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求章 アルビレオは密かに煌めく

 昨日までの晴天とは打って変わって、曇天の空は今にも降り出しそうな雰囲気を纏っていた。

 杉田さとみの葬儀を終え、私は言い知れぬ虚無感に襲われたまま、会場の外にある喫煙所で普段は滅多に吸わない煙草に火をつけた。


 葬儀には彼女の親族の他に、我々教員、そして彼女の教え子であった六年二組の児童達も参列していて、彼女がいかに慕われていたかを物語っていた。

 私はやり切れない思いを更に募らせる。

 さとみ……そう呼べなかった後悔の念。

 もちろんそれはある。だがそれ以上に、彼女を救えなかった事、彼女を操っていた緑川さよりへの憎悪、その緑川さよりを教師として止められなかった自分自身の無力さに辟易していた。

 煙草を吸い終え、携帯用の灰皿へ吸殻を入れた時、ふと視線を感じた私は視線の主を探して辺りを見渡すと、車椅子に乗った喪服の女性と目が合った。女性は私の視線を確認するとこちらへと車椅子を走らせ近付いてきた。


「お久しぶりです。覚えていらっしゃいますか?」


 何故車椅子に乗っているのかは分からなかったが、彼女には見覚えがあった。

 数日前に起きた連続通り魔事件……その被害者であり、偶然にも私が助けた女性だった。


「そう言えば名前を言っていませんでしたね。杉田ひとみ……さとみの姉です」


 まさかあの時の女性がさとみの姉だったとは。


「こんな格好で申し訳ありません。あの時の怪我は大したことは無いのですが……精神的なショックが大きかったのか歩行が困難な状態で……」

「それは……お気の毒に」

「いえ……」

「あなたが、さと……いや、杉田先生のお姉さんだとは……何だか不思議な縁を感じてしまいますね」


 彼女の名前を言ってしまいそうになった自分に嫌気が差す。未練がましい、と言うより彼女の死を受け入れられない自分の弱さが腹立たしくなる。


「……さとみからあなたの事は聞いていました。正義感が強くて、優しくて、子供達からも人気がある素敵な先生だ、って」


 そんな事を……


「さとみはあなたの事が好きだったそうです。さとみの恋を応援してあげたかった……」


 胸が張り裂けそうな思いに駆られた私は、さとみの名前を叫び出しそうになった。そして、同時に緑川さよりへの憎しみも強くなる。教師として生徒を憎む事はあってはならない。だが、今は亡き杉田さとみは私にとって大切な人となった。その大切な人を私から奪った悪魔を許す事は出来ない。

 私は再び煙草を咥え火を付けようとしたが、一人の少女がひとみの元へと駆け寄ってきたため、取り出した一本を箱へと戻しポケットに追いやる。


「先生……大丈夫?」


 少女の顔を見た私の心臓は一つ大きく跳ね上がった。





 緑川……さより……いや、違う?





「ちよりちゃん……ありがとう、大丈夫よ」


 ちより……?


「ちよりちゃんこそ、担任の先生がこんな事になってしまって……」


 そうだ……緑川さよりには双子の妹がさとみが受け持っていた六年一組にいたのだった。

 さとみを殺した張本人の妹……それだけで私は緑川ちよりに警戒心を強める。私の視線を感じたのか、緑川ちよりはこちらへと歩み寄ってくる。


「先生、さよりが最近おかしいの。さよりの事、何か知らない?」


 一卵性双生児だから当然なのだが、さよりとちよりは全く同じ容姿をしているため時々間違えそうになるのだが、背中まで届くロングヘアーがさより、ポニーテールを結わいているのがちより、と、辛うじて見分けることが出来る。ポニーテールを結わいているから彼女は妹のちよりの方だ。


「おかしいって、どんな風におかしいんだい?」

「うん……何か独り言をブツブツと呟いたり、ボーッとどこかを見つめてたりとか」


 不安そうにこちらを見上げる。姉を心配しているのだろうが、私にとっては復讐への手掛かりを得る絶好の機会だ。更に聞き出そうとした矢先に、ひとみが話し出す。


「そう言えば最近は、さよりちゃんが劇団に来る事も少なくなったわよね?」

「劇団……ですか?」

「ええ。と言っても人形劇ですけれど」

「人形劇……と言うと、あの、こんな感じですか?」


 なんといえば良いのか分からなかった私は右手の親指を下顎に、残りの四本を上顎に見立てパクパクとして見せた。


「あぁ、手遣い人形劇の『パペット』ではなくて、私がやっているのは糸操り人形劇の『マリオネット』ですね」

「マリオネット……?」

「はい、こう上から糸で操るんですよ」


 小首を傾げて微笑むひとみの言葉に背中に冷たいものを感じ、額からは嫌な汗が止まらなかった。

 そして、ひとみのその仕草にさとみの姿を重ね合わせてしまう。やはり姉妹なのだ、と私はひとみを見つめていた。


「あの、どうされました?」

「いえ……さとみ……さんとやっぱり似ていらっしゃいますね」

「え……?」

「あ、いえ、すいません。ところで緑川が劇団に来ないとは?」


 私の問い掛けにちよりが答える。


「元々私とさよりは、人形劇が好きでよく見に行ってたの。それで、何回か見に行った時にさよりが人形劇をやってみたい、って言い出して二人で教わっていたの」


 だからひとみ『先生』なのか。つまり、その練習にさよりが来ていない……何か理由があるのか。


「来週の夏祭りの催し物として学校で公演があるんですけど、その練習が進まなくて困ってるんですよ。私もこんな状態ですし……」

「え? あなたが人形を操作されるんですか!」

「いえ、私はこの状態ですから台詞を言うだけです。マリオネットはさよりちゃんとちよりちゃんにと思っていたのですが……」


 さよりだけでなくちよりも……

 私の脳裏には先程から恐ろしい仮説が浮かんでいた。人形を操るように、人間も操れるのではないか、と。

 いや、私は何を考えているのだろう。そんな事が有り得るはずが無い。人が人を操るなど出来るわけが無い。全ては私の幻覚、妄執に過ぎないのだ。

 教師という仕事はこれでなかなかストレスを蓄積してしまう職業である。さとみは……ストレスにより情緒不安定に陥ってしまい、あのような奇行に走ってしまったのだろう。もっと早く、私が彼女の想いに気づいてやれば良かったのだ。

 全ては私の責任なのだ。私が……

 

「先生、どうしたの?」


 緑川ちよりが私の顔を覗き込んてくる。そうか、この子はさよりとは違うのだ。

 いや待て。

 私が全て悪いのでは無いのか。さとみの死の原因は私にあるのでは無いのか。そもそも、緑川さよりへの教育を間違ってしまった私の責任もあるのではないのか。私は教師として失格の烙印を押されてしまったのではないのか。それ以前に人間として失格なのではないか。

 確かに私は、杉田ひとみを通り魔から救ったかもしれない。しかし、結果として彼女は車椅子での生活を余儀なくされてしまった。もっと早く発見していれば彼女はこうならなかったのではないか。




 全ては私の責任だ……




 私はその場に膝から崩れ落ちた。





「アナタハワタシノモノ……」




 聞こえてきたその声に、私はすがりついた。


「私を……許してくれ……私を……まだ……必要としてくれるなら……私を……」

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