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 揺れている。下から上へと。

 地震とかじゃなくて、もっと心地の好い優しい揺れ。

 宙に浮いた足が無抵抗のまま遊ばれ、時たま持ち直すようにして僕の身を支える腕が動く。────支える、腕?



「……ん、ぇ? 時政さん?」


「おう、起きたか」



 ぐずる瞼の中で眼球を動かして、薄らと開かれていった視界の先に黒いもんじゃり頭と旋毛が見えた。わぁ、面白い光景だ。どうやら僕はバイト先の上司兼雇い主である時政さんに負ぶられているらしかった。



「……僕、寝ちゃったんですか? かがりさんは?」


「かがりは先に帰った」


「そっか……挨拶しそびれちゃったな」



 まだはっきりとしない眠気に支配された頭で、どうにか周囲を見回す。森の中だ。真っ暗で、どことなく心がざわつく緑の中だ。────桜はなかった。



「あの、時政さん、すみません。もう下ろしてもらって大丈夫なので」


「別にいいよ。事務所に着いたら起こしてやるから、まだ寝てろ」


「でも、腕……」



 時政さんの肩に掛かっていた手を滑らせて、僕を背負うため筋肉の張った彼の腕をおそるおそると撫でる。なんてことだ、お花見用の小荷物も全部彼に任せちゃってるじゃないか。いくら時政さんが見た目に反した怪力の持ち主だとしても、そんなものは僕一人が楽をする理由にはならない。



「荷物、代わりますから! 病み上がりに無理しちゃダメですってば」


「あのなぁ……この程度の怪我をいつまで気にしてんだ? もう治った、て言っただろ。ああ、それから──お前の迷いなく人命救助活動ができるところは美点だが、もしまた同じようなことがあったとしても俺に関しては下手に救急車は呼ばなくていいからな」


「え?」



 暴れる僕を背で宥めながら淡々と続けられた言葉に、はてなんの事だろうと一瞬考え込む。救急車……ああ、そうだ。千代瀬さんの凶行を止めた夜とその朝方に、想像を遥かに超えて出血していた時政さんに驚いて、パニックのまま意固地な怪我人を無理やり救急車に詰め込んで近場の病院へと搬送してもらったんだった。

 当時を思い出すだけで今でも血の気が引いていく気がする。それくらい──おそろしかった。



「だ、だって、縫うほどの怪我だったんですよ? 時政さん、顔色真っ青で……ほんとうに、このまま死んじゃうんじゃないかって」


「ん。心配掛けて悪かったよ。怖い思いもさせた。──ごめんな」



 僕の訴えに、時政さんの声がやんわりと輪郭をとかして穏やかになる。



「感謝はしてるんだ。心から。結果的に助かったのも事実だ。ただ……俺の血はちとややこしくてな。そこらの病院では運ばれても輸血処置ができない可能性があるんだ」


「希少な血液型……てことですか?」


「……似たようなもんだ」



 含んで笑う時政さんに、ならばと追って続ける。



「でも、それじゃあ──それじゃあ、時政さんが怪我しちゃったら、僕はどうすればいいんですか。あんな、動けなくなるくらいの怪我をしたら」


「ちゃんと()()()()()()の為の医者がいるんだよ。──怪医ってやつが」



 ────〝怪医(ドクター)〟?

 時政さんの言葉に、すっかり眠気の失せた目をパチリと瞬かせる。

 あれ。どうしてだろう──時政さんがわざわざ口にするくらいなのだから、きっと所謂不可思議の一つなのだ。その怪医とやらは。

 そんなものに馴染みがある筈もないのに──僕はその名を知っている気がする。



「だからもう腕については気にすんな」


「……はい」



 時政さんの背の上でウゥンと首を傾げながらも、一先ずはと呑み込んで頷く。僕を支える彼の、件の腕を先の方までなぞって手の甲に触れる。指に触れる。爪がつるりと滑る。──────あ、



「? おい、ちゃんと両手で肩に掴まれ。落とすだろうが」


「あ、あの、時政さん──もしかして、手、ずっと繋いでくれてました?」


「──、」



 時政さんの靴底が闇に染まった砂利を巻き込んで地面を削る、その音がやけに耳についた。



「……なんでそんなこと聞くんだ?」


「それは……」



 眠気はとっくに覚めている。けれども、頭のどこかが未だ桜色の夢心地に酔っていた。

 土の匂いと酒とアカが薫り交じる奇妙な夢────そうだ。彼女のお花見に、僕は呼ばれたのだ。



「櫻さんが、優しくしてくれたんです。夢の中で。とても綺麗なヒトで……僕に、ここにずっと一緒にいよう、て言ってくれて。それで、手を──差し伸べてくれた」


「…………」


「でも、そのときには僕は〝誰か〟と手を繋いでいたから」



 だから、僕に彼女の手を取る隙間はなかった。嗚呼。



「やっぱり、時政さんだったんですね」



 ほう、と息をつく。たぶん、安堵だ。

 時政さんの手が僕を繋いでいた。ただそれだけの事実が、手招く桜色の夢から僕を救い上げてくれる。安心する。あなたの体温が僕に、僕の在るべき現実(せかい)を教えてくれる。

 安堵のまま身体から力を抜いて、彼のもじゃもじゃの髪に頬をすり寄せる。



「こわかったか?」


「え?」


「あの場所」



 どうやら、懐く僕がくすぐったかったらしい時政さんにわざとらしく腕を揺らされた。わぁッ、なんて声をひっくり返らせて、反動で遠慮なしに男の肩に首にとしがみつく。



「ええっと……こわくは、なかったですよ。櫻さんのことも。だけど僕は──一緒にいるなら、時政さんがいい」


「……そうかよ」



 またほんの少し揺すられて、「もう、そんな悪戯するくらいならさっさと下ろしてくださいよ」なんて憎まれ口を叩こうとして、やめた。

 時政さんの旋毛だけでなく、項までもが見えていたから。つまりは……時政さんは項垂れていた。



「と、時政さん? どうかしました?」


「どうもしねぇよ。かがりの説教が思いのほか痛いところに効いてるだけだ」



 えっ。愚直に驚愕する。──かがりさんって、時政さんに怒ったりできる人なんだ!?

 あれだけパシリ扱いされても従順だから、てっきり立場が弱いのかと……もしくは時政さんに弱みを握られてるとか。……はい、不肖忠行、お二人の清い友情を邪推していました。



「にしても、なぁ……そうなるか……」


「時政さん? いま何か言いました?」


「ん──あそこな、墓場なんだよ」


「は、」



 ぽろりと。まるで温度のない口調で。

 なんでもない事のように、彼は言った。



「墓、場?」


「そ。桜守一族の墓場」



 桜守の──?



「あの、でも……墓標なんて、どこにも」



 それだけじゃない。墓石もなければ、卒塔婆もなかった。そも、まともに舗装された道すらなかったのだ。

 ただ、平地に桜が咲いていた。それだけだ。だというのに。



「〝桜はどうして紅いんだ?〟」



 桜の下で問われた言葉を、再度、時政さんが紡ぐ。今度は呟きや囁きなんかではなくて、明確な意思の元に。ころんと舌の上で音を転がして、言の葉の形で遊ぶように。

 答えなら知っている。『そういう植物だから』だ。桜の花を赤くするのはアントシアニン。ただの天然色素。そう、問答遊びをする時政さんその人が教えてくれた。

 ──────()()()()()()()()()()


 彼女は人の血を啜って美し(アカ)くなる精霊だった。かがりさんの言葉を借りるならば()()桜だ。そして、『花見』とは己の在り方のままに美を求める彼女を鎮め、怪異を知らぬ一般人から被害を出さないよう時政さんのような人達が行う対策を指した。また、桜の居場所も桜守が案内しなければ辿り着けないようルール化されていた。

 ──だとすると。かの桜はとっくに〝異常性〟を失っていなければならないのではないか。化け桜の所以たる『食事』が出来ないのだから。

 けれども、桜は今この時も悠々と花弁を散らし切ることなく咲き続けている。つまりそれは、『食事』を今現在も続けられている事実を浮き彫りにする。

 ならば、その血は──桜守に護られ管理される彼女が喰らうのは────




()()()()()()()()()()()()()()()()()




「……ときまささん」


「桜守の男は生まれた瞬間から血による祝福(のろい)を受ける。『自身の守る桜がこの世の何よりも愛おしく感じる』というな。勿論、現実的に家庭を持つことだってできるにはできるが──現に、今に至っても桜守の血は途絶えていない──妻や我が子よりも、己の命よりも櫻が大切なんだと。そりゃもう比べ物にならないくらい。愛情の矛先は一貫している。そして、死期を悟ると皆等しく櫻の元へと向かうらしい。……ま、古今東西、愛する女と心中ってのは男の浪漫だからな。生憎と女の方は不死身だが」



 街灯がバチリと火花を散らした。

 音があった。光があった。地面は踏みならされたアスファルトだった。



「方法は様々だが、一番ポピュラーなのが首吊りだ。櫻の(くび)に縄を掛け、愛を持って命を差し出す。桜守の最期はそれはそれは幸せそうな顔をしているらしい。で、桜守の男が消えた時は桜の元に()るとわかってるから、一族の男共は敬意を持ってその下に屍体を埋めるわけだ」



 夢を見た。土の匂いと酒とアカが薫り交じる夜だった。月光に照らされた桜に抱かれるようにしてゆらゆら揺れる影があった。

 桜色の悪夢だった。

 とどのつまり、花見客は僕だけではなかったのだ。僕達だけではなかったのだ。僕等が酒に花に月明かりに酔いしれ歓談していたその下には──数多の男の屍体が埋まっていたのだ。



「……それで、いいんですか、桜守さんは。そんなふうに、はじめから死に方を決められていて」



 ぽつりとこぼれた声は、静かな路上に余韻を残して消えていく。



「それが『桜守』の生きる意味だ。彼等なりの究極の幸福ってやつなんだろうさ。そのひとにとって何が幸せの条件かは、そのひとにしかわからない。憎しみも、悲しみも、祈りも──他人に理解しきることはできない。せいぜいが想像止まりだ」



 人工のにおいがする夜風が時政さんの髪を掬って僕の頬を撫でる。

〝そのひとにとって何が幸せの条件かは、そのひとにしかわからない〟──どれほど異質に見えようとも、それがその人の望む形なのかも知れない。どんなに歪でも、型に嵌まればその人にとってはこの上なく完璧で正解なのかも知れない。


 ──ああ、だから。

 気付いた。時政さんが推理の際、動機/〝ホワイダニット〟に重きを置かない理由に。

 無論、動機を蔑ろにしているわけではない。現場証拠から推論を立てていく際、アプローチのひとつとして常に視野には置かれている。だけれど。

 ──他人に、犯行に至る者の真なる心情なんて測りきれはしない。

 だから、現場に残された残り香から手段/〝ハウダニット〟だけを形取り、目的だけを追うのだ、この探偵は。


 時政さんは死者の代弁はしても、理解者の顔はしない。哀れまない。否定しない。──ただ、(いか)る。理不尽を。誠心誠意、感情を乗せて。


 そんな時政さんだから、僕は。



「ねえ、時政さん。──やっぱり、こわくなんてないですよ。時政さんがこうして、手を握っていてくれるなら。だから────僕を、手放さないでくださいね」



 内緒話ぶって、実は人工的なパーマネントウエーブだと判明したうねる髪を鼻で掻き分けて彼の耳元に囁いた。存外、心細げに甘えた声になってしまって、時政さんが喉の奥で笑った音が聞こえた。



「いいから寝てろ。……ちゃんと起こしてやるから」



 トン、と背を揺らした時政さんの振動が、鼓動が、温度が、優しく僕を眠りにいざなう。

 トン、トン。

 地震とかじゃなくて、もっと心地の好い優しい揺れ。宙に浮いた足が無抵抗のまま遊ばれ、時たま持ち直すようにして僕の身を支える腕が動く。


 トン、トン。


 トン、トン。


 瞳を完全に閉じきった頃、瞼の裏に桜色の女が誰かの手を取ってわらっているのがみえた。



 後日。

 いつかで案内役を買って出てくれた桜守さんが自殺した旨の訃報が時政さんの元へと届いた。



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