嘘6
洋介の家を追い出されてしまった玲二は、町中を宛もなく歩いていた。
(洋介を……傷つけた……)
親友に拒絶されたショックよりも、親友を傷つけてしまった罪悪感が勝り、自責の念に駆られる。
洋介が傷つかないように事実を隠してきたのに、結局 彼は全てを知って、心に深い傷を負ってしまい、隠し事をしてきた玲二さえも嘘つきと罵り、心を閉ざした。
恐れていた最悪の事態に、玲二は一体 自分のやってきたことは何だったのだろうかとボンヤリ考える。
仮に洋介に事実を話していたら どうなっていたのだろうか。
やはり有理を憎み、裏切りにショックを受けるのだろうか。
まあ一歩 間違えれば死んでいたうえ、命あっても両腕を無くしてしまったのだから洋介が有理に憎悪を抱くのは当然とも言えるだろう。
ならば玲二には どうだろうか。
洋介が玲二に怒りを覚えたのは、彼が事実を隠していたから――ならば、玲二が何も隠さず正直に全てを包み隠さず話していたら どうなった?
――裏切られたと、嘘をつかれたと思わなかった?
――玲二に心を閉ざさなかった?
そこまで考えた所で、玲二は足を止めて その場に茫然と立ち尽くした。
──オレのせい?
心臓がドクンと大きく跳ね、熱いのか寒いのか よく分からない感覚に襲われる。
──オレが嘘をついたから、洋介が余計に傷ついた?
きっと洋介は自分だけ全てを知らなかったことが、憎むべき相手を友だと思っていた自分が許せなかった。
だから嘘をついて誤魔化してきた玲二に怒りをぶつけたのだろう。
玲二にとっては洋介を思うが故の行動だったが、逆に洋介の立場になってみれば どうだろう?
自分を殺そうとした相手を友と思い、死を悼み、『アイツは良い奴だった』と懐かしむ――考えるだけで虫酸がはしり、事実を隠した相手に怒りを覚えるのではないか。
興奮しているのも合間って、裏切られたと、騙されたと、思いたくなくても思ってしまうのではないか。
──オレのせいで、洋介は より深く傷ついてしまった……。
洋介の為にと思ってやった事が逆に彼を苦しめ、悲しませてしまった。
浅はかで愚かな自分の行動に後悔し、己を責めながら玲二は項垂れる。
「……うっ……うぅ…………ごめん……ごめんね、ようすけ……」
しゃくり泣きながら紡がれたのは、友への謝罪の言葉だけだった。
歩道で泣き続ける玲二に行き交う人々が奇異の目を向けるが、そんな視線など気にとめることなく玲二は止まらない涙を ひたすら流し続ける。
そんな彼の肩を誰かが不意に叩き、驚いた玲二は素早い動きで振り返った。
「っ! おかあさ……!」
肩を叩いてきた人物――昨日 出会った母と同じ姿をした女性の顔を見て、思わず“お母さん”と言いかけてしまい、玲二は咄嗟に口を塞ぐ。
すると、母そっくりの女性が不思議そうに顔を覗きこんできた。
「……ないてる、なんで?」
「……」
口を両手で塞いだまま何も答えず、女性から顔を背ける玲二。
しかし彼女は立ち位置を移動して、しつこく顔を覗きこんでくる。
(……お願いだからオレに顔を見せないでよ……お母さんのことを思いだしちゃうよ……!)
ただでさえ気持ちが不安定となっているのに、このうえ母と同じ姿を見せつけられては平静で いられなくなってしまう。
そうなる前に女性が 自分の前から立ち去ってくれるよう心の中で祈り続ける。
だが その祈りも虚しく、女性は大きく両腕を広げ、そのまま玲二を腕の中に包み込んだ。
「なっ……な、な……」
思いもよらぬ女性の行動に言葉を失う玲二だが、女性は さらに彼の身体をギュウッと抱きしめてくる。
その際 彼女の豊満な胸の谷間に顔が埋まってしまい、玲二の顔が瞬時に赤色に染まった。
「ぷわぁまめぺぺぬだぷぁい!!」
必死に手足をバタつかせて叫ぶものの、顔が谷間に すっぽりとハマってしまっている為、彼の声は何の意味も持たない言葉を紡ぐだけだ。
正直、母親似の女性の胸に顔を埋められても気恥ずかしいだけで嬉しくはない。
むしろ息が苦しいだけである。
とはいえ突き飛ばしてしまう訳にもいかないので、玲二は彼女に抱きしめられたまま目を閉じる。
(……お母さんと同じ匂いがする……)
女性から漂う母と同じ心地よい香りが、傷を負った玲二の心を僅かに癒していく。
「……げんき、なった?」
3分ほど経過すると女性は玲二から身体を離し、小首を傾げながら そう聞いた。
「は、はい……お陰さまで……」
未だに赤いままの顔で苦笑いを浮かべつつ答えると、女性は微笑を浮かべて玲二の頭を撫でた。
完全に悲しみや心のキズが消えた訳ではないが、流れていた涙は引っ込み、暗く落ち込んだ気分も和らいだ。
息が苦しかったとはいえ、彼女の お陰で気が軽くなったのは確かである。
「あの、ありがとうございました……でも、どうしてオレに ここまでしてくれるんですか?」
何気なく素朴な疑問をぶつけてみると、女性は不思議そうに目を瞬かせた。
「……なんで、かな。ほっておけない、なぜか、あなたのこと……なつかしくて、みてると、せつなくなる」
「……懐かしくて、切ない……?」
言葉を噛み締めるように復唱し、玲二は女性の光が無い虚ろな瞳をジッと見つめる。
(……オレも同じだよ……貴女を見てると、懐かしくて切ない気持ちになるんだ……)
胸が針で刺されたようにチクッと痛み、その箇所に手を当てる。
彼女とは昨日 初めて出会ったというのに、どうして こうも懐かしく、昔から知っているような気分になるのだろうか。
しかも、自分だけでなく彼女まで そう感じているのだと言うから これまた不思議な話である。
お互いがお互いに複雑な感情を抱いている、奇妙な関係。
女性と出会ったのは単なる偶然でなく、運命的なものだと玲二は感じ始める。
「……あの、良かったら……貴女の名前を教えてくれませんか……?」
おずおずと女性に名を訊ねる玲二。
そんな彼の問いに女性は小首を傾げた後、言葉を紡ぐべく ゆっくりと唇を動かし始めた。
しかし――
「おっ、そこに居るのは玲二じゃないか! おぉーーい、玲二ーーーー!!」
「ふわっ!?」
不意に前方から父の間の抜けた声が聞こえ、玲二は驚愕の声を あげて女性の肩越しに声が した方を見やると、買い物袋を両手に抱えて こちらへ歩いてくる父――竜二の姿があった。
「……あなたの、おとうさん?」
「は、はい……」
玲二の顔を見つめたまま呟かれた女性の言葉に頷くと、彼女は眉を下げて切なげな笑顔を浮かべた。
「……おとうさんを、だいじにね」
ポツリと そう呟くと女性は素早い動きで玲二の横を走り抜けた。
まるで逃げるような慌ただしい行動を不審に思い、玲二は弾かれたように彼女が走っていった方向を見やるも、女性の姿は もう そこに無かった。
「……どうしたんだろ? 何か、お父さんの声が した途端に様子が変わったような……」
首を傾げ、こめかみに指を当てながら呟くも、彼女の行動の理由が分かる訳もなく玲二は「う~ん」と唸る。
すると玲二の前に辿り着いた竜二が頭に手を乗せてきた。
「よう玲二! 今 帰りかあ?」
「……お父さんって、たまに空気 読めないよね」
「ん? 何か言ったか?」
「……ううん、何も」
「そうか! お父さん、丁度 買い物してきた所なんだ! 良かったら荷物を持ってくれるか?」
「うん」
竜二が笑いながら突き出してきた買い物袋を玲二は素直に受けとると、彼の隣に ついて一緒に自宅まで歩きだした。
「なあ玲二、さっき女の人と喋ってたよな? あの人 誰なんだ? 恋人か? あと心なしか後ろ姿が お母さんと似ていたよな!」
ニコニコと笑顔を浮かべながら朗らかな声で訊ねる竜二だが、対する玲二は何か考え込んでるように難しい顔を浮かべており、彼の質問にも答えない。
そんな息子の憂いの表情を見た竜二は ある考えに至り、ハッと息を呑んだ。
その考えというのは――
(……こ、このシリアスな空気は……さては……恋の病か!!)
この、全く的を射ていない能天気 極まりないものであった。
(そうか そうか……ついに玲二も大人の階段を上り下りする年頃となったか……)
勝手なことを考え、勝手に納得をする竜二。
そもそも大人の階段を下りてはマズイような気もするが、その言葉が発せられたのは彼の心の中だけなのでツッコミを入れる者は誰も居ない。
そんな楽観的な父の考えなど露知らず、玲二は母にソックリな女性に思いを馳せるのであった。
******
時同じく繁華街にて
「うおおおおお!!こんな所にもありやがったああああああああ!!」
「…………」
電柱や店に貼られているアナスタシオス教団のチラシを血走った目で剥がしていく内河と、そんな彼を半目で見つめ、口の端をひくひくと引きつらせている黒斗。
(……チラシを剥がしているだけで、全然教団についての情報を集めてないじゃないか……)
黒斗は溜め息を吐きつつ、通行人から変質者を見るような視線を向けられている内河から離れて他人のふりをする。
赤羽病院を出た黒斗と内河は、教団に関する情報を集めに人が多い繁華街までやってきたのだが、全く進展は無かった。
何故なら内河があの黒いチラシを見かける度に奇声をあげながら、律儀にそれを引き剥がしていく為である。
教団のチラシはあちこちに貼られている為、剥がし終えたと思ったらまたチラシを見かけて剥がし、一歩足を進めたかと思ったらまたチラシが――と、この繰り返しで、情報収集どころではないのだ。
チラシを剥がしていくのは結構だが、それに付き合わされる方は堪ったものではない。
とはいえ信者に喧嘩を売ったり、教団について嗅ぎまわり、ウンデカにマークされるよりはマシだが。
「ハアッ、ハアッ……ざ、ざまあみろ教団め!今日だけで50枚は軽くチラシを剥がしてやったぜ、ガッハッハッ!」
剥がしたチラシをくしゃくしゃに丸め、得意気に近くにあったコンビニのゴミ箱に投げ捨てる内河。
まるでスポーツマンのように汗を流しながら爽やかな笑みを浮かべているが、そんな彼に向けられているのは道行く人々の冷たい視線だった。
しかし、内河はそんな視線をものともせずに片足を軸にくるくると回り始めた。
「ハハハ、どうよ月影!教団を憎み、町のあちこちに貼られているチラシという名のゴミを捨てていくカッコイイ俺の姿……その目にしっかりと焼きつけておけい!」
「…………」
声をかけられる黒斗だが、自分まで変な目で見られたくないので内河から視線を外して無視を決め込む。
「……あれ、松男くん?」
不意に内河の名を呼ぶ声が聞こえ、反射的に内河へ視線を戻す黒斗。
すると、回転し続ける内河に側に歩み寄る1人の男性――清菜の父親である邦之の姿が視界に映った。
「し、篠塚さんっ!?何だってこんな時に俺の前に現れやがるんだ!?」
回転をピタリと止め、素っ頓狂な声をあげながら邦之に詰め寄る内河。
口調こそふざけているが、露骨に歪められた顔からは邦之に対して憎悪を抱いていることがありありと見てとれた。
何せ、邦之は妹を殺した犯人の身内――それも父親だ。
被害者遺族が加害者家族に穏やかならぬ感情を抱くのは、珍しい話ではないのである。
特に内河は妹を大切に思っていた分、邦之には何の罪も無いと分かっていても、そう簡単には割り切れないのだろう。
「な、何の用だよ篠塚さん!俺ぁ別にアンタと話なんか無いんだぞっ!」
邦之を邪険に扱う内河。
あからさますぎる彼の嫌悪感に黒斗は肩を竦めるも、邦之は眉1つ動かすことなく内河に言葉を発する。
「いや、別に用は無かったけど姿を見かけたからさ……こんな所で何してるの?」
「貴方には関係ねーだろーが!いやあ、ちょっと用事があってですね」
「は?」
本音と建前が入り交じる内河のカオスな言動に邦之は目を丸くし、あんぐりと口を開ける。
どうやら彼は内河の心の声が駄々漏れという悪癖を知らないようであり、困惑したように視線を泳がせている。
その様子を見ていた黒斗は会話が成立しそうにない2人を見兼ね、気だるそうに内河と邦之の元へ近づいた。
「おい内河、心の声が混ざっていて何が何だか分からない言葉になってるぞ」
「わぎゃん!?い、いきなり会話に割り込んでくるんじゃない!」
目をパチクリさせながら内河が黒斗に文句を言うが、彼は涼しい顔をして鼻を鳴らし、邦之に視線を映す。
「すいません、コイツ思っていることを無意識のうちに口にする困った悪癖があるんです。だから、支離滅裂な部分は聞き流して下さい」
「そ、そうなのかい。それは難儀なもんだねえ」
引きつった笑みを浮かべながら、内河に憐れみの目を向ける邦之。
そんな邦之を一瞥すると、黒斗は何事も無かったように2人から離れ、彼らとは他人だと言わんばかりに電柱に背を預けてスマホを弄りだした。
その一部始終をポカーンと見ていた内河だったが、やがて我に返ったように目を大きく見開き、スマホを弄っている黒斗をビシッと指さした。
「……って、うおおおおい!!言いたいだけ言ってソレかよ!!何なんだよ、お前は俺の保護者かよ!?お前みたいなネクラに育てられた覚えは無いぞぅ!」
「……俺もお前みたいなのを息子に持った覚えは無い」
軽口を言い合う黒斗と内河。
仲が良いのか悪いのかよく分からない2人の会話に邦之は苦笑するしかない。
「ハハハ……内河くんって、いつでも元気だよねえ。妹さんが亡くなったのに、さ」
「あん?」
何気なく発せられた邦之の言葉に、内河だけでなく黒斗も眉を潜めた。
「家族が死んだばかりでも明るく振る舞えるって、スゴいことだと思うよ……俺なんか全然立ち直れてないんだよね……清菜が死んだという現実からも、清菜が人を殺したという現実からも……」
自嘲の笑みを浮かべる邦之だが、彼を見つめる内河と黒斗の表情は険しい。
ちなみに邦之の言っている“清菜の殺人”とは、徳井によって殺害された小笠原のことである。
事件の真実を知らない彼や世間の認知は、“小笠原を殺したのは清菜”のままなのだ。
とはいえ、真実を知ろうが知るまいが清菜が人殺しだということに変わりは無いのだが。
「……清菜、人を殺した挙げ句に死神に殺されるだなんて救いようが無い奴だよ…………でも、あんなんでも俺の娘だから、やっぱり清菜を殺した死神が憎いんだよね…………。
そういえば、松美ちゃんは変死だったんだよね?死因が変死じゃ、怒りの矛先を向ける相手も居ないだろうし、君の方が俺なんかよりよっぽど辛いだろうね……」
切なげに眉間に眉を寄せて紡がれる邦之の言葉が、内河の心にある負の感情を増大していく。
邦之はただ思ったことを素直に口に出しているだけで、悪気は無い。
だからこそ彼の言葉はより強力な油となって、内河の憎悪という名の炎に注がれていく。
明確な悪意が無いからこそ、言葉はより残酷で、腹立だしいものになるのだ。
「…………何も知らないくせに…………」
「え?」
不意に呟かれた内河の怨みがましい一言に邦之が首を傾げると、内河が胸ぐらを掴み、鬼のように恐ろしい形相で睨みつけてきた。
「何も知らずに良い気分だなあ、オイ!!何だよ、その俺って可哀想な父親だなってツラは!散々娘を追い込んできたくせに今さら被害者ぶりやがって……!」
怒りの炎をたぎらせた鋭い目で邦之を睨み、思いの丈をぶつける内河。
しかし邦之には彼がこれほどまでに激昂する理由が分からず、怯えた様子で視線をあちこちに泳がせている。
「おい……アレ、やばくね?」
「なに?ケンカ?」
物々しい雰囲気に反応し、次々と野次馬が内河と邦之の周りに集まり2人を取り囲んでいく。
だが、頭に血が上って周りの状況など見えていない内河はそんなことお構い無しに邦之へ怒声を浴びせ続ける。
「松美が死んだのは変死だから怒りをぶつける相手が居ないと言ったよな……でも、居るんだよな……怒りをぶつける相手が……加害者家族のアンタがなっ!!」
「……加害者……?ど、どういうことなんだ内河くん……それじゃまるで……清菜が松美ちゃんを殺したみたいじゃないか……」
「ハッ、まるでじゃねえよ!妹を殺したのは他でもないアンタの」
「内河!!」
内河の言葉尻を遮ったのは、ずっと様子を黙って見守っていた黒斗であった。
滅多に聞いたことが無い彼の怒鳴り声によって勢いを削がれ、僅かに冷静さを取り戻した内河は、怒りに任せて自分が公共の面前で清菜が人を変死させたという事実を喋ろうとしていたことに気づき、顔から血の気が失せた。
「あっ…………す、す、すいません、でしたっ!!」
冷や汗を流しながら内河は邦之の胸ぐらから手を離し、頭をペコペコと下げながら素早いムーンウォークで彼から一気に離れていった。
そんな内河を追って黒斗は人混みを掻き分けて立ち去り、騒動の終わりを見届けた野次馬達も何事も無かったように散っていった。
「…………内河くん、最後に何を言おうとしてたんだ…………?」
後に残された邦之は、1人でその場に立ち尽くしたまま内河が発した言葉を思い返すのであった。
******
「ゼェゼェ……ふひいぃぃぃ……」
慌てて邦之の前から逃げ出した内河は、長い距離をムーンウォークで移動していた為に息が切れ、その場に膝をついて座り込んだ。
「ハアハア……ちくしょう、怒りで我を忘れていたとはいえ……何てことを言おうとしたんだ俺は……!」
肩を上下させながら、浅はかな自分を責める内河。
もしも黒斗が声を張り上げてくれなかったら内河は勢いに任せ、松美を殺したのは清菜だと邦之に明かしていただろう。
しかもあの場には大勢の野次馬も居たのだ。
ただでさえ小笠原殺しの件で邦之達加害者家族は世間から白い目で見られているというのに、そこへさらに清菜の悪行が明るみになっては、もう邦之達は胸を張って外を出歩くことも出来ないだろう。
どうにか最悪の事態は避けられ、内河はホッと安堵の溜め息を漏らす。
「今回ばかりは月影に感謝だな……あのまま事実を全部話していたらと思うとゾッとするぜ……うほほほい、鳥肌がたってきた」
ブツブツと心の声を吐露しながら両手の肩を抱く内河。
清菜が3人もの人間を変死させたことが世間に認知されてしまえば、加害者の家族として無条件に邦之と知代が憎悪を向けられるだろう。
彼らが殺した訳でもないのに、周囲からは殺人者の家族というだけで忌み嫌われ、学生である知代は学校でも少なからず嫌がらせを受ける。
そして彼らもまた、家族が人の命を奪ったという事実と被害者遺族に対する罪悪感で一生苦しみ続けてしまうだろう。
「……マジでそんなことにならなくて良かったわ」
妄想が現実とならずに済み、ひとまず安心する内河。
しかし、その安堵と共に内河の残酷な一面が顔を出し、彼の心を揺さぶり始めた。
「…………別に良いじゃないか、松美を殺した奴の家族が苦しんだって。
俺達遺族は家族を亡くした傷を一生背負って生きていくけど、加害者の家族は表向きだけ申し訳なさそうにしてるだけで内心は『別に俺達がやった訳じゃない』とか考えてるんだろうし。
邦之さんだって、真実を知ってもショックを受けた顔をするだけで、どこか他人事のように思うんだろう。
……こっちはずっと悲しみを背負っていくのに……アイツらは一時的な白い目を凌ぐだけで、あとはいつもの生活……だったら、アイツらにも永遠に消えない傷を……」
そこまで呟いたところで内河は首をぶんぶんと振り、苦悶の表情を浮かべながら頭を抱え込んだ。
「だ、ダメだダメだ!そんな邪なことを考えちゃダメだ!俺のバカバカバカ!!」
首を何度も振りながら己を戒めるが、心の中にある憎悪はそう簡単には消えてくれない。
邦之が悪い訳ではないとちゃんと頭では理解しているし、内河は決して血も涙もない無良心な人間ではない。
だからこそ内河は、これ以上邦之と知代を苦しめないよう、清菜がアナスタシオス教団の一員として悪事を重ねてきたことをひた隠しにしているのだ。
しかし頭では分かっていても、憎むべき相手ではないと思っていても、心が それに追いつかないのが人間である。
どうしても怒りや嫌悪感が拭いきれないのだ。
「……ハア、俺って ほんとネチネチとした奴だなあ……こんなんじゃ天国に居る松美に、“まるで・ダメな・お兄様”……略して“マダオ”って言われちまうよっ! うおおお!!」
鼻水を垂らしながら自分の頭をボカボカと殴り始めた内河。
端から見れば気でも触れてしまったかのような動きだが、本人は必死かつ真剣に悩んでいる。
「……急に走り去ったかと思ったら、今度は自傷行為か? 本当に忙しない奴だな」
「ハッ、月影!?」
声が聞こえて俯きがちになっていた頭を上げると、目の前には呆れたように目を細めている黒斗が立っており、内河は舌打ちをした。
「この野郎、また現れやがったな! ちょっとは空気を読めってんだ!」
「現れるも何も、一緒に行動していただろうが……」
「一緒に行動……そ、そうだった! 今は篠塚さん云々(うんぬん)より、アナスタシオス教団が優先だった!」
今の今まで忘れていた目的を思いだし、内河は手を叩きながら一回転をした後にビシッ、と空を指さした。
「さあ行こう、いざ行こう! 悪を蹴散らし正義を示す為に!」
先程とは うって変わってテンションが高くなり、戦隊もののヒーローのような台詞と共に張り切った様子を見せる内河。
しかし、対する黒斗は そんな内河の情熱に水を差すような深い溜め息を吐き、疲れたような表情を浮かべて額に手を当てた。
「……今日は もう帰った方が良いんじゃないか??もう日も暮れたし、明日も学校が あるんだからな」
「なぬっ!?」
黒斗に言われて慌てて内河が腕時計で時刻を確認すると、短針が6の数字より少し先を指していた。
どうやらチラシ剥がしや考え事に夢中となっている間に、大分 時間が経過していたようである。
「むむむ……何だか本来の目的を達していないような気もするが……致し方あるまい! 今日は解散としよう!」
「へーい、お疲れさん」
安心したような表情を浮かべながら、黒斗は棒読みで返事をした。
内河にとっては進展が無かった為 腑に落ちない結果だろうが、彼が教団に狙われないよう見張っている黒斗としては、何事も無くて何よりである。
そもそも妙なテンションの内河とは一緒に居るだけで疲れるので、なるべく側に居たくないというのが本音だったりする。
「じゃあ、お前も寄り道せずに真っ直ぐ家に帰れよ」
「わーってる! たく、保護者ヅラすんなっての!」
こちらに背を向けて去っていく黒斗に悪態を吐き、内河は その場に立ち尽くしたまま腕を組んだ。
「うぅ~」と唸りながら冴えない顔をする その様子からは、何か悩んでいることが ありありと見てとれる。
「……ぶっちゃけ、帰りたくねーなー……どうせ お母ちゃんと父ちゃん、まだケンカしてるだろうし……オマケに婆ちゃままで居るし……やだなあ、帰りたくねえなあ……」
ブツブツと心の声を呟きながら、内河は両手で頭をガリガリと掻きむしり始めた。
そのせいで彼が綺麗に撫でつけた髪が乱れ、みすぼらしいボサボサ頭となってしまうが、今の彼には自分の姿など気にしている余裕など無い。
何故ならば今日も彼の父、松之助が朝早くから自宅に来ていたからだ。
それも、頭が固くて世間体ばかり気にする祖母を連れて。
ただでさえ長くて厄介な父と母のケンカに、今日は頑固者の祖母まで加わっているのだ。
嵐が吹き荒れる自宅に帰りたくないのも無理は無いだろう。
「帰りたくないけど、帰らなきゃ寝床が無いしな……金さえ あればホテルにでも泊まったんだが………………ん? いや、待てよ?」
独り言をブツブツと呟き続けていた内河だったが、不意に何かを思い付いたように手を叩くと、突然 弾かれたように黒斗を追いかけて彼の肩を鷲掴みにした。
「うほほーい月影っ! そう簡単には逃がさないぜえええ、ガッハッハ!!」
「…………何なんだ」
ドヤ顔で笑う内河だが、振り向いた黒斗の顔は不機嫌そのものである。
まあ帰ろうと思った矢先に、彼の良からぬ企みに巻き込まれそうともなれば機嫌が悪くなるのも無理は無い。
しかし、内河は そんな黒斗の機嫌など お構い無しに とんでもないことを口走った。
その とんでもないことと言うのは――
「やい、喜べ月影! 今日は この俺様が お前の家に泊まってやる!
本当は泊まりたくなんか無いが、家に帰っても胃に穴が開きそうな怒声が響き渡ってるだけなんでな!
このままでは俺のガラスのハートに傷がついちまうので、それを避ける為に お前の家に避難させてもらうぜ!」
この、同情は出来るが あまりにも上から目線すぎてイラッとする図々しい頼みであった。