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◆りわお



     「 め よ に さ か さ 」




























 梅雨を風流だなんだと楽しめる時代はとっくの昔に廃退した──そうごちりたくなる六月も終わりの今日この頃だ。

 昨日は雨。一昨日も雨。そして明日も明後日も雨と、梅雨ってやつは実にしつこくて迷惑で専横跋扈極りない日本四季一番の嫌われもの……というのは少々、私怨的恨み節が強すぎるかもしれないが、三日続けて朝夕豪雨に苛まれ続ければ誰だって文句の一つも言いたくなる。なにより、衣類にしろ布団にしろ天日干しが出来ない鬱憤は、じんわりどんよりとカビを繁殖させる湿気の如く僕をいじけさせた。どうしてちゃんと乾かした筈なのに室内干しだと生乾きのままな錯覚に陥るのだろう。ううん……このシャツ、また洗いたくなってきたな。



「そろそろ初夏だってのにさぁ」



 呟けば、机にへばりつくナメクジと化していた佐竹が同意だとばかりに明るい髪色を上下させる。女子から頭の出来はもとかく顔はアタリと持て囃される彼の目は現在、生気を失い茶色く濁っている。なお、色味が茶色なのは元からである。

 まぁ、別に、それはいいんだけどさ。……そこ、僕の席だよ佐竹。



「むしろ夏に入るってのもあって、暑いわベタつくわで今が一番最悪じゃね」


「わかるーそれなー」



「わかるー」と「それなー」が口癖のクラスメイト・浅川の口調を真似ながら相槌を打てば、どうやらナメクジを宿した友人にこの即席モノマネは無事に伝わったようで、奴は額を机上に当て熱冷まし代わりにしながら笑っていた。ナメクジからうごめく芋虫に進化した友に僕もニッとしてみせる。それから──それだけだ。これ等の会話に最初から中身などは無いのだから、当然続く話題だってどこにも無いのだ。あるのは退屈な間だけ。それが思いのほか心地好い。

 のんべんだらりと、雨の中傘を差して帰宅せねばならない億劫さから目を背けて駄弁る。だって今日はバイトは無いし、買い物は昨日のうちに済ませたし、ちょっとでも雨足が弱まった頃に動きたいし。

 放課後の教室を見渡す。部活や委員会に向かった生徒を除いても明らかに春先より居残る人が多いのは、きっとそういうことだ。そういうことだから、頼むぞ雨雲よ。



「さすがにこうも雨続きじゃ、お化けブランコチャレンジだってできねぇよ」



 挙動が無気力なナメクジへと逆戻った友人・佐竹がふとそんな不思議な言葉を口にしたものだから、なんだって? と彼へ首を傾げてみせた。うーん、と伸びをした無気力ナメクジは続ける。



「昔遊んでた公園のさ、ブランコの一つがそう呼ばれてたんだよ。四つ横に並んでる座椅子の中でソイツだけが異様に古臭いっていうか、ひときわ錆びついてて明らか仲間ハズレってかんじで。ぶっちゃけ不気味なもんだから噂作られ放題」


「それで、ついた名前が〝お化けブランコ〟?」


「そそ。風もないのにソイツが独りでに揺れてるところ見た奴がいるとか、ソコを朝から三番目に使った奴は呪われるとか。色々言われてたなぁ。んで、一番有名な噂が──」


「あれ、佐竹くんってもしかしてその辺りに住んでるの? それ、お化けブランコの話でしょ? 懐かしいね」



 ごく自然に男達の雑談へと介入した声は少女のものだった。佐竹の脱色にカラーリングを重ねることで強制的に色を変えた明るい茶髪とは違い、生まれ持っての素材だと証明されているキャラメルブラウンが彼女の首の動きに合わせてレースカーテンの如く揺れる。四月入学から六月終わりの今日この時までに、すっかりクラスのマドンナ的立ち位置を獲得した少女──後藤さんだ。

 とはいえ、控え目でありながらさっぱりとした性格の後藤さん本人にはその手の顕示欲は皆無であるようで、要は彼女に断りなく勝手にマドンナと祭り上げているのは鼻の下を間抜けに伸ばした男子生徒達だ。たとえば隣の佐竹とか。後藤さんとしてはもしかするとそんな評価は気にも留めていないかもしれない。

 しかしかなしいかな。佐竹のことを僕はバカにできない。淡やかな憧れをこの美しく聡明な少女に抱いていないとは──僕としても言えそうにない。

 男子の浮ついた男心を意図なく掌握する少女は、今日も完璧に微笑む。図書委員会の放課後活動から戻ってきたのだと言う彼女が、僕の前の席へと腰掛ける。無論、本来の使用者が下校していることを確認した上でだ。



「ゴトーちゃん、あのブランコのこと知ってんの? ──あっ、もしかしてキタサカ出身?」


「中学は別だけどね。小学校はみんなと同じキタサカだよ。佐竹くんもキタサカだよね」


「そーだけど……ウッソ、マジで? キタサカにゴトーちゃんみたいな子、いたっけ?」


「あの頃は私、かなり雰囲気ちがったから」



 ──えーと。ちょっと待って。

 どうやら身内ネタらしきもので瞬発的に盛り上がる二人におそるおそるとストップをかける。僕にはわからない略称で通じ合う様はなるほど、二人から地元民らしい暗黙の結束が伺える。



「まず、そのキタサカってなに?」


「あ、ごめんね、倉橋くんにはわからないか。北境小学校のことだよ。この街の子供は大体があそこに通うんじゃないかな」


「近くには中学校もあるぜ。俺はそこ出身。ゴトーちゃんはちがうんだっけ」


「うん。中学は私立だったから、一度ここを離れたの」


「あー、それっぽい! お嬢様学校とか通ってそーだもん、ゴトーちゃん」


「えー、そうかなぁ」



 雨の音に混ざるクスクスとした軽やかな男女の笑い声に「へえ」とどうにも気の抜けた相槌を打つ。

 北境(きたさかい)──現在僕が暮らしているマンションだったり、この檜垣高校だったり、そして佐竹の自宅がある一帯の地域を北境町という。僕は高校進学に合わせて別町から北境町に引っ越してきたクチだが、二人は話の流れからしてどうやら北境町育ちであるらしい。

 なにかが違えば、目の前の二人は幼馴染みのような関係になっていたのかもしれない──そう思うとほんのり疎外感を覚えるが、今この時の三人の友情に間違いはない。なので曖昧に微笑んでみせる。



「えっと、ごめんね。私が二人の話を脱線させちゃったね。──〝お化けブランコ〟の話、だったよね」



 やんわりと話題修整をはかった後藤さんは、そして語った。お化けブランコについて最も有名な噂は──『異世界に行ける』というものであると。



「異世界に? どうやって?」


「飛ぶんだよ。ブランコをこいだ先の、一番高いところで」


「ようは度胸試しってこと。今思えば危ないことしてたなぁ。そりゃ、大人に見付かったら怒られるよね」


「あー、うんうん。怒られた怒られた。たまたま通りすがった変な作業着のオッサンに『コラー! 危ないだろー!』て」


「佐竹くん、やっぱりチャレンジしたことあるんだ?」


「やらねば漢じゃなかろうて!」



 ふざけた口調で拳を握る佐竹に、まったくコイツは……とわざとらしく肩を落とす。後藤さんも押し殺すみたいにして楚々と笑っている。可憐だ。

 そうこうしているうちに教室に残るクラスメイトの数も少なくなってきた。雨足はいっこうに緩まないけれど、そろそろ僕も帰宅しなくては。



「それじゃあ、また明日」



 バイバーイ! なんてほのぼのとした複数の声を背にじめっとした廊下を歩く。上靴からローファーへと履き替えて、朝に受けた水滴を残したままの傘を開く。学校から最寄りの北境駅までは徒歩十分も掛からず、そこから電車で隣駅へ。ホームを出てしまえば、僕が借りるマンションまで残り徒歩十五分ほどだ。

 普段ならばトータル三十分もしない帰宅コースだが、しかしこの日に限っては違った。



「えっ、運転見合わせ!?」



 定期券を握り締めながら北境駅の電光掲示板を見上げた僕は呆然とした。ダイヤの乱れによる運転見合わせを示したそれは、もはや歩いて帰った方が早いくらいに大胆な延滞っぷりを見せていた。……ああ、もう、ツイてない。

 がっくりと気落ちしながら再び傘を開く。パシャンッ。水溜まりのなり損ないをローファーで踏み付けながら駅を後にする。絶好調の雨雲をこれでもかとぎゅうっと睨んでみる。


 ──こうして、僕の、梅雨を全身全霊で味わう憂鬱な雨旅が始まった。




 ◆◆◆




 ()()()────一目見て、直感的に至った。



 佐竹が話していた『お化けブランコ』は、あれだ。



「……ねえ、君たち」



 電車での帰宅を諦め数十分歩いた先、僕は見知らぬ公園を前に思わず足を止めていた。こんな雨の中だっていうのに、小さな背丈のレインコートが児童公園をカラフルに彩っていたのだから。

 一つだけ殊更錆び付いたブランコを前に、ワイワイと話し合っていた彼ら彼女らが僕の声に反応して振り返る。



「親御さんはどうしたの? 雨、止まないだろうし、このままだと風邪引くよ。今日はもう帰ったら?」


「「「…………」」」


「えっと、通り掛かりに余計なお世話かもしれないけど……」



 ジィ──五人程の子供達が一心に部外者を見る。あんまりにも真っ直ぐな眼差しに、どこか心がひやりとする。うちの一人が片足を押し進めて僕を見上げる。



「でも、まだ今日の分を飛んでないから」


「……それって、お化けブランコのこと?」


「うん」


「ブランコをこいで、一番高いところまで上がったら飛び降りるってやつだよね?」


「そうだよ。おにいさんもやったことある?」


「僕はないけど……それって雨の日でもやらなくちゃいけないの?」


「雨だからやるんだよ」



 そうなんだ……。はっきりした物言いの少年の言い分にとりあえずと頷いて、さてどうしたものかと頭を悩ませる。

 不思議な気迫を持つ子供達だった。少年も、少女も、誰一人と僕の説得を聞いてくれそうな雰囲気はなかった。彼等の表情は、遊びというよりも義務じみてさえいた。

 これは、本当に余計なお世話をしてしまったのかもしれない──目の前の少年に気圧されて、ほんのちょっと心が挫けかける。



「それじゃあ、さ────僕が代わりに飛んでみてもいいかな? それで、今日の分はチャラにしようよ」



 ──今にして思えば。



 みんなで仲良く目配せをした子供たちがニッコリと愛らしく笑う。

 いいよ!──声を揃えて、小さな手が僕をブランコへと導く。

 傘を閉じたと同時に、キィ、とたったひとつ仲間ハズレの椅子が揺れる。

 雨が僕の身を打つ。景色がけぶる。



 今にして思えば。




 ──この子たちは〝帰りたかったのかもしれない〟。




 そして僕は、鏡を踏み付けた。


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