第1章
20XX年。
あなたは起床する。
朝の四時を少し回ったところだった。まだ日は出ていない。
浴室で軽くシャワーを浴び、ロボット掃除機のスイッチを入れる。
朝、掃除するのが日課だった。
庭の畑からトマトとキュウリを採ってくる。
台所で朝食を作っていると、あなたの妻と三人の子供たちが二階から降りてくる。
「早いのねえ」
妻が言う。
「今日、市役所に登庁だろ?」
「そうよ」
妻は越谷市の当番制市議会議員で、かつ福祉部の部長だ。
毎週一回、月曜日に登庁するので、この日はあなたが家事を担当することになっていた。
登庁するのは月曜だけだが、妻は自宅のPCを使い、毎日、ネット経由で二〇分近く、無賃で行政の仕事をしていた。
市議会議員は選挙でなく、市民が当番制で担当する。つまり直接民主制である。
しかも官僚主導でなく、議員主導で行政が運営されるように、部長や局長は原則、議員が担当する。
一方、ペーパー試験で採用された公務員は課長以下の職務のみを担当する。
これにより、議員は名誉職でなく、行政の実質的な企画や管理に携われるようになる。
もっとも当番制議員の最大の仕事は、税金で箱物を作ったり、イベントを企画することでなく、市民が役所から無駄な税金を取られないよう監視することだった。
妻が出かけた後、子供たちは二階の子供部屋に戻り、PCで学校のネット通信教育を受ける。
子供たちは火曜日と木曜日の週二回だけ通学すればよく、後は通信教育だった。
通学する時間が減ったことで、学校内のいじめ問題は激減した。
学校は近所の総合公民館内にあった。
総合公民館は、市役所分室、図書館、保健所、総合病院、郵便局、警察署、消防署、農協、水道局、清掃局、ゴミ処理場、税務署、公民館(会議室)、市営コンビニエンスストア、体育館、プール、公園、発電所、選挙会場、産業技術センターなどが、学校と一体になった建物だった。
市内に四箇所設けられ、メインの市役所を含め、市民が歩いていける場所に必ず総合公民館があった。
総合公民館は行政の箱物を極力減らす目的で建設された。
市民は住民票や戸籍謄本など、市役所に行かなくとも分室で手続きができた。
市役所にサーバーが設置されてデータを一元管理しており、分室とデータ交換するのだ。
産業技術センターは学校の図工室に使う部屋だが、市民が自由に借りられる。
主な産業機器が置いてあり、工場を持たなくても市民は小規模な工業製品ならここで製造できた。
あなたは自宅を出て、一時間ほど庭の田畑で野良仕事をした後、プレハブの作業所に向かう。
作業所は十年ほど前、あなたが自分で建てたものだ。コンクリートの基礎だけ地元の業者に依頼した。
その数年前、自宅もあなた自身が建てた。
難しい箇所は地元の工務店に依頼したが、CADを使って自分で設計し、ネットで買った材料や大工道具を駆使してマイホームをDIY建立。内装も電気配線工事も自前だった。
おかげで住宅ローンはゼロで済んだ。田舎なのでもとより土地代も固定資産税も安い。
この他、総合公民館の産業技術センターから、当時最先端の大工ロボットを借りられたことが、自宅建立に役に立った。
素人の自分が建てたとはいえ、外断熱方式なので冬は暖かく、7LDKの間取りだ。
作業所であなたは、EV三輪車の製造に取りかかる。
これがあなたの仕事だった。
あなたは個人商店規模ながら自動車メーカーのオーナー経営者だ。
従業員は社長のあなただけ。ただし、ときどき妻に電話番を手伝ってもらうこともあった。
スマホで確認すると、自社サイトにネットで注文が入っていた。支払いはカード払い。
フェアリング、フレーム、リチウムバッテリー、インホイールDCブラシレスモーター、タイヤ、ペダル、ステアリング、インテリア、カーナビ......。
部材をネット通販で購入して、この作業所で組み立てる。だから一人で自動車を製造できる。
フェアリングは3DCADで自分で設計して、ネットで専門業者にSTLデータを送信する。
そうすれば一週間以内に、宅配便で設計通りの自動車の外装が届く。
残りの部材は通常はカスタマイズせず、発注する。
標準化が進み、複数の工業規格から、好きなものを選ぶのだ。
自作EV車は自作PCほど簡単ではなかったが、それでも自家用車は個人商店規模のメーカーが業界の主流になった。
かつて自動車業界は、大手メーカーの下請けで中小企業が部材を供給していた。販売会社もメーカーの系列だった。
ところが今ではメーカーが個人商店規模で、部材を供給する方が大企業なのだ。
あなたはようやくEV三輪車を完成させる。規定の性能試験をして合格であることを確認する。
「ごめんください」
作業所の入口から声がする。
入口へ行ってみると、背中に赤ちゃんをおぶった主婦が立っている。
「注文した田中ですが」
主婦はそう言って、QRコードの印刷された紙を差し出す。
「お待ちしてました」
あなたは主婦を作業所の応接室に案内する。
応接室の壁には「ISO90001」の認定書を額に入れて飾ってある。
スマホでQRコードを読み、EV三輪車の発注IDを確認する。
「この度は弊社、自動車をお買い上げいただき、ありがとうございました」
あなたは田中さんに車のキーを手渡し、EV三輪車のあるガレージへ案内する。
「おたくは自動運転はやらないんですか」
田中さんが訊く。
「いずれ自動運転のAIがオープンソースになると思います。そのときはうちのサイトにアップしますので、カーナビにダウンロードしてください。メールでもご連絡します」
ガレージのシャッターを上げる。
田中さんは後部座席に赤ちゃんを乗せ、EV三輪車で走り去る。自宅はせんげん台にあるとのこと。
F1カーのように低い車高に流線型。
これは同じエネルギーなら風の抵抗を受けにくく、速く走れることを意味する。逆に言えば、小さいエネルギーでも前進できるというわけだ。
EVカーは、リチウムバッテリーの小型軽量化と蓄電容量の大型化が鍵になる。
電気自動車は大昔からあったが、ゴルフ場内のカートでなく、公道をそれなりの速度で走れるようになったのは、リチウムバッテリーの技術革新が大きい。
最高速度80キロだが、近所の買い物には不自由しないだろう。
昔、自家用車は運転席の隣に助手席があった。これはデート用に向いている。
だがあなたの自動車は1列二人乗りだ。
自家用車は主婦の買い物用途が主流で、遠方へ移動するには電車を使う。
休日、家族が自家用車に乗って行楽地へ向かうということは少なくなった。
勤め人が労働人口の30パーセントを切り、しかもワークシェアリングで週休五日制が標準だ。
土日祝祭日に、大挙して満員の行楽地へ家族旅行して、渋滞に巻き込まれて、平日以上にストレスをため込むという日本人の馬鹿げたライフスタイルは、過去のものとなった。
兼業農家が人口の60パーセント以上を越え、専業農家が20パーセント弱の今日、行楽地へ行くより、大きな自宅と広い庭で過ごす方が、よほどリラックスできた。
これまで日本人の多くは、居心地が悪い狭い住居、しかも冬は寒くていられない住居に住んでいたため、休日には外に出かける習性があったのだ。