第3章
「今度、市長選の供託金が無料になったの知ってる」妻が言う。「あたし市長選に出馬するわ」
「よせよ」あなたが言う。「現職が立候補するんだろう。勝ち目ないよ」
台所で家族全員が集まって、しゃぶしゃぶを食べている。
あなたは自家製の日本酒をABS製のおちょこに入れて、ちびちびやる。
日本酒は原材料の米も庭で作ったものだった。
おちょこは作業所の3Dプリンタで自分で作った。
「駅前のロータリーの彫刻あるでしょう。あれ、古くなったんで新しくしようと思うんだけど、”ピカチュウ”なんか、どうかしら」
「今どき、”ピカチュウ”なんて老人しか知らないよ。若い有権者の支持は得られないよ」
妻は吐息をもらす。
市議会議員は当番制だが、市長は選挙制だった。
不正選挙防止のため、記名制で選挙を行い、市民が後で自由に閲覧できる。つまり有権者の誰がどの候補者に入れたかわかるのだ。
選挙は自宅のPCからネットを使って投票もできる。
また選挙だけでなく、重要な市議会案件は市民投票で決定される。
道路や橋の建設の是非を市民投票で決定することがある。
これも記名制で、投票結果は公開される。
都道府県庁は原則廃止され、市町村の基礎自治体と国の二重行政制が採用された。
国は原則として外交、防衛、警察、通貨発行の行政のみを行い、それ以外の行政は基礎自治体が行った。
市には福祉部、(保健衛生部)、建設部、産業規格部、使役部、治安救助部、情報管理部、総務部が設置された。
以下、それぞれについて説明していこう。
①福祉部
生活保護と年金を一本化。健康保険と労災を一本化。また健康保険は職業別でなく、住所別に市で管理する。いたずらに福祉用の箱物(例、老人介護センター)を作らない。市民に現金をそのまま渡すことが重要で、無駄な箱物の建設や天下り職員の給料、無駄なイベントに血税を使わない。
②保健衛生部
市によっては①の一部署である場合も。保健所の管理が業務。仕事がないにも関わらず、いたずらに業務を拡大しない。特に市民への不必要なワクチン接種は厳禁。
③建設部
道路、橋、箱物の建設の他、上下水道、ゴミ処理、電気ガスなどエネルギーを担当。道路は市が作るもので国も県も作らない。血税の多くを消費するが、当番制市議会議員が税の無駄を吟味する最大の部署。
④産業規格部
工業規格を制定する。産業の助成や規制はしない。規制に関しては安全性を損ねる最低限のものだけ行う。また総合公民館の産業技術センターを管理する。
図書館が本を無料で借りられるように、産業技術センターでは製造機械、検査機械を無料または低額で市民が借りられる。これにより市民は自由に工業製品を生産できる。
⑤使役部
徴税など役所が市民に命じてやらせる業務全般を担当。戸籍謄本、住民票、婚姻届の管理もここ。サーバーにデータを管理するが、⑦ではなくここが担当する。
⑥治安救助部
警察、消防、救急、救助のすべてを行う。警察署と消防署は一体となり、市長がその長を務める。
機動隊が必要な暴動が起きたときは県警本部に応援を仰ぐ。県警本部は元県庁所在地の市長が長を務め、緊急時には市警は県警の指揮下に入る。
同様に国の警察消防省は、普段は国内の外国スパイを逮捕する公安業務を担当するが、緊急時には県警本部を指揮下に置く。
こうして国全体の秩序を維持するのである。
⑦情報管理部
市の巨大サーバー群を管理する。
PCの検索エンジン。市内地図および航空写真。市民に一人10個までのメールIDを配布。グーグルマップやPDFファイルに相当するものを市営で開発。また市民が優先して入れるSNS設置も。
⑧総務部
市役所の管理部門。公務員の人事や給料などの情報は⑦ではなく、ここで管理する。
「ママが市長になるなら」次男が言った。「誰が副市長になるの」
米国大統領選では、大統領候補はあらかじめ自分が当選したときに副大統領に指名する人物を有権者に紹介しておく。有権者は大統領候補と副大統領候補のペアを評価して、投票行動する。
最近の市長選も同様、あらかじめ副市長候補を選挙前に有権者に紹介しておく。
八部門ある行政のうち、福祉部と総務部は副市長にまかせるというように役割分担するのだ。
「そうねえ」妻が言う。「じゃあ、パパを副市長候補にしようかしら」
「えっ?」あなたは驚く。「ぼくが君の部下になるのか?」
「いい考えだよね。家ではパパはママの部下みたいなもんだし......」
長男がしゃぶしゃぶを食べるのを休んで言う。
それを聞いて長女が笑う。
こいつら子供のくせに、おれがいつも女房の尻に敷かれているのをわかってるんだな。
あなたは心の中で舌打ちする。