拒絶17
その頃――
メゾン・ド・ケイシンから逃げ出した清菜は、夜の街――それも人目につきにくい裏路地などを宛もなく走り続けていた。
その間にも折られてしまった右腕に激痛がはしっていたが、殺されまいと必死に走る彼女には そんな痛みに構っている余裕など無かった。
「ハァー……ハァー……」
長い間 走り続けていたせいで息が切れ、渋々 立ち止まって呼吸を整える。
(あ、あの死神……追ってきてないわよね?)
乱れた呼吸を整えながら、狭い裏路地を見渡す清菜。
その周辺には死神どころか人の気配すら無く、彼女は安心したように吐息を漏らして額に滲んだ汗を左腕で拭う。
(……あっ、何で私 走って逃げてんのよ……)
落ち着きを取り戻したことによって、大切なことを思い出した清菜は しまったとばかりに自分の顔を左手で覆い、舌打ちをした。
(……ていうか……私ってバカよね……必死に走ってて本部に逃げることを忘れてたわ……)
自嘲の笑みを浮かべながら清菜は自分のスマホを取り出し、ある番号を入力して電話をかける。
すると彼女の目の前に、死神が使うものと同じ黒いゲートが開いた。
(……最初から これで逃げれば良かったじゃん……まあ、いきなり死神が出て来てビックリして慌てたから仕方ないか)
自分で自分に呆れつつ、ゲートに視線を移す清菜。
今 彼女が開いたゲートは、アナスタシオス教団の一員のみが使うことを許されたものだ。
試練の水を飲んで生き残り、教団の一員として認められたものは いつでも本部に出入り出来るようゲートを開く番号を教えられ、その番号に電話をかければ、本部に通じるゲートが瞬時に開かれるという仕組みである。
そしてメゾン・ド・ケイシンに ずっと居た筈の清菜が試練の水を持っていたのも、このゲートを通って本部から取ってきたからだ。
(あの死神だって、本部には来れない筈)
逃げきれたことを確信し、ゲートの中に入ろうと歩みを進める清菜。
だが一歩 踏み出した瞬間、首筋に冷たい刃が当てられ、動きと共に一瞬 呼吸が止まった。
「その手に持っているスマートフォンを捨てろ」
すぐ後ろから聴こえてきた声に反応し、心臓が激しく脈打つ。
逃げきれたと安堵したそばから再び やって来た死の恐怖に、泣き叫びたい衝動に駆られる清菜。
だが ここで理性を無くしては本当に全てが終わると自分に言い聞かせ、必死に唇を噛んで冷静さを保つ。
(大丈夫、大丈夫よ……まだ逃げる隙はある!)
ドクドクと鳴り響く心臓を喧しく思いながらも、スマホを持つ左手に力を込める。
緊張しているせいか胃の辺りがハサミで刺されているようにジクジクと痛み、その痛みが焦燥感を与えてくる。
(大丈夫、きっと上手く逃げられるっ!)
握りしめたスマホを勢いよく地面に投げつける。
軽い衝撃音が響くと同時に首筋に当てられていた刃物が離れ、その隙をついて清菜は前方のゲートに向かって地面を蹴って飛んだ。
だがゲートが目前に迫った その瞬間、無情にもゲートは闇に溶け込むように消滅してしまい、そのまま彼女は地面へと無様に倒れこむ。
「あ、ぅっ!」
地面に勢いよく倒れたことによる痛みに呻きつつ、上半身を起こして背後を見やる。
すると、仮面を外して素顔を露にしている黒斗が手にしている大鎌で清菜のスマホを突き刺し破壊している光景が視界に映った。
「あ、あ、あぁ……ああああああぁあぁあ!!!!」
死神の正体が黒斗だったという驚きより、スマホを破壊されたショックが大きかった清菜は瞳孔を大きく見開き絶叫する。
スマホを破壊されてしまった為、ゲートを開いて本部へと逃げることは出来ない。
それは即ち、死を意味していた。
「いやあああああぁあああぁぁ!! 死にたくないぃぃぃぃ!!」
目前に迫った死に怯え、気が触れてしまったように髪を振り乱しながら号泣する清菜。
喉が裂けそうなほどの大声で叫び続ける彼女を尻目に、黒斗はスマホからデスサイズを引き抜き、片手でソレをくるりと回した後に清菜の顔に切っ先を突きつけた。
「……人を変死させたのは何度目だ?」
「……し、し、知らないっ! 私は何もしてない、何も悪くないっ!!」
涙を流して赤くなった目で黒斗を睨み付けながら叫ぶ清菜。
そんな彼女の態度に黒斗は呆れたように首を ゆるゆると振ると、蔑みの眼差しを彼女に向けて口を開いた。
「……お前が人を変死させて殺したのは三度目だ。一度目は実の兄である篠塚 龍馬。二度目は友人だった内河 松美。そして三度目は副担任の徳井 忍。
勝手な理由で人を殺しておいて自分は何も悪くないなど、どの口が言うんだ?」
苛立ちを露に目を細める黒斗の顔は死神に相応しい、身も心も凍りつきそうな恐ろしい雰囲気を醸し出している。
だが半分 理性を無くしてパニック状態となっている清菜は、黒斗の迫力に怯むことなく言葉を続けた。
「私は、私は何も悪くない! 悪いのはアイツら、周りの皆よ! 皆が私の人格を全否定して、拒絶して、自分の理想を押しつけてきた!
だから私は これ以上 傷つきたくなかったから、皆を殺すしかなかった!!
私は何もしていないのに、皆が責めてきたから悪いのよっ!! 悪いのは私じゃなくて みん……」
「ベラベラと よく口が まわる女だ……もういい、その不快な声を それ以上 聞かせるな」
清菜の言葉尻を、忌々しそうに顔を歪めた黒斗が憤怒の感情を滲ませた声で遮ると、彼はデスサイズを彼女の顔の目の前で真横に振り抜いた。
「ひっ!」
短い悲鳴をあげながら反射的に目を閉じる清菜。
だが彼女が危惧していたような痛みは身体の どこにも はしらず、妙に思いながらも恐る恐る瞼を開ける。
(……痛く、ない……?)
身体や手足を見るも、先程アパートで折られた右腕以外にケガをしている箇所は無い。
(……ふん、ただの脅かしね!)
安堵した清菜の口元が綻ぶ。
だが その時――
プッ
何かが切れるような小さな音が耳に届き、それと同時に口の端から耳の付け根に かけて頬に違和感を覚える。
(な、に…………)
違和感がある頬に左手を当てると、いつもの柔らかい触感ではなく、ベタついた液体が手に付着する感覚がした。
すぐさま左手を頬から離して、手についた何かを確認する。
すると どす黒い液体が手のひらにベッタリと付着していることが分かった。
「キャ」
清菜が悲鳴をあげようと口を開いた瞬間、肉が裂ける音ともに口端から耳元に かけて はいっていた亀裂が ぱっくりと裂けて開き、そこから 赤黒い血液が噴出した。
「おぇあぇあああ゛あ゛ぁ゛」
野太い悲鳴と共に噴き出す血と、頬を中心にはしる気を失いそうな程の激痛。
あまりの痛みに耐えきれず、清菜は地面で無様に転げまわるも、それが苦痛を消してくれる訳でもなく、ただアスファルトを血で赤く汚していくだけだ。
(いだいいだいいたいいたたいいたいいたいたいいいいああいううぉぉぐぅあぅ!!)
止めどなく血が噴き出し続ける清菜の顔は、とても悲惨で醜い状態となっており、かつての美しさは欠片も残っていなかった。
まるで笑っているように見える顔の亀裂。
その裂け目からハッキリと見える、所々が深紅色に染まっている歯茎と歯。
大きく開かれた口の両端から耳元まで大きく裂けてしまった彼女の姿は、まさに口裂け女そのものだ。
見るも無惨な姿となって苦しむ彼女を黒斗は冷ややかな眼差しで見下ろす。
「……確かに お前の家族は、今すぐに お前の性格を変えようと急ぐあまり自分の考えや思いばかりを主張していた。
お前の良い所も悪い所も全て否定して、ひたすら自分の理想と価値観を押しつけていたのは確かに褒められたものではない。
……だが……それは お前も同じだ」
ポツリポツリと呟く黒斗だが、苦悶している彼女に その声は届いていない。
しかし それでも黒斗は言葉を続けた。
「……お前も自分の思いや考えばかりを押しつけて、家族の真意を知ろうとも分かり合おうともしなかった。不満を口にするばかりで、自分から状況を変えようともしなかった。
自分を取り巻く環境を変えたいのなら、自分が行動を起こすしかない。自分を理解してほしいのなら、理解してもらえるよう努力をするしかない。自分から動かない限り、何も変わりはしないんだ」
「あげぇべ……ぐげ……」
口が裂け、喉や舌が血で濡れているせいで意味を持つ言葉を紡げない清菜。
もはや身体を動かす気力も残っていないのか、彼女はグッタリと俯せのまま倒れ伏したまま動かない。
そんな清菜に黒斗は躊躇なくデスサイズを向ける。
「……お前にだって一番の理解者は居た……だが……お前は そいつを拒絶して殺した。お前は自分で自分を孤独にしたんだ」
そう呟く黒斗の瞳は赤く輝き、おもむろにデスサイズを振りかぶり、そして――
「……お前は やりすぎた。犯した罪に対する罰を受けてもらう」
清菜の首へ勢いよく降り下ろした。
「っ」
声なき悲鳴をあげる清菜の首に突き刺さるデスサイズは、あっという間に彼女の首の皮膚を、肉を、骨を断ち、清菜の首と胴体を切り離した。
もはや身体の痛みも感じなくなり、徐々に意識が遠くなっていく清菜。
薄れていく意識の中、雲の上をフワフワと漂っているような奇妙な浮遊感と共に彼女の脳裏に今までの人生が走馬灯のように映し出された。
幼かった頃、幼稚園児の頃、小学生の頃、中学生の頃――それらの思い出が浮かんでは消えていく。
そして その思い出の中、いつも隣に居たのは、いつも一緒に居てくれたのは――松美であった。
“清菜さん、私は清菜さんの友達であります”
意識を失う直前 清菜の脳裏に浮かんだのは、そう言って笑う松美の姿だった――。
******
「………………」
無言のまま、何の感情も感じられない冷めた目で清菜の亡骸を一瞥する黒斗。
彼女の魂が朽ちたことを確認すると、清菜の首を貫通してアスファルトに突き刺さっているデスサイズを引き抜き、ヒュッと振って切っ先に付着している血液を払い落とす。
血を払い落としたデスサイズを消し、清菜の亡骸の側に片膝をついて 彼女の服についているポケットをまさぐると、目当ての物が見つかり黒斗は それを持って ゆっくりと立ち上がった。
「……遺品は、遺族に返しておく」
松美の携帯を片手に黒斗は そう呟くと、踵を返してゲートを開いた。
「…………」
開いたゲートへと歩み寄っていく黒斗だったが、不意に違和感を覚え、ゆっくりと振り返って清菜の亡骸を一瞥する。
(…………おかしい…………魂が朽ちた後ならば、肉体に与えたダメージは すぐに回復する筈だ……なのに……篠塚の肉体は全く再生していない……)
漠然としていた違和感が確かな疑問へと変わり、黒斗はゲートを消し去って清菜の元に駆け寄っていく。
すると次の瞬間、肉が裂ける生々しい音と共に脇腹に激しい痛みを感じた。
「なっ……」
反射的に痛みがはしった脇腹を見やると、まるで鋭利な刃物で斬られたかのような傷口と大量の出血があった。
続けて己の脇腹から清菜の遺体に視線を移すと、力無く地面に倒れ伏していた筈の清菜の身体が、首を失い切断面からダラダラと血を流した状態で起き上がっていた。
さらに目を凝らすと、彼女の赤く染まった左手から血液がポタポタと滴り落ちているのが見え、黒斗は自分の脇腹を切り裂いたのは首が無い状態で動いている清菜であると確信する。
「…………傷が回復していないと思ったら、まさか遺体が動き出すだなんてな……」
まるでゾンビのように傷口から止めどなく血を流しながらフラフラと歩く清菜を見て、内心 動揺する黒斗だったが、それを表情には出さずに先程 消したばかりのデスサイズを再び取り出す。
「……どういう原理で動いているのか知らないが……やるしかないようだな」
覚束ない足取りでありながらも素早く こちらへ向かってくる清菜を真っ直ぐに見つめつつ、黒斗はデスサイズを構えて戦闘態勢をとった。
******
一方その頃、橘家
(……これでよし、と)
今日の聞き込みで得た情報を こと細かくノートに書き記す作業を終えた鈴は、椅子に座ったまま身体を大きく伸ばした。
「んんー……今日は あまり収穫が あらへんかったけど、また明日も あるしな……頑張って清菜さんの行方が分かる手がかりを見つけへんとな」
清菜が変死事件の犯人であることも、松美が彼女に殺されて亡くなったことも まだ知らない鈴は、心から清菜の心配を続けていた。
いくら酷いことを沢山 言われていたとしても、鈴にとっては彼女ももう友人の1人。
心配をするのは当たり前のことだった。
(さて……明日に備えて、そろそろ風呂に入って休もうかな)
入浴をするべく椅子から立ち上がり、自室の出口に向かう鈴。
扉についているドアノブを握った その瞬間――
ガシャアアアアアアン
「ヒャッ!?」
まるで食器棚が倒れたような物々しい音が耳に届き、肩が跳ね上がる。
「な、なんや? オカンに何かあったんか?」
一体 何が起きたのかと彼女は慌てて部屋を出て、音の出所であり、母が居るであろう1階のキッチンに向かう。
「オカン、どないしたんや!?」
そう叫びながらキッチンへと飛び込む鈴。
すると そこには、目を疑うような光景が広がっていた。
「……え?」
驚愕のあまり凍りついたように動きが止まり、目を大きく開いたまま その場に立ち尽くす鈴。
そんな彼女の視線の先には、身体中にガラスや食器の破片が突き刺さり、血まみれになっている状態で横たわっている母と、そんな母を笑いながら見下ろす大神の姿が あった。
「……やあ、橘」
鈴の存在に気づいた大神が、彼女に顔を向けながらニッコリと微笑む。
「大神……くん……? オカン……?」
母と大神の姿を交互に見やり、身体をガタガタと大きく震わせる鈴。
本当は今すぐに倒れている母の元に駆け寄りたいのに、まるで金縛りにでも あってしまったかのように身体は石のように固まっていて動かすことが出来ない。
「クク……そんなに怯えなくてもいいのに」
鈴が動かないのではなく動けないことに気づいているのか、大神はニヤニヤと醜悪な笑みを浮かべながら ゆっくりと彼女の元に歩み寄っていき、そして――
******
時同じく、裏路地にて
「ぐあっ!」
清菜に吹き飛ばされてコンクリートの壁に叩きつけられた黒斗は、そのまま背中を壁に預けたままズルズルと床に座り込んだ。
「ハァッ……ハッ…………クソ……動きが読めない……!」
ぐにゃぐにゃとした動きとは裏腹に、高いスピードとパワーを兼ね備えている清菜の肉体を忌々しそうに睨みつける。
酒に酔った人間のような千鳥足でフラフラと動きまわる彼女の動きは予測不能であり、黒斗は上手く彼女の攻撃を避けることが出来ないでいた。
さらに厄介なことに清菜から受けた傷やダメージは治りが異常なまでに遅く、最初に傷を負った脇腹でさえ未だに傷口が塞がっておらず血が流れているままなのだ。
(……身体は人間だ……1度でもダメージを喰らわせれば勝機はある……今は耐えて隙を見つけるんだ……!)
ダメージが蓄積されていくことによって黒斗の動きも鈍り、防御を するだけでも精一杯で攻撃を行う暇が無いという不利な状況の中でも諦めずに清菜の隙を窺う黒斗。
すると清菜が左手を振りかぶりながらフラフラとこちらに走ってくるのが見え、黒斗は立ち上がって壁から離れつつ、デスサイズを身体の前に構えて防御の姿勢をとる。
その時――
「ふせろ」
「……っ!?」
背後から男の声が聴こえると同時に魔力を感じ、咄嗟に黒斗は言われた通りに素早く頭を伏せた。
すると直ぐ様 彼の頭上を魔力によって作り出された矢が横切り、そのまま清菜の心臓部に矢は突き刺さり、彼女は破裂した水道管のように大量の血を噴き出しながら仰向けに倒れこんだ。
「………………」
恐る恐る伏せていた頭を上げ、背後を見やる黒斗。
その視線の先にはゲートが開いており、数秒の間が あった後、短く切り揃えられた赤い髪を持つ男が そこから姿を現した。
現れた男は黒斗の顔を見ると、髪と同じ赤色をした瞳を細めて笑いつつ、口を開いた。
「久しいな……タイプζ(ゼータ)ナンバー4……テトラ」
男の言葉を聴いて、無表情を装う黒斗の眉がピクリと動く。
見覚えのある――忘れようにも忘れられない顔。
もう2度と会うことはないと、そして会いたくもないと思っていた者。
嬉しくない再会を果たした黒斗は、挨拶がわりに目の前に立つ赤髪の死神を鋭い眼光で睨みつけてやる。
「……生きていたのか…………ウンデカ」
冥界で失敗作の死神を処分する監獄の管理を任されていた死神。
黒斗を人間界へと逃がした死神。
そして黒斗と同じく、心を持つ失敗作の死神。
黒斗の言葉を聴いたタイプα(アルファ)ナンバー11――ウンデカはフン、と鼻で笑った後、ゆっくりと口を開き そして――
「……お前を、迎えに来た」
大神は鈴に、ウンデカは黒斗に それぞれ こう言って、片手を差し出した。