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 それから数メートルも進まないうちに桜守さんは立ち止まった。どうやら幾分か空けた場所に出たようだ。はたしてここが目的地なのだろうか。はて……と大きく周囲を見回すが、すべては緑色の闇のままだ。桜は見当たらない。

 どういうことなのだと隣りの時政さんを見上げれば、今度こそ時政さんは僕と目を合わせてどことなく挑発的に笑んだ。



「さぁて、新人のお披露目といこうか。──魅入られんなよ」



 こんな時ばかり、ヒトでないみたいに綺麗な顔が一点を見つめて美しく凄む。つられて、同じ方向へと視線を向けたそこには。




「────さくらだ」




 空けた木々の先、それは鮮やかだった。美しかった。神々しかった。息を呑むくらいに。息を忘れるくらいに。

 色が。紅が。白が。緑が。薫りが。花が。一片が。────舞う。

 華やかでいて繊細。大胆にあって可憐。大樹であり慎ましやか。日本人の心を遥か昔からとらえて離さない夢見草。

 夜風が桃の花弁を乗せて僕の頬を撫でる。月光が樹の元までごらんと紅の絨毯を示す。


 なんてきれいなんだろう。もっと見たいな。近くで。なによりも、近く──近く────うつくしいあなたに、触れたい。



「はい、ストップ」



 覚束無い足を花弁の絨毯に乗せ、踏み出したところで、後ろからよく知る腕に抱き止められた。



「時政さん……」


「さっそく引き込まれてんじゃねぇか。魅入られんな、て言っただろ」



 僕の身を包む腕にやんわりと力が入る。あれ、いつの間に手が離れたんだろうと不思議に思う。あなたと手を、繋いでいた筈なのに。

 自分の掌と時政さんの腕とを見比べ首を傾げていると、ふと晒した首筋に彼の息遣いを感じた。思わぬ他人の熱にどきりと心臓が跳ねて、それから、ああ、()()()()生きている──そう思った。



「仲がよろしいですね」



 桜の木の向こうで桜守さんがぼんやり笑う。微笑ましいものを見るような──あるいは()()()ような、そんな目で。それがどういう感情から来るものなのか、僕にはわかりそうにない。

 桜を挟んで──ああいや、桜に覆い隠されるようにして桜と共にある桜守さんはどこまでも自然体で不気味だった。()()()()()()()()()不気味だった。



「それでは、案内も済みましたので私はこの辺りで失礼します。あとはお若い方々にお任せしますね。──櫻さんをよろしくお願いします」



 そして桜守さんは会釈程度に礼を残すと、柔和な微笑みのままさらなる闇の中へと消えてしまった。この場に在る生命は僕と時政さんと桜のみとなった。

 不安が血流を辿って脈動する。だけど、心細くはない。時政さんが傍に居るのなら。



「桜守から許可も出たし──それじゃあ〝お花見〟しましょーかね」



 しゃく。折り重なる紅の絨毯を踏み締めて、時政さんに導かれるようにしてとうとう華々しい大樹の前へと立つ。

 見れば見るほど立派で明媚な桜だ。樹齢千年はとっくに越えているのではないだろうか。鮮やかすぎる紅は、僕の知る限りどの桜の種類にも当て嵌まらないように思う。



「よくこんな大きな桜、今まで見付かりませんでしたね」


「桜守が案内しねぇと辿り着けない場所だからな、ここは。あとは──桜自身が呼び寄せた場合か」


「桜、自身」



 彼の言い方では、まるで桜そのものに意思があるかのようだ。──そう、なのかな。そうかもしれない。こんなにも、生命力に溢れているのだから。

 時政さんが樹の根の近くに腰を下ろすのに倣って、持ち込んだ150cmサイズのレジャーシートを広げる。とりあえずと即興で仕込んだお弁当──時政さんのリクエストに従い、ツマミ用に味の濃い小料理中心だ──を並べる。割り箸二膳に紙皿幾枚。手拭きにゴミ袋。あとは、それなりの飲み物があれば花見としての体裁は取れるだろうか。

 はたして時政さんの手荷物はいつ開かれるのだろうと横目で彼を見る。まだあまり負傷した手に重い物は持ってほしくないので、代われないものだろうかと道中から気になっていたのだ。



「こんな季節に咲く桜がただの桜なわけないだろ。狂い咲きだってもう少し時期を選ぶさ。──こいつはな、年中ここで咲いてるんだ」


「年中?」



 ふわり。花弁が僕達の上に降って落ちてくる。



「そ。好きなときに好きなように。自分の磨きに磨いた美貌を見てもらう為に」



 ああ──花と月桂が混ざり合う様を見上げ、頷く。それは、わかる気がする。

 そのまま、淡い光を背負いひらりひらりと降りゆく紅を目で追って、ちくわの磯辺揚げに彩りを添えてくれた花弁を指でつまんで吹いて払う。

 だって花なのだから。花は愛でるもので、愛でられる為に咲く。お花見ってそういうものだ。──そうでしょう?

 僕が気まぐれに吹き足した伊吹に乗ってくるりと舞う桃色は、子供がドレスを纏って楽しそうに踊っているみたいだった。



「──()()()()()()()()()()?」



 ふと。それは問いと云うよりも独り言じみた囁きだった。──さわっと。紅が揺れた気がした。

 向かいに座る時政さんを見上げる。覆い被さるみたいに枝を垂らした桜が時政さんの背後にうつる。

 紅に──僕達は囲われている。



「え……と」



 訥々と言い淀んで、だけども気の利いた言い回しなんて思い付くわけもなくて、結局夏休みの宿題に悩む子供のような実直さで答えてしまう。



「そういう、植物だから?」


「その通り」



 僕の間抜けな回答を躊躇いなく肯定した時政さんは、そのままふざけ半分に続けた。桜とは、バラ科サクラ亜科サクラ属の植物であり、アントシアニンによってピンク色に発色することを特徴とし、また日本人の精神性を象徴するものとして事実上国花の扱いを受けるうんたらかんたらなんとやら。相変わらずの生き字引っぷりと雑学オタクっぷりに僕も吹き出す。そして束の間──会話は途切れる。



「時政さん、この桜は……」


「聞いたことねぇか? ──『桜の樹の下には屍体が埋まっている!』」


「────」



 思わず口を閉ざした。身振り手振りまで添えて、やけに演技がかった口調で告げる時政さんの周りを赤が埋める。呼応しているみたいだ。



「ある小説の有名な一文だよ。書き出しからこれなんだ、インパクトあるよな」



 世間話の一つであるかのようにカラカラと笑う時政さんに、どこか喉の渇きを覚えながら僕もぽつんと答える。



「迷信……ですよね」


「ああ。迷信だよ。──ただの桜であれぱ」



 ただの桜。ありふれた樹。ごく普通の木。────では、この桜は?

 目の前で凛然と咲き誇るこの大樹ははたして『普通』であるのか。──まさか。なにが普通なものか。見せ付けんばかりの圧倒的迫力美すらも異形たる所以。

 ヒラリと花弁が掌の中に吸い込まれる。ヒラリ。ヒラリ。薄紅の花弁が。──紅い花が。赤、が。




「なんで、こんなにアカいんだろうなァ」




 ────()()

 一瞬、どうにも誤魔化せない悪寒が走った気がして、慌てて肩に乗る花弁を払い落とした。肩だけじゃない。髪にも、足元にも、噎せ返るような紅があった。ひとつひとつをバカ丁寧にふるい落とす手は微かに震えていた。

 だって。迷信が真実ならば、この色は。



「クックッ、すげぇ慌てよう」


「だ、だって……っ」


「だいじょーぶだよ。その為に『俺達』がいる」


「あ……」



 そうか。そうだ。──ハッとする。

 この男も凡そ『普通』ではない。普通でないものには、普通でないものの扱い方がわかるのかもしれない。桜が時政さんに呼応している──そう感じた感覚は、おそらく錯覚だけではない。

 時政さんが立ち上がり、悠然と幹に手を着く。そのまま花吹雪の向こうに攫われてしまいそうな気がして、ヒュッと心臓が嫌な音を立てる。



「と、時政さんっ」


「この桜は『女』なんだよ。強欲で己の美しさに酔う女。同時に儚い美を誇る女。だから、美しさを磨く為ならばどんな手段も厭わない」



 美に溺れた強欲な女──しかし傲慢なだけではない。否応なく頷かせる暴力的な説得力がそこにはある。



「綺麗でありたい。いつまでも咲いていたい。自分の姿を目に入れ、美しさを認めてほしい。そんな貪欲な想いが、こいつをここまで育て上げたんだろうな」



 る──と年季の刻まれた幹に触れる時政さんの手つきは、我が子を慈しむようにも、或いは情を交わす女へ愛撫を施すもののようにも見えた。僕には到底介入できない情が〝二人〟にはある──そう思えた。



「だから桜守以外の『俺達』のような人間がこうして年に一度、花見を開いてこいつの気を鎮めるんだ。無差別に男を誘って紅に摂り込んじまわないように」



 時政さんに呼応してぐう、と広がる花のさざめきは悦びだった。彼女の笑い声だった。そうして、理解する。これは男女の密やかな逢瀬なのだと。



「……桜守さんは大丈夫なんですか?〝このひと〟と一緒にいて」


「ああ。──()()



 ──今は?



「さ、お前もこっちにこい。大丈夫だから」


「……はい」



 時政さんが問題ないと判断したのだから危険はない──そう、頭ではわかっていても未知に対する心の恐怖を早々に拭い去ることはできない。なので、おそるおそるとまずは時政さんの袖を取ってみる。すると、やはり目に入る片脇の小包。ううん、気になる。



「なにするんですか? 千代瀬さんの時みたいな……お、お祓い、とか?」


「こんなバケモノ、容易に祓えるかよ。今回の目的は祓魔じゃない。こいつが美容の為の『食事』に走らないよう、俺達で満足させてやらなくちゃならないんだ」



 して、ついに包みは開かれた。成程、見た目からして重量感がある筈だ。包みから現れたのは、たっぷりと中身の詰まった一升瓶だった。

 そうだ、これ、花見なんだものね。この為に僕だって小料理を幾らか作らされたわけだし。



「日本酒ですか?」


「そ。御神酒だ」


「おみき?」



 聞き慣れない単語に、ラベルも何もない素っ裸の瓶を右から左から矯めつ眇めつすれば、彼はそれを取って口を桜の根元へと傾けた。濁りのない清酒が消えるように根へ地へ染み渡る。それを、ほう──と感嘆と共に見届ける。



「神の酒、と書いて御神酒。神棚とかに供えられてるやつだ。神に供え終わった酒には神様が飲んだっつーことで霊力が備わっている。だから二本用意して一本は神社へ。もう一本を晴れの日や清めとして飲んだり使ったりするんだ。だから──云ってしまえばこの桜は妖魔からとうとう精霊に昇華した傑物だ。アンタは特別だって……こうして良い酒貢いで示してやるのさ」



 見る間に瓶の中身を半分ほど桜が飲み干し、残った半分を気軽に僕へと放って寄越す時政さんに飛び上がる。神様が食した後の酒だという語りなのになんてものをなんて軽々しく扱うのだと、不遜な彼に代わって恭しく両手で受け取りながらレジャーシート上の比較的平らな部分へと置く。

 ああ、もう、時政さんってほんと真面目なんだか不謹慎なんだかわからない──って!



「ちょっと時政さん、なにお猪口ふたつも出してるんですか! 僕、未成年ですからね、飲めませんからね!?」



 御神酒のお世話に夢中になっている間に、彼が至極当然と包みから追加して取り出したそれに今度こそとんでもないと声を張り上げた。

 やっぱりこの人、常識的なんだか非常識なんだかもわからないー!!



「んあ? なんだお前、知らねーのか? 御神酒は法治圏外だぜ?」


「え、そうなんですか……? だ、だとしてもです! 明日も学校なのにお酒なんて飲めるわけないじゃないですか!」


「ん……ま、そうか。じゃ、しゃーねぇな」



 僕が示す断固拒否の姿勢に案外あっさりと引き下がった時政さんは、片手をお馴染みのジャージのポケットへと仕舞いこむと立ち上がった。やや四角形に膨らんでいる様子が見えるので、ポケットの中にある物はおそらく財布だ。そして、急になんだなんだと僕が間抜けに見惚けている間にもその足は暗闇に向けて歩き始めていた。えっ。えっ……?



「時政さん?」


「コンビニでてきとーにお子様用のジュースでも買ってきてやるよ。桜守が作った道なら今夜いっぱいは持つだろ。とりあえずお前はそこで櫻と待ってろ」


「待つ、て……お酒飲むのは時政さんだけじゃだめなんですかっ?」


「だーめ。花見はみんな飲み食い騒いでなんぼだろ。お前だけ蚊帳の外なんてのは俺も櫻も喜びません。てことでおとなしく美人なオネーサンと一緒にお留守番してなさい」


「えっ」



 ああ、無情。まだ一口も飲んでないくせに酔ってるみたいなふざけた態度で、酒瓶やらお猪口やらを置いたまま止める間もなく闇の中へと姿を消した時政さんに、伸ばした腕の置き所を失って僕は唖然と震えた。



 こ──こんなところで初心者を一人にしないでよ、バカぁッ!!



※現代では御神酒も飲酒扱いなので未成年は飲んじゃ駄目です。神事では口を付けるフリだけして大人に渡しましょうね。


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