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デスサイズ  作者: LALA
Episode11 嘘
96/118

嘘14

 


 一歩、また一歩と進んでいく度に闇が深くなっていく。



 例え この先に何が待ち受けようと、どんな事実が明らかになろうと、知ることを決めたのは、知りたいと思ったのは自分。


 何が あろうと、現実から目を逸らすまい――彼女は その決意を胸に闇の中を突き進むのであった。




 大神の誘いに乗り、ゲートの中を しっかりとした足取りで歩いていく鈴。


 瞼は開いているというのに、まるで閉じているように黒色に塗りつぶされている視界。


 それが ずっと続いている為、平行感覚が おかしくなってくる。


 果たして自分は真っ直ぐ歩けているのだろうか、それとも酔っぱらいのように左右に揺れながら歩いているのだろうか。


 こんな暗闇の中では知る術もないし、考えてもムダだとは分かっていても、頭の隅では そんなことを思ってしまう。




(…………人の気配も あらへんし、何かに(つまず)いたり、ぶつかったりも せえへん……出口も見えへんし…………ずっと、ここから出られんってことは あらへんよな……?)


 不安と共に過る不吉な予感。


 そんなことはないと思いたくとも、その可能性は否定できず、鈴は無意識のうちにゴクリと唾を飲んだ。




『心配しなくても大丈夫だよ……もうすぐ着くから』


「きゃ……!?」


 頭に直接 響く声に心底 驚き、口から短い悲鳴が漏れる。



(……な、何なんやホンマに! ビックリさせんでや!)


『ハハハ、ごめんごめん……まあ僕のことは気にせず、先を急ぎなよ』


(…………ウチの考えは、お見通しっちゅう訳か…………)


 心の声を読んだように言葉を発する大神に舌打ちをしつつ、鈴は気を取り直して再び歩きだす。



 すると大神が『もうすぐ』と言っていた通り、前方に野球ボール程の小さな白い光が見えてきた。



(あれが出口やな!)


 安心感のある優しい輝きに鈴の頬が緩む。


 いつまでも ここに居る必要もないので、鈴は駆け足で光に近づいていく。



 距離が詰まるにつれて光は大きくなっていき、その中にボンヤリと古くさくて小さなアパートが見える。


 だが早く暗闇から脱出したい鈴はアパートを ろくに見ず、光に足を一歩 踏み入れた。




「…………出れたっ!」


 トンネルから抜けたように、何も見えなかった黒い世界から飛び出した鈴。


 彼女が辿り着いた先は屋外であり、まだ夜が明けていないので薄暗い。


 だが暗闇に目が慣れてしまったせいか、鈴には その薄暗さが少し眩しく感じられた。



 さらに常温だったゲートの中とは違い、2月の半ばというだけあって外は冷たい風が吹いており、甚平型(じんべいがた)の入院着という防寒対策をしていない鈴の肌を容赦なく撫でてくる。



「ううっ、寒い……何か羽織っとけば良かった……」


 寒さに身体を震わせながら腕を抱き、改めて正面を見やる。



 彼女の前に そびえるのは、ゲートの中で見た通りの三階建てという小さなアパート。


 壁に塗られている白色のコンクリートは殆どが剥げ落ち、そこから鉄色(くろがねいろ)が顔を覗かせている。


 さらに火事が あった後そのまま修繕しなかったのか、一階のベランダから二階に かけて黒い焼け後が広がっている。


 ホラー映画に登場しても違和感の無い悲惨な荒れ果てっぷりだが、それでも住人は居るらしく、二階と三階の窓はカーテンで閉められている。


 その一方で、やはり一階には誰も住みたがらないのかカーテンが無く、家具も何も無い暗い部屋が露となっていた。




(……一体 何処なんやろ、ここは……)


 不気味なアパートを見上げ、身体をブルリと震わせる鈴。


 身体の震えが止まるどころか増しているのは、きっと寒さのせいだけではないだろう。




『……何だ、覚えてないのか……まあ無理もないね……物心ついてから君が外に出たのは二回だけ、そのうち一回は意識が無かったからなあ』


「意識が無かった……? どういうことや?」


『フフッ、まあ一階の1号室に行けば分かるさ。ホラ、人に見られると怪しまれるから早くしなよ』


 頭に響いてくる大神の声に()かされ、鈴は彼に言われるがまま、火事が起きた場所であろう1号室に早足で向かう。



(……これで、謎が全部 解けるんかな……?)


 震える手でドアノブを握り、ゆっくりと回すと扉はスムーズに開き、鈴は緊張した足取りで部屋に足を踏み入れた。




『いやああああ、殺されるっ!!』


「キャッ!?」


 中に入ると同時に女性の けたたましい悲鳴が聞こえ、鈴の肩がビクリと跳ね上がる。



(人が居るんか!? でも、人の気配があったのは二階と三階だけやのに……と、とにかく行ってみな!)


 慌てるあまり、病院のスリッパを履いたまま玄関から廊下に上がってしまう鈴。


 普段なら土足で部屋に上がる等 無礼な真似は しないが、今の彼女に そんなことを気にする余裕などなかった。




 廊下の突き当たりを右に曲がり、五畳半ほどのリビングに辿り着くと、同タイミングで部屋の隅にある扉から若い女が飛び出してきた。



「なっ………………オカン!?」


 見覚えのある女の姿に驚き、声を出しながら近づく鈴。


 しかし母親に よく似た その女は鈴の存在に気づかず、腰を曲げて荒い呼吸を繰り返しているだけだ。



 同じ部屋、それでいて鈴自身でも うるさいと思うほどの大声だったのに、女に聞こえない訳がない。


 だが、気づいていないのなら騒がれる心配はないと鈴は開き直り、そーっと彼女に近づき、顔を覗きこんだ。




(………………写真で見た、オカンの若い頃と全く同じ顔や………それに、よーく見ると心なしか身体も透けているような…………まさか……お兄ちゃんの仕業……?)


『さすが鈴だねえ。推測通り、それは僕が作り出した幻影……正確には、過去の出来事だよ』


「過去の出来事……じゃあ、これは やっぱり昔のオカンなんか! 身体が透けてるのも、ウチに気づかんのも……幻、やから……」


『ご名答だよ。まあ、いいから映像に集中してなよ』



 その言葉を最後に再び声は聞こえなくなり、鈴は再び過去の母に意識を集中させる。



 すると――




『うわああああ!!』


「っ!」


 切羽詰まった――だけど どことなく情けない悲鳴と共に、母が出てきた扉から、さらに青髪の若い男が転びながら飛び出してきた。



『ちょっと、コケてる場合ちゃうやろ! はよ鍵 閉めんと来るで!』


『わ、分かってるよ!』


 珠美に怒鳴られて男は慌てて立ち上がると、開け放したままのドアを勢いよく閉じ、素早い動きで鍵を かけた。



『…………ハア~』


 珠美と男の気の抜けた溜め息が重なり、2人は力尽きたように その場に へなへなと座り込んだ。



『こ、怖かった……何回 経験しても慣れるもんじゃないな』


『情けないこと言わへんで! それでも男なんか!? ええ、(あお)さん!!』


『そんなに怒らなくてもいいじゃないか……君の方が よっぽど怖いっての』


 蒼と呼ばれた男は疲れた様子で呟きながら、頭をガリガリと掻きむしった。



 一方 鈴は2人の会話は あまり頭に入っておらず、呆けたように蒼の顔を見つめている。



(…………この人……まさか……)




 鈴と同じ、空を連想させる青くて美しい髪色。


 男性にしては細身で、女性顔負けの白くてスベスベな肌。


 優しい雰囲気を醸し出す、垂れ目がちの赤い瞳。


 そして、蒼という名前。



 うっすらと記憶に残っている父と、目の前に居る蒼の姿が重なる。



(……この人が……ウチの、オトン……!)



 単なる映像とはいえ、ボンヤリとした記憶の中ではなく目の前で生きて動いている父を見て、鈴の顔が無意識のうちに綻ぶ。


 緊迫した様子の2人には悪いが、数年振りに この目でハッキリと父の姿が見られたのだから嬉しいものは嬉しいのだ。


 それに鈴は父と過ごした記憶が殆んど無いし、母も あまり父の話を してくれなかった。


 ようやく彼が一体どんな人間なのか分かると思うと、ワクワクが止まらない。





(この人がオトンかあ。何か頼りなさそうやけど……めっちゃ優しそう! それにイケメンやし!)


 映像であるのを いいことに、鈴は まじまじと蒼の顔を見つめる。


 年齢は分からないが、母よりも若く見えるので二十代前半だろう。


 外見通りの年齢ならば、母が年上ということになるが、尻に敷かれてそうなイメージが ある為、その方が しっくりとくる。



(でも……このオトンは……今は もう居ないんや…………もう……死んでもうたんや……)


 ふと現実を思い出し、気持ちが落ち込んでしまう鈴。


 そんな彼女の気持ちに呼応したように、鍵が かけられている扉が内側から激しく叩かれ始めた。



『出せ! ここから出せっ!! またアタシを ここに閉じ込めるのかぁっ!! 今すぐ開けねえと ぶっ殺すぞ!』


 ドンドンドンッ、と扉を叩く音と共に聞こえてくる、甲高く舌足らずな幼い少女のような声。


 粗暴な口調で物騒なことを口にする その声に、珠美も蒼も恐怖に引きつった表情を顔に張りつけた。




「な、なに……? 誰が騒いでるんや……!?」


 何が起きているのか分からずに鈴が戸惑っていると、頭の中から大神の声が してきた。



『ねえ、君は昔 外に出してもらえなかったのは病気で身体が弱かったせいだと、本気で そう信じてるのかい?』


「だ……だって……オカンが そういうから……」


『あんな嘘つきババアの言うことを真に受けるなんて……本当に君は度し(がた)い愚か者だ』


 小馬鹿にした口調と、後から聞こえてきた溜め息に鈴の苛立ちが募り、彼女の表情が険しさを増していく。


 何か文句の一つでも言いたいところだったが、どうせ映像を見ろだとか それだけ言って無視されるのがオチだ。


 ここは何も言わず、グッと堪えて鈴は過去の出来事を真剣に見つめる。



 扉を叩く音は やまない。


 それどころか、勢いが増していく一方だ。


 あまりの激しさに扉が殴り壊されるのではないかと、本気で心配になる。



 チラリと両親の顔を見やると、2人は今にも悲鳴を あげそうなほど表情を歪ませ、凍りついたように その場で立ち尽くしていた。




『出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ』


 その間にも少女は壊れたように同じ言葉を繰り返しており、狂気に満ちた その声に、鈴は全身の毛が逆立つ嫌な感覚を覚えた。




『……ちょっと蒼さん! 出てくるんちゃうか!?』


『だ、大丈夫……大丈夫だと思う……鍵だって掛けてるんだし!』


 苦笑いを しながら答える蒼だが、そんな彼に珠美が怒りの形相で詰め寄る。



『何が大丈夫やねん! その自信は何処から湧いてくるんや! こないだも そう言って、結局アカンかったやないか! アンタの大丈夫ほど当てに ならないもんは ないわ!』


『ああ もう、うるさい!! 頼むから?もう少し静かにしてくれっ!』


『アンタこそ黙りや! この甲斐性なしが!!』


 扉の前で互いを(ののし)りあう蒼と珠美。


 だが、衝撃音と共に勢いよく開かれた扉に よって2人は吹っ飛ばされてしまい、フローリングの床に身体を叩きつけられた。




『いや、やだやだやだ、来ないでっ! いやあああああ!!』


 悲鳴を あげながら起き上がり、怯えきった様子で蒼に抱きつく珠美。


 しかし蒼は腰を抜かしているのか、尻餅を ついた姿勢のまま瞬きもせず、扉を破り出てきた人物を凝視している。



 そんな両親の様子を一瞥した後、鈴も また彼らと同じく開かれた扉に視線を向けた。




「……え?」


 視線の先に居る人物の姿を見て、鈴の身体が芯から凍りつく。




 そこには幼い頃の鈴が、ハサミを片手に狂気に満ちた笑顔を浮かべて立っていた。




「……ウチ……? え? 今、出てきたの……暴れてたの、小さい頃のウチ、なんか……!?」


 震える声を発し、信じられないと言うように頭を振って後ずさりをする鈴。



 見間違いではないかと目を擦り、再度 少女を見やるが、そこには先程と変わらず幼い自分の姿が あった。



 蒼と同じ、空色に近い青くて長い髪。


 それを おさげにしている髪型。


 どう見ても幼い頃の自分に間違いない。



 だが、今の自分と違うところが一つだけあった。



 それは、母と同じ空色の瞳ではなく、父や兄と同じどろりとした血のように赤い瞳である。



(何で目が赤いんや……? ウチの目の色は空色なのに……)


 動揺しながらも記憶を探り、アルバムに あった昔のの写真を思い返すが、その写真に写っている幼い自分の瞳は確かに空色だった筈だ。


 赤色と空色という違いすぎる色を見間違える訳がない。


 なら何故 目の前に居る過去の自分の瞳は赤いのか――考えても考えても、答えは何も見つからず、鈴は混乱のあまり目に涙を滲ませ始めた。




『ねえ鈴。君は疑問に思わなかったのかい? どうして僕だけが、死神の力を持っているのか……双子である君には何故その力が無かったのか…………まあ、低脳な そんな思慮深く物事を考える訳ないよね』


 バカにするように軽い口調で鈴に語りかけると、大神は さらに言葉を続けた。



『……君は自分のことを普通の人間だと思っているようだけど、それは違う。君も僕と同じ……死神の力を持っているんだよ……まあ、今は その力は封印されていて使えないんだけどね』



 耳を疑うような衝撃的な言葉を理解した刹那、鈴は頭が鈍器で殴られたようにズキンと痛みだした。


 その痛みの原因はショックのせいか、はたまた、本能が忘れていた記憶を思い出すことを拒絶している故の痛みなのだろうか。


 どちらにしろ、大神が発した言葉が彼女の精神に大きなダメージを与えたことに変わりはない。




「ウチ、は……普通の人間じゃ、ない? お兄ちゃんと同じで……あないな……恐ろしい、力が……ある……?」


 放心したようにブツブツと呟きながら、鈴が虚ろな瞳で過去の自分を見つめると、彼女は2人掛け用の大きなソファーを掴んで持ち上げていた。



 己の小さな身体よりも大きく、重さも それなりにあるソファーを持ち上げる過去の鈴。


 五歳児の少女が出来る訳がない芸当。


 それは大神の、鈴は“普通”の人間ではないという言葉が嘘ではないことを裏付けていた。





『鈴、お願い やめてえ! ウチらはアンタのお母さんと お父さんなんやで!? 何で こないな事するんやっ!!』


 床に座り込んで蒼に抱きついたまま、涙ながらに娘の凶行(きょうこう)を止めるべく説得を試みる珠美。


 しかし幼い鈴は左手でソファーを持ち上げたまま、(あご)が外れてしまいそうなほどの大口を開けて笑いだした。



『アッハハハハハハ!! 理由なんて決まってるじゃん! 赤くてドロドロとしてて生温い血を浴びたい、人の肉を引き裂きたい……アタシの中の死神の本能が こう叫んでるからさっ!! ヒャハハハハハ!!』


 気が触れてしまったかのように、下品に笑い続ける幼い鈴。



 こんなキチガイのように恐ろしい少女が過去の自分だなんて信じたくない――だが、これは現実。


 (あらが)いようもない、変えようもない、紛れもない現実。


 どんな真実も受け入れると決めたばかりなのに、鈴は この場から逃げ出して再び衝動に駆られた。


 だが彼女の心情とは裏腹に、足は石のように固まって動かず、逃げ出すこと等 出来なかった。



『おやおや……ショックが大きかったようだね。でも、これが君の知りたがっていた真実なんだから満足だろ?


  ご覧の通り、幼い頃の君は とても凶暴で、家族でさえも傷つけようとする手に負えないガキだった。


  だから両親は君を家の中に閉じ込めた。こんな君を外に出したら、それこそホラー映画さながらに人の死体が転がる地獄絵図の出来上がりだからね……ククッ』



 笑い声を間に挟み、大神は息を吸って再び言葉を紡ぎだす。



『君は僕と違って、死神の力を完全にコントロールしきれていない不完全な状態で生まれた。その結果、君は二つの人格を持つようになった。


  人間としての優しさを兼ね備えた人格と、死神の本能に忠実で残酷な人格。簡単に言えば二重人格といったところか。


  本来 死神は持っている魔力を必要に応じて高めたり、逆に抑えたりして理性を保っている。


  だが 君は上手く その力を操れず、不規則に魔力が強まったり弱まったりしている。魔力が弱い時は人間として過ごせるが、強まれば この通りさ。


  瞳は死神の証である赤色に染まり、本能のままに暴れまくる人格が出て来て、誰彼構わず襲おうとしようとする。


  こうやって、閉じ込めてる部屋から出て来て親を襲うだなんて日常茶飯事だった。アイツらには君が手に負えないから、いつも僕が止める係……』


 呆れたように大神が呟くと、過去の鈴の背後に黒い穴が開き、そこから小さな子供の手が伸びて鈴の首を掴んだ。



『ぎいっ!』


 首を掴まれ、潰されたカエルのような悲鳴を あげると同時に持っていたソファーを落とす鈴。


 すると、間髪入れずに伸びてきた手が彼女を中に引きずり込み、そのまま穴は音も無く消え去った。



 それを見届けた蒼と珠美は心底 安心したように溜め息を吐き、立ち上がった蒼が未だに座り込んだままの珠美に手を差し出して立たせる。



『……ふう、助かった』


 珠美がホッと胸を撫で下ろすと、彼女の隣に先程の穴が開き、そこから幼い大神が出てきた。



『鈴は眠ったよ。結界も張ったから、今日は もう大丈夫だと思う』


『おお そうか! お疲れさん義之!』


『……うん』


 ニッコリと歯を見せながら笑う蒼とは対照的に、褒められたというのに大神の表情は浮かない。


 だが そのことを蒼も珠美も気にすることなく、2人は倒れたソファーを元の位置に直し始める。



『………………』


 何か言いたそうに それを見つめる大神。


 その視線を感じたのか蒼が振り向き、父と息子の目が あった。



 しかし――



『何ボーッとしてるんだ義之。もう夜も遅いんだぞ、早く部屋に戻って寝なさい』


『…………はい』


 素直に頷くと、大神は踵を返して自分の部屋に戻っていった。


 蒼と珠美は気にしていないようだったが、鈴には去っていく彼の背中が、とても寂しそうに見えた。




『……鈴が暴れる度に僕は駆り出されて、部屋に連れ戻しては結界を張り直す日々。鈴のストッパー役……両親に とって僕の存在価値は それ以上でも以下でもない。


  2人の愛情は、危険度が高くて目を離せない……だけど可愛い娘の鈴に ばかり向けられた。仕方ないとは分かっていても、寂しかった。


  いつだって当たり障りのない態度で接せられて、誕生パーティーの主役も鈴で、僕は脇役扱い。せめて……愛されてる証が欲しかったよ』


 頭の中に響いてくる兄の声は、いつもの嫌みったらしく自信に満ち溢れたものではなく、愛情に飢えて、孤独感に(さいな)まれている、弱々しく切なげな ものだった。


 その声を聞いた鈴の脳裏に、先程 見た幼い大神の寂しそうな後ろ姿が過り、胸の奥が心臓を鷲掴みにされたように激しく痛んだ。




「……お兄ちゃん、あの…………ウチの、せいで……」


『安っぽい同情なんか いらない。そんなものを する暇が あるなら、過去の出来事を よーく見てるんだね』


 震え声で紡ごうとした謝罪の言葉を(さえぎ)られ、仕方なく鈴は再び両親に意識を向ける。


 すると先程とは場面が変わり、暗く沈痛な表情を浮かべた蒼と珠美がテーブルを囲んでいる光景が目の前に広がっていた。




『……義之、結局 帰ってきいひんかったな……』


『…………』


 俯きながら珠美が呟いた言葉に、無言で頷く蒼。


 しかし珠美は その態度が(しゃく)(さわ)ったのか、テーブルをバンッと叩きながら顔を上げて蒼を睨みつけた。



『よく そないに落ち着いてられるな! 義之が おらんくなるっちゅうことは、鈴を止める係が居なくなるって ことやで!? どないする つもりや!!』


 今にも掴みかかりそうな勢いと形相で怒鳴る珠美に気圧(けお)され、蒼の こめかみに滲んだ汗が一筋 頬を流れていく。


 ヒステリックに騒ぐ妻に怯えているのか、蒼は何も言わずに目線を泳がせるばかり。


 だが何か良い言葉でも浮かんだのか、不意に引きつった笑顔を浮かべると おもむろに口を開いた。



『まだ、帰って来ないと決まった訳じゃないだろ? 明日の朝になったら、何事も なかったように ひょっこりと戻ってきてるかもしれない』


 宥めるように、言い聞かせるように、蒼は優しく そう述べる。


 それでも珠美の眉間に刻まれたシワは消えず、むしろ深くなっていく。



『じゃあ逆に、アイツが帰ってくる確証が あるんか!?』


『うっ、それは……』


『ほらみい! その場しのぎの気休めなんか やめや!!』



 そう言い切ると、珠美は怒り狂ったように頭を わしゃわしゃと掻きむしり始めた。



『もうイヤ!! 限界!! 子供が2人揃って化け物みたいな力を持ってて、オマケに娘は毎日のように襲ってくる!! 頭が おかしくなりそうや!


  ウチは普通の生活を送りたかっただけやのに、どうして こんな異常な毎日を送らなアカンねん もうイヤーーーーーー!!』



 これからの不安によって、今まで溜め込んできたものが切れたのか、珠美は癇癪(かんしゃく)を起こして泣き叫びはじめてしまった。


 しかし蒼は宥めても無駄だと悟っているのか、彼女と顔を合わせようとも声を かけようともせず、ただ黙って俯いているだけだ。




『このまま一生 娘に怯えて生きていかなアカンのか! もうイヤ、イヤ、イヤ! ウチは ただ普通に幸せに暮らしたいだけなのにっ!!』


『……珠美……』


 幼子のように手足をバタつかせて騒ぐ珠美。


 彼女の悲痛な叫びを聞き続けていた蒼は何かを決意したように小さく頷くと、俯いていた顔を ゆっくりと上げて妻の顔を見つめた。



『……ゴメンよ珠美。俺のせいで、君を……こんなにも苦しめてしまって…………本当に、ゴメン』


 頭を深々と下げて謝罪する蒼。


 しかし珠美は彼が謝っている理由が よく分からず、困惑した様子で下げられた蒼の頭を じっ、と見つめている。



『な、何やねん急に……俺のせいって……謝っとる意味が分からないんやけど』


『……言葉の通りだよ。鈴と義之が不思議な力を持っているのは……俺が原因なんだ……!』


 ずっと怪訝そうな表情を浮かべていた珠美だったが、蒼の言葉に目を大きく見開いた。



『…………どういう事やの? 分かるように説明しいや』


 感情を抑えるような低い声を発する珠美。


 身体は僅かに震えており、訳が分からなくて混乱しているというよりも、苦しみの現況が目の前に居る夫である可能性に怒りを抱いているようだ。


 蒼も そのことに気づいているのか強張っている肩を竦め、顔を上げずに俯いたまま喋り始めた。



『…………今から言うことは、普通なら信じられないような非現実的なことだけど……でも嘘じゃなくて本当……』


『前置きはエエから はよ話せや! どういう事やねん!?』


 珠美の怒鳴り声にビクつく蒼だったが、すぐに気を取り直して話を再開する。



『………………実は……俺は人間じゃない。人の姿を しているけれど、れっきとした死神。そして その子供である鈴と義之は人間と死神のハーフ。2人の力は死神の血を引く故のものだ』


 (よど)みなくスラスラと答えた蒼だったが、話を黙って聞いていた珠美は口を半開きに したままボーッと彼を見つめている。


 まあ、いきなり夫が自分は人間ではなく死神なんだと言い出したのだから、彼女の反応は無理もないだろう。


 むしろ相手の頭が大丈夫か心配してもいいレベルの とんでもない話である。




『……何をバカなことを……アンタも疲労から ついにイカレてもうたか』


 案の定 珠美は呆れたように呟き、溜め息を吐いている。


 しかし蒼は妻の その反応は想定内だったのか、特に動じた素振りもなく立ち上がった。





『……何しとんねん』


 蒼の動きに珠美が注目していると、蒼は無言のまま右手を高く掲げた。


 すると どこからともなく黒い煙が周囲に立ち込め、その煙が蒼の右手に集まり始める。



『何!? 何なん この煙は!?』


 非現実的な光景に驚愕する珠美だが、そんな彼女を尻目に蒼は手元に集まってきた煙を鷲掴みにする。


 そうすると握りしめた煙が一瞬にして巨大な鎌――デスサイズへと姿を変え、さらに間髪入れずに蒼の影が動き出して彼の身体を包み込み、服装も漆黒のコートに変化を遂げた。




『…………あ……あぁ……』


 変身した蒼の姿に言葉を失う珠美。



 黒いコートと、不気味な笑みを浮かべている骸骨が彫られている巨大な鎌。


 それらを身に付けた蒼は、どこからどう見ても神話等で言い伝えられている死神にしか見えなかった。




『……コレで分かっただろ? 俺は死神……“蒼”という名も、人の世界で生きる為に適当に考えた名前さ…………ずっと隠してて、ゴメン』


 デスサイズと身に纏っているコートを消し、元の姿に戻ると蒼は再び席につく。



『本当は、ずっと秘密にするつもりだったんだ。でも、このまま義之が帰ってこなかったら俺が鈴を止めなくちゃいけなくなるだろ?


  そうなったら、死神の力を使わないと とても止められそうにない……いずれバレるのなら、自分の口から言った方が良いと思っ……』


『ふざけんなや!!』


 ずっと黙っていた珠美の怒声によって言葉尻が掻き消され、彼女の勢いに たじろぐ蒼。


 とりあえず何か言って珠美を落ち着かせようとするも、鬼の形相となっている妻の恐ろしさに負けて、口を つぐんでしまう。




『アンタは人間のフリを してウチを騙して、バケモンの子を産ませた!! それだけじゃなく、自分の正体がバレるのを恐れて、義之に鈴を止めさせるっちゅう嫌な役を押しつけた!!』


『い、言い方を悪くしたら……そういう……ことに……なるし、隠し事をしてたのは……本当に申し訳ないと思ってる。でも、君を……家族を愛している気持ちは本物なんだ!


  もし義之が帰ってこなくても、俺が鈴を命懸けで止めてみせる! だから、家族で力を合わせて これからも頑張ろう!』


 震えている珠美の手を、励ますように優しく包み込む蒼。



 だが――





『…………ウチに…………』


『ん?』


『……ウチに触るな、この化け物っ!!』



 添えた手は、悲鳴に近い珠美の声と共に乱暴に引き剥がされてしまった。




『何が愛する気持ちは本物や、何が家族で力を合わせて頑張ろうや!! 死神だか何だか知らんけど、化け物なんか愛せる訳ないやろっ!!』


『た、珠美…………』



 引き剥がされた際の痛みが残る手を押さえながら、蒼は今にも泣き出しそうな顔で珠美を茫然と見つめている。




 妻からの明確な拒絶。明確な憎悪。


 今まで愛し、愛される関係だったのに。



 彼女は、拒絶した。


 愛した夫が死神だったから、拒絶した。


 今までの愛は嘘だったかのように、手のひらを返して嫌悪感を隠そうともせずに拒絶してきた。



 いや――愛していたからこそ、ずっと嘘を吐かれていたことが許せないのかもしれない。


 可愛さ余って憎さ百倍とは このことだろうか。



 昔の人間は上手いことを言ったものだと、蒼は どうでもいいことを頭の隅でボンヤリと考える。




『…………出てって、もう顔も見たくない。化け物だと知ってなお、アンタを夫として愛することなんか出来へん』


『なっ……待ってくれよ!』


 焦燥感に駆られ、蒼がガタンと音を鳴らしながら椅子から立ち上がった。



『愛というのは深いんじゃなかったのか!? そんな簡単に永遠の愛を誓いあった男を、何度も身体を重ねた男を捨てるのかっ!?』


 徐々に口調が荒くなり、怒鳴り声と化す蒼の言葉。


 そんな彼の態度に珠美は涙を流しながらも、『アンタなんか家族やない、出ていけ!』と同じことを叫び続けている。



 怒鳴る父と、泣き叫ぶ母。



 この2人の やりとりに、鈴は見覚えがあった。




(……ウチが見た、オトンの最後の姿……オトンが死ぬ前の出来事……)


 記憶に うっすらと残っている、父と母の言い争い。


 もし、目の前に広がる光景が記憶と同じものならば、幼い頃の自分が廊下のドアの隙間から覗き見を している筈だ。


 そう考え、鈴は先程 幼い鈴が出てきたドアに視線を向ける。



 すると予想通り、ドアの隙間からパジャマ姿の幼い鈴が寝ぼけまなこで夫婦喧嘩を見つめていた。


 それによって鈴は、この映像と記憶が同じものであると確信した。

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