◆真相
犯人が戦意を喪失した後、此度の事件の関係者は校長先生の通報により駆け付けた警察預かりとなった。時政さんの推測通り、監禁されていた生徒達もグラウンド倉庫から救出され、打撲と脱水等で衰弱してはいたものの誰も命に別状はないという。あの人に、故意に人殺しをするまでの度胸はやはりなかったのだと不謹慎にも安堵した。不幸中の幸いというやつだ。
そして、完璧なタイミングで現れた校長先生の謎は、至極単純であった。──時政さんが校長先生へと始終通話の状態で携帯電話を繋げていたのだ。道中の質問責めには、僕に対するテストの他にもこんな隠れた意図があった訳だ。ついでに僕の情けない泣き言も全て校長先生に筒抜けだった。
教頭先生と、島先生と、校長先生と──三人の大人が探偵の手回しによって現場に掻き集められる様は、恐ろしくもあるし他人事にドラマを観るようでもあった。
「もしかして、遅刻してきたのって──」
「ん。島と校長と、全員の都合を合わせるのにちょいと手こずった。悪かったな、心細い思いさせて」
初めから僕に対してまるで遠慮というものがなかった時政さんだが、やっぱり当たり前の顔で詫びだとばかりに僕の頭を撫でてくる。ほぼ初対面で、間違いなくこれは子供扱いなのに。不快にも不満にも思えない僕も──ちょっとおかしいのだと思う。
例えばこの手が島先生であったなら多少は戸惑った筈だ。……慣らされてるなあ、この人に。
「別にもう怒ってないですよ。それより、いつまで隠れてる気なんですか? 警察の人、もういないっぽいですけど」
そっと校舎の三階・廊下の窓から顔を覗かせて、先程まで騒ぎの一つとなっていた校庭を見回す。校門前に停められていたパトカーも撤収した現在、おそらく檜垣高校敷地内に残る人影は僕等のみだ。時政さんいわく、警察署から正式な依頼状・または捜査協力及び許可がない限り時政さんと僕も任意とは名ばかりの事情聴取から逃れるのは難しいらしく(探偵業務そのものは探偵業届出証明書とやらを公安委員会より預かっているので問題ないそうだ。その為──詳しく説明されたところで僕にはよくわからないけれど──校長先生直々に校内への立ち入りを許可した事実がある限り、時政さんと僕が不法侵入罪でしょっぴかれる事はないらしい)それを全力で面倒臭がった時政さんにより、僕達はほとぼりが冷めるまで警察官から逃げ回っていたのだった。口裏を合わせてくれた各々には感謝せねばならない。
「僕、早く帰って寝たいんですけど。時政さんがどうかは知りませんけど、僕は明日も学校があるんですからね」
「…………」
「もう一週間分くらい運動した気分。うー、ぜったい筋肉痛だよ、これ」
「…………なあ、」
「校長先生からマスターキー、預かってるんですよね。そろそろ動いてもよくないですか? もう警察はいないですってば。聞いてます? 時政さん」
「…………お前、本気で忘れてるな?」
「はい?」
「佐竹」
……………………あ。
◆◆◆
従来通りの仕事を与えられた懐中電灯が張り切って階段のリノリウムを照らす。三階から、一階へ。非常にご機嫌な探偵に僕という罪人が連行されていく。罪名は『本来の目的をうっかり忘れた薄情者』罪だ。
「いやあ、ほんっとーに佐竹は可哀想なやつだなあ。こんな厄介事に巻き込まれて」
「…………」
「挙げ句の果てには友人に存在を忘れられて?」
「…………」
「それも本気で。可哀想だなぁ、ああ、可哀想だ」
「~~っもういいでしょう、それは! ちゃんと反省してますよぉ!」
立ち止まって、八つ当たり気味に時政さんのジャージの裾を握って唸る。先程からこんな調子で性格の悪い探偵にからかわれ続けている。僕は薄情な罪人だから仕方ない。仕方ないのだけど、水を得た魚のように僕をいじめるこの人は、ならば極悪人だ。──え? 支離滅裂? 羞恥と後悔と眠気でろくに頭が回ってないんだもう許してください。
時政さんのジャージを手放して、バツの悪さを同時に払拭しようと話題をそらす。
「そういえば、教頭先生が捕まえようとしてた子供って結局なん──────あれ?」
***
泣き声が聞こえる。
幼い声だ。まだほんの子供の女の子の声だ。善良な人間ならばまず放っておけなくなるような──切なくてか細くて痛ましい、救いを求める声だった。
たすけて、と──少女は己の声を聞き届けてくれる存在を探していた。
たすけて。だれか。もうやめて。とめて。
────土御門時政は、それを〝聴く〟ことの出来る稀有な人間だった。
少女のような存在が最も求める──生なる人間。
伝えなければ──時政自身、場違いだと自嘲してしまう使命感をもって足を進める。
泣き続ける彼女に。死してなお嘆く彼女に。冷たく濡れた身体を震わせる彼女に。もう大丈夫だと────彼は救われたと。
ひとりぼっちで戦い続けた女の子の────『おにいちゃんをたすけて』の想いに、応える。
「ああ、助けてやる」────だからもう泣くな。
さて。時政の、第三者からはどうあっても独り言にしか聞こえない呟きに相槌はなかった。──そう。なかった。
「一人でなに言ってるんですか? 時政さん」と、子犬めいた素朴で愛らしい顔立ちをしているくせに、その実、中身には年相応の生意気を飼っている少年の反応がなかった。
振り返る。当然である。現在、時政は正真正銘──一人であった。
「…………あいつ、どこいった」
◆◆◆
ここに来て信頼できる大人とはぐれるなんて、一体誰が予想できただろうか。少なくとも僕はまっーーたくできなかったし、当然、心の準備も皆無だ。
「時政さーん!?」
咄嗟に身を縮こませて周囲を見渡す。階段の途中だ。あと四段で一階に辿り着く中途半端な場所だ。成人男性が丸々姿を隠せる死角なんて、無い。だというのに、いくら目を凝らせど──時政さんの持つ懐中電灯の明かりがなくなってしまった為に、暗闇の奥までは見えないけれど──踊り場にそれらしき人影はない。
(なお、校舎全体が影しかないのにピンポイントに人影がわかるものか、と理性担当の僕が怯え泣く感情担当の僕を諭していた)
いやいやいや、そんなのおかしくない!? だって、僕、確かに時政さんのジャージの裾を握ってた筈で──一瞬で人が消えるなんて、そんなことがあるだろうか。もしやこの一夜でこれから三年はお世話になる予定の檜垣高校校舎は、名実ともに人間を丸呑みしてしまう摩訶不思議なオバケ学校となってしまったのだろうか。
「時政さん、ふざけないでくださいよ……そろそろ僕だって本気で怒りますよ!」
懸命な虚勢は震える声で全くもって台無しだけども、それでも強気に時政さんへと呼び掛ける。返事はない。直感的に理解する。
あ。これ、本当に時政さん────いない。
「…………」
腕時計を確認する。暗くてまるで針が見えないので、文明利器──携帯電話のデジタルな数字に頼る先を替える。零時まで、あと、二分。
──うん。終わった。ビビりな僕が耐えられるわけがない。
ッいいいやぁぁぁぁ!! あんの自己中探偵、僕のこともちょっとは考えろよなぁ!
じわじわと足元から這い上がってくる恐怖と絶望とほんのちょっとの恨みに声にならない絶叫を上げる。電話帳からまだ一度も使用していなかった番号を探し出す。た行──ツの欄、もしくはトの欄──発見。
いざ、怒りのコールを掛けようとしたところで──
「──ぅひゃあ!?」
ぴちゃ、と。なにかが、僕の手を濡らした。──嘘だ。濡れてない。僕の手は濡れてないのに──なにかが濡らしたのだとわかった。
なに。いまの。
握る。水が──小さな手が、僕の手を握る。
〝こっちだよ。おにいちゃん。〟
引かれるままに歩き出す。躊躇いはあった。戸惑いもあった。恐怖はなかった。──僕は、女の子の声を信じた。
雑木林だ。職員の駐車場も兼ねている校舎裏は車の姿がなければ存外に広かった。そこに、男の背中が一つ。ジャージ姿で、髪なんて増えすぎたワカメみたいにもじゃもじゃで、猫背っぽいのにその実、姿勢は良くて、不審者っぽいのに探偵で────土御門時政だ。
この手が彼の元まで案内してくれたのか。──なにが? だれが?
呆然と男の背を見つめる。時政さんが運命的に振り返る。黒に隠れた瞳に僕を映す。
「お前、どこ行────ああ、連れてきてもらったのか」
ポツリと探偵は呟いた。答えるみたいに手の平から水が離れていった。気がした。
「あ、の──今のって……」
「ああ。キャストは揃った。────謎解きを続けようか」