嘘5
「ハアッ……ハア……!」
早足で歩き続けた鈴は自分の病室に入るなり扉を閉め、その扉に背中を預けてズルズルと その場に座り込んだ。
(……大神くんと、顔も知らない双子の兄ちゃんの名前が同じ……)
混乱する思考を落ち着かせるように額へ右手を当て、必死に考えを纏める。
フラッシュバックで映った茶髪で赤目の幼い少年。
大神の言っていた“鈴が忘れていること”。
存在を知らされなかった双子の兄。
そして、同じ名前の大神と兄。
情報が集まり、バラバラのピースが鈴の脳裏で ゆっくりと合わさっていく。
(……オカンは、大神くんのことを知ってるみたいやった…………それに、フラッシュバックの子も大神くんに似とった……)
ピースが合わさっていく度にドクンッと心臓が脈打つ。
その鼓動を やかましく思いながらも、鈴は推理という名の憶測を続けていく。
(…………フラッシュバックの子が兄ちゃんやと考えると……『お前さえ居なければ、パパにもママにも愛してもらえたのに』っちゅう言葉の意味が通る……。
そして……そのフラッシュバックの子は大神くんに似とって……大神くんはウチに忘れてることが ある言うて……オカンは、大神くんを知っとる…………まさか……)
心臓が かつてないほど――爆発するのではないかと思うほど激しく暴れだす。
(…………フラッシュバックの子…………ウチの兄ちゃんって………………大神、くん……?)
信じがたい憶測が脳裏に浮かび、鈴は頭を抱え込んだ。
身体は小刻みに震え、大きく見開いた目には涙がジワリと滲んでいる。
──信じられない。
──信じたくない。
──大切な人達を傷つけてきた、あの恐ろしい大神くんがウチの兄ちゃんだなんて、信じたくない!
──だけど……。
──完全に否定することが出来る証拠は……あらへん……。
フラッシュバックの子が大神と似ている、母も大神も互いのことを よく知っているようであり、そして兄と同じ名前。
さらに大神が双子の兄だと考えれば、彼が鈴に言った『全てを忘れて』の意味が、兄である自分を忘れていることに対する指摘という筋の通るものになる。
(…………でも、大神くんは死神やないか……! ウチもオカンも普通の人間やのに、何で大神くんは死神なんや……? おかしいやないか……)
少し冷静さを取り戻した頭の中に疑問が芽生え、眉を潜めて首を傾げる。
(……大神くんは最初から死神やったんか? いや、そもそも何でウチは兄ちゃんのことを綺麗さっぱり忘れていたんや? オカンも、どうしてウチにオトンとか兄ちゃんとか……家族のことを ひた隠しにするんや?)
疑問というのは一度芽生えたら次から次へと出てくるものであり、鈴も その例に漏れず思考に耽る。
すると、その思考を中断させるように彼女の背後から扉を叩くノック音が聞こえてきた。
「橘、居るか?」
ノック音に続いて聞こえてきた黒斗の声に反応し、鈴は「は、はい!」と裏返った声で返事をして、扉から一歩 距離をとる。
しかし、次の瞬間――
「たっちばなーーー!! 会いたかったぞおぉぉぉ!!」
「へっ……」
勢いよく横にスライドして開いた扉から、猪のごとき勢いで内河が突入してきて、その勢いのまま彼は鈴と正面衝突してしまった。
「どっぎゃーん!」 「キャーッ!?」
内河と鈴の2人は悲鳴を あげながら少し後方に吹き飛び、消毒液の匂いが する白い床と熱い抱擁を交わした。
「……何やってんだ お前ら……」
遅れて病室に入ってきた黒斗が心底 呆れたような眼差しで、痛そうに額を押さえている2人を見下ろす。
「いっ、たあ……! 内河くん、なんちゅう石頭や……おでこが割れるかと思ったで!」
痛みのあまり、鈴は涙目になりながら内河を一瞥する。
しかし、内河は床に倒れ伏したまま動かない。
「う、内河くん? 大丈夫……?」
心配そうに倒れたままの内河に視線を向ける鈴。
すると――
「俺は何て幸せ者なんどぅわあああああ!! 偶然とはいえ、橘の固くも柔らかくてスベスベの額に触れることが出来るだなんてええええ!!」
さっきまでピクリとも動かなかった内河が狂おしい叫び声を あげながらガバッと起き上がり、鼻血を垂らしながら両手を振り上げ始めた。
「……はあ……」
揺るぎない内河のバカっぷりに、黒斗と鈴の溜め息が重なる。
「……まあ、あのバカは放っておくとしよう……」
やれやれと肩を竦め、黒斗は床に座り込んだままの鈴に片手を差し出す。
「あっ、おおきに」
差し出された手を掴み、黒斗に助け起こしてもらうと、黒斗が眉を潜めながら顔を覗きこんできた。
「何や?」
「……いや、いつもより顔色が悪い気が してな…………何かあったのか?」
「うおおおお、たちばなああああ!!」
「べ、別に何もないで? クロちゃんの 気のせいちゃうん?」
「……そうならいいんだが…………」
「俺は幸せだあああああ!!」
「………………」
叫び続ける内河へ、同時に顔を向ける黒斗と鈴。
2人にジト目で見つめられているというのに、興奮している内河は全く視線に気づいておらず、片足を軸に くるくると回り続けている。
TPO(時と所と場合)を わきまえない彼への苛立ちがマックスとなった黒斗は、忌々(いまいま)しそうに内河を睨みつけながら つかつかと近づいていき、回転している彼の頭頂部に、渾身のチョップを喰らわせた。
「ぎょっぴーだーんすっ!!」
バキッという鈍い打撃音と内河の悲鳴が重なり、彼は くるりと一回転した後にバッタリと地面に倒れた。
それによって ようやく病室内に静寂が戻り、黒斗と鈴はホッとしたように吐息を漏らして顔を見合わせる。
「騒がせたな。というか、コイツを病院に連れてきたこと自体が間違いだった……悪い」
「え、いやいや別にウチは騒がしくても構わへんで!」
苦笑いを浮かべる鈴。
そんな彼女に黒斗はペコリと頭を下げると、倒れている内河の襟首を掴み、そのままズルズルと引き摺って病室の出入り口に向かう。
「今日は これで失礼する…………けど、何か悩みがあったら、ちゃんと言えよ?」
「分かっとるって。ほなな、クロちゃん、内河くん」
心配そうに見つめてくる黒斗に微笑を浮かべて手を振ると、彼は鈴の顔を一瞥した後 扉を開けて病室を出て行った。
(……ちゅうか、あの2人 何しに来たんや……)
風のように現れて、風のように去っていった黒斗と内河。
来てくれたのは嬉しいが、心なしか疲れが溜まったような気がする。
溜め息を吐きつつ鈴は洗面台の前に立ち、内河の石頭によって赤く腫れてズキズキと痛む額を水で冷やし始める。
(…………クロちゃんに、また心配かけてもうた……)
水の流れる音を聞きながら、ボンヤリと そんなことを思う。
(……心配かけてばかりでゴメンな……でも……こればっかりは相談出来へんのや…………堪忍やで)
目から流れ落ちた涙は、彼女の顔を濡らしている水分と混ざり、そのまま頬から顎へと伝い、雫となって洗面所にポタリと落ちていくのであった。
******
その頃
洋介の家に やってきた玲二は、彼の母親に家へ上がらせてもらい、親友が居る部屋の前に辿り着いた。
(んと……画集は……)
肩に かけている鞄の中をゴソゴソと漁る玲二。
すると、他の教科書よりも 一回り大きく、カラフルな表紙の薄い本が見つかり、彼は それを鞄から一気に引き抜いた。
(あった、あった! 忘れてなくて良かったあ)
洋介に返す画集を忘れずに持ってきていたことに安堵すると、彼は その本を片手に目の前のドアを控えめにノックした。
「やっほー、洋介! 玲二だよ! 借りてた画集を返しに来たよー!」
明るい口調で中に居る親友に声をかけると、玲二は いつもより硬くなっている表情筋を無理やり動かして ぎこちない笑顔を作り、扉を開けて部屋の中に入った。
「こんちはーっ! 元気してたー!?」
部屋の中心で椅子に腰かけている洋介の背中に呼びかける玲二。
しかし洋介は こちらに背を向けたまま振り向こうともせず、返事もしてこない。
今までにない随分と無愛想な親友の態度を妙に思い、玲二は画集を両手で持って恐る恐る彼に近づいていく。
「……よーすけー? もしもーし?」
どことなく重苦しい空気を打ち破ろうと、わざと間の抜けた声を出すが、やはり洋介は無反応のままだ。
「…………ねえ、どうしたの……? 何か怒ってるの……?」
無視され続け、さすがの玲二も眉を下げて叱られた子犬のように しょんぼりと落ち込みだす。
すると、今まで黙っていた洋介が おもむろに口を開いた。
「……玲二。君、僕に何か隠し事をしてない?」
「えっ?」
思いもよらぬ言葉に玲二の心臓が一瞬 激しく鼓動し、脳裏に今は亡き有理の姿が過る。
玲二が洋介に隠していることと言えば、彼らの親友だった有理の犯した罪と自分達に抱いていた殺意である。
だが、この事実を知っているのは玲二と有理の2人だけであり、その有理に至っては もう亡くなっている。
だから玲二が自ら暴露しない限り、洋介が この悲しい事実を知ることはない筈だ。
「か、隠し事って……何もしてないよ~?」
引きつった笑顔を浮かべながら そう言うと、洋介の眉が僅かに動いた。
「………………嘘つき」
「ふわっ?」
地の底から沸き上がるような低くドスのきいた声に身を竦める玲二。
今まで見たことのないような洋介の態度に玲二は違和感を覚え、全身から滲み出ている負のオーラに恐怖する。
そんな親友に かける言葉が見つからず玲二が歯噛みを していると、不意に洋介が右足を伸ばし、爪先で窓際に置いてある勉強机を指し示した。
「……そこの机にボイスレコーダーが あるからさ……録音されている音声を再生してみなよ」
「う……うん……」
有無を言わせぬ洋介の迫力に圧され、玲二は指示に従って机まで歩いていき、手のひらサイズのボイスレコーダーの音声再生ボタンを押す。
すると すぐさまレコーダーのスピーカーから、鮮明な音声が聞こえてきた。
『実は……洋介を殺してほしいんだ』
「っ!?」
いきなり聞こえてきた物騒な言葉に息を呑む玲二。
彼が目を見開き、思考が停止している間にもレコーダーから音声が発せられる。
『……冗談……だよね?』
『冗談なんかじゃない。本気で洋介を殺せと言ってる』
──これって……。
レコーダーから聞こえてくる身に覚えのある会話に、玲二は全身から血の気がサーッと引いていくのを感じた。
『あのさ……お前は俺に刺された理由を分かってんの?』
『そんなの分かる訳ないだろ! ただ……オレのことが嫌いになったのかな、とか…怒らせるようなことしたかな、とか思ってたけど……』
『相変わらず頭が足りない奴だな! そんなことで、いちいち刺し殺そうとするかよ!』
──これは……これは……!
『お前ら2人は俺の引き立て役だった! それなのに、お前らの方が俺よりも絵が上手くて、皆に注目されている!! それが許せなかったんだよ!!』
──有理が死神さんに襲われた、あの日の会話……!
聞こえる音声が誰のものなのか分かり、咄嗟に振り向いて洋介を見やる玲二。
すると濁りきった瞳で こちらを見据える洋介の姿が視界に映り、玲二は思わず「ヒィッ」と情けない悲鳴をあげた。
いつも明るく、穏やかな表情を浮かべていた洋介。
だが今の彼は絶望感を漂わせており、自分の目の前に居るのは本当に洋介なのだろうかと疑いたくなるほど、かつての明るさは微塵も残っていなかった。
「…………ねえ、この声 君と有理だよね? 何で有理が僕を殺してほしいとか君に頼んでる訳?」
「ち、違うんだっ! こ、これはオレと有理じゃなくて……い、いやオレと有理では あるんだけど、その……あの……!」
慌てるあまり、パニックになる玲二。
そんな彼の心情など お構いなしに、レコーダーは次から次へと有理の残酷な言葉を紡いでいく。
『あの時、ちゃんと殺しておくべきだった。お前も洋介も、悪運が強かったばかりに……』
『……まさか。洋介を突き飛ばした犯人は……』
「ハッ……」
この後に続く言葉を聞かせまいと、玲二は素早くレコーダーに手を伸ばし、音声停止ボタンを押す。
しかし、ボタンを押してもカチカチと音を響かせるだけで音声は止まらない。
洋介の様子から察するに、彼は録音されている会話を全て聞いたのだろう。
だから、今さら玲二が躍起になって音声を止めても意味は無いのだが、半ばパニック状態になっている彼が そんなことに気づく余裕はない。
『洋介が腕を切除された時、心底嬉しかったぜ。もうコイツは何も描けないって確信していた』
「……あっ」
玲二の奮闘も虚しく、レコーダーは全ての音声を再生し終え、ブツッと音を立てて沈黙した。
「………………」
茫然としたままレコーダーを見つめる玲二。
そんな彼に、洋介は俯いたまま声をかける。
「…………このレコーダーさ……今朝、郵便受けの中に、俺宛てに入ってたんだって……母さんが そう言ってた」
「………………よう、すけ」
震え声で親友の名を呼ぶも、洋介は その声に反応することなく、さらに言葉を続ける。
「…………有理ってさ……僕や玲二のことを憎んでたんだね。親友なのに、勝手に嫉妬して勝手に憎んで、殺そうとしてた。
幸い、僕も玲二も死なずにすんだけど……君はトラウマで絵が描けなくなって、僕は両腕を失った……有理の……有理のせいで……」
淡々とした口調でポツリポツリと呟く洋介だが、その顔には憤怒の色が浮かんでいる。
洋介に背を向けたままの玲二には彼の表情が見えていないものの、血走った目で玲二を睨む洋介の顔は血に飢えている悪魔のごとき恐ろしさである。
彼が怒りを抱いている相手は有理なのか、それとも玲二なのか――混乱のあまり頭が真っ白になって立ち尽くす玲二には、知る術が無い。
「……ねえ玲二。何で有理が僕達を酷いめに合わせた犯人だってこと、黙ってたの? 何で正直に全部 話してくれなかったの?
僕さあ、有理が あんな奴だと分かっていれば、アイツが死んだ時に泣かなかったよ。
あんな奴だと分かっていれば、有理との思い出を振り返ったりしなかったよ。
あんな奴だと分かっていれば…………もう有理は居ないんだっていう現実に……胸を痛めたりしなかったよ……!」
まるで痛みに耐えるように絞り出された声が聞こえる度、心臓を鷲掴みにされたように玲二の胸が酷く痛む。
洋介が有理の本心を知る――恐れていたことが思いもよらぬ形で現実となり、もはや思考回路がショート寸前の玲二は、冷や汗を全身の毛穴から噴き出し、水面に顔を出した魚のように口をパクパク動かすことしか出来ない。
何か言わなくてはと、そう思っているのに、乾いた唇は無駄に開いたり閉じたりするだけで言葉を発してくれない。
「ねえ玲二。僕が有理と仲良くしてたり、彼が死んだことを悲しんだりする姿は君の目に どう映ってた?
さぞかし滑稽だったんだろうねえ、自分を殺そうとした、腕を奪った張本人を親友と言い張る僕の姿は!!
君は そんな僕を見て、ほくそ笑んでいたんだろうねえ、バカな奴だと思ってたんだろうねえ!!」
小さく弱々しかった洋介の言葉は徐々に大きくなっていき、やがて怒りを隠そうともしない憎しみの込められた怒鳴り声となり、その声に反応した玲二が反射的に振り返って洋介の姿を視界に捉えた。
初めて見た洋介の怒りの形相に玲二は一瞬 怯み、思わず身体を のけぞらせるも、グッと拳を握り締めて あまり自由のきかない唇と舌を動かし 言葉を紡ぐ。
「バカな奴だとも思ってないし、ほくそ笑んでもない……! オレは、ただ、洋介を傷つけたくなくて…………」
「言い訳なんか聞きたくない!! 僕の両腕を奪った有理を今まで ずっと親友だと思ってたなんて……自分で自分のバカさ加減に腹が立つよ!!」
やっとの思いで紡がれた玲二の言葉は、唾と共に吐き出された洋介の怒声によって掻き消され、玲二は そのまま何も言えなくなって黙りこんでしまう。
「……親友の1人は嘘つきで、もう1人の親友は嫉妬に狂って人を殺そうとした犯罪者…………もう何を信じればいいのか、分からないよ……」
「よ、ようすけ……オレは……」
「言い訳も嘘も聞きたくなんかない! 出ていけ、出ていけっ!! お前みたいな嘘つき、もう友達でも何でもない!」
「っ!!」
洋介の言葉に、玲二は目を丸くして肩を強張らせる。
親友からの明確な拒絶。それは玲二の心に深刻なダメージを与えた。
大切な親友を傷つけないように、傷つけたくなくて ずっと事実を隠してきた。
ただ悲しませたくなかっただけなのに。
苦しめたくなかっただけなのに。
それなのに――
結局 洋介は心に傷を負い、有理だけでなく事実を隠していた玲二にまで憎悪を抱いた。
『もう友達でも何でもない』
その言葉が、玲二には己の存在や、共に過ごした思い出全てを拒絶しているように聞こえた。
「………………」
“ゴメン”――その一言さえも、今の玲二には声に することが出来ず、ただ口がパクパクと みっともなく動くだけ。
そんな玲二を洋介は嘲るように鼻で笑うと、アゴで部屋の出口を示した。
「……出ていけよ」
「…………う、……ん」
小さく消え入りそうな声で返事をすると、玲二は机の上に借りていた画集を置いて、早足で出口に向かい、そのまま扉を開けて洋介の部屋から出て行った。
バタンと扉が閉まる音が耳に届くと同時に、洋介は脱力したように椅子に腰かけたままガクンと首を項垂れた。
(……信じていたのに、裏切られた………………もう、何も信じられない……)
洋介の濁っている目に涙がジワリと滲み、その涙が粒となってアゴを伝い落ちる。
椅子に腰かけたまま俯いている姿勢となっている為、零れた涙は膝の上にポタポタと落ちていき、青色のジーンズに小さな円形の模様を描いていく。
(…………計画通り…………)
そんな彼の様子を部屋の窓の外にある木の上から、黒コートを身に纏った赤髪の死神――ウンデカがニヤリと笑いながら見つめていた。




