真夏のプリンセスカグヤ
初投稿です。文章に拙い箇所が多々あると思いますが、最後までお読みいただけると嬉しいです。
「内緒だよ……誰にも言わないでね」
秘密を明かす彼女-岸川葵-の声は、震えていた。きっと畏怖を感じているのだろう。
僕-高瀬隼人-は、彼女に何もしてあげられない。ただ、祈ることしかできないんだ。
だから僕は君を信じて待つよ。僕が、君の唯一の理解者だから……。
* * *
2217年 7月22日
この日、日本政府は驚きのコメントを発表した。
「我が国の一大国家プロジェクトである月面移住計画開始をここに宣言します」
「今度は、月面か……」
そう呟きながら、僕は朝ごはんを食べている。
「早く食べて学校行きなさいよ。今日、登校日なんでしょ」
奥のキッチンから耳障りな雑音が聞こえてくるが、僕はいつも通りそれを無視する。
20年前、急激な人口増加を背景に、日本政府は本格的な火星移住を開始した。僕は生まれてなかったから知らないけど、おばあちゃん曰くその時の盛り上がりは異常だったらしい。まあ、今でも毎日火星中継がテレビでやっているから、盛り上がっているといえば盛り上がっているけど。
でも、火星も人で埋め尽くされたから今度は月へ行こうってわけか。
そんな事を考えていると、また母親の声が飛んできた。
「隼人、葵ちゃんが迎えに来てるわよ!」
「分かった。今行く」
僕は急いで身支度を整えて、玄関へ向かう。扉を開けると、まだ半分寝ている僕の脳を目覚めさせる声が飛んできた。
「遅い!」
「ご、ごめん」
そこに立っていたのは、一人の美少女だった。そのサラリとした長髪は腰の近くまでを侵食していて、背中はほとんど見えない。そして、僕より少し低い背から見上げるように話しかけてくる。
「まったく、時間管理くらい自分でしてよね! ていうか、隼人は私が迎えに来なかったら学校来る気ないでしょ」
岸川葵は僕の彼女だ。最近、不登校気味の僕を心配して毎朝迎えに来てくれる。
「そんなこと……あるかも」
刹那、彼女の掌が僕の頬に飛んでくる。
「痛っ!」
「もう、早く学校行くよ」
「ちょっと待って。速いって」
こんな感じで、毎朝恒例の会話をしながら僕達は学校に向かう。ようやく葵に追いつくと、彼女から喋りかけてくる。
「そういえば、今朝のニュース見た?」
僕は、葵が求めてるであろう答えを放つ。
「あー、月面移住計画の事? なんか、すごいよな」
葵がこの話題を振ってくることは予期していた。なぜなら、彼女の父親が月面移住計画に関わっているからだ。それ以上は何も知らないけど。
「そうそう。でも、実現性低そうじゃない。月は大気無いし」
「まあ、火星でもできたからいけるんじゃね?」
僕は根拠のない言の葉を紡ぐ。
「そうだね……って時間ヤバイよ、急ごう!」
そうして僕らは、学校に向かって走り出した。
* * *
「多少の犠牲は致し方ない」
政府の無能な役人どもがそう告げて、この宇宙開発部から引き上げていく。まったく、政治家という生き物は自分たちの利益のことしか考えていないのか。
オレはそんな無能どもに、強い憤りを覚えた。
驚愕の政府の発表から数時間、この場所はパニックに陥っている。それも、当然のことだ。
元来、この月面移住計画の発表は十年後の予定だった。なぜなら、まだ安全性が確保されていないからだ。
だが、予想よりはるかに早い人口増加によって、政府が独断で計画を前倒しにしたのだ。そして、俺の目の前にはこの計画の成功率を示す数値が示されている。
その値は……50%
* * *
「夏祭り、行かない?」
「おう、行くか」
いつも通り、今日一日無駄な時間を過ごしたと思っていたが、葵の声で外へ出て良かったと考え直す。
夏祭りには、毎年行っている。
引きこもりがちの僕が外へ出る数少ない機会だ。その都度葵と出会うから、たぶん葵も毎年行っているんだろう。
葵と一緒に行ったことはなかったから、それだけで例年よりも浮足立つ。
「じゃあ、迎えに行くからちゃんと準備しといてよ」
「夏祭りは俺にとって特別だから大丈夫。いつもみたいに遅れない。心配するな」
「特別?」
「僕の人生を変える一言を、三年前の夏祭りである人に言われたんだ」
「へえ」
「……それ言ったの葵だよ」
「ええ?」
「まあ、あの時まだ付き合ってなかったし覚えてないのもしょうがないけどな」
「ごめん。全然覚えてないよ」
「いや、謝らなくていいって。俺はあの言葉に救われたわけだし。本当、ありがとう」
「うんっ」
葵の頬が少し赤く染まる。
三年前に見たのと同じ表情だ。僕は本当に葵のあの言葉に救われたんだ。たぶんあれが無かったら、僕は自ら命を絶っていただろう。
だから、これからもその表情を僕にみせてくれ……葵。
* * *
今日は、久しぶりに早く家に帰る。家族に大切なことを伝えなければいけないからだ。
会社も早退を認めてくれた。いや、認めさせた。なぜなら、あの政府の無能な役人どものせいで俺の大切な家族を危険に巻き込んでしまったのだから。
呵責の念に駆られながら、重い足取りで玄関の扉を開ける。そこには浴衣姿の娘と妻が立っていた。
その光景を見て、今日が夏祭りであるという事を思い出す。
「あっ、パパ今日帰ってくるの早いね。ちょうどよかった。今から隼人と夏祭り行くんだ。どう、似合ってる?」
「ああ」
オレはそう言うことしかできなかった。
「えー、テンション低い。自信なくすなあ。」
「葵、驚かずに聞いてほしい。じつは……」
娘の顔から笑顔が消える。
妻も信じられない表情でこちらを見ている。
でも、これが現実なんだ。
本当に……すまない。
* * *
玄関のチャイムが鳴る。そこには、今朝と同じように葵が立っていた。
ある一点を除いて。
それは、モニター越しに映る彼女の表情。その顔は、僕がいつも見ている物ではなく、どこか作り物のように思えた。
「準備できた?」
画面越しに彼女が尋ねる。
「もうちょっと待っててくれ」
「まったく、相変わらずなんだから」
僕は時間が守れない。
小さいころからずっとそうだ。自分でも直そうとしているけどまったく直らない。本当に自分が不甲斐ない。
だが、同時に思う。この世の中には、どうしても自分の弱さを除去できない人間がどれだけいるのかということを……。
「まだなの?」
気がつくと葵が僕の背後に立っていた。どうやら、鍵をかけるのを忘れていたらしい。……もしかして、彼女にも弱さがあるのだろうか?
ようやく準備が完了した僕は、彼女に告げる。
「よし、じゃあ行くか」
「うんっ」
外に出ると、空が闇に包まれ始めていた。いつの間にこんな時間が経ったのだろうか?
「早くしないとお祭り終わっちゃうよ」
葵がそう言って僕の手を引いてくる。ただ、その笑顔はさっきと同じように、やはりどこかぎこちなかった。もしかしたら、彼女に何かあったのかもしれない。
だが、僕は彼女がその辛さを行動に起こすまで、何も聞かないと決めていた。なぜなら、過剰に人に干渉されると本当に辛くなることを僕が誰よりも分かっているからだ。
そして、それは彼女が最も嫌う物だということを、僕は知っているからだ。
そんなことを考えていると、いつしか僕の救いとなった、初めて葵を認知した出来事を思い返していた。
* * *
いつものように学校で叱られ、家でも叱られた。
僕を叱る奴らが言う事はいつも一つだ。
「高瀬、お前はなぜ皆と同じように出来ないのか」
反論はしたかった。だが、僕の言には根拠がなく決して通じないとわかっている。だから、常に無視をすることになる。それは、僕自身をひどく傷心させた。
長期休み中に行われる夏祭りは、そんな僕の心を回復させる数少ない拠り所だ。幼少期から祭りが好きだった僕にとって、まさしく心のオアシスだった。
もちろん、一緒に行く友人など誰一人としていない。なぜなら、一見仲が良くても心の中では僕を蔑んでいるからだ。故に、こういうイベントでは僕は存在していなかったことになる。だから、僕は一人で、出来るだけ同級生と顔を合わせないように夏祭りを楽しむ。
それが、僕の過ごし方だ。
夜も更けて人混みが少なくなり僕が動きやすい環境になった。
「これでやっと、ゆっくり回れる」
だが、僕は完全に油断していた。
「ねぇ、あれ高瀬じゃなーい?」
「ホントだ、キモッ」
祭りから帰る途中の、同級生の女子グループに遭遇してしまったのだ。その罵倒を受け流しつつ、足早に通り過ぎようとする。
しかし、迂闊にもその中の一人と目が合ってしまった。そのまま通り過ぎてくれと祈るが、その思いも空しくグループの中から抜け出し、こちらに向かってくる。
それは岸川葵、僕とは何の接点もないはずの人物だった。。
「一人なんだ、高瀬君。」
「岸川には関係ないだろ」
「ひどいなあ、人が心配してるのに。それにしても、毎日先生に怒られて大変そうだね」
お前も言うのか、という言葉を飲み込んで無言で睨みつける。
「ま、これ以上は何も言わないけどね。私、人の内情に踏み込むの嫌いだから」
更に馬鹿にされるだろうと思っていた僕は驚いて、岸川を見つめる。
「高瀬君が、ものすごくひどい顔しているから声かけただけだよ。あ、そうそう。内情に踏み込むのは嫌いって言ったけど、最後に一つだけ。私は君が時間を守れないこと、別に悪いことだとは思ってない。これは、本当だから」
「え?」
「そりゃあ、守れるに越した事は無いけど、どうしても出来ないことを無理に押し付けるのはひどいと思う。だって、その出来ないってこともその人の個性ってことでしょ」
僕は今まで聴いたことの無い意見に少し戸惑う。
「でも、高瀬君は高瀬君で何も言わずに自分の意見を捨てているような気がする。私は、高瀬君が自分を信じて自由にやればいいと思うよ」
岸川はそう言って、グループの輪の中に戻っていった。そして僕は、しばらくその場から動くことが出来なかった。それは、今の彼女の言葉故のことだった。
僕は彼女の言葉に対してどう思っているのだろうか?
「嬉しい」
その一言は、誰かの言葉に対して、僕が始めて自分の意見だけで構成した言葉だった。
初めて共感を得て、舞い上がっていただけなのかもしれない。確かに、僕の存在証明をしてくれて嬉しかったのは事実だ。だけど……。
僕はこの時から岸川に特別な感情を抱いていたのかもしれない。
* * *
「ねえ、聞いてる?」
葵に声をかけられて僕は現実世界に引き戻される。いつの間にか、祭り会場である近所の神社に着いていたようだった。
「ごめん、聞いてなかった」
「まったくもう」
「で、どうしたの?」
「花火見るの、あそこのベンチでもいい?」
そこは、表通りから少し離れた、僕が長年愛用しているお気に入りの場所だった。偶然かもしれないが、その場所を選んでくれて僕は嬉しかった。
「隼人、最近明るくなったよね」
ベンチに座ると、葵が話しかけてくる。
「葵の言葉を信じて、ちょっとずつ自分を変えていった結果じゃないか?」
「そうなの?」
「まあ、自分ではぜんぜん実感無いけど」
「じゃあ、これで引きこもりからもおさらばだね」
「引きこもりは関係ないだろ。というか、引きこもりには引きこもりのよさがあるんだよ」
「えー、これでやっと休日に外に引っ張り出せると思ったのに」
「俺はまだ夏祭り以外は、プライベートで外に出る気ね―から」
「ええー」
「まあ、葵がどうしてもって言うなら付き合ってやってもいいけどな」
「うんっ」
それから少しの間、沈黙が流れる。僕がこの時間を楽しんでいるように、葵も楽しんでいるのだろう。
その沈黙を破ったのは、一筋の花火だった。
「きれい」
彼女の口からその言葉がこぼれる。
「来てよかったな」
「うん」
葵と見る初めての花火。この光景は一生胸に残るだろうと思った。
そして、この光景をこれから先何年も重ねていく。僕はそう誓った。
「また、来年も来ような」
「……」
花火の音が僕らの会話を遮断する。だが、葵が発した、僕が想定していたものと真逆の言葉は、一音の狂いも無くはっきりと聞こえた。
「私はもう……隼人と夏祭りに来られない」
* * *
オレは、無言のまま走り去っていく娘を見送ることしか出来ず、その場に立ちつくしていた。そして、家庭崩壊の原因を作った会社の上層部に怒りを抱いていた。
* * *
数時間前……。
「失礼します」
その時オレは会社の社長室にいた。それは、一つの決断を会社に伝えるためだった。
「おお、宇宙開発部長か」
「これを渡しに来ました」
そこに置かれたものは、俺の決断の証だった。
「辞表……か。一応理由を聞いておこう。何故だね?」
「人を殺すようなプロジェクトには賛同できないからです」
「なるほどな。だが、政府が決めたことなんだ」
「推定であの確率なら、成功率は更に低いと思われます。そんな絵空事に、付き合いきれません」
「……分かった。辞表は受理しよう。だが、君には最後の任務を行ってもらう。昨日の夜、政府から通知が来たんだ。」
「最後の任務ですか?」
「ああ、おめでとう。君は第一次月面仮入居者に選ばれた」
* * *
「どういうことだ?」
僕は葵に聞き返す。
「内緒だよ……。誰にも言わないでね」
葵が念を押す。
「パパが、月面仮入居者に選ばれたの」
彼女は月に視線を逃避させながら言う。
「え、確か葵のお父さんの職業って……」
「今、ロボットの遠隔操作で月にコロニーを作っているのは知ってるよね」
「ああ、ニュースでやってたな」
「それで、一応暮らせる環境が出来たから一度月での移住実験をしてみようってなったらしいんだけど、それに宇宙開発部の責任者であるパパが選ばれたの。」
「!」
突然のことに、僕は驚きを隠しきれない。僕に浮かんでいたのは、一つの望まない懸念だった。
「葵も……行くのか?」
「ママが、どうしてもって」
「そっか」
僕はこれ以上何も聞かなかった。聞きたいことが溢れてくるが、僕は口を閉ざし、葵が話してくるのを待つ。
「私……絶対帰ってくるから。だから、それまで待っててほしい」
「どのくらい、かかるんだ?」
「全部あわせて、三年くらい」
「三年……か」
僕は悲しみを顔に出さないようにしようとするが、隠せなかったようだ。
「そんな悲しい顔しないでよ。私がもっと悲しくなっちゃうじゃん」
そう言われて、僕はあわてて顔を隠す。こういう時はどんな顔をすればいいんだっけ?
自分に問いかけ、僕は一つの表情を作る。
それは……とびっきりの笑顔だった。
「しばらく会えないけど、帰ってきたらまた夏祭り来ようね」
葵がそう呟く。
「ああ。僕らは心の中でつながってる。姿が見えなくても僕の目の前にはいつも葵がいる。だから、三年後を楽しみにして、俺は……待つよ」
「ありがとう」
そう言う彼女の目には、一筋の光が眩いていた。
* * *
月へ行くロケットが打ち上がる。そして、葵が本当に行ったんだなとあらためて実感する。
それから僕は、三年後の彼女との再開に向けて、空虚な日々を過ごし始めた。
* * *
それから一年後……。
街中の雑踏。街路で照らされた、商店街の電気屋の前。葵が乗ったロケットを映し出した光景をテレビで見ていた僕は、その眼を疑った。
「どういうこと……だ?」
僕の目の前でロケット群が墜落していくのだ。それはまるで、あの日に見た、消えゆく花火のようだった。そこで初めて僕は、着陸にすら失敗したことを知る。群衆の悲鳴も、それに呼応するかのように大きくなる。
僕の心に雨が降る。
瞬間、僕の中で何かの糸が切れた。必死にそれを掴んで、紡ぎ直そうとする。だが、僕の手に糸は無かった。
僕は過去の僕になった。そう、葵と出会う前の僕に……。
もちろんそれからの日々を、僕は有意義に過ごすことが出来ずにいた。数日後に出された政府の謝罪さえも偽善の戯言にしか聞こえなかった。
目の前が暗闇になる。
そして、自分がどれだけ無力な存在なのかということを知った。
最後までお読みいただきありがとうございました。この小説であなたの価値観に何か変化があったでしょうか?これからもこのような小説を投稿しようと思うので、よろしくお願いします。