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「ゎ、わ、わっ────わひゃぁ!?」



 ズザーッだとか、ドシャアだとか。この世の終わりみたいに目が回って世界が眩んだ。着地地点にあったらしい水溜まりが土塊を巻き込みながら盛大に跳ねてめちゃくちゃになる。だけど地面よりももっとめちゃくちゃなのは僕自身だ。元々、ここ最近の長雨で乾く間もなくぬかるんでいた土は容赦なく制服を泥浸しにしたし、着地に失敗した所為で口の中にまで砂利が飛び込んできた。ついでに舌も噛んだのかどことなく血の味がした。

 ほんのちょっと大人ぶって、見栄を張った子供達の前でなんて失態だろう。泣きそうだ。しかし、こればかりは意地なのだ。なけなしのプライドだ。僕にだってそれくらいの矜恃はある。だから、本当は恥ずかしくて堪らない顔を懸命に笑いに変えて、なんでもないみたいに身を起こす。幸い、顔の泥のほうは追加の雨が瞬く間に流してくれたみたいだし。



「えっと……これはつまり、失敗ってことかな。あはは────あれ?」



 どうにか口角を引き上げながら左右をぐるりと見渡した先、レインコートの子供達の姿はどこにもなかった。あれぇ……もう帰っちゃったのかな。まぁ、それが目的だったんだから別に構わないけど。奇しくもいい年してブランコからひっくり返る高校生の名誉は守られたわけだ。

 とはいえ、結果を見届けることなくさっさと解散しちゃうなんて、最近の子は薄情だなぁ。と大人げなく肩を落とす。



「よいしょ……ん?」



 止まない雨ですっかり重くなってしまった睫毛を押し上げると、なにやら視界の端に引っ掛かるものがあった。──傘だ。ブランコに乗る手前で手放した筈の傘が、どうしてか我が物顔で僕の手の中へと戻っていた。

 あれ、れ? ……僕、傘を持ったまま漕いだりしたっけ?



「──……まあ、いっか」



 違和感は違和感となる前に断ち消えて、立ち上がった。もうここまで汚れてしまえば恐れるものはないと大きく伸びをしてから、ブランコの側に置いておいたスクールバッグを肩へと戻す。応急処置程度に再び傘を開き公園を後にする。

 とんだ道草を食ってしまった。早く帰らないと。まずいの一番に制服を乾かさなくちゃだし(ブラシで泥が落ちなければ最悪はクリーニングだ……)、梅雨の鬱憤を晴らす為に昨日から仕込んでおいた甘辛ダレしみしみのブロック肉が、今か今かと冷蔵庫の中で僕を待っているのだから。
































 雨だ。昨日も一昨日も雨だったので、当然今日も雨だ。いい加減、おはよう、と交わすクラスメイト達のやり取りにも覇気がなくなっている。梅雨に伴いそこかしこで無気力ナメクジ人間が大量発生だ。

 だけども、実のところそれもあと数日の辛抱にまで迫っていた。と、いうのも、ついにお馴染みのお天気お姉さんが全国的梅雨明け予報を発表したのだから。



「倉橋ーぃ、梅雨終わったら放課後に校庭でドッジしようぜ、ドッジ」


「ガキかよ。せめて体育の時間にしろよな」


「わぁ、いいなあ、それ。私もやりたい」


「いやゴトーちゃんはダメでしょ。ぜったいダメ。ゴトーちゃんにボールとかぶつけらんない」


「ええー」



 佐竹と後藤さんのなんとも脱力を誘うゆるゆるとした会話に、フスッと笑いが鼻から抜けていく。こういうの、いいなぁ、と沁々する。これも所謂青春の1ページってやつなのだろう。兄ちゃんが聞けば笑っちゃうようなものだけど。……時政さんも、仕方ないなって顔で笑うかな。僕、けっこうあの人のそういう顔、好きなんだよな。



「──どうしたの? 倉橋くん」


「え?」


「今、なんだかいい顔してた」



 ふと、気が付けば後藤さんも佐竹も二人して僕の顔をジィと覗き込んでいるものだから、心が迂闊に跳ね上がった。なんでもないよ──そう、訳もなく濁してから、代わりについさっきまで微睡むみたいに浸っていた心地良さの正体について明かしてみる。



「なんか、友達っていいなと思って」


「「…………」」



 点、と。もしかすると親友と呼んでも差し支えないくらいには友情を育んでいるつもりの男女二人の目が丸になった。



「ちょっとちょっと、ヤァダ、忠行ちゃんったら! 急に恥ずかしいこと言っちゃって、コイツめ!」


「うわっ──なんだよ! 別に恥ずかしいことじゃないだろ!」


「そうだよねぇ、ふふ。良いことだよねぇ」


「たまにゴトーちゃんがする、その、倉橋の保護者ですみたいな顔はなんなのよ」


「え? そう見える? 私、倉橋くんの保護者面してる?」


「いや知らんけど。なんで嬉しそうなのこの人。ゴトーちゃんわからん……まじでわからん……天然かわいい」



 結局どうあっても漫才染みてしまう二人に声を上げて笑う。もうじきホームルームの時間だっていうのに、話題が尽きなくてたった数十分が名残惜しくて堪らなくなる。この二人となら、梅雨の憂鬱だって雨雲の向こうにまで吹き飛ばせそうだ。



「梅雨が明けたらさ、ドッジはともかく初夏なんだから外で遊びたくなる気持ちはわかるよ。なんだっけ……お化けブランコがある公園にももう一度行ってみたいし」


「あれ、倉橋あそこ行ったのか?」


「あ、うん。この間たまたま。異世界には行けなかったけどね」


「あー、それって、雨降ってる頃に? じゃ、ダメだな」



 ちょっとした冗談のつもりで添えた異世界の単語に、これまた訳知り顔で当然と失敗を断じた佐竹に「おや?」と首を傾げる。それに、佐竹と出身を同じくするキタサカ女子の後藤さんがやっぱり訳知り顔で続く。



「そういえばこの間は説明が中途半端だったもんね。あのね、お化けブランコチャレンジを成功させるには条件があるらしいんだ」



 そして、後藤さんはいつかと同じく軽やかに語った。

 いわく、そのブランコを使う者は三人目でなくてはならない。いわく、誰にも転移の瞬間を目撃されてはならない。いわく、飛んだ先に太陽を写した水溜まりがなくてはならない。いわく、両足を揃えて水溜まりを踏みつけなくてはならない────



「……それって、つまりお化けブランコで異世界に行くのって、実はめちゃくちゃ運頼りなんじゃないか!」


「そうそう。ただの運試しだし、度胸試しだよ」



 ここだけの秘密だと声を潜めて楽しげに少女が締めくくるのと同時に、島と交代して五月の終わりから担任を務めている元副担任が今日も景気の悪そうな顔を不健康に引っさげながら入室した。ホームルーム開始だ。残念、友人との朝の団欒はここまでだ。

 パタパタと各自の席へクラスメイト達が戻る中、ふと佐竹が僕の耳に置き土産を残した。でもさ、倉橋──そう、後藤さんよりも一層声を潜ませて。



「ほんとに異世界に行けちゃったらどうする? そこが──お前の理想の世界だったりしたら」



 チャイムの音。委員長の号令。どことなく弱々しい声で並べられる元副担任の連絡事項。長閑とも退屈とも云えるごく当たり前の日常。

 佐竹はとっくに自分の席へと着席している。周囲は勝手気ままに一時間目の教科の準備を机に並べ始める。満ちゆく生活音と混沌。ありふれた光景。

 ──きっとこれは雑多な平穏に埋もれてどこにも届かないものだ。けれど。


 僕は答えた。





「帰ってくるよ、絶対に。……たぶん、梅雨が明ける前にね」



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