第一話:デスマーチ脱出
この世は残酷。これは僕が子供の頃から良く言っていた言葉。
これを言う度に家族や友人からは、怒られていた。その理由は僕にも分かる。世間体というやつだ。誰もが冷たい視線を浴びせてくる。
だが、その解釈が間違っているとは自分でも思っていない。何故なら、僕に対しての仕打ちはまさにその言葉通りだったからだ。
簡単に言えば、いじめ。世間で何かと言われるあれだ。対策はしていても、無くなることは無い。人間が人間である限り。僕は中学生までいじめられていた。
小学生の時はまだそれをそれとして認識していなかった。それは幼い為であるが、その内容は酷かった。ほぼ毎週、校長室に呼び出しだ。理由は喧嘩。僕は何もしていない。それでも僕のせいになる。僕の何も知らないところで。全く事件に関わっていないのだ。
それでも単純な両親はそれを信じた。毎週呼び出しにあう僕を怒鳴り散らす。根拠も無い事柄なのに。少し考えれば、誰もがおかしいと気付けるのに。その時は誰も気付かなかったのだ。
中学生になるとさらにそれは悪化した。毎日のように登校すると、バケツ一杯の水を掛けられる。そして煙たがられる。教室の端で皆が机を遠ざける。教師も僕に話し掛けない。成績は最低だった。それを両親は怒る。
これを不条理と言わずして、何と言う。僕は何度も死にそうな目にあった。それを全て耐え抜いて来たのに誰も気付いてくれない。まさにこの世は残酷なのだ。
中学生を終えて、僕は勉強する事に励んだ。成績は高いとは言えなかったが、そこそこの点数を取り、地方の国立大学に入学した。親友と呼べるような友達も出来た。彼女には恵まれなかったが。
大学生活は何事もなく終えた。始めて人生を楽しいと感じた瞬間だった。……そこまでは。
やはり、この世は残酷だったのだ。就活は全て失敗した。合計で五十社以上。最後に受けた会社は受かったが、最悪のブラック企業だった。毎日、仕事は十二時間。徹夜も三日に一回。今日の日付が分からない。そんな毎日が続いていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「お前はこの会社を辞めないのか?」
僕に問い掛けるのはこのブラック企業から抜け出して、他の企業で昇進していった友人。大学のサークル仲間だ。更に家庭に恵まれた。人生を謳歌しているらしい。羨ましいことこの上ない。
「僕も辞めたいんだけど、この前新人が倒れちゃってね。辞表出すタイミングを逃したんだ。」
因みに倒れた新人は入院している。お陰で溜まる仕事はこちらに回される。今は三徹である。
「お前……死ぬぞ。」
「……分かってるけどさ。」
この友人の言葉は確信をついたものだ。社内では既に過労死した人もいるらしい。会社は否定しているが。恐らく、本当なのだろう。どうして政府からの調査が入らないのかが不思議だ。まあ、誰も訴えていないからだろうが。
「明日、辞表を出すつもり。」
「おう、頑張れよ。」
友人からの応援を素直に受け取って電話を切る。もう少しだけなら頑張れるかもしれない。仕事に戻るとしよう。
デスクに戻った僕を待ち構えていたのは上司。怖い怖い。急いで仕事を────
────そう思ってパソコンのスリープを解除した時だった。バシンと僕のデスクに何かが叩きつけられた。上司の手だ。何かを握っている。あれは────僕の辞表。どうやって見つけたんだ……。
「なんだ、これは!」
上司が怒鳴った。どちらかと言えば叫んだという表現の方が適切だろう。上司は耳元で叫ぶ。鼓膜が破けそうだな。
「何でしょう……?」
まずは恍けることにした。どうせ上司は知っていて言っているのだ。だったら素直に乗るとしよう。だが、勿論それは上司をますます怒らせるばかりだ。
「恍けるな!!お前の辞表だろうが!」
「……すみませんが、どこでそれを?」
僕がデスク上に出していた筈はない。鍵が付いている所に直していたのだ。上司の手に渡る可能性はごく薄い。
「ああ、そこの新人が教えてくれたよ。出来損ないの先輩がすみませんってな!」
最悪だ。少しでも信用した僕が馬鹿だったのだ。密告した張本人は薄ら笑いを浮かべている。あれが裏の顔だったようだ。一見すると素直で真面目な人にしか見えないのだが、その外見に騙されてしまったのだ。世渡り上手、ね。
だが、お陰で気持ちが吹っ切れた。辞表は今、上司の手にある。辞めるなら今だ。何故か上手くやれそうな気がした。誰かが後押ししてくれそうな。
「……じゃあ、辞めます。」
ボソッと僕は呟いた。上司には聞こえたようだ。顔がさらに紅潮する。もうマントヒヒも顔負けの赤さだ。
「何だと!?」
「……難聴ですか?耳鼻科に行ってはどうですか。」
無意識の内に上司を煽っていた。僕の失うものは仕事だけだ。どうでもなれ。僕はここで復唱する。毎朝の朝礼で言わされ、随分昔に覚えた文。
「志は地を越え、努力は海を覆う。結果は天にも届く。結果を求めて日進月歩で励みます。……もう良いです。こんな職場、辞めます。勝手に出て行きますから。」
上司の言葉は待たなかった。待ちたくも無い。自分の持ち物を手に取って、歩いてゆっくりと職場を後にした。上司の言葉は聞こえなかった。唖然としていたようだ。僕がここまで抵抗するとは思わなかったらしい。
職場を出て、エレベーターに乗った僕はそこで意識を失った。