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デスサイズ  作者: LALA
Episode11 嘘
95/118

嘘13

 


 暗闇の中を一人 進む玲二。


 どれだけ歩き続けているのか分からない。


 実際には ほんの数分しか歩いていないのかもしれないが、自分の身体すら見えない黒い世界の中、時間の感覚が鈍って何時間も歩いているような気がする。



 どれだけ歩いても光は見えず、出口に向かって歩いているのか それとも道を逸れているのかも分からず、このまま ずっと闇を さまよい続けるのではないかと そんな不安が胸中を よぎる。


 だが、足を止めても事態は何も変わらない。


 両親、そして黒斗と鈴の無事を祈りつつ、玲二は進んでいく。




 それから暫く歩いていると、前方からに青紫色の微弱な光が見え、暗闇に射し込んできた。



(あっ……! もしかして出口!?)


 ようやく見えてきた光。


 それは玲二に安心感ではなく、不吉を予感させる不気味な光であったが、闇の中に居るよりはマシだと玲二は足早に 光へ向かう。




 やがて光へと到達すると、目の前が突然 目映い光が はしり、あまりの眩しさに玲二は咄嗟に目を瞑ると、続いて強烈な悪臭が鼻腔(びこう)をついてきて、あまりの臭さに玲二は咳き込んでしまった。



「うええ……何この匂い……」


 甘ったるく、まるで生ゴミのような腐臭。


 一体 何があるのかと玲二は恐る恐る瞼を開く。


 だが、目の前に広がる光景を見た その刹那、玲二の顔が恐怖に歪んだ。




「うわあああああぁあぁぁぁぁああああ!!」


 崩れ落ちるように膝を折り、その場に座り込みながら悲鳴をあげる玲二。


 その瞳に映ったのは、正方形の大きな穴に所狭しと敷き詰められた人間の死体。


 腕や足が無くなっている死体、首無しの死体、逆に首だけの死体。


 中には腐り果てた肉が削ぎ落ちて、骨が露となっている死体も いくつかある。



 まさに死体の海と呼ぶに相応しい地獄絵図に、玲二は ただ身体を震わせることしか出来ない。





「おや? 何を そんなに怯えているんだ?」


 ウンデカの声が すぐ後ろから聞こえてくるが振り向く余裕も返事をする余裕も無く、彼が どんな顔を しているのか知ることが出来ない。


 だが当のウンデカは反応が無かったことを気にする素振りも無く、涼しい顔で部屋に視線を走らせる。



 まるで地下に作られた拷問部屋のように、石で出来た床と壁にベッタリと ついている血痕。


 それに加えて装飾品は天井に吊るされている青紫色の炎を灯す たいまつしかない。


 無駄に広く、不気味な光が照らす この部屋で これから何が行われるのか――玲二には見当もつかない。




「……うっ、ぐ……」


 腐乱死体から絶え間なく漂ってくる匂いに触発され、胃の奥から熱いものが込み上げてくる。


 だが それを吐いてしまえば、腐臭に胃液の匂いが増すことになり、さらに悲惨なことになるだろう。


 そうならない為にも、玲二は口を押さえて目を固く瞑り、顔を俯かせて必死に吐き気と戦った。



 しかし、ウンデカは そんな彼の状態を知ってか知らずか馴れ馴れしく肩に腕を回し、いたずらっ子のような笑みを浮かべて声を かけてきた。



「どうした? 家族や友を助けたいのではなかったか? お前が いつまでも そうしているようだったら、私は彼らを殺しに行かねばならなくなるのだが」


「……ッ」


 閉じていた目を くわっと見開き、横目でウンデカを見やる。



「お前が この死体の中に入る…………それだけで、家族も友も救われるのだ。たった、それだけの、ことで、な……」


 強調するように一言 一言を区切って言い聞かせるウンデカ。


 本来なら そんな言葉を聞いても もう少し冷静かつ慎重に物事を考えられただろう。


 だが親友である洋介が目の前で殺され、それに加えて今までの経験――母と松美の死、大神に操られた母等、あまりにもショッキングな出来事が立て続けに起きたせいか、玲二は正常な判断能力を失いつつあった。




「………………はいれば、いいんですよね?」


 消え入りそうな小さな声で問うと、ウンデカはクスッと鼻で笑って頷いた。


 それを確認すると玲二は まるでゾンビのように ゆらりと立ち上がり、フラフラと おぼつかない足取りで死体の山に向かっていく。




 死体が敷き詰められている穴の前に立ち、悪臭 漂う その場所を見下ろす。



 どす黒い血が固まったような斑点(はんてん)が身体中に出来ている者。


 既に白骨と化している者。


 水膨れのような水泡が浮き出て、まるで鬼のように膨れて醜く、原型を とどめていない者。



 今まで見たことが無い――普通に人生を送っている分には見ることがないであろう凄惨な光景に、玲二は目眩を覚える。




 ──大丈夫、ただの死体だよ。



 ──ただ、この中に入るだけだよ。それだけで皆が助かるんだ。



 ──もう誰も……死なせたく……ないんだ!




 有理は憎かった。だけど死んではほしくなかった。


 罰を受けて他人の痛みを理解し、正しい道を歩んでほしかった。



 短気で怒りっぽいけど、愛情深くて大好きだった母。


 ちゃんと側に居て、行動を戒めていれば死なずに済んだかもしれなかった。



 初恋の人で永遠に憧れの女性、松美。


 例え恋が実らずとも、よき友になりたかった。もっと彼女のことを知りたかった。



 大切な親友の洋介。


 気が優しくて、腕を失って辛かった筈なのに友人に いつも笑顔を見せて安心させていた。




 皆、死んでいった。


 もう会えない。


 どんなに願っても、求めても、会えない。


 姿を見られるのは夢の中と、決まった姿と顔しか見せない映像と写真の中だけ。


 それに温もりなんてない、ただの過去の映像。


 確かに存在していた筈なのに、家族や知人など一部の人間の記憶にしか残らず、いずれは最初から存在しなかったように忘れ去られる。



 もう こんな虚しさは、悲しみは、ゴメンだ――




 誰も死なせたくない。


 優しくも強い、そして危うい その気持ちが、無情にもウンデカに利用されてしまった。




(……いこう)


 意を決し、玲二は死体の山へ一思いに飛び込んだ。




「ううううぅぅぅぅ!!」


 足がズブズブと沈み、あっという間に肩までが埋まってしまった。


 どうやら死体が高く積まれていたようで、この穴は実は かなり深かったようである。



 下半身が完全に埋まり、さながら腐乱死体の天然温泉のようだ。




(臭い、気持ち悪い……! 早く、早く出たいよ……!)


 死体の中に埋もれてしまった足をジタバタと動かす。


 だが当然と言うべきか、スッポリハマってしまった足は地上に出ることが出来ない。


 それどころか下に敷かれているのであろう死体の肉が剥げ、脆くなっている骨が駄菓子のように崩れていくのが靴越しに伝わってくる。


 その感覚が とても気色悪くて吐き気が さらに強まり、ついに我慢出来なくなった。




「う゛お゛お゛おえぇぇぇ゛!! ゲ、ゲエッ!!」


 胃液が漏れるのと同時に手で口を押さえるも、水道のように勢いの強い汚物は止まらず、玲二の正面にあった目を閉じている若い男の死体に かかる。


 その時、死んでいる筈の その男の瞼がカッと開かれ、濁りきっている瞳孔が露となった。




「うわあああ!?」


 死体の目が開かれたことに驚き悲鳴をあげると、埋まっている足が何かに掴まれて すくわれてしまい、玲二は仰向けに死体へと倒れこんだ。


 すると この瞬間を待っていたとばかりに積まれていた死体が一斉に動きだし、玲二の身体を掴んで彼の動きを封じた。




「ああぁっ!! あっ、あっ、うああああああ!!」


 恐怖に おののき 絶叫する玲二だが、大きく開かれた その口に死体が指を突っ込んできて、まともな言葉を紡ぐことが出来なくなってしまう。



「お、ぐっも、えおおお」


 口内に広がる、まとわりつくように濃厚な腐敗臭。


 アンモニア臭に酸っぱさを足したような匂いにより、再び込み上がってきた胃液が指の隙間から だらしなく流れ落ちる。




「また吐瀉物(としゃぶつ)か。臭くて堪らん……さっさと終わらせろ」


 鼻を手で覆いながらウンデカが呟くと、死体達は玲二の腹に爪を たて、そして躊躇(ちゅうちょ)なく引き裂いた。



「もがあ゛あ゛あ゛ぁあぁあ゛あ!!」


 苦痛に呻く声と共に、胃液まじりの血液が口の端から垂れる。



 あまりの激痛に もがこうとする玲二だが、押さえつけられている力が強く、身動き一つとれない。


 その間にも死体達によって制服ごと腹の肉が裂かれ、そこからドロドロとして生温い血が身体中を汚していく感覚がする。


 (はらわた)を いじくりまわす死体の手が、身体の内側から破裂してしまいそうな痛みを与えてくる。




「か…………は、ぁ……」


 気が遠くなっていき、それに伴って痛みも無くなっていく。


 ほんの数秒前までは身体中が熱かったのに、今では寒くて寒くて堪らない。


 まるで氷を全身に押し当てられているようだ。




(…………あ……あぁ……なんだか、ねむい、や……)


 寒気と共に襲ってくる睡魔。


 ここで眠ってしまえば全てが終わる――そう分かっていても、玲二の意思とは正反対に瞼が徐々に閉じていく。




 ──おかあさん……おかあ、さん…………。




 薄れゆく意識の中、玲二が最後に見たのは裂かれた腹から飛び出している、長くて うねうねした血濡れている腸を食べている死体の姿だった――




 ******




 その頃――




「ほあちゃあああああああ!!」


 既に日が半分以上 沈んでいる住宅街に、妙な かけ声と共にアナスタシオス教団のチラシを引き剥がしている内河の姿があった。




「ひぃー、ふぅー……ああ、今日も よく剥がした! これで今日は32枚目だな! 時間も時間だし、今日は これまでにしとくか! ったく、教団の信者共め……暇人すぎるだろ、あちこち貼りまくりやがってよお!」


 一日の仕事を終えた工事現場の職員よろしく爽やかに汗を拭う内河。


 今日 彼は いつものように、教団のチラシを引き剥がす作業に勤しんでいたのだ。



 ひとしきり汗を拭うと彼は制服の胸ポケットに手を入れ、中からデコボコな形をした桃色の お守りを取り出す。


 それは松美が生前、兄の為に一生懸命 作った恋愛成就の お守りであった。



 黒斗から このお守り――誕生日プレゼントの存在を知らされた内河は、家に帰った後 すぐさま このお守りを探した。


 松美は何かを隠す時、キッチンの戸棚の奥の奥に仕舞う癖があった為、作った本人に聞かずとも すぐに発見することが出来ていた。




「松美、今日も お兄ちゃん頑張ったぞ! 絶対に お前の無念は晴らすからな……だから見守っててくれよ!」


 今は亡き妹に語りかけるように呟くと、内河は お守りを再びポケットに仕舞い、自宅に向かって歩き出した。




「また お父ちゃんが来てるのかなあ。まあ、でも お父ちゃんなんて怖くねえぜ! お母ちゃんは俺が守るぜ! 見せてやるぜ、俺の男気って奴を~!」


 腕を ぶんぶんと回しながら かなり ご機嫌な様子で歩く内河。


 角を曲がり、自宅が見えてくると さらに頬が緩んだ。



 しかし、その笑顔は自宅の前で電柱に黒いチラシを貼っている人物を視界に捉えた瞬間 瞬く間に消え失せた。




「あっ、あれは……あれはああああ!」


 大声を出しながら角に身を潜め、こっそりと不審者の様子を(うかが)い、歯軋りをする。




「ムギギギ……あの骸骨の仮面に黒いコートとチラシ! どっから どう見てもアナスタシオス教団の信者じゃねーか! よりによって俺様の家の前で貼りやがってえ! これは挑戦か! 内河 松男への挑戦状かあ!?」


 心情を大声で漏らす内河だが、一心不乱にチラシを貼る信者は彼の存在に まるで気づいていないようだ。


 それを良いことに内河は信者の動きを観察する。



 素顔は見えず、コートに付いているフードも しっかり目深まで被っている為 髪型も不明。


 だが、180㎝は越えているであろう長身と肩幅が広く がっしりとした体型から男性であることは想像に(かた)くない。


 年齢までは さすがに分からないが、大人の可能性が高いだろう。




「……しっかし、いい年した大人であろう人物が何の疑いもなく、あんな怪しさマックスの教祖に よく従うなあ! ほんと宗教ってのは恐ろしいもんだぜ……」


 ブツブツと独り言を呟き、早く居なくなれと言わんばかりに目を細めて信者を睨む。




「あの」


「……おっ?」


 チラシを貼る信者に近づく一人の中年男性。


 見覚えのある その姿に、内河は あんぐりと口を開ける。




「ありゃあ、篠塚さんじゃねえか!! 何で あの人が教団の信者に近づくんだよ!」


 驚愕の声を あげている間にも清菜の父、邦之は信者の前に立ち、手に持っていたチラシを突きつけた。




「……貴方、アナスタシオスとかいう宗教の関係者ですよね?」


「………………」


 視線を邦之ではなくチラシに向けたまま、何も答えない信者。


 邦之に対して まるで興味など無いとばかりに、電柱に貼ったチラシを手のひらで撫でてシワを無くしていく。


 しかし、それでも邦之は動じることなく信者に詰め寄る。



「あの、話が あるんです。少しだけ お時間頂けませんか」


「………………」


「……そうですか、無視ですか。では、言い方を変えます。篠塚 清菜という名前に心当たりは ありませんか?」


「…………我々に何か用ですか」


 清菜の名を聞いた途端、信者は邦之の顔を見て淡々とした冷たい声を発した。


 低く渋みのある その声は、この人物が男性だと決定づけた。




「私は篠塚 清菜の父です。貴方達には、娘に ついて聞きたいことが あるのです」


「……父親のくせに娘のことを他人に聞くのですか。日頃から扱いが ぞんざいで、子供の気持ちすら考えていないことが窺えますね」


「うっ……。わ、私のことは どうだっていいんです! ちゃんと話を聞かせて下さい!」


 耳に痛い言葉に眉を寄せると邦之はゴホン、と咳払いを して さらに続けた。



「貴方もニュースや新聞で知っているとは思いますが……娘は死神に殺されました。ですが……私は娘が殺されたことに、この教団が関係あると考えています」


「何故そう思うのです? 清菜さんは運悪く死神に目をつけられて殺害された……普通は そう考えるべきでは?」


「……貴方達アナスタシオス教団の服装は死神を連想させるようなもの……それに清菜は昔、この教団について一度だけ私に話したことがあるんです。


  お父さんも教団に入ったら どうかって。勿論 私は断り、変な宗教なんかに入るなと注意しました。それ以降、娘は教団の話をしなくなった……。


  だけど、よくよく考えてみれば娘の様子が おかしくなったのは その話を する少し前からだった。だから私は、何か関係があるのではないかと教団の関係者を探していたんです」



 そこまで言ったところで邦之は言葉を止め、肺に空気を取り込むように深呼吸を した。


 対する男は無言のまま邦之を見下ろし、何かを考え込んでいるように腕を組んでいる。




 一方 その様子と会話を ずっと見て聞いていた内河は、アナスタシオス教団が とても危険な存在だと知らず、教団と接触を図っている邦之の迂闊(うかつ)な行動に嫌な汗を流していた。



「うわあああ、大丈夫かよ大丈夫かよ!? もし いきなり、清菜さんの言ってた人を変死させる水を ぶっかけられた どーすんだよ!」


 (わめ)きながら頭を ぐしゃぐしゃと掻きむしる内河。


 こうなったら今すぐ2人の間に割り込んで、強引にでも邦之を信者から遠ざけようか――そんな考えが浮かぶも、それでは自分まで危険に巻き込まれてしまう可能性があると考え直す。


 別に自己保身という訳ではない。2人して襲われては いざという時に助けを求めたり、邦之を救出できなくなってしまうという懸念である。




「と、とにかく! 俺は もう少し様子を見るぜえ!」


 内河は そう叫ぶと、固唾を呑んで2人の様子を再度 窺い始めた。


 すると信者が組んでいた腕を(ほど)き、懐からスマホを取り出して何やら操作を始めた。



「人が喋ってるのにスマートフォンなんか構わないで下さい! 実際どうなんですか!? 娘の死と教団は関係あるんですか!?」


「……残念ながら、私は詳しい話は知りません。しかし教祖様なら何かを知っているやもしれません。良かったら、教祖様の元まで案内いたしましょうか?」



 その言葉を聞いた邦之の口元がピクッと僅かに引きつるも、驚いた様子はない。


 それどころか、狙い通りだと言わんばかりに うんうんと頷き、笑っているように目を細めている。



「そうですね、貴方では相手にならないので教祖に会わせて下さいますか。その方がハッキリしますし」


「分かりました。では、私の後を ついてきて下さい」



 そんな会話を交わすと、邦之は信者と共に教祖が居る場所を目指して歩き出した。




「オワタ!! 篠塚さんオワタ!! 何で得体の知れない奴にホイホイついていくんだよ幼児じゃあるまいしーっ!!」


 頭を抱えながら犬の芸[おまわり]のようにグルグルと回る内河。


 あのまま信者に ついていっては、何を されるのか分からない。


 邦之のことは快く思ってはいないが、彼の危険を黙って見過ごすほど内河は冷血ではない。


 こうなったら自分も彼らを こっそり尾行しようと、内河は忍び足で歩き出した。



 だが その途中、黒斗と交わした『教団について探る時は1人で行動せず、必ず黒斗と行動する』という約束を思いだし、内河は足を動かしながら携帯を取り出した。



「俺は約束を守る男だからな! ちゃんと月影にも連絡しておかねば!」


 律儀にも黒斗へ電話をかける内河。


 しかし、長いコール音のあとに聞こえてきたのは彼の声ではなく、電波が届かない場所に居るか、電源が入っていない為 繋がらないということを伝える無機質な女性の声であった。



「んだよ! 肝心な時に使えーなー! しゃあない、俺だけで追うか……上手くいけば奴らの悪事を暴き、その事実を告発することが出来るかもしれねーからな!!」


 気合いを入れ直し、内河は信者と邦之に気づかれないよう彼らの尾行を続けるのだった。





 信者と邦之を尾行して、数十分――未だに2人は足を止めないし、教祖らしき人物の姿もない。


 それどころか だんだん人気のない裏路地へと進んでいき、内河の不安を大きくしていくばかりだ。




「……うぅ……これはマズイですよ!? 一体 篠塚さんは何を考えてんだよ……子供の俺ですらヤバイと分かってるのに、何でアンタは分かんねえんだああ!!」


 再び騒ぎ出す内河。


 距離が離れているとはいえ こんなにも大声を出しているのに、信者も邦之も内河の存在に気づいていないのか、振り向くことなく歩みを進めている。


 これで内河が冷静な状態だったら、このことに僅かでも疑問を覚えただろう。


 しかし、興奮状態の彼は邦之の心配をするだけで精一杯であり、不審な点を気にする余裕などなかった。




「……ここです」


 やがて裏路地の行き止まりに辿り着き、信者はポツリと そう呟くとスマホを取り出して操作を始めた。


 一方 邦之は、怪訝そうに辺りを見渡して教祖どころか自分達以外 誰も居ないことを確認すると、こちらに背を向けている信者の肩を掴み、強引に自分の方へ向かせた。



「誰も居ないじゃないですか! 私を からかっているのですか!?」


「…………」


「何か言ったら どうなんだ!!」


 怒声を浴びせる邦之だが、信者は やはり何も答えない。


 それどころか「くくっ」と爆笑を堪えているような声を漏らしている始末である。



 人を小馬鹿にした その態度に邦之の怒りが頂点に達し、信者の胸ぐらを掴む。


 だが信者は気分を害した様子もなく、これ見よがしにスマホを掲げると、人差し指で画面の中央をタッチした。


 すると邦之の背後に黒い穴が出現し、そこから人間の腕が にゅっと伸びてきた。




「うあああっ!!」


 伸びてきた腕に首を鷲掴みにされ、悲鳴をあげる邦之。


 その間にも首を掴む手の力は増していき、彼は みるみるうちに穴の中へと引きずりこまれていってしまう。




「ホラ見ろ言わんこっちゃねえ! 篠塚さあああん!!」


 それを見ていた内河は、じっとしている場合ではないと物陰から飛び出し、邦之に向かって全速力で駆け寄る。



 しかし内河が辿り着く前に、邦之は穴の中に引きずりこまれてしまい、邦之の姿が見えなくなると同時に黒い穴も瞬時に消え去った。




「……マジかよ……さらわれちまった……」



 助けが間に合わず、邦之が連れ去られてしまったことにショックを受けて呆然と立ち尽くす内河。


 虚ろな瞳で穴が開いていた場所をボンヤリと見やる彼の肩を、不意に信者が叩いてきた。



「出てくるのが遅かったな松男。まあ仮に お前が早めに出てきていたとしても、結末は変わらなかっただろうが」


「んだと!? 俺の本気を舐めんなよ!? というか何で俺の名前を知ってんだよ!?」


「……ハア……まだ分からないのか? 本当に お前は出来が悪いバカ息子だな」



 呆れたように呟き、被っていたフードと仮面を外して素顔を晒す信者。


 露となった その顔を目の当たりにした瞬間、内河は身体の内側からカーッ、と不快な熱が こもってくるのを感じた。


 それと同時に、肺に何か大きくて固い物でも詰まっているように空気を体内に上手く取り込むことが出来ず、息苦しさのあまり彼は胸を押さえて浅い呼吸を繰り返す。



 これらの状態は怒りからか、はたまたショックから来るものなのか――頭が混乱している今の内河には分からなかった。




「……な、んで……なんで、アンタがアナスタシオスの信者なんだよ!? お父ちゃんっ!!」



 信じられない、といったように目を大きく見開き、脂汗を額に滲ませる内河。


 しかし信者――松之助は そんな息子を(あざけ)るようにニタニタと醜い笑みを浮かべるばかりだ。



「……くうぅ~、我が父親ながら なんちゅー憎たらしい笑顔っ! その横顔を俺様の正義の拳でボコってやりてえ! ハア~、ハア~!」


 眉を寄せながら内河が苛立だしげに握り拳へ息を吹きかけると、松之助は得意気に鼻を鳴らし、汗で濡れている息子の額を人差し指で小突いた。



「あだっ!! 何しやがる! 正義の鉄拳を食らわすぞ こんちくしょう!」


 ガルル、と獣のように唸りながら松之助を睨みつける。


 しかし、彼は「おお怖い、怖い」と わざとらしく己の肩を両手で抱き、あくまでも からかう態度を崩さない。




「ふう、相変わらず思ってることを口に出す奴だなあ。さっきもピーチクパーチクとスズメのように(わめ)いて……笑いを堪えるのに必死だったぞ?」


「ぎょぎょぎょっ!? き、気づいていたのか!」


「あんな大声で気づかない訳ないだろうが、バーカ! 篠塚の奴も お前が尾行していることを分かっていたようだったが、構ってられないと思ったのか無視していたがな……ガハハハハ!!」



 唐突に笑いだす松之助。


 一体 何が そんなに可笑しいのか、内河には理解出来ないし したくもない。



「……でも……お父ちゃんが教団の一員なのなら……松美が誰に殺されたのか、どうして死んだのか……知ってる訳だよな……」


 大口を開けて下品な笑い声を あげる父の顔を見て、ボンヤリと独り言を漏らす。



 松美が死んだのはアナスタシオス教団が持っている水のせい。


 そして父は教団の信者。


 信者であるならば、松美が変死した原因が その水なのだと分かっている筈だ。



 それなのに。


 それなのに、父は何も知らない ふりをして、意地の悪い祖母まで連れ出して母を責めたてていたというのか。


 父親として、男として最低だと ずっと思っていた。


 だけど それは間違いだった。


 彼は父親だとか男だとか、そういうこと以前に人間としてクズだったのだ。



 そんな思いが脳裏を よぎると、内河は血の繋がった――血を分けてくれた父親に対して殺意に近い怒りを覚えた。




「何なんだよ……何なんだよ、何なんだよ、何なんだよっ!! お前は自分の娘を殺した教団に身を置いて、全部 知ってたくせに お母ちゃんを責めやがって!


  この……この……最低のゴミ屑の消しカスの掃き溜めの生ゴミ野郎!! お前なんかが父親だなんてヘドが出そうだぜっ!」



 キャンキャンと犬のように喚き散らすと、松之助の顔色が変わった。


 つい さっきまで浮かべていた笑顔が消え失せ、別人のように冷たい(さげす)みの表情を浮かべて息子の顔を じっと見つめている。


 その鋭い眼差しには普段なよなよしている父の面影などなく、その視線だけで人の胸を貫いて殺せるのではないかと錯覚してしまう。



 あまりの迫力に思わず後ずさる内河。


 すると、松之助が突然 右手で髪の毛を掴んできて引っ張りはじめた。




「いだいいだいいだいいたい!!」


 無理やり髪の毛を引かれ、頭の皮膚が剥げるのではないかと心配になるような痛みが襲ってきて内河が悲鳴をあげるも、松之助は手を離そうとしない。



「ぢくじょう、俺に何をするつもりだっ! 離せ、クソッタレ!」


 痛みに耐えながら叫ぶが、やはり松之助は髪から手を離さない。


 それどころか口笛をふきながら空いた片手でスマホを取り出し、操作をしている。



「ざけんなコラア!! 離せっつってんのが分かんねえのかっ!!」


「全く うるさい奴だ……ぎゃあぎゃあ騒がしいのは、あの粗暴な母親と一緒だな」


 さりげなく妻の悪口を呟くと、松之助の背後に先程 邦之が引きずり込まれた黒くて大きな穴が開いた。



「ゲゲッ! これはマズイ、マジでマズイ!」


 その穴に気づいた内河は自分も邦之のように この中へ入れられると予感し、髪を掴む松之助の手に短い爪を たてて引っ掻き始める。


 だが その抵抗も虚しく、内河は松之助に思いきり振り回され、激しい勢い そのままに黒い穴の中に投げ入れられてしまった。




「ぎゃああああああああああ!! 落ちる、落ちる、どこまで落ちるんだよーっ!」


 光も、自分の身体さえも見えない深い闇の中、真っ逆さまに落下しながら手足をバタつかせる内河。


 これが鳥や蝶だったら、その必死に動かしている腕で重力に逆らって羽ばたき、舞い上がることが出来ただろう。


 だが内河は鳥でもなければ蝶でもない、ただの人間だ。


 そんな彼が いくら手足をバタバタと動かしても それが助けになる訳もなく、吸い込まれるように奈落の底へと落ちていくのであった。




 ******




 同日 午後23時44分


 赤羽病院内 病室




 既に消灯時間が過ぎ、薄暗い病室の中には壁掛け時計の針がチッチッ、と動く音が一定のリズムを保って鳴り続けている。


 そんな中、鈴は寝つくことが出来ずにベッドに仰向けで横たわり、ボーッと白い天井を見つめていた。




(…………何か……全然 眠たくならへんなあ……)


 上半身を起こして身体を伸ばすと、鈴はベッドから下りて窓の外を見やる。



(……オカンから話を聞いて色々 思い出したせいか、お兄ちゃんのことばっかり考えてまうな……)


 曇りひとつない窓ガラスに手を当て、夜景を見下ろしながら大神のことを考える。



 仲が良かった双子の兄。


 だが、自分が家出をしたせいで兄は両親に誤解されて酷く叱られて傷ついて、それから仲が険悪になった。


 そのまま和解することなく父が死ぬ前に行方をくらまし、そして――再会を果たした。




(……お兄ちゃんは、今でもウチを怨んでるんやろうなあ……せやから……ウチの大切な人達を傷つけて……あないに酷いことばかりするんや……)


 グッと唇を噛み締める。


 兄は まだ妹のことを憎んでいる――ならば、恵太郎や黒斗と玲二、そして母が彼に危害を加えられたのは自分のせいではないか。


 そんな嫌な考えが脳裏に浮かび、鈴の背中を冷たい汗が一筋 流れ落ちる。




(……ウチが憎いなら、ウチを殺せばエエやないか……どうして そんなイヤらしい方法で皆を苦しめるんや……)



 兄弟だというのに、生き別れになっていたとはいえ家族だというのに――兄の目的が、考えが、まるで分からない。



 だけど本当に分からないのは自分のことだ。



 どうして記憶を失ったのか、どうして幼い頃は外に出してもらえず、半ば軟禁状態となっていたのか。


 自分のことなのに、自分のことを何も知らない。


 誰も教えてくれない。



 自分のことさえも疑わしく感じてしまう。





(……オカンに聞いた話だけじゃ、まだ分からないことも あるな……それに……あの不自然な話の切り方も、まだ何か隠しているに違いあらへんし……)


 明らかになったのは、大神のことだけ。それも全てではなく、一部のことだけだ。



 記憶喪失、父の死因、兄が姿を消した理由、兄の力、目的。


 残された謎――それらが判明しない限り、このモヤモヤとした思いは消えないだろう。




(……ウチだけ何も知らないなんて嫌や……家族や自分のことくらい、ちゃんと全部 知っておきたい……)


「なら、君が全ての真実を知る手伝いを してあげようか?」


「えっ!?」


 すぐ後ろから聞こえてきた大神の声に反応し、勢いよく振り返る鈴。


 その先には大神の姿ではなく、代わりに黒くて大きい穴――ゲートの存在が あった。



「な、何や!?」


「真実を知りたいなら、これを通って僕の元に来るんだ」


 再び至近距離から聞こえてきた声に辺りを見渡すも、病室には大神どころか自分以外の人間は居ない。


 部屋に起きている異変も、突然 現れた このゲートだけだ。



「大神くん……いや、お兄ちゃん! 何処に居るんや!? 居るなら、姿を見せたら どうや!」


 声を張り上げて暗くて視界が悪い病室を再度 見渡すも、やはり大神の姿も返事もない。


 何事もなかったかのように静寂が部屋に舞い戻る。



(……この中に入れっちゅうことか……)


 他に やることもないので、仕方なく鈴はトンネルの入り口のように縦に長いゲートの中を慎重に覗きこんでみた。



 中は真っ黒で何も見えない。


 ひたすら闇の世界が広がっている。


 だが、大神は これを通って自分の元に来いと言っていた。


 もしかしたら罠かもしれない――だが彼に会って、そして全てを知ることが出来る可能性だってある。


 このまま行動を起こさなければ、何も変わることはないのだ。




(…………ウチは……ウチのことも、お兄ちゃんのことも、オトンのことも知りたい……それに、ちゃんと お兄ちゃんに改めて謝りたい……!)


 真実を知ると決断した鈴は拳を握り締め、ゆっくりとゲートへと足を踏み入れた。

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