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時刻探偵事務所へようこそ!  作者: 椎名
神のいない山
28/46

◆事件


 時計の針が零時を回った頃。僕達は息を潜めながら美岬館のロビーにて待機していた。最低限の明かりしかない館内は、客は勿論のこと控えの人間以外の従業員も皆就寝に就いている為、昼間の賑わいが嘘のように静まり返っている。

 そこに、二人。日中に惰眠を貪りたっぷり寝溜めしておいたおかげか、キンと冴えた目で()()────



「……そのう、時政さん、本当に美岬館の人に言わなくて良かったんですか? こんなの、見付かったら僕らが不審者扱いですよ。せめて女将さんにだけでも今日のこと言っておいた方が……」



 限りなく小さな吐息のような声で隣の時政さんへと話し掛ける。こんな夜中にコソコソ館内を徘徊していては、誰に通報されてもおかしくはない。ただでさえ現在の美岬館は原因不明の苦情によりピリピリしているのだ。あまり刺激したくないのが本音だ。……特に僕は、プライベートルーム侵入の前科があるのだし。



「大丈夫だ。ここに泊まってから毎夜見張っていたが注意を受けた事はない。大方、女将が事前に根回しをしていてくれたんだろう。そも、俺達には調査っつー立派な大義名分があるからな」



 力強く答える時政さんの言葉にドキリと心臓が跳ねた。──毎夜、だって? 僕がのんきに眠る間、時政さんは毎日、寝ずに夜通し見張りをしていたっていうのか?


 ──ずっとぐうたら寝てるだけのくせに!


 理不尽に責め立てた己の言葉が返ってくる。罪悪感という名の刃が深く胸に刺さる。

 ──なにもしてなかったのは僕のほうだ。凡人の自分にはどうせわからないからって、時政さんにばかり任せて、丸投げして。そのくせ拗ねては癇癪を起こして。助手として役に立つどころか迷惑しか掛けてないじゃないか。こんなの、子供扱いされてもおかしくはない。



「……すみません」


「は? なにがだ?」



 思わず口をついた主語のない謝罪に、時政さんは意味を捉え損ねたのか怪訝な顔をして僕を見た。それはそうだ、こんな拙い一言では伝わるものも伝わらない。意地悪だけど優しい時政さんは、そもそも初めから僕を怒ってもいなかったのだから。

 口を閉じて、真摯に僕の返答を待つ時政さんにしかし僕は謝罪の先を続けることが出来なかった。こんな時ばかり──いいや何時だって、上手い言葉なんてのは容易には見付からない。



「……まあいい。とにかく、俺の推測通りだとすれば今回の件は少々厄介だ。危険だから絶対に俺より前には出るんじゃないぞ」


「は、はい」



 厳しく釘を刺しながらも内容は間違いなく僕を気遣うものである時政さんの注意に、不安と緊張を呑み下して頷く。

 ──月明かりが強く射す。シャンデリアよりも柔らかい月光は乳白色の床を淡く暗く色付かせる。パラパラと反射する光のその向こう────まぁるく明るいお月さま。


 ふと、思い出した。

 そういえば、誰かが言っていた。



 ────────満月は人を狂わせると。




「おや、こんな夜中にどうされました? ────若女将」




 ゆらりと、月光が立っていた。狂気はそこに、虚ろに佇んでいた。

 美岬館の若女将────千代瀬。


〝犯人〟は流れる画の華やかな着物を纏って、ぽつんと月を見ていた。



「随分大層な物を持って……これから何処に向かわれるんです?」



 時政さんの揶揄うような問い掛けにハッと彼女の手を見遣る。鈍色。着物の袖に隠れることなくそれは鈍く存在を主張していた。────包丁だ。



「ッ──」



 息を詰めた僕を、ソファの陰へと抑え込む手があった。時政さんだ。時政さんはただ一人で、明らかに凶器としての意図を手にした犯人へと真っ直ぐに対峙した。



「わたし」


「…………」


「わたし、おかあさんに……………………あれ?」



 ぷつんと。彼女の声は途切れた。

 ぱちっと。彼女の目は瞬いた。



「な、に。わたし──あれ、私、なんで。なんで、こんなもの、」


「千代瀬、さん……?」


「ヒッ──い、いやぁッ──!」



 千代瀬さんは動揺していた。悪事がバレたから──ではない。そういった様子ではない。心底から()()()()()()()()と──そう、彼女の恐怖する顔は語っていた。

 包丁が彼女の手元を離れて落ちる。人の命を容易く奪えてしまうそれを,乳白色が間抜けな音を立てて弾く。犯人はただただ純粋に────困惑していた。



「──?」



 到底、凶行に及ぼうとしていた人間の顔付きではない。彼女の有様はまさしく『被害者』だった。



「なあ、千代瀬さん──()()()()()()()()()()()()?」


「──え?」



 動揺治まらぬ彼女に時政さんは訊ねた。スゥ──と、ただでさえ白い彼女の肌が蒼くなる。僕にはさっぱりわからない〝答え〟が、二人の間には通じている。



「随分、眠れなかっただろう」


「え、あっ──うそ──」


「三ヶ月も執拗に苛まれたんだ。──()()()で、自分は解放されると思ったのか」



 時政さんはどこまでも冷静で──冷淡だった。少なくとも、そう聞こえるように、そう見えるように意図しているのだと僕には思えた。思惑通り、千代瀬さんは可哀想な程に怯えていた。たぶん、時政さんに。そして──自分自身に。

 一歩。とうとう時政さんは踏み出した。



「スカビオサの花言葉は『私は全てを失った』──それに答え、アンタが選び返したのはクローバーだ。それも、わざわざ三葉のものを。まるで子供の遊びだな。いっそ微笑ましくすらある」


「────」


「〝花言葉遊び〟をアンタに促したのは────『圭司』か?」



 瞬間。千代瀬さんは吊り糸の切れた人形のように崩れ落ちた。それは心臓がひっくり返るような光景だった。

 冷や汗によって頬に貼り着く髪を力任せに握って、長い睫毛を濡らしながら滂沱する。とてつもなく憐れに唇を震わせる。細い声が繰り返す。──「ごめんなさい」



「ごめんなさい──ごめんなさい──」


「千代瀬さん……」


「ごめんなさい──────────圭司さん」


「え?」



 そして、千代瀬さんは────拾った包丁を己の細首へと当てた。



「「ッ!?」」



 咄嗟にソファ裏から飛び出る。無我夢中だった。だって、包丁を握る彼女の手はあまりにも迷いがないように見えたから。震えてすら、いなかったから。

 本当に────〝ソイツ〟は千代瀬さんを殺してしまうと、思ったんだ。



「駄目だ、千代瀬さん──!! 」


「ッの、馬鹿────」



 千代瀬さんは、笑った。──────()()()



「え」



 鈍色が。光って。

 月光を纏って──────赤に染まる。



「とき、」



 広い背中に視界を塗り潰される。視覚の代わりに嗅覚が伝える。鉄の臭い。あかい────血の臭い。



「時政さん」



 僕を背に庇う時政さんの右腕から、鮮やかな血色が滴っていた。



「うふ」



 人間を刺した千代瀬さんは、笑っていた。──千代瀬さんの姿をしたなにかは、嗤っていた。凶器に頬擦りをして。狂気にわらっていた。

 ひどい顔だ。千代瀬さんの顔なのに、残酷なのだ。神々しくて禍々しい、月光のドレスを纏う悪辣な女神。純粋で美しい最低の微笑み。



「──それが本性か」



 ようやっと、時政さんの声に停まっていた呼吸を思い出す。



「本性? うふふ、うふ、なにをおっしゃいますの。私はわたし。なぁんにも、変わりありません」



 クルリと、無垢な少女のように笑んだ千代瀬さんが駆け出す。きゃらきゃらと遊ぶように着物を舞わせる。


 どうしよう。どうしよう。

 時政さんが刺された。僕の所為で。

 どうしよう──どうしよう!


 鬼ごっこに興じるように狂い去る千代瀬さんの後ろ姿を視界の端に入れながらも、まるで足を縫い付けられたかのようにその場から動くことが出来ない。無力な僕は、時政さんを見上げるしかできない。



「ときまささん」


「──よく聞け。落ち着いたら、一階の非常口から出ろ。扉の左右下に盛り塩が置いてあるから、それを一つ持っていけ。そんなに長くは効かねぇが、申し訳程度の結界にはなるだろ。いいか、絶対に火の元には近付くな。美岬館から出られたら真っ直ぐ清海野旅館に向かえ。真っ直ぐだ。何も考えるな。山を見るな。──月も、見るな」


「時政さんは」


「俺は〝アレ〟を追う」


「で、でも──けが──怪我、してます、時政さん──血が──手当てを、しないと」


「こんなもんかすり傷だ。死にゃしねぇよ。いいから行け」


「っでも!」



 どうしても彼から離れたくなくて、こわくて、嫌なものを感じて、今、彼から離れてはいけない気がして──泣き出しそうな顔で食い下がる。そんな僕に時政さんは────怒った。



「でももクソもねえ!! 今夜が勝負だっつったろ! 逃がしたら被害が大きくなる、ここで千代瀬の祈願を成就させるわけにゃいかねぇんだよ!!」


「っ──」



 彼の怒りはキラキラしていた。場違いにも、見蕩れた。

 守るためのものだから。いつだって、誰かの為だから。泣きたくなるくらい──あなたは優しいんだ。



「……わるい。頼むから、聞き分けてくれ。ああもう、そんな顔するな。大声出してごめんな。悪いがお前を外まで送ってる余裕はねーんだ。──一人で、行けるか?」


「……はい」



 消え入りそうな声で頷く。振られる首にぽとんと、一粒の涙が落ちる。



「──ん。イイコだ」



 やんわりと緩く僕の頭を撫でた時政さんは、そのまま腕を庇いながら千代瀬さんの後を追って駆け出した。僕は────僕は、結局、なにもできなかった。



「時政さん……」






 ────ひとりは、いやだよ。



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