくまでこの二つの過程だ。

 その過程さえクリアしていれば、儀式などなくとも呪いをかけることはできる。


 ティナは死の間際、傷だらけで腕を失い、内臓さえ損傷していた俺を圧倒的な魔力を注ぎ込み回復魔術で治療した。

 そのときに呪いの条件を満たしたのだろう。


「そっか、だから……」


 深層に落下したとき、無傷だったことを思い出す。

 身体中が血だらけだったのは俺が間違いなく瀕死の重傷を負っていた証拠で。

 その状態から意識を取り戻したのは、彼女の呪いで回復したからだろう。


 ティナの……【聖女の加護】を持つ、回復術師の呪いによって。


「つまりティナ、お前が俺にかけた呪いっていうのは……」


「……はい、『生きていてほしい』――それが、私の願いで、私がモルドにかけた呪いです」


 そんな。


「なんで……」


 そんな呪いがあるとしたら、それはどんなに優しくて。


「なんでそんなもん、俺にかけたんだよっ!?」


 そして、どんなに残酷な呪いなのだろう。


「俺は……もう、生きてたって仕方がないのに……」


「そんなことはありません」


「これ以上生きても、苦しいだけなのに」


「そんなことはありません」


「幸せになんて、なれるはずないのに……」


「そんなことは、ありえません」


 ティナはそう言って。

 いつの間にか流れていた俺の涙を拭いながら、言葉を続けた。


「村を出て、いろんな国や街を回って、迷宮を冒険して……。たしかに、苦しいことも辛いことも理不尽なこともありました。それでも、それ以上に楽しいこともたくさんあったじゃないですか」


 思い出す。彼女との旅路であった様々な出来事を。

 自然の驚異を知った。

 食わなければ死ぬことを知った。

 自分たちの矮小さを知った。

 人に力を借りるということを知った。

 我慢しなければならないことを知った。

 困難に打ち勝つための勇気を知った。


 色んな国の文化を知った。

 様々な景色の美しさを知った。

 外で食べる食事の美味しさを知った。


 不安で圧し潰されそうなとき、大切な人が隣で眠ってくれる温かさを知った。


 そうだ。世界は――


「世界は残酷で、けれど美しい。だからきっと、私なんかいなくてもモルドは幸せになれます」


 そう微笑みながら語るティナにハッとさせられる。


 死の間際。

 あの絶望感と無力感に支配される瞬間に、彼女は他人のことを想っていたのだ。

 自分が今にも死にそうなときに、「生きて幸せになってほしい」と、そう願ったのだ。


「ホント、すげーのな、お前……」


「えへへ、そうでしょうそうでしょう」


 ……ああ、彼女はどんなに強いのだろう。

 どんなに、強くなったのだろう。


 心の底で、ドクンと何かが脈打つ。

 血など流れていないはずの、この精神世界の体がカァッと熱くなる。


 そうして気付く。

 すでに命のない彼女に、再び心奪われていることに。


 俺は、生前そうしていたようにティナの頭に手を伸ばす。

 けれどティナはそれを躱して、俺に背を向けた。


「ダメです、そういうのは……私はもう、死んでいるんですから」


 ティナはそう言うと、一歩二歩と俺から遠ざかる。


「ティナ……?」


「私は呪いで使った魔力についた、残留思念みたいなものなんです。だから、行かないと……あなたに伝えたいことは、もう伝えましたから」


 立ち止まった彼女が、再び歩き出す。


「安心してください。私の思念が消えても、モルドの魂の中にある私の魔力は、もうモルドのものです。その魔力がモルドの体を巡る限り、呪いが消えることはありませんから」


 おそらくはこの『セカイ』の外側、この景色を越えたところに向けて。

 彼女は一歩一歩、踏みしめるように歩いていく。


 だから、俺は――、


「だから生きて。そして、幸せに――……」


 俺は、ティナの言葉が言い終わる前に走って、背中から彼女を抱き締めた。


「モルド…………っ」


 泣き出しそうになる彼女をさらに強く抱きしめて。


「絶対に離さない」


 俺は、確固たる決意でそう告げた。



 ――――――――――――――――――――



「ティナ、俺はお前のことが好きだ」


 ティナは肩をビクッと跳ねさせる。

 俺はティナを抱き締めながら、言葉を続ける。


「世界は残酷で、美しい。だからさ……そんな世界はお前と見たいよ」


 苦しいことも辛いことも、君と乗り越えたい。

 美しい景色も、美味しい食べ物も、君と味わいたい。


「他の誰かじゃない。俺は、お前がいいんだ」


 ティナはふるふると首を横に振る。


「でも……そんなことできるはずがないんです。だって、私は……」


「死んでいるから、か?」


 コクンと頷くティナ。

 その肩は震えている。

 ティナは泣いている。

 そう、泣いているのだ。


 ――だったら、俺が彼女に掛ける言葉は決まっている。


「俺がお前を生き返らせてやる」


 だって、彼女は泣いている。

 死に際になっても他者を想えるような、世界一優しい彼女が泣いている。

 これが現実だというのなら、こんなものが世界の摂理だと言うのなら――、


「どこの誰に反対されても構わない。世界がそれを望まなくても関係ない」


 きっと、創世の女神を信仰する教会なんかには目をつけられるだろう。

 命の巡りに反抗するような願いなのだから。

 教会だけじゃない。

 世界を守護する勇者たち。規律を守ってきた魔術師連合や錬金術師の連盟。

 世界の法則そのものが、敵に回るかもしれない。

 この地獄のような迷宮を飛び出しても、出口なんて見つからないかもしれない。


「方法なんて検討もつかない。もしかしたら何年も、何十年も掛かるかもしれない……」


 言葉を紡ぐたび、地面は揺れ、木々はざわめく。

 心の底では動揺しているとでもいうのか。


「…………っ」


 ……それも仕方がないだろうと、俺はその迷いを受け止める。

 だって、知っている。

 妻の命を錬成しようとした哀れな錬金術師の末路を知っている。

 なぜ人体錬成が禁忌になったのか、その歴史を知っている。


 知識を得て、培ってきた倫理観という名の化け物が、俺の決意を食い散らかそうと襲ってくる……それでも。


「それでも俺は、お前を取り戻す! 絶対の、絶対の……絶対にだ!」


 俺が叫ぶと、周囲の景色が消し飛んだ。

 真っ白な世界で、腕の中のティナが振り返る。


「馬鹿……ホントに、子供みたいなこと、言うんですから……っ!」


 ティナは泣きながら笑っていた。


「そんなこと言われたら……諦められなくなっちゃうじゃないですか!」


 ピシピシピシと、風景に罅が入る。

 動いてもいないのに、ティナとの距離が開いていく。


「くそ――っ!」


 手を伸ばしても、走っても届かない。


 ――ああ。

 セカイが消える。

 目覚めが近い。


「モルド~~っ!」


 消える世界で。

 消えかけた意識の中で、遠くの彼女が叫ぶ。


「私も、あなたのことが好き、大好き! 世界で一番……愛してます!」


 ティナの声が、耳の奥で反芻する。

 純金の髪が、宝石のような青玉色の瞳が。

 景色の白に飲み込まれていく。


 手を伸ばす。

 届かない。


 意識が。

 消えていく。










『だからモルド、待ってます……ずっと、いつまでも……あなたの中で待ち続けますから』










 ――――――――――――――――――――



 目を覚ますと、そこは洞窟の中だった。

 視界は戻っている。

 恐らくはティナの呪いのおかげだろう。


 ムカデは体中を這い、俺の体を喰い続けている。

 俺は――、


「《炎弾よ・我が意のままに・獲物を撃ち抜け》」


 手の平を胸に当て、身体を燃やした。

 ありったけの魔力を込める。

 巨大な火の球が俺を包み込む。


 ゴォオオオ!


 燃やす。燃やす。燃やす。

 燃やし続ける。

 すると、ブチャブチャという音を立てながらムカデたちが孔から飛び出てきた。


『《安らぎ癒せ(ヒーリング)》』


 心の中でそう念じれば、身体の傷が癒えていく。

 見れば、一際大きなムカデが、地面の上をのたうち回っているではないか。

 俺はそのムカデに向かって、何度も【ファイアボール】を唱えた。

 それこそ、魔力切れを起こす、寸前まで。


 そうして、黒焦げになったムカデにサバイバルナイフを突き刺した。

 一太刀では分断できないので、これも、何度も何度も。

 切断すると、そこからは魔石が姿を覗かせた。

 俺は地面に顔を擦りつけながら、その魔石を喰らった。


 魔石は、魔物にとっての魔力生成器官。

 これを喰らえば、魔力を得ることができると考えたからだ。

 無論、魔物の体にも魔力はある。

 だから俺は、絶命したムカデの体を、口の中に放り込んだ。


 ――それを、またまた何度も繰り返した。


 SSSランクダンジョン、それも深層の魔物なので警戒はしていたが、

 こんな底の底に隠れていた本当に普通の虫と変わらないようなモンスターだ。

 俺の眼で注視して弱点を切り裂いてやれば、しっかりと絶命してくれた。


 何匹も俺の体を喰らおうと再び皮膚を突き破って入ってきたが、それは入ってきた部位を切り落とすことで対処した。


 腕に入ってきたら腕を。

 足に入ってきたら足を。

 腹に入ってきたらナイフで抉り出した。


 殺して、喰って、殺して、喰って、殺して、喰って。


 気づいたら、奈落の底には俺一人が立っていた。

 地面は血の海と化し、その上には俺の手足や内臓がいくつも散らばっている。

 俺は、この洞窟の先に広がる闇に目を向ける。


「…………」


 この先には、きっと地獄が待っているのだろう。

 その地獄を越えても、俺には居場所なんてないのかもしれない。

 でも、そんなことは関係ない。

 だって、彼女は泣いていた。

 世界一優しくて、世界一可憐で、俺が世界一大切にしている女の子が泣いていた。

 そんなものが世界の摂理だと言うのなら、きっと――


 ……間違っているのは世界の方だ。


「……行こう」


 俺は踏み出す。

 生きるための一歩を。取り戻すための一歩を。

 俺と、俺の大切な人が、幸せになるための一歩を。


 ――幼馴染の、最愛の回復術師は死んでいる。


 だけど、俺は諦めない。






 彼女を生き返らせる、その時まで。



最後に。

『面白い!』と思って頂けましたら、『評価(下にスクロールすると評価するボタン(☆☆☆☆☆)があります)』を是非宜しくお願い致します。


感想もお待ちしております。


【7月3日追記】


先日7月2日に連載版投稿を始めました。連載版の題名は「【SSSランクダンジョン奥地で追放された荷物持ち】唯一助けてくれた幼馴染の【聖女】も殺され→自身の潜在能力とかけられた【聖女の呪い】に気付いた男の成り上がり~俺は聖女を諦めない~」となっています。


『第十三話 一方その頃、追放者たちは①(シャリオ視点)』から続きとなっております。

また、細かい部分を変更しているのでそれまでの話も興味がございましたらぜひ読み返してください。


作品URL→ https://ncode.syosetu.com/n2844hs/



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