拒絶11
同日 午後16時55分
佐々木家 玲二の自室にて――
「……う~……」
腹痛で苦しんでいるような呻き声をあげながら、落ち着きなく狭い部屋をグルグル動き回る玲二。
そして その様子を、漫画を読みながら横目で見やる黒斗。
「……あと5分……あと5分で……松美ちゃんがオレの部屋にーっ!」
頭を掻きむしりながら壁に掛けてある時計を見上げる玲二。
松美が家に来るのは17時らしく、その約束の時間が1分、また1分と近づいてくる度に彼は こうして狂おしく叫んでいるのだ。
「……少しは落ち着いたら どうだ? 落ち着きがないってもんじゃないぞ……ただの不審者にしか見えん」
漫画よりも面白い動きをしている玲二を見兼ね、注意をする黒斗だが、彼の言葉は緊張して のぼせている玲二の耳には届いていない。
(…………何を言っても無駄そうだ……放っておくか)
やれやれと肩を竦めると、黒斗は寝転がって漫画の続きを読み始める。
「………………」
ゆでダコのように真っ赤な顔をしながら長針を凝視する玲二。
やがて長針が『59』の数字を指し示すと、彼は頭を抱えて再び叫びだした。
「うきゃーっ! つ、つ、ついに59分っ! あと1分で……松美ちゃんが……松美ちゃんがあ!」
嬉しいのか困っているのか よく分からない表情の玲二は、我関せずとばかりに漫画に熱中している黒斗の元へ駆け寄り、彼の肩を掴んで大きく揺さぶった。
「アニキーっ! ま、松美ちゃんが家に来たら、まず何て、言えば良いかなあ!? ようこそ? 待ってたよ? それとも……来てくれて嬉しいよ、かなあ!?」
「……耳許でギャアギャア騒ぐな、そして揺らすな。大体、17時ピッタリに来る訳じゃあるまいし……少しは頭を冷やせ」
「う、うう……兄貴が冷たい……かき氷のように……」
あくまでも冷ややかな黒斗の態度に、玲二の興奮が多少 冷める。
「…………確かに、バカみたいに騒いでたけどさ……女の子を家に上げるなんて鈴ちゃん以外に無かったし、それに相手は好きな子だし!? イヤでも興奮しちゃうってものだよ! 兄貴も分かるでしょ!?」
少し落ち着いたかと思いきや、再び騒ぎだす玲二。
「……俺は恋愛のことは よく分からないし、理解する気もない」
素っ気なく答えて漫画に視線を戻す。
すると玲二がニヤニヤと笑って彼の顔を覗きこんだ。
「さては兄貴……初恋経験を舎弟に先を越されたからスネてるんでしょ!? だから ずっと不機嫌そうなんだ~!」
「………………」
勝手な想像をしている玲二に苛立ち、殴ろうと拳を握る黒斗。
しかし、彼が拳を振り上げるより早く玄関のチャイム音が鳴り響き、玲二は弾かれたように玄関へ向かった。
「はいー! 今開けまーすっ!」
普段のノロマっぷりが嘘のように俊敏な動きで走る玲二。
日頃から その素早さを発揮していれば良いのにと、黒斗は どうでもいいことを考えながら漫画を読み進める。
「こんにちは、お邪魔するであります」
「は、はいっ! どうぞ、どうぞ、狭い部屋ですが お邪魔しちゃって下さい!」
極度の緊張で身体中が固まっている玲二は、ぎこちない動きで松美を自室へと案内した。
「おや、先客が いらっしゃるのでありますか」
自室に足を踏み入れ、黒斗の姿に気づいた松美が目を丸くしながら呟くと、慌てて玲二が黒斗を隠すように彼女の前に立った。
「あ、あの、兄貴のことは気にしないで! デカいヌイグルミだとでも思って!」
「あ?」
あまりにも雑な扱いに黒斗の眉がピクリと動き、玲二をギロリと睨みつける。
すると玲二は肩をビクリと跳ね上がらせ、黒斗に向かってペコペコと頭を下げながら唇をパクパク動かした。
『本当にごめんなさい! パニクってて、自分でも何を言ってんだか分かんなくて!』
唇の動きから彼が何を言っているのか理解した黒斗は吐息を漏らし、『分かった』という意味を持って片手をヒラヒラと振ってみせる。
それを見た玲二は彼の意図を正しく読みとったようで、ホッと胸を撫で下ろしながら松美に視線を戻した。
「ま、松美ちゃん! の、飲み物あるけど、な、な、何が良いかな!? コーラとか、麦茶とか、豆乳とかあるけどー!?」
「ありがとうございます。では、豆乳をお願いするのであります」
「い、イエッサー!! じゃあ、持って来るから適当に座ってて下さい!」
ビシッと敬礼のポーズをとり、玲二は そそくさと部屋を出てキッチンへ向かった。
彼が立ち去ると松美は言われた通り、部屋の中心に正座をして座り、鞄の中からビニール袋を取り出して中身を目の前に並べ始めた。
(……何だ?)
横目で松美が並べている物を盗み見ると桃色の布、赤い糸、白い鳥の羽、色とりどりのカラフルなビーズ、そして小瓶に入っている砂の順に並んでいるのが分かった。
だが、そんなものを取り出して これから何をするつもりなのかは分からない。
「おっまたせー!」
そうこうしている間に、飲み物が入ったカップが3つ乗せられたトレイを持った玲二が戻ってきた。
「はい松美ちゃん、豆乳! 兄貴もコーヒーどうぞ! 砂糖もミルクも無しで良かったっけ?」
「ああ、ありがとう」
起き上がり、受け取ったホットコーヒーを一口飲んで2人の様子をチラリと見る。
「……で、松美ちゃん。何か いっぱい出してるけど、これが お守りの材料?」
コーラを飲みながら玲二が訊ねると、松美は頷いた。
「雑誌に描いてあった通り、材料を集めたのであります! この桃色の布と赤い糸は袋用で、ビーズや羽は袋の飾り、砂は中に入れるのであります」
張り切った様子で言いながら、松美は鞄から小さな裁縫箱を取り出した。
黒斗には知る由も無いが、今日 松美が玲二の家に来たのは兄である内河の誕生日プレゼントである恋愛成就のお守りを玲二に手伝ってもらいながら作る為である。
「じゃあ、さっそく始めようか! まずは お守り袋からだね!」
「はい。では、布を程よいサイズに切るであります」
ハサミを取り出し、生地を切り始める松美。
「チョッキン、チョッキン……この世の物は全て切り刻む~、だけど切り裂き魔は許さな~い」
「………………」「………………」
生地を切りながら奇妙な歌を唄う松美を微妙な顔で見つめる黒斗と玲二。
歌も十分 酷いが、彼女が切っている生地の形も十分酷い。
何故なら生地は真っ直ぐどころかジグザグに切られており、その大きさも袋が出来そうにないほど小さく なっているからだ。
それに気づいた玲二はハッと息を呑み、両手をブンブン振って大声をあげた。
「ちょ、松美ちゃん! 布がっ! 布がヤバイことになってるよ!?」
「へ?」
歌を止め、生地を見やる松美。
「あら、ホントだあ……であります」
「ホントだあ……じゃないよ! 一旦 手を止めて! 布が勿体ないから!」
玲二に制止された松美は生地とハサミを床に置いてガックリと肩を落とした。
スーパーで会った時、お守りを作ろうとしても上手く作れなかったと言っていたことから ある程度 予想は出来ていたが、やはり彼女は かなり不器用のようだ。
さっそく不安を抱く玲二だが、手伝うからには キチンと完成させねばと改めて気合いを入れ直す。
「あ、あのさ松美ちゃん! 布はオレが切っとくからさ、松美ちゃんは針に糸でも通しててよ!」
「了解したであります」
ビシッ、と敬礼のポーズをしながら赤い糸と針を持つ松美。
しかし、彼女は糸の先端を持ったまま凍りついたように動かなくなってしまった。
「……ま、松美ちゃ~ん?」
手をヒラヒラと振りながら声をかけるも、彼女は針と糸を睨みつけたまま反応しない。
「わ、私には……使命が あるのであります! 佐々木様が布を切り終えるまでに針へ糸を通すという使命が……!」
「……そ、そんな大袈裟な話だったっけ……?」
ガタガタと大きく震える手で必死に糸を通そうとしている松美を乾いた笑いを浮かべながら見つめる玲二。
とりあえず彼女を放っておいて、自分の作業を進めようとハサミと布を手に持つ。
(……んっと……お守り袋用のサイズに切れば良いんだよね。これなら簡単、簡単!)
鼻歌を唄いながら軽快な動きで生地を切っていく玲二。
先程の松美とは違い、生地は綺麗かつ的確なサイズに切られていき、その手際の良さに思わず黒斗は感心のため息を漏らした。
「……随分と手慣れた様子だな」
「へへっ、まあねー! 昔、お母さんに教わったからね!」
「……お前の母親が?」
「うん! オレが小学生の時だけどね、家庭科で裁縫が上手く出来ないって相談したら教えてくれたんだ! それからも お母さん、男の子でも裁縫が出来れば将来 役立つからって ちょくちょくレクチャーしてくれたんだよ!」
「…………そうか」
小声で呟き、玲二から視線を外す黒斗。
そんな会話をしている間に玲二は布を切り終え、未だに糸を通せていない松美を見やる。
元来の不器用さもあるだろうが、指先が震えているせいもあって なかなか針の小さな穴に糸が通らない。
「く、く、く…………くらえーっ!!」
雄叫びを あげながら大きく指を動かす松美。
すると今まで苦戦していたのが嘘のように糸は あっさりと穴を通り抜け、それを確認した松美は可愛らしい笑顔を浮かべながらグッと拳を握り締めた。
「やったぜーっでありますっ!! 試練を1つ乗り越えたのでありますー!」
「し、試練……針に糸を通すのが試練……」
こういう何かとオーバーな所は兄に似ているんだなと思いつつ、頑張った彼女に玲二は拍手を送る。
「おめでとー、松美ちゃん! でも ここからが本番だよ! お守りを縫ったり、ビーズや羽を取り付けたり……大変だけど、一緒に頑張ろ!」
「うすっ! やってやるのであります!」
荒い鼻息で答える松美。
(……まあ、不器用って言っても絶望的って訳じゃなさそうだし……これなら大丈夫そうかな)
お守りの材料を眺めながら軽く考える玲二。
しかし、この後 待ち受けていたのは苦行であった。
******
「……………………よし、これで完成じゃーい!!」
「ま、待って松美ちゃん! それ引っ張ったら……」
玲二が皆まで言う前に、糸が通っている針を勢いよく引く松美。
すると、彼女が一生懸命 縫っていた袋はグニャリと歪な形へと姿を変えてしまった。
「ああーーーーー!!」
玲二と松美の悲鳴が重なり、漫画の本を読みながら呆れたように溜め息を吐く黒斗。
彼らは既に一時間も こんなやりとりと失敗を繰り返しており、まるで進展しない お守り作りを見守る黒斗としては じれったくて仕方がない。
ちなみに お守り袋を縫っているのは松美であり、玲二は あくまでも手伝い――要するにアドバイザーをしている。
玲二が縫えば 手っ取り早く終わるだろうが、兄への誕生日プレゼントなのに他人が殆ど縫ってしまっては意味が無いと松美が言い出した為、玲二は生地を切る以外の作業は全く していない。
「あちゃー……こりゃまた強く引っ張っちゃったね……もうダメだなコレ……」
「う、うう……何度も何度も同じミスばかり……情けないであります……」
「そ、そんなに落ち込まないで! まだ布は あるんだし、失敗は成功の母なんだし、ね?」
ニッコリと微笑んで彼女を励ます玲二だが、松美の顔は暗く落ち込んだままだ。
「…………やっぱり、私のような ぶきっちょな人間が お守りを作るなど……不可能な お話なのでしょうか……」
「諦めたらダメだよ! それに そんな暗いこと言うなんて松美ちゃんらしくないじゃないか!」
両手で拳を作り、力強く励ますものの松美は顔を上げず、俯いたまま首を力無く左右に振った。
「……私、昔から裁縫だけは苦手で……まったく上達しないのであります。そのせいで家庭科の授業では いつも同級生からバカにされてきました」
「………………」
何も言わず、黙ったまま玲二は松美の話を聞く。
「お兄様へのプレゼント……学校の休憩時間中にも作っていたりしていました。当然、上手く出来ませんでしたが」
苦笑しながら言葉を一旦切り、一息つく松美。
気持ちを落ち着かせるように深呼吸をすると、再度 言葉を紡いだ。
「……私がプレゼント作りをしているのを見ていた同級生が言ったのであります……。
そんな下手くそが作ったお守りなんか逆に迷惑だ、女のクセに裁縫が出来ないなんて嫁の貰い手が無い、クラスで一番のグズ……とか、色々と……言って笑っていたのであります……。
他の皆は出来るのに、私には簡単な裁縫も出来ない……それなのに そんな人間が兄に手作りのお守りを作ろうとしている……ホント、バカげた話でありますよね……。
でも、私……あんな愚兄でも大好きだから……だから、幸せになってほしいと思って……気休めにしかならなくても お守りを……」
話しているうちに松美の目に涙が滲み、その涙が粒となって頬を伝い落ちていく。
「……市販の物を買えばいい話なのかもしれませんが……私は、少しでも兄の為に何かしたくて……それで……お守りを、作ろうと思ったのであります…………。
でも、仮に出来上がったとしても……お手本とは程遠い不細工な一品になることは想像に難くないであります……そんな お守りを貰っても、他の方が言っていた通り お兄様も迷惑でしょ……」
「そんなことないって!」
今まで黙っていた玲二が松美の言葉尻を遮り、震えていた彼女の右手を両手で包み込んだ。
玲二のいきなりの行動に驚き、声をかけようとする松美だったが、彼の真剣な眼差しに見つめられて言葉を失ってしまう。
「松美ちゃんの お兄さん……内河さんは、松美ちゃんのことが大好きなんだよ! そんな大好きな妹から手作りのお守りを貰って嬉しくない訳ないよ! 2人の絆も知らずに適当なことを言った人の言葉なんか気にしちゃダメだって!
あと、他の人が出来るのに自分には出来ないからって自分をダメな奴って思わないこと! 人には得意不得意があるんだから!
それに……松美ちゃんは苦手な裁縫でも頑張って続けてるじゃないか。出来る人、上手な人も凄いけど……苦手なことでも一生懸命 頑張って上達しようとしている人の方がスゴいと思うよ!」
「……さ、佐々木様……」
矢継ぎ早に情熱的な言葉を発する玲二の勢いに呆気にとられる松美。
だが彼の言葉は松美の心の隅々にまで染み渡り、先程まで胸中を支配していた負の感情が1つ、また1つと消え失せていくのを松美は感じていた。
「人の努力を笑う権利なんか誰にも無いんだ……それでも嘲笑う人達は……可哀想な人なんだって思えばいいよ! とにかく、元気出してよ松美ちゃん! オレ、頑張って教えるから!」
凛々しい表情で言い切る玲二。
すると彼は不意に目線を下に落とし、自分の両手が松美の手を包んでいることに気づいて一気に顔が真っ赤に染まった。
「うきゃーーーーー!! ごめんなさい、ごめんなさい! 無意識のうちにー!」
慌てて松美の右手から両手を離し、彼女の温もりが残る その手を前に突き出す。
「べ、別に他意は無かったんだよ!? でもでも ごめんなさい! ジャンピング土下座でもスライディング土下座でも何でもします! だから怒らないでーっ!!」
ペコペコと必死に頭を下げる玲二だが、今の松美には そんな彼の姿は目に入っておらず、彼女は呆けたように天井を仰いでいる。
「…………お兄様以外の人から励ましてもらったのは……初めてであります…………不覚にも、ちょっと ときめいてしまったであります」
「…………ふわっ!? と、と、ときめき!?」
「なっ……何故、私の心の声を……!? さては、エスパーなのでありますかっ!?」
(いや、お前も内河と同じで心の声が駄々漏れなんだよ……)
横目で2人の様子を窺っていた黒斗は思わず そうツッコミたくなってしまうも、ここで雰囲気を壊すほど野暮ではないのでグッと堪えて心の中でボソリと呟く。
「……ま、まあ ときめきうんぬんは置いておいて、励まされたのは事実なので礼は言っておくのであります。ありがとうございますなのであります」
「は、はいっ! うう……松美ちゃんのデレが一瞬見えただけでオレは幸せ……」
「うっせー、黙れよ変態が……であります。とにかく……こんなドラマチックな展開になっておきながら やっぱりお守り出来ませんでしたなんて恥ずかしすぎるのであります……ですから! きっちりアドバイスして下さいよ、佐々木様!」
「イエッサー!」
さっきまでの しみじみとした雰囲気から一変し、暑苦しい青春ドラマのような雰囲気が新たに この場を支配し、玲二と松美に やる気を与える。
(……何だかんだで相性が良いのかもな…………というか、俺……必要なかったな)
未来のバカップルを生温かい目で見つめつつ、微妙を浮かべる黒斗であった
******
そして さらに一時間後
「……こ、これで…………か、完成だコノヤロー!! でありま、す……!」
松美はそう叫びながら お守りに通した白いヒモをキツく結ぶと、力尽きたかのようにバッタリと仰向けになって倒れこんだ。
まるで一仕事を終えた職人のように疲れを見せながらも爽やかに笑う松美の右手には、彼女の血と汗と努力の結晶である恋愛成就のお守りが握られている。
その お守りは縫い目が雑なせいでやや歪な形をしており、ハート型に取り付けているビーズと飾りである羽は今にも取れてしまいそうなほど弱々しく縫いとめられている。
お世辞にも綺麗で可愛い お守り袋とは言い難い不格好なものではあるが、その中には松美の兄に対する愛情が たっぷりと詰められている。
あれから一時間――何度も失敗を繰り返したものの、松美は それでもお守り作りを やめることはせず、玲二も嫌な顔1つせず彼女のお守り作りを親身になって手伝っていた。
そして完成したのが、このお守り袋である。
「松美ちゃん、まだ終わりじゃないよ。その砂が入った小瓶……中に入れなくちゃ」
「そ、そうだったであります! この砂……恋愛成就に効果てきめんだと噂になっている、この小瓶を中に入れるのであります! うおおおおお!!」
玲二に指摘されて飛び起きた松美は床に転がっている小瓶を手にとり、獣のごとき咆哮をしながらお守り袋の中に小瓶を入れた。
「こ、これで正真正銘の完成であります! 苦節二時間……私は遂に……遂にっ! お兄様へのプレゼントを完成させることが出来たのであります!」
「やったね松美ちゃん!!」
「はい! 佐々木様のアドバイスのお陰でありますーっ!」
「違うよ、松美ちゃんが頑張ったからだよー!」
「いいえ、佐々木様のお陰でありますーっ!」
(…………バカが2人いる……)
手を取り合い、歓喜しながらグルグルと回る玲二と松美を見て顔が引きつる黒斗。
あまりにも妙なハイテンションっぷりに圧され、かける言葉も見つからない。
「やったー、やったー!! ……っと、こんな幼稚な喜び方をしている場合ではなかったであります。早く帰らなくては お兄様が心配しすぎるであります!」
ハッと我に返った松美は腕時計で時刻を確認すると、慌てて帰り支度を始めた。
「ま、松美ちゃん帰っちゃうの……って、そりゃ当たり前だよね……」
鞄に荷物を詰め込む松美を名残惜しそうに見つめる玲二。
仕方ないことだと分かっていても、やはり好きな相手が去っていくのは寂しいものである。
「あっ、そうだ……もう日も暮れちゃってるし送ってくよ!」
もう少し――1分1秒でも長く松美と一緒に居たい玲二は思考を巡らせた末、彼女を家まで送っていく案を思いついた。
しかし――
「あ、大丈夫であります。タクシーで帰るので」
彼の苦肉の策は“タクシー”という存在によって、儚くも粉々に打ち砕かれてしまった。
「た、た、タクシー!? 松美ちゃん、いつもタクシーで帰ってるの!?」
「いつも、という訳ではありません。日が暮れると危ないから兄にタクシーに乗るよう言われているだけであります」
驚きを隠せない玲二に しれっと答える松美。
すると玄関のチャイムが鳴った。
「すいませーん、クラウドタクシーです。内河さん いらっしゃいますか? 内河 松男様から頼まれて参ったのですが……」
「おお、さすがは お兄様。私が そろそろ帰ることを見通して、先にタクシーを頼んでいたとは」
「タイミング良すぎっ! 何なの、2人はエスパーですかっ!? 以心伝心ですか!?」
玲二が あまりキレの無いツッコミを入れると、松美は鞄を片手に立ち上がり、玲二と黒斗に手を振った。
「では、これにて さらばであります! 佐々木様、今日は本当にありがとうございました! また改めて お礼をさせていただくのであります!」
敬礼のポーズをしながら早口で言い切ると、彼女は玄関に向かって駆けていき、その勢いのまま扉を開けて外に出ていった。
「…………何か…………風のように去っていったね……」
「……そうだな」
唖然とした様子で玄関の方を見つめる黒斗と玲二。
とりあえず松美も帰って黒斗の役目も終わったので、彼は立ち上がって漫画の本を棚に戻すと玲二の方を見た。
「俺も帰るぞ。もう ここに居る必要も無いからな」
「あ、うん! ごめんね兄貴、付き合わせちゃって……気を付けて帰ってね」
空っぽになったカップをトレイに乗せながら玲二はペコリと頭を下げる。
そんな彼に黒斗も軽く頭を下げ、部屋の出口に向かう。
だが部屋を出る直前、黒斗は振り向いて玲二を見つめた。
「……ん? どーかしたの兄貴?」
視線に気づいた玲二が きょとんとした様子で振り向くと、黒斗は ふいっと視線を逸らした。
「え、何? 何で目を逸らすの? 何か逆に気になるんですけど!?」
スゴい勢いで詰め寄ってくる玲二の頭を片手で掴んで引き離すと、黒斗は肩を竦めて口を開いた。
「相変わらず うるさい奴だな……俺は ただ、お前も出会った頃と比べたら成長したもんだと何となく見ていただけだ」
「成長!? オレが!?」
ただでさえ くりくりとしていて大きい目を さらに大きく見開く玲二。
口を小さく開けている その表情は一体 何のことかと言わんばかりである。
「……最初の頃は頼りない奴だったが、今では それなりに頼もしく見えるということだ。内河の妹のことも しっかり励ましていたしな。
苦手なことでも一生懸命 頑張ってる奴も偉いって、俺は良い言葉だと思うぞ」
「……あ、兄貴に言われると照れくさいんですけどっ! 頼もしく見えるとか、最高の褒め言葉なんですけど!!」
ほのかに赤くなった頬に両手を当てながら はにかむ玲二。
尊敬する黒斗に褒められて心底 嬉しいようだ。
「エヘヘ~、でも その言葉、実は お母さんからの受け売りなんだけどね」
「お前の母親の?」
首を傾げながら黒斗が呟くと、玲二は気恥ずかしそうに目線を泳がせながら話を始めた。
「オレが小学4年の時、運動会があってね……それで、オレ 走るの苦手なんだけど短距離走の選手の1人に選ばれちゃったんだ。
まあ当然ビリだったけどね! オマケに途中で転んじゃったもんだから、同じチームの人に睨まれちゃってさ」
「……お前も、結構 苦労してきたんだな」
波乱万丈な運動会を のほほんとした様子で話す玲二を引きつった笑みを浮かべながら見つめる黒斗。
そもそも走るのが苦手な奴を選手に選ぶ時点でツッコミどころが あるのだが、話が脱線しないように敢えて何も言わないでおく。
「でさ、お弁当の時間の時にオレを睨んでた子達と そのお母さん達がオレの悪口 言ってたんだ。いつの時代でも出来損ないは いるんだなとか、他の皆は ちゃんと走りきったのに、あの子だけが転んでバカだとか、さ。
オレ、悔しかったけど本当のことだから何も言い返せなくて…………でも、そしたら お母さんが悪口を言ってた人達に怒ったんだ!
ビリだとか転んだとか それがどうしたのって。頑張ってる人を笑う権利がアンタらにあるのかって。
そしたら その人達、ブツブツ文句言いながら逃げてったんだよねー」
「……佐々木先生は、昔から血の気が多かったんだな」
率直な感想をボソッと呟くも、玲二には聴こえていなかったようで彼は さらに言葉を続ける。
「……それで、最後にオレに言ったんだ。出来る人も凄いけど、苦手なことでも一生懸命 頑張ってる人も凄いんだって。その お母さんの言葉の お陰で……少しだけ自分に自信がついたんだ」
過去を懐かしむように遠い目をしながら、玲二は話を終えた。
「……お母さん……子供っぽい性格だったけど、いざって時には頼もしくて、優しくて……たくさん……助けられて、お世話になったんだよね。…………その恩返しは……もう出来なくなっちゃったけど」
寂しそうに俯く玲二を見て、黒斗の胸がズキリと痛んだ。
玲二は母の死から立ち直ってはいるものの、やはり時には母を恋しく感じることがあるようだ。
まだまだ甘えたい年頃なのだから それも無理は無いだろう。
「…………母親が……大好きなんだな」
「うん。大好きだよ……ずっと……ずっと……」
目を閉じながら玲二は言うと、すぐさま いつもの明るい笑顔を浮かべた。
「ごめんね、何か暗い話になっちゃってさ!」
「いや…………じゃあ、今度こそ帰るぞ」
「うん! バイバーイ!」
両手を大きく振る玲二に手を振り返しながら黒斗は玄関に向かい、扉を開けて外に出る。
すっかり日が暮れて厚く大きな雲が月と星を覆い隠している夜空を見上げると、冷たい風が黒斗の頬を撫でた。
“先生は理不尽に命を奪われた。君のせいで死んだ。”
大神の言葉が脳裏で再生され、黒斗は高ぶる感情を抑えつけるように額に片手を当てた。
夜風に勝るとも劣らない冷たさを持つ己の手は ひんやりとしていて気持ちが良く、少しだけ気分が落ち着く。
(…………なあ、佐々木先生……アンタは俺に息子を頼むと言ったが……アンタが死んだ元凶である俺がアイツを……守れるのだろうか?)
心の中で弱音を吐くと、黒斗は すぐに首を振って自嘲気味に笑った。
(……息子のアイツが泣き言も言わずに頑張っているんだ……舎兄の俺が気弱でどうする……これでは また大神に つけいる隙を与えるだけだ。しっかりしないと、な)
手に持っていた鞄を肩に掛けて、黒斗は帰路につくのだった。