拒絶2
如月高校 2階廊下
学校へ やって来た黒斗と鈴は昇降口で玲二と別れ、2年A組の教室へと向かっていた。
「……それにしても、レイちゃんが初恋とはなあ。あの色気よりも食い気、花より団子のレイちゃんが、なあ」
鈴の言葉に頷く黒斗。
「まあ、恋をするのは悪いことや あらへんし、友達として しっかり応援したろ! それにしてもレイちゃんが惚れた子か~、いったい どんな女の子なんやろ?」
「……あの佐々木が好きになるくらいだ……また濃い奴なんじゃないのか?」
「ハハハ……でも、レイちゃんの話を聴くにキリッとした子っぽそうやからな。ウチ、前からのんびりやのレイちゃんには真面目で しっかり者な女の子がエエと思ってたんや!」
まるで母親のようなことを言い出す鈴を、黒斗はジト目で見つめる。
毎朝 朝食を作りに来る面倒見の良さといい、鈴は母性が溢れている。
その母性に反して、胸は無いが。
(……やたらと お節介な所とか、面倒見が良い所とか母さんに似てるんだよな……まるで若かりし頃の母さんみたいだ)
目の前に立つ鈴と記憶の中の日向子の姿が重なり、思わず黒斗の頬が緩む。
(……コイツも、母さんと同じで人の悩みには親身になるが、自分のことになると1人で抱え込むタイプだろう……注意深く見ていないとな……)
母の時と同じような過ちは繰り返さない。
繰り返してはいけない。
もう2度と、失わないように。
鈴の顔を見ながら、改めて決意をする黒斗。
「ぬわあにいーーー!? ついにストーカーらしき奴が現れただとお!?」
すると、廊下の角の向こうから雰囲気を ぶち壊すような騒がしくて間の抜けた声が聞こえてきた。
いったい何事かと黒斗と鈴が声のした方に向かうと、真っ赤な顔をした内河が携帯で通話をしていた。
「おう、おう! 分かった! 俺の方でも しっかり見てるから、お前も ちゃんと頼むぞ! じゃあ、また学校が終わったらな! おう、じゃあなー!」
携帯を耳から離すと同時に、内河は携帯を握りしめながら腕を ぶんぶんと振り回した。
「いよいよ現れやがったかストーカーめ! だが俺達から逃げられると思ったら大間違いだからなあ! 何しろ、俺は月影という橘のストーカーを常に対処している、いわばストーカー対処のプロフェッショナルなんだからなーっ!! ハハハハハ!!」
「……誰がストーカーだ」
「ぎょえええええ!!」
背後から声をかけられ、驚いた内河はクルリと一回転した後に黒斗と対峙する。
「つ、月影ぇ! 何で俺がお前をストーカーだと思ってることを知ってるんだ!? まさか俺までストーカーしてるのか!? あと橘 今日も可愛いマジ俺の嫁」
「……だから、心の中の声が 駄々漏れなんだよ……」
ただでさえ玲二の相手をしていて疲れているのに、これまた独特なテンションの持ち主の内河と遭遇し、黒斗の全身から力が抜ける。
そんな黒斗を尻目に、鈴は内河に微笑んで挨拶を交わす。
「おはよう内河くん。今日も元気いっぱいやな」
「おおおおおお橘っ!! 何て可愛いんだ何て愛らしいんだ何て神々しいんだ! このネクラを見て汚れてしまった俺の目を洗ってくれているかのようだ!」
僅かに鼻血を垂らしながら満面の笑みを浮かべる内河。
相変わらず だらしない男を黒斗は生温かい目で見つめる。
「ははは、それにしても月影め。毎朝 橘と登校してきやがって。バレンタインに橘から義理チョコを貰ったくらいで勝ち誇ったような顔を すんなあ!」
「……その義理チョコを貰ったと知った途端に、この世の終わりだの何だの言って騒いでいたのは誰だよ……だいたい、橘のチョコなんか味が薄くてパサパサしてて良いもんじゃな……」
バチィン
皆まで言う前に、鈴のビンタが黒斗の頬にヒットする。
「……クロちゃんの…………アホッ!!」
ブスッとした表情で言い切ると、鈴は1人で つかつかと歩き出した。
「ああっ! 橘にビンタされるなんて、何て羨ましいんだチクショウ! 俺だって橘にビンタされたいのに! 橘のビンタは俺にとって ご褒美なのにーっ!」
地団駄を踏んで、心底悔しがる内河。
そんな哀れな内河を見て、今日もまた騒がしい1日が始まると、黒斗は溜め息を吐くのだった。
******
放課後
1年E組 教室内
「…………ハアァ~……」
終礼が終わり、教師が教室から出ていくと同時に悩ましげな溜め息を吐く玲二。
「…………あの子に会いたいなあ」
溜め息の後にポツリと呟く。
今日の玲二は1日中、あの藍色の髪の少女のことが頭から離れなかった。
授業の最中でも少女の姿や声を思い出しては もどかしげにシャーペンを指先でクルクル回したり、教師に問題を当てられたら「はいっ! オレは お母さんみたいな気の強い女の子が好きですっ!!」と、何故か自分の好みを暴露したりと、彼の恋の病は かなり重症のようである。
(うぅ……会いたいよ……あの子不足だよーっ! あの子成分が枯渇してるよーっ!!)
頭を わしゃわしゃと掻きむしる玲二。
そんな彼の様子を、他のクラスメート達が怪訝な目で見つめている。
「…………おい佐々木、お前いつにも増して おかしくねーか?」
既に帰り仕度を終えた信男が半目で玲二を見つめ、その傍らには雅也と秀が立っている。
玲二が“いじめ”に立ち向かった あの日以来、玲二のクラスからは“いじめ”が消え失せ、以前と同じような和やかな雰囲気が戻った。
雅也達3人も いじめから解放されて今までのように威張ることもなくクラスメートにも普通に接し、玲二に対しても こうして気軽に話しかける。
そのことに対して、玲二は最初 微妙な感情を抱いていたが、今では特に何も違和感や不快感は無い。
もちろん彼らから受けた仕打ちを忘れた訳でも、許した訳でもない――だが、憎しみは無いのだ。
「…………そう、オレは おかしくなった……あの子と出会って おかしくなってしまったんだあぁ~!!」
「はあ!?」
いきなり両手を振り上げながら立ち上がる玲二に、雅也が素っ頓狂な声をあげる。
「あの子に会いたいのにっ!! あの子に会いたいのにオレは あの子の名前も住所も通ってる学校も知らないっ!! いくら運命の赤い糸で結ばれてても、糸任せのままじゃ いつ会えるのか分かんないよーーー!!」
「ぐええ」
興奮のあまり、目の前に立つ雅也の胸ぐらを掴んで激しく揺さぶる玲二。
雅也が白目を剥いて苦しげな声を漏らしていることにも気づかず、彼は狂おしい叫びを あげながら揺さぶり続ける。
「ちょ……ストップストップー!! 雅也が死ぬっ! 雅也が死ぬからっ!」
「佐々木やめろ」
信男と秀が必死になって玲二と雅也を引き離す。すると玲二が、今度は秀の肩を掴んで激しく揺さぶりだした。
「ねえ! オレは どーしたらいいと思う!? 教えてよー!」
「わ、わ、わ、分かったか、か、ら! は、離してくれえ」
雅也と信男が2人がかりで玲二を掴んで秀から引き離し、掴んだまま玲二から事情を聞き出した。
「…………はあ、何事かと思ったら恋煩いかよ。青春謳歌しやがって コンチクショー。佐々木のくせに生意気だ」
玲二の悩みを知った信男が苛立ったように呟くと、雅也と秀が苦笑いを浮かべる。
「……で、名も知らぬ初恋相手に会えなくて悶えていると……ハア、バカだなあ。初恋相手の素性を知る手段が あるのに」
「ほ、本当っ!?」
またもや玲二が秀に掴みかかろうとするのを、急いで雅也と信男が止める。
「お前の話から察するに、お前が胸を触ったのはウチの学校の生徒なんだろ? だったら その生徒を探して、その子のことについて聞き出せばいいんじゃないか?」
「な、なるほどなー!」
雅也と信男が玲二から手を離すと、彼はグッと拳を握りしめた。
「…………まあ、生徒っていっても何処のクラスの奴か分からないから、雲を掴むような話だがなあ」
やれやれと溜め息を吐く秀。
だが――
「あの……秀。アイツ、もう行っちまったぞ」
「鞄も持っていかずにな」
「………………」
******
「尾田くんからの貴重なアドバイス……これを活かさない理由は無いっ!」
張り切った様子で廊下を走る玲二は、今朝 出会った清菜という亜麻色の髪の女子生徒を探す。
学年やクラスは分からず『清菜』という名前しか手がかりが無いにも関わらず、玲二は必ず直ぐに見つかるだろうという自信に満ち溢れていた。
今の自分に出来ないことはないと信じて疑わない玲二。
すると――
「篠塚さん、また明日ね」
不意に声が聞こえた前方を見やると、茶色いボブヘアーの若い女教師と、短い亜麻色の髪の少女の後ろ姿が視界に入った。
見覚えのある亜麻色に、玲二は首を傾げる。
「ああ そうそう。明日は ちゃんとプリントを持ってきてね」
「は、はい先生…………」
妙に おどおどした様子で頷くと、亜麻色の髪の少女は教師に背を向け、玲二の方に振り返った。
「あっー!!」
「きゃっ!?」
露となった顔を見た玲二が驚きの声をあげると、少女もまた驚きの声をあげた。
「あ、あなた…………今朝の……」
垂れ目がちな瞳に恐怖の色を滲ませながら、後ずさりをする少女。
そんな彼女の言葉と様子を見て、玲二は やはり この少女が今朝 出会った清菜であることを確信する。
「清菜さん……ですよね? オレ、貴女に会いたかったんですっ!」
大きく一歩を踏み出して清菜に近づく玲二だが、清菜は全身を震わせながら後ずさりを続けて彼と距離をとる。
「ま、待って下さいよ。オレ、訊きたいことが……」
片手を伸ばしながら清菜へ さらに近寄る玲二。
だが――
「イヤアアアアアアア!! 来ないでっ、私に近寄らないでえええっ!!」
清菜は まるで化け物でも襲ってきているかのような悲鳴をあげ、弾かれたように走って逃げ出した。
「あっ!? ちょ……待ってえ!!」
そんな清菜を猛ダッシュで追いかける玲二。
その一部始終を見ていた教師は――
「若いって良いわねえ」
そんな呑気なことを口にするのであった。
******
昇降口
下駄箱にて、上履きと下履きを履き替える黒斗と鈴。
「イヤアアアアアアア!!」
「待ってええええええ!!」
そこへ聞こえてくる、女の悲鳴と玲二の声。
「……何の騒ぎだ?」
靴の爪先を床でトントンと叩きながら気だるそうに呟く黒斗。
いかにもなトラブルの予感に、早くも疲労を感じる。
「な、なんやろ? レイちゃんの声、どっから……」
辺りをキョロキョロと見回す鈴。
すると教室が ある方向から亜麻色の髪の少女が凄まじいスピードで走ってきて、その勢いのまま急カーブをして下駄箱へ やってきて、鈴の目の前を一瞬で駆け抜けた。
「な、何や今の!?」
風のように現れて、風のように去っていった少女は あっという間に学校を出て、もう姿が見えなくなった。
一体 何事なのかと鈴が唖然としている間に――
「待ってってばああああ!!」
今度は玲二が やって来て、黒斗の目の前を さっきの少女と同じように駆け抜けて瞬く間に学校を飛び出していった。
その速度は、日頃の彼のノロマっぷりが嘘のようである。
「れ、レイちゃん……靴も替えんこに……ちゅうか、あの女の子 誰やねん!? 何で追いかけとるんや!?」
「俺に聞かれても知るか……」
やれやれと溜め息を吐いて頭を掻く黒斗。
全身から漂う気だるいオーラが「関わりたくない」と主張しているが、それが鈴に通用する訳もなく――
「と、とにかくレイちゃんを追いかけるんや! 行くでクロちゃん!」
「……やっぱり俺も行かなきゃならんのか……」
意に反して、黒斗は鈴と共に玲二を追うことになるのだった。
******
「はあ……はぁ、はっ…………」
学校から出た後も走り続けていた清菜。
さすがに疲れたのか彼女は立ち止まり、腰を曲げて乱れた呼吸を整える。
(……もう、来ないわよね……?)
チラリと背後を覗き見るも、玲二の姿は無い。
(……良かったあ)
逃げ切れたことに安堵の溜め息を吐く清菜。
だが彼女は知らない。
恋する青少年の執念が、どれだけのものなのかを。
「せいな さーーーーんっ!!」
「ひっ!」
後ろから聴こえてきた能天気な声に、清菜の肩がビクリと跳ねる。
恐る恐る背後を見ると、銀髪の悪魔が手を振りながら こちらに向かってきていた。
「き……きゃああああああああ!!」
絹を裂くような悲鳴と共に駆け出す清菜。
そんな彼女を執拗に追い回す玲二。
「もーっ! 何で逃げるのさーー!!」
玲二としては ただ初恋の女の子のことについて訊きたいだけなのだが、そんな事情など知らない清菜にとっては どこまでも追いかけてくる恐怖の対象でしかない。
またしても追いかけっこを始める玲二と清菜。
清菜が限界に近づいてきているのに対し、玲二は全く息切れしていない。
これも恋する青少年の本気か。
やがて清菜が角を曲がり、それに続けて玲二も角を曲がる。
だが それと同時に玲二の顔に勢いよく何かが ぶつかり、勢いよく彼は後方へ吹っ飛ばされた。
「ぷぎゃっ」
地面に叩きつけられる玲二。
額の辺りからズキズキと鈍い痛みがして、玲二は そこを押さえながらノロノロと起き上がる。
「……やっぱり、貴方だったのでありますね」
「おぅ!?」
聞き覚えのある――それでいて聞きたくて仕方なかった凛々しい声に、俯いていた玲二の顔がガバッと上がった。
彼の視界に入ったのは、思い焦がれていた藍色の髪の少女。
彼女を見た玲二は痛みも忘れて満面の笑みを浮かべる。
「うわあああい! 君だあー!」
再会に喜ぶ玲二だが、当然というべきか少女は険しい表情を浮かべている。
「喋んなクズ。であります。しかし、やはり私が睨んだ通りだったでありますね」
「ま、松美ちゃん……」
松美と呼ばれた少女の後ろで、清菜がオドオドしている。
「清菜さん、危険だから お下がり下さい。このストーカーは、私が退治いたします」
「すっ……ストーカー!?」
予想外の言葉に驚愕する玲二。
確かに追いかけてはいたが、そのくらいでストーカー認識されては たまったものではないと、玲二は出来の悪い脳をフル回転させて弁解の言葉を考える。
だが その間にも松美は玲二へと にじり寄ってきて、阿修羅の如く恐ろしい形相で身を縮めている玲二を睨みつけてくる。
「さあ……どうしてさしあげましょうか?」
「ひいっ! ちょっ……違うんです! これは誤解ですー!」
「はっはっは、なーにが誤解だ! 白々しい!」
「へっ!?」
後ろから聴こえてきたネチネチとした声に反応し、振り返ると、そこには なんと内河が立っていた。
「あ、兄貴達のクラスメートのブチカワさん!? 何だって こんな所に!?」
「誰がブチカワじゃい! 内河だっての、う・ち・か・わ!!」
こめかみを引きつらせながら玲二の間違いを訂正する内河。
彼が ここに居る理由は分からないが、とりあえず悪い予感しかしない。
冷や汗を流す玲二。
すると松美が内河に視線を向け、不機嫌そうに腕を組んだ。
「お兄様、分かっていたのなら何ゆえ このストーカーを止めなかったのでありますか?」
「ハハハ、コイツがストーカーである決定的瞬間を携帯で撮影していたのさ! 舎弟がストーカーだと告発すれば、舎兄である月影の恥になるしなあ!」
玲二には よく分からない話をする内河と松美。
だが それよりも何よりも。
(……ま……松美さんって内河さんの妹だったの!?)
松美が内河に言った『お兄様』という言葉に衝撃を受ける。
「ククク……さあ、どうしてやろうかねえ」
「フフフ……どうしてさしあげましょう」
玲二が呆然としている間に内河兄妹の会話は終わったらしく、2人は玲二を見下ろしながら黒い笑みを浮かべていた。
そんな2人の顔を見た玲二は全身の毛が逆立ち、絶体絶命のピンチを悟る。
「ひいぃ……う、う、うわあああああん!! あーにきーっ!!」
恐怖のあまりパニックになった玲二は、某メガネのイジメられっ子のような情けない悲鳴をあげた。