壱
まず、と探偵は前置きした。
「事は島の姪──島命が不幸な事故で亡くなったことから始まる。全ては島の自己満足的復讐だよ。佐竹は最初から最後まで巻き込まれただけだ。正直、本気で同情してる」
「どうやって命さんのこと──佐竹が目撃したことを知ったんですか?」
「単純に、調べたから。佐竹の母ちゃんに聞き込みしに行った日があっただろ。どうも、な……紀美子さんの様子が気になったんだ」
散らばったピースを一つに繋ぎ合わせていくように、探偵は丁寧に事を準えてゆく。
「佐竹は失踪当時、行先を告げずに家を出た。それなのに何故〝学校に行った〟とこの人が知っているのか──つまりは誰が彼女にそれを教えたのか。それから、彼女が常日頃からちょっとした事でああなるのなら、情緒不安定な母親に嫌気がさして家出した可能性も否めねぇし──あるいは、彼女をあそこまで不安にさせる問題を息子の方が抱えているのか────結果は、この通りだ」
「…………」
「佐竹には非常に塞ぎこんだ時期があった。もしかするとお前の言う無鉄砲な性格ってのも、単純に自暴自棄なだけかもしんねぇな。親としてはそりゃあ、ちょっとのことで過敏にもなるだろうさ。で、あれば当然、担任の島にはある程度まで生徒の私的事情を知る権利があり、それを学校生活において考慮する義務がある。──すべては、関係者が知るべくして知り、起こるべくして起こった事件だよ」
紀美子さんの様子を思い出す。
命さんの事故は半年近く前の出来事だ。世間はとっくに当時の騒ぎなんて忘れて、悲劇は今や面白可笑しく噂として風化していく。だけども──当人達からすれば全く解決できていない傷なのかもしれない。佐竹が────何もかもを投げ出したように。
グルリと懐中電灯が木々を照らす。
「それで──命さんのことを、調べた?」
「一先ずのきっかけではある。佐竹が目撃した事故ってのがどれの事かくらいは正確に把握しておくべきだろう? で、事故の被害者と島の関係を繋ぐ。ここからは動機を押さえたも同然なんだから、証拠さえ揃えちまえばチェックメイトだ」
探偵の『証拠』の言葉にビデオの映像を脳内でツギハギ再生する。芋づる式に視聴直後の感覚を思い出してふるると身を震わせる。
「ビデオに教頭先生の足が映ってた──ですよね。どうして教頭先生だってわかったんですか?」
「そんなもん──調べたからだ」
探偵が振り返った。当たり前だろう? と言わんばかりの顔で。鼻から顎まで、半分しか見えないのにどうしてこんなに表情がわかりやすいのだろうと不思議に思う。
その所為で、こんなにも胡散臭いのに憎めなくなってしまったのだから。
やっぱり、時政さんは変な人だ。
「まず、足のサイズとデザイン。今の時代、写真一枚ありゃあサイズくらい簡単に割り出せるし、映った上履きは男性向けのデザインのものだった。そも、容疑者はどちらもが成人男性だ。どちらかの足である事は明白だ。そこで、切り取り明度調節した画像を校長に送り付けて島と教頭のどちらのものか判断してもらう──今回はかなり楽だったよ。教頭センセイは常日頃からスーツだってんだから。かなり、プライドが高く神経質なタチだったんだろう。ついでに形から入るタイプでもあるか」
「それを──九時までに?」
「そ。探偵なんてのは推理云々の前にまず調べものができねーと話になんねぇの」
懐中電灯の明かりが辺りを一周して、また戻ってくる。探している──時政さんは真っ黒の土をしっかと踏み締めてなにかを探していた。
「それが、証拠────の、一つ?」
パッと探偵が僕を見た。サスペンスドラマの終盤にて犯人が追い詰められるお約束のように、攻撃的な丸い明かりが僕を照らした。
笑う。時政さんが。──言外に二つ目の証拠は何かと問う僕に、探偵はご満悦だった。
「映った証拠は二つ──そして同時に最初に噂された子供の正体でもある。────お前だろう? 島、命」
────え?
明かりが、指した。無を。空虚を。時政さんはなにもないところに向かって──誰かの為に、微笑んだ。
「──なに、言ってるんですか?」
思わず無防備な問いがこぼれる。
だって。そんな言い方は、まるで。
「島命はここにいる」
時政さんは推理する時の断定の口調で答えた。僕は知っている──事情を彼が断定するならば、それは事実でしかないのだと。
けれども、いくらなんでもそれは────
「命さんは、もう」
「ああ。死んでるよ。〝だから〟ここにいるんだ」
──意味がわからない。と、躊躇した。理解を拒んだ。頭がおかしくなってしまいそうだ。
いいや、とっくにおかしいのかもしれない。この男と出逢ったその時から──最初から、僕達はおかしかったのかもしれない。
「なんですか。それ。そんな」
「信じられねぇか?」
「……ッ当たり前じゃないですか! そんな急に、ここに幽霊がいるみたいな言い方して、」
「そう、いるんだよ。ユーレイが」
「────」
探偵が解答する。明かし、証す。
「メイは事故に遭った日、とある心残りが世への楔となって残ってしまった。そこで、まず、自分の所為で手酷い心傷を負っただろう叔父に憑いていった──いや、そこまでの意図はなかったか。直前まで関わりがあった身内に自然と寄せられたんだろうな。さて、すると心残りの〝おにいさん〟が叔父の生徒として現れたじゃないか。結果、メイを縛る楔は叔父の元から佐竹と繋がれる学校に替わった。──佐竹が入学した頃からメイはここにいた。それが、噂の出所だ」
絶句だった。怪談話にありがちな話。ありふれた後付け。第三者の面白半分の創作。
時政さんの『断定』はどう考えてもその類いだ。大人が大真面目に語るにはあまりにも馬鹿げているし、だからこそ一息に突っぱねるには時政さんの当然たる口調は聞く者を困惑させた。
「……ビデオに、映っていたのは」
「佐竹を待ち伏せていた教頭と、佐竹を逃がす為にわざと佐竹をとことんまで怖がらせたメイだ」
「じゃあ、佐竹の居場所は」
「メイが知ってる。ビデオだって、お前が隠しておいてくれたんだもんな? ──ありがとな」
「…………」
時政さんは躊躇いなくしゃがんだ。丁度、小さな子供を相手にするくらいの目線になって、柔らかな声でなにもいないところへと礼をする。誰かへと大人の顔で笑う。
馬鹿げている。そう思う。霊感少年・少女というのはいつの時代だって一人二人はグループ内にいるものだけど、それを大人になっても引きずるのは恥ずかしいことだと思う。思うのに。
こんなの────────信じるしかないじゃないか。
確かに触れた手があったのだ。子供の手──濡れた少女の手が、僕を彼のところまで導いてくれたのだから。
「──命さん。佐竹の居場所へ、案内してくれないかな?」
「────」
ようやっと顔を上げた僕の目に真っ先に飛び込んできたのは、それこそ信じられないものを見る時政さんの顔だった。目なんて見えやしないのに、彼が心底から驚いているのがわかった。
「なんであなたがそんな顔するんですか。嘘じゃないんでしょう?」
「……ああ」
「じゃあ、信じます」
なにより──あの時の感情を僕自身が否定できる自信がないから。
おもむろに立ち上がった時政さんは命さんらしき無へと小さく頷くと、ありがとうと一言呟いた。
時政さん(正確には命さん)について進んでいった先は、表道の桜並木へと続く校舎裏の坂道だった。春になれば表のみならずここも桜が満開になる。それを思い出して頬を綻ばせる。奥へ奥へと進んでいく。──ふと、時政さんが足を止めた。
「……メイ?」
どうやら命さんに何かあったらしい。しかし残念ながら僕には彼女の姿も声も何もわからないので、時政さんに通訳を頼むしかない。
「どうしたんですか?」
「いや……メイが、佐竹を渡す前にお願いを聞いてほしい、そうだ」
お願い──?
命さんの声を聞いているのか、時政さんは真剣な眼差しで一点を見詰めている。しかしやはりそこにはなにもない。
──死者が視える、て、どんな気持ちなんだろう。命さんはどんな声をしているんだろう。どんな姿でいるんだろう。
それがわかれば────少しはこの人に近付けるだろうか。
「……ああ。わかった。約束する」
「命さん、なにを──?」
おそるおそると尋ねる。子供特有の無理難題だったりしたらどうしようか。……時政さんが断らないんだから、大丈夫か。
「伝えて欲しいんだとさ。島には『あの日は、叔父さんの帰りを待てなかった自分が悪い。だからあの人を恨んではいない。仕返しなんてやめてほしい。これ以上苦しむ叔父さんを見るのはつらい』と。そして、佐竹には──」
その時、己自身の瞼が開く瞬間のように草や木ばかりだった場所が拓けた。
彼は、いた。
「──────佐竹!」