肆
パソコンが閉じられる。おそらく僕に記事を見せたのは、あくまでも物的証拠としてのポーズで、得た情報の全ては既に時政さんの頭の中にあるのだとわかった。
「結論を言うとな──この二家は仲が良すぎたんだ」
そう、時政さんは悼むような、だけど笑うような、そんな不思議な声色で答えた。
仲が、良すぎた──?
「美岬館ができたのは先々代、つまり千代瀬さんの御祖母の時代だ。なんでも、元々清海野旅館で働いていた仲居の一人が独立し経営を始めた結果が美岬館なんだそうだ。つまりは、清海野からすれば後輩というかある種我が子みたいなものだな。支援も惜しみなくしたらしい。それを意図的でないにしろ仇で返したんだから、そりゃあ怨みも底無し……てなばかりに俺も邪推したんだが──」
「そうじゃ、なかった?」
「ああ。美岬館の女将は、自分の命で圭司への過失を清算しようとしたらしい」
「ッ!?」
「簡単に言えば自殺を図ったわけだ。自分がいなくても跡取り──美岬館には千代瀬がいる。だから責任を取って死なせてくれ、てな。そしてそれを止めたのが清海野の女将だ。あー……これだこれ。『貴女が死ぬというのなら私も死にます。貴女は跡取りだけでなく清海野旅館そのものをも潰すつもりですか?』だってよ。厳しいねえ、こりゃ。この二人も姉妹同然に育てられてきた訳で、夫に続き息子を喪って、その上連鎖のように姉と慕ってきた人まで喪うのは堪えられなかったんだろう。……たとえその相手が息子を喪う原因だったとしても」
メモを片手に母親二人の真相を読み上げる時政さんに言葉を失う。
恨みたくとも相手は死を自ら選んでしまう程に悔やんでいて。追って責めれば次は自身が姉を殺す要因になってしまう。逃げ場のない死の連鎖だ。──ならば、己の無念は何処へ持ってゆけばよいのだろう。
「それじゃあ、清海野旅館は……」
「美岬館に嫌がらせをするなんて有り得ないだろうな。そんな余裕がそもそも無い」
「…………」
とうに箸を持つ手は止まっていた。美味しいのに。美味しいと思っていたのに、味がしなくなってしまった。
ああ、どうしようもない。こんなの、誰も救われない。
「──なあ、あの山を見たとき、何か感じなかったか? おまえは、どう思った?」
ふと、箸を置いたタイミングで時政さんは尋ねた。あの山、とはもちろん『神奉山』のことだ。うつくしく、おそろしい山だ。
「──こわいです。理由は、あの、特に無いんですけど……。きっと、優しい神様なんかじゃない」
見た目は周りと何ら変わりないのだ。それこそ、神が居ると聞かされても疑いなく頷ける美しさ。
月が高く昇り、煌々と山の頂を輝かせる。時刻は日を跨ごうとしていて、深まる夜に一層存在感を示している。僕が名のある写真家であったなら、もしかすると誘惑に負けて作品題材の一つにくらいはしたかもしれない。それほど、魅力的だ。だけど。
その神は────美しくなんてない。
「──ああ、その通りだ。あの山は神聖な霊山なんかじゃない。悪霊に侵された癖山──人喰い山だよ」
「────」
ぎょっと、時政さんへと目を剥いた。時政さんは依然として山を見ていた。目を逸らせば、今にもそこから不幸が襲ってくるのだと云わんばかりに。
「なんで──氏神が住んでるんじゃないんですか!?」
「そうだ。神──だったものが変質したのか、はたまた〝そうでないモノ〟に取って喰われたのか────『神』ならそりゃあ居るんだろうさ。到底、お前達が信じ縋るような性質でなくなっただけで。なら、ソレはもう神とは呼ばない。────悪霊だ」
ゾッと、遠くにある白き山を見上げる。思う。どうして、この窓はこんなにも大きいのだろう──澄んで、夜が見渡せてしまうのだろう。
いやだ。見られているみたいだ。山に。──魔に。このままでは、目が合ってしまう。
「氏神様は、つまり、悪いものに負けてしまったんですか? ……神様なのに?」
「〝神〟ってモノにも定義がある。神は信仰によって存在を左右される。ソレを神と呼ぶのかそうでない魔と──あるいはただの偶然の産物とするのか、決めるのはいつだって人間だ。信仰心が薄まれば神通力──神と存在付ける為の力も薄まっていく。そこを突かれたんだろうよ──〝悪意〟に」
土産物屋でのおばさんの言葉がリフレインする。
──最近の子は氏神様を信じない。だから氏神様が怒ってらっしゃるんだ。
「……でも、それが一体、今回の事件とどう関係するんですか?」
「おそらく、館内を徘徊する不審な影の正体は悪霊だ。尤も、この規模だとせいぜいが分霊ってところだろうが」
「えっ──ええ!? 人じゃなくて!?」
「美岬館を強く憎む誰かの怨念が媒体になって引き寄せられたんだろう」
──『美岬館を強く憎む誰か』
けれど、それがわからないのだ。一番可能性の高い人物は、たった今、時政さんの推理によって覆されてしまった。ならば、別の視点を得なくてはいけない。
神奉山。清海野。この二つに共通するのは────
「スカビオサ」
するりと、単語はこぼれ出ていた。加えて、勝手に回り出した脳が畳み掛けるように連想する。
「千代瀬さんだ」
「──へえ? 若女将がどうしたって?」
「クローバーが、あったんです。スカビオサの隣に、一本だけのクローバーが。同じ物を、千代瀬さんの部屋で見ました」
徐々に霧が晴れていく心地だった。興奮のまま、時政さんを見上げる。
「たぶん、山のスカビオサの所にクローバーを置いたのは千代瀬さんだ。だって────どっちも三葉だったんだ」
「三葉?」
「はい。ちょっと、変ですよね。クローバーって、集めるならやっぱり普通は四葉じゃないですか。幸運の四葉。でも、千代瀬さんは──三葉じゃないと意味がないんだって」
「…………」
時政さんの雰囲気が鋭く張り詰めていく。今、彼の頭の中では膨大な量の情報が琴線となって結ばれていっている。そう、思う。ならばあとは──探偵の導きに頷くだけだ。
「──繋がった」
「っ!」
答えは、しかして探偵に掴み取られた。
「ああ、そうだよな。親だけじゃねえ。圭司が死んで誰よりも悲しみ理不尽を憎む人間はもう一人いたじゃねぇか。そうだ、これは──どいつもこいつもただ理不尽なだけの話なんだ」
「時政さん」
「だとすれば、きっかけはなんだ? なにが彼女を動かした? 七年前──まさか『七回忌』か? 圭司の没年月日は────ああそうか、だから四月から始まったのか。てことは────おいマジかよ、今月が〝満つ刻〟か? 満月まであと──クソッ、とっくに手遅れじゃねぇか! ぶっつけ本番とか、無茶振りも大概にしやがれ!」
「と、時政さん?」
考え込んで、次には月を見上げて。その清さに男は心底憎らしいと悪態をつく。
だけど、どうしてだろう。憤怒する彼はいつだって眩しいくらい生き生きとしているんだ。佐竹を救い、メイちゃんを見付け出したあの日のように──誰かの為に怒る時政さんは誰よりも生きている。
「──明日だ」
「え?」
「明日の夜、動く。確実に」
「……〝犯人〟が?」
「ああ。こうなったらこっちも明日が勝負だ。だから今日は──」
そして時政さんは────なんとも呑気に布団へと転がった。
「寝る」
「えっ」
「お前もそれ食い終わったら寝ろよ。明日は眠れねぇからな」
「えっ」
「はい、オヤスミ」
電気消すのも忘れるなよ。そう言い残して時政さんは寝た。本当に寝た。秒だった。もう食事どころでなくて、すっかり事件の真相を拝聴する心持ちでいた僕は見事置いてけぼりにされた。
え、ええ……こんなの、とんだお預けだあ。




