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時刻探偵事務所へようこそ!  作者: 椎名
ダレソカレ
17/46

 

 ──陽が落ちてきた。

 ぼんやりと地平線を探して、見上げる。空が燃えている。茜に。橙に。ゆるりと影を連れて、空色とオレンジ色のキャンバスをカーテンの向こうへと仕舞い込んでしまう。今日のカーテンに星模様は如何程かと宙に思考を飛ばす。

 この辺りは人気も少ない。無音の夕闇に伸びる影は僕だけの形をしている。


 こわいな、と。ふと思った。

 歩く速度を速めた。スラックスの尻ポケットから携帯電話を取り出し、コール音を三回。



『はい、こちら土御門』



 ……珍しいことに自堕落がデフォルトの尋ね人は起きていたらしい。機械的な呼び出し音から聞き慣れたやる気のない声に替わって、その様子になんだかどっと安心した。安心──一体僕は何を緊張していたのだろう。



「あ、時政さん、すみません。たぶん今日は遅刻します」


『連絡がおっせーぞ、バイト。所長は腹が減りました、空腹で倒れそうです』


「全然元気じゃないですか。僕だって遅刻したくてしたんじゃないですよ。特売もギリギリだったし……佐竹の補習に付き合わされたんだから」


『……あー、あのアホの佐竹クンか。なら、しょうがねぇな』



 例の事件以来、佐竹と時政さんの間に交流がある──訳もなく、たった一度の関わりでしかないのに堂々とアホ扱いされる佐竹に思わず吹き出す。……よっぽどビデオの中の佐竹が印象に残ったんだろうなあ。

 携帯電話を持ち直して、依頼金云々の前にちょっとした雑談を挟もうと学校での一日を反芻する。……ううん、話題になりそうなものは特にないな。今日も佐竹はクラスの中心だったし、担任にくり上がった副担任の先生は胃が痛そうだし。



『ま、遅刻の旨は承りましたので気を付けて出勤するように。励めよ、青少年』


「あははっ、なにに気を付けるんですか。もう最寄り駅も過ぎてるし、事務所まで直ぐですよ」


『そりゃあ──不審者とか?』


「時政さんみたいな?」


『あー、アルバイト君の心無い言葉に所長傷付いたなー。腹も減ってるし、これは美味いもんでも食わねぇと心のキズが回復しそうにねぇなー!』


「なーにがキズですか、超合金のくせに。ちなみに、卵と鶏肉が安かったので本日のメインは親子丼の予定ですよ」


『御託はいいから早く来い。食わせろ』


「うわ、マジでお腹空いてるんですね……」



 急に電話の向こうの声が真面目になるものだからうっかり笑みも引きつってしまった。なんだろう、もしや寝坊でもしてお昼を食べ損ねてしまったのだろうか。

 心持ち早歩きにさらに早歩きを重ねながら前を見据える。強烈な夕陽が目に入る。思わず、顔をしかめてしまう。



「うええ、明るいなあ。暗いくせに夕陽って異様に目にキますよね……」


「────?」


「はい? 時政さん?」


『そっちは夕陽、出てんのか。──────()()?」


「え? 何か言いました? ちょっと今、耳が遠かったみたいで」


『──いや、なんでもない。それよりお前、今どこにいる?』


「どこ、て──」



 耳から携帯電話を離し、周りを見渡してみる。

 品良く流れる緋色の小川。申し訳程度に盛り上がった土手。炎を溶かす地平線。カーテンコールを待つ夜の色。

 人の姿はなく、裏寂しい茜世界にひとり取り残されたかのよう。人間そのものが世界から消えて、僕だけがヒトとしてこの場所に立っているみたいな──そんな息遣いのない景色が眼前に広がっていた。


 あれ。


 違和感。




 ────()()()? ()()()()()




「ここ──どこ──?」



 ハッと携帯電話を耳へ寄せ直した。おかしい。なにかがおかしい。僕が住む町・北境町は、都会には及ばないがそれでも技術的建築物の見られる活気ある街並みではなかっただろうか。こんな、風情あふれる昔懐かしい場所などあっただろうか。

 ──探せばあるのかも知れない。けれど、少なくともこれまでの通勤経路では見掛けなかった。


 そして──何故、人がいない? いくら人通りの少ない場所だとしても、時間帯から何処の学校も部活動を終え帰宅する頃だろう。

 僕は急ぎ足にそこそこの距離を進んできた──ここまで、誰ともすれ違うことはなかった。そんなこと、あるのか。


 とうとう立ち止まる。どこもかしこも染まった茜色にぐうっと不安感が迫り来る。呼吸を忘れる。

 これじゃあ──これじゃあまるで────本当に独りぼっ『おいッ!!』



「あっ──は、はい! なんですか!?」



 耳から現実を釘打つみたいに叩き込まれた。時政さんの声が電子を通じて耳を脳を劈いた。



『──のまれるな』


「へ?」


『いいか? お前、たぶん──に、いるから──陽が暮れるまでそこか──ガッ、ザザッ』



 ──────ブツ。



「──え、時政さん……?」



 突如、通話が切れた。妨害するように。

 時政さんとの繋がりを強制的に断たれた。



「う、嘘──時政さ……」



 携帯電話の画面を見る。トラブルにお決まりの圏外の文字が表示されている。──そんなわけ、ないだろう。

 ありえない。ここは日本で、辺境地にワープでもしない限り、もしくは電波を阻害されない限り、携帯電話が使えないなんてのは──現代人からすればライフラインを断たれたも同然だ。



「落ち着け……落ち着け……」



 役立たずの文明利器をポケットへと仕舞い直して、自分自身に言い聞かせる。

 冷静になろう。どこにヒントが落ちてるかわからない──時政さんが常々言うことじゃないか。土手ということは添って歩いて行けば橋に辿り着けるということ。そうすれば現在地の看板くらい立ててある──よね。

 見様見真似の推理ごっこで自分を鼓舞する。ともかく一歩を進めるところから始める。スクールバッグを肩にかけ直して、安く手に入った卵と鶏肉が眠るビニール袋を抱えて──よぅし、陽が暮れるまでに知ってる道に出るぞー!



 ────と、歩き出したはいいものの。



「なんで」



 なんで────橋に着かないんだよー!!

 これだけ歩いてるのにどこにも出られないってどういうこと!? もう足が生まれたての小鹿さんなんだけど! 本当に人っ子一人通らないし! ──どうなってるんだ、()()は。



「はあ……」



 疲労をたっぷり混ぜた味気無いため息と共にその場に座り込む。途端、どっと足と肩が重くなる。なんだか吐き気までしてきた気がする。ストレスだ。

 もうほんとわけわかんない……。この歳で迷子とか……情けない。

 立てた膝にぎゅっと顔を埋める。誤魔化してきた恐怖心が嬉々と心に冷や水を落とす。不安と手を組んで、思考にまで侵入を始める。

 ──このまま、この場所に独り、取り残されてしまうのだろうか。



「…………っ」



 嫌な想像が酸素の足りない脳みそをぎゅうぎゅうに締め付けた、その時。




「──()()()()()()()()()()()()()()?」




「──え?」



 頭上から聞こえた優しげな女性の声に──久しく聞かなかった自分以外の声に夢心地で顔を上げた。

 まず、見えたのは着物だ。朱色で、牡丹とか、シャクナゲとか──そういう名前のついた華やかな花が刺繍されている。夕陽の逆光で思うように顔は見えないけれど──綺麗なひとだと思う。

 そのひとが、たぶん──笑った。



「あれまぁ、めんこい顔して。こんなとこでどげさしたの」


「えっ、あ、僕、」


「ほらほら、そないとこ座ってっと泥んどろなってしまうよ? 立ちんしゃいな」



 声と同じく優しく手を差し伸べられる。その手を取る。やわらかい。手も、雰囲気も、なにもかもが柔らかいひとだった。



「あの……」


「迷い込んでもたんねえ。──大丈夫。ちゃんと送っちゃるから」



 彼女に促されるままに手を繋いで歩き出す。──あ、冷たい。女性特有の柔らかさを持っているのに、彼女の手は僕よりもひんやりしていた。僕自身、平均体温が高い方だという自覚はあるけれど、先入観から彼女の手もあたたかいものだと思い込んでいた。

 ああ、けれど──疲弊した心身にこの冷たさは、心地好い。



「名前は何ていうの?」


「倉橋忠行です。忠実に行う──で、忠行」


「忠行ちゃんかぁ。(ただ)しく行う──ええ名前ねえ。お歳は? 今、いくつ?」


「今年で十六です」


「まあ! 若いねぇ、十もあたしの下なんねえ。羨ましィ」


「えっ!」



 のほほんと会話する中に彼女から衝撃的な言葉が飛び出して、思わず後ろ姿を凝視した。(帯まできっちり整えられたお太鼓結びで綺麗だ。……着物には詳しくないので、あの形がお太鼓結びと呼ばれることくらいしかわからないけれど)

 年上だろうとは思っていた。けれど、僕と十も歳が違うのか──テンションも話し方も若々しいものだからとてもそうは見えなかった。


 ────〝見えない〟。


 改めて思う。彼女の顔が、見えない。陽が邪魔をして──だけども街灯もないから頼りは夕陽だけで。──────夕陽?


 ぽつりと、違和感。昼の任を終えた太陽が地平線を目指し始めてどれくらいが経った? 僕自身の感覚と体内時計を信じるならば、とっくに一、二時間は過ぎているのではないか。それなのに、何故────




 ()()()()()()()




「────」



 奇妙な事実に気付いた瞬間、まるで僕の心を読んだみたいに繋いでいた手に力を込められた。絶対に離さない──とでも言うように。



「ヒッ──は、はなして」


「あきません」



 今さらになって震えを思い出した僕に、ピシャリと彼女は言い付ける。燃ゆる悠久の黄昏を朱い着物が進む。



「今この手を離したら──〝バレて〟しまう。捕われとうなんだらあんまし顔上げずに静かにしんしゃい。……大丈夫。私が無事に送ってあげるから」



 花の着物を纏うのと同じく華のように凛とした彼女の声色は、あくまでも誠実だった。安心感とはまた別の──粛然とした気持ちで彼女に従う。



「……あなたは、」


「折角めんこい顔で生んでもろうたんや。こげとこで盗られたら勿体無い。……ちゃんと大事にしぃよ?」


「…………」



 それから、僕等に会話はなかった。


 嗚呼、なぜ僕は気付かなかったのだろう。無音だと思っていたのだろう。



 ────〝声〟は、こんなにも世界に溢れていたのに。








 ──おや、そこにおわすはどこの娘さん?


 顔が暗うてよく見えん



 ──はて、そこに寝るんはどこの子じゃ?


 顔が暗うてよく見えん




 嗚呼、誰そ彼 誰そ彼



 嗚呼、ダレソカレ ダレソカレ────


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