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デスサイズ  作者: LALA
Episode9 涙
63/118

涙11

 

「…………譲治さんが寂しがるとかいう理由で関谷は譲治さんの母親をも殺し、そして当時 議員だった父親に頼み込んで罪を隠蔽(いんぺい)して お母さんに濡れ衣を着せた……そうだろ?」


 黒斗が静かに言うと、日向子は目を伏せたまま コクリと頷いた。


 それを見届けた黒斗は拳をグッと握り締めて俯く。



「……俺はさ、お母さんの心と身の安全が一番 大切なんだ。だから……俺が居ることで お母さんが危ないのなら……俺は、この家を出て」


「ダメよっ!!」


 痛みに耐えるような表情で紡がれた黒斗の言葉尻は、日向子の叫び声に よって掻き消された。



「貴方が居ないと意味が無いの……貴方が……今の私の生きる意味なんだから」


「でも……心配で仕方ないんだ……いつか お母さんが関谷に何かをされるんじゃないかって……」



 沈痛な表情を浮かべる黒斗。


 そんな彼の手を日向子は握り、微笑みかける。




「大丈夫よ。関谷さんだって、今すぐに何かを しようって訳では無さそうだし……黒ちゃんが そんなに気を病む必要は無いわ」


 大丈夫だと日向子は言い張るも、心配性の黒斗が その言葉だけで安心できる筈が無く、彼は訝しげに母を見つめる。



「……やっぱり心配だよ。だって お母さん悩みが あっても1人で抱え込む癖が あるし……。


  それに頼り下手だし、慎重そうに見えて わりと無鉄砲だし、バカみたいにお人好しだし! いつも俺がヒヤヒヤさせられてるの分かってんの?」


 黒斗が日向子の短所を遠慮なくズバズバと言い切ると、彼女は わざとらしく両手で顔を覆った。



「そ、そこまで言わなくても……お母さん泣いちゃうわ、クスン」


「はい嘘泣きですーっ! もう、ふざけないでよ お母さん!」


「あらあら、鋭いわねえ」



 ビシッ、と指を さして指摘すると、日向子は顔から手を離した。


 露になった顔には ウィンクをしながら、舌を少しだけ出しているという いたずらっ子のような表情が浮かんでおり、一瞬 黒斗は彼女が醸し出す和やかな雰囲気に呑まれてしまいそうになるが、首を振って気を取り直す。




「……笑ってる場合じゃないよ! 俺は本当に お母さんが心配なの、お母さんが俺に何も言わずに抱え込むんじゃないかって!」


 やや怒った様子で黒斗が叫ぶと、日向子は悲しそうに眉を下げた。



「……ねえ黒ちゃん……もしかして、黒ちゃんは お母さんが嘘を ついてると思ってる? 信用できないと思ってる?」


「は?」


 母が突然こんなことを言い出す理由が分からず、黒斗は呆けたような声を出してしまう。


 何故 今の話の流れから こんな言葉に繋がるのだろうか。



「……あのさ、俺は ただ心配してるだけだよ? お母さんが信用できないとか嘘だとか、一言も口にしてないけど」


「……だって黒ちゃんは、私が誤魔化していたりするんじゃないかって懸念(けねん)しているのでしょう? やたらと心配したり、疑ったり勘繰ったりするのって……相手を信用していないのと同じだと思う」


 ポツリポツリと日向子が言った言葉を聞いた瞬間、黒斗は脳天に雷でも落ちてきたような衝撃に襲われた。




 ──心配しすぎるのは信じてないのと同じ?




 心配だから心配するのに、そうすると母は息子が自分を信じてないと感じて悲しんでしまう。


 思いもよらぬ言葉に黒斗は混乱するしかない。



 一般的に見れば、日向子が言った言葉は的を得ている部分も あるが少々 強引な箇所がある。


 他の人間が聞けば多少なりとも引っ掛かりを覚えそうな発言だが、人間の感性や考えを完全に理解している訳ではない黒斗が違和感など感じる訳もなく、彼は言われたことを そのまま鵜呑(うの)みにしてしまった。




「…………ごめん……信じてない訳じゃないんだ。でも、お母さんが そう言うなら、俺は心配しすぎるのを やめるよ。ただ……約束してほしい」


 伏せていた顔を上げ、黒斗は日向子の黒真珠のように美しい瞳を真っ直ぐに見つめながら、諭すように こう告げた。



「……身の危険を感じたら、自分1人では抱えられないと思ったら……俺を頼ってほしい。……その為の家族、なんだから」


「……ええ。ありがとう黒ちゃん」


 そう言って日向子は目を細めながら笑う。




 黒斗にとって一番大切なのは日向子。


 日向子が悲しむのが何よりも嫌なのだ。


 だから彼は日向子に言われた通り、過剰な心配をしないことに、「大丈夫」と言い張る母の言葉を信じることにした。




 それが正解だったのか黒斗には知る術も無く、腑に落ちない気分のまま、この日を過ごすしかなかった。




 ******




 翌日の朝




 いつものように黒斗は日向子よりも後に起き、居間に居る母に挨拶をする。



「おはよう お母さん」


「おはよう。さっき、松太郎くんが来てたわよ」


「松太郎?」


 朝っぱらから聞き慣れた名前を聞いて眉を潜める黒斗。


 別に松太郎が嫌いな訳ではないが、1日が始まって早々に聞きたい名前であるかと聞かれれば答えはノーだ。



 何せ、彼は騒がしいかつハイテンションな性分なのだ。


 松太郎の持ち前である面倒くさい程のポジティブさと騒がしさは、黒斗にとって疲労の元でしかない。


 そんな男が朝っぱらから家に やって来たことに不吉な予感を覚えながらも、黒斗は気を取り直して疑問を口にする。




「松太郎の奴、もう帰ったんでしょ? アイツ何しに来たの?」


 小首を傾げながら聞くと、日向子は「ああ そうだった」と何かを思い出したように小さく呟いて手を叩く。



「黒ちゃんへの言付けを預かっていたのだったわ。えっとね……『黒斗! 今日は お前と俺の約束の日だな! お前のことだから絶対 忘れてると思い わざわざ教えに来てやったぜ!!


  どうよ、この秀逸な気づかい! 俺に惚れるなよ!? ああ男をも(とりこ)にしてしまうなんて……俺は なんて罪深い男なんだ!』……って言っていたわ」




 日向子の声とはいえ、うぬぼれ にも程がある松太郎の言葉にイラッとする黒斗。


 その感情が面に出ていたのか、黒斗の顔を一瞥(いちべつ)した日向子は面白そうに声を出して笑った。


 思ってることが顔に出やすいことは黒斗自身も分かっているが、面と向かって笑われると良い気分はしない。



「フフフッ、凄い顔になってるわよ? 本当は松太郎くんと仲良しのクセに」


「……仲良くないし、アイツが勝手に絡んできてるだし」


 ()ねたように頬を膨らませながら そっぽを向くも、日向子はクスクスと笑い続けている。



「素直じゃないんだから。まあ、何は ともあれ松太郎くん、いつもの広場で待ってるみたいだから……ご飯を食べたら直ぐに行きなさい」


「……え、でも……」


 出掛けることを急かす日向子だが、黒斗は渋る。



 確かに松太郎とは前から約束を していたとはいえ、今は研一という厄介な問題を抱えている。


 自分が留守の間に、研一が日向子へ会いに来るのではないか――そんな不安が あるのだ。



(……別に松太郎との約束は大したことじゃないし……行かなくても大丈夫だろ。お母さんの方が大事だし、心配だもんな)



 松太郎との約束を さらっとスルーしようとする黒斗。


 悪いとは思っていても、やはり母の安全が第一だ。




「こら、黒ちゃん。約束を破るなんて良くないわよ。ちゃんと行きなさい」


 しかし日向子は黒斗の心情を見抜いたのか腕を組み、怒ったように ただでさえシワが多い眉間に眉を寄せながら言った。


 さすが母親だけあって、息子の考えは お見通しのようである。



「だ、だって……俺が居ない間に関谷が来たらと思うと心配なんだよ……正直、俺は松太郎よりも お母さんが大切だから、お母さんの方を優先させたい」


「……お母さんのことを大切に してくれるのは嬉しいけど、友達も大切にしなくちゃダメよ? 松太郎くん、待ってるんだから……行きなさい」



 幼子に言い聞かせるような穏やかな口調だったが、その言葉には有無を言わせないような不思議な迫力が あり、その迫力に圧された黒斗は渋々と頷くしかなかった。




「……分かったよ……でも……お母さん1人で大丈夫かなあ……」


 俯いたまま上目遣いで日向子を見つめると、彼女は何故か不快そうに唇を尖らせた。



「……過剰な心配は しないって、言ったばかりじゃない」


「あっ……」




 “やたらと心配したり、疑ったり勘繰ったりするのって……相手を信用していないのと同じだと思う”




 昨日 日向子に言われたことが脳裏でリフレインする。




 また母を傷つけてしまったか――そう懸念した黒斗の顔はサーッと青ざめ、冷や汗がブワッと吹き出た。



「ご、ごめん。つい……」


「分かれば いいのよ」


 黒斗が平謝りをすると、日向子は先程までの不機嫌な顔が嘘のように心底満足そうな笑みを浮かべた。


 あまりにも早い気持ちの切り替えと笑顔に黒斗は何だか騙されたような気分になるが、母の気分を害さないよう素直に従っておく。




「……はあ、じゃあ行ってくるよ。なるべく早く帰るから」


 黒斗は溜め息を吐き出し、投げやりな口調で言い切りながら日向子の脇を すり抜けて玄関へと向かおうとする。


 だが そんな彼の腕を日向子が不意に掴んで進行を妨げた為に、バランスを崩した黒斗が後ろに つんのめってしまう。



「うわっ、と……何だよ お母さん」


「え、その……ご飯! 朝ご飯は食べないの?」


「ご飯? 別に良いよ……帰ってから食べる」


「……そう」



 素っ気ない やり取りは直ぐに終わり、向かい合う2人の間に沈黙が流れる。


 だが、日向子は黒斗の腕を しっかりと握ったまま離さない。




「……お母さん?」


 その様子を怪訝に思い、黒斗が声をかけると日向子は ようやく手を離した。




「…………行ってらっしゃい黒ちゃん」


「う、うん……行ってきます……」



 微笑みながら手を振る日向子に手を振りかえし、黒斗は家を出ていった。




「…………」


 自宅に1人残された日向子は、黒斗の腕を掴んでいた手のひらを見つめる。




「……フフッ」


 緩んだ唇から小さな笑い声が漏れる。


 それは楽しくて零れた笑みでも、誰かを小馬鹿にした嘲笑(ちょうしょう)でもなく、まるで愚かな自分に呆れ果てたような そんな自嘲(じちょう)の笑みであった。




「……私は…………本当に、魔女なのかもしれないわね」


 目許を片手で覆い、日向子は力無く その場に座り込んだ。



言葉巧(たく)みに、純粋さを利用して騙して惑わして……操って……こんなの、人心を惑わす悪魔と一緒……。


  ごめんね黒ちゃん……嘘ばかり吐いて、誤魔化してばかりで……。


  でも、これで最後……最後に、するから……だから……貴方は何も心配しないで……」



 手で目許が隠されている為 彼女の顔は見えないが、固く食い縛られた唇から苦悶の表情を浮かべているのが分かる。



 まるで懺悔(ざんげ)を しているような痛々しい言葉と共に、手のひらの下から涙が伝い落ちた。




 ******




 数十分後



 山から降りた黒斗は早急に用事を済ませるべく、松太郎の待つ広場へと全速力で向かった。


 脇目も ふらずに真剣な表情で走り続ける黒斗を、行き交う人々が奇異の眼差しを向けていたが、彼は そんな視線など全く気にせずに目的地を真っ直ぐ目指す。



 やがて広場に辿り着くと、共同椅子に松太郎が松子と並んで座っているのが見え、黒斗は手を振って声をかける。




「おい、来てやったぞ松太郎」


「おう、来たか。待ってやってたぞ黒斗」


 共同椅子から松子と共に降り、黒斗へと歩み寄る松太郎。


 黒斗と松太郎が互いに偉そうな態度で接するのは いつものことなので、松子は後ろに手を隠したまま面倒くさそうに溜め息を吐きながらも無視を決め込む。




「……で? 誕生日ってのを教えてくれるんだって? 教えるなら さっさと手短に……10文字以内に簡潔に頼む」


「教えてもらうクセに何で そんな威張ってるんだ!? あと10文字以内とか無理だから、簡潔ってもんじゃないから!!」


「出来ないのか? 努力が足りないな」


「努力で どうにか出来る問題かっ!!」


 会って早々に漫才を始める2人を見兼ね、松子が黒斗と松太郎の間に割って入り、手を叩いて静かに させる。



「話が進まないので、とっとと本題に入りましょう。黒斗様、黒斗様に とって“お誕生日”とは如何(いか)なる認識なのでございますか?」


「誕生日…………ただ年を とるだけの、自分の成長度を測定するだけの日、だと俺は思ってるけど」


 淀みなくスラスラと黒斗が言い切ると松子は目を丸くして、松太郎は「やれやれ」と肩を(すく)めて首を振った。




「……お兄様の仰っていた通りでしたわ……何と寂しい方なのでしょう」


「ったく、冷たいというか血も涙も無いというか……親の顔が見たいぜ!」



「………………」


 なかなかに辛辣な2人の心の声に閉口する黒斗。


 この独特の感性を持つ兄妹を見ていると、人間とは実に奥が深くて理解しがたい存在なのだと実感させられる。




「仕方ない! あまりにも寂しすぎる お前の為に、誕生日というものを教えてしんぜよう!」


 エヘンと咳払いをしながら自分の胸を強く叩く松太郎。


 だが力が強すぎたらしく、彼は腰を曲げて咳き込みだしたので松子が代わりに解説へ入った。




「愚兄が使い物にならないので、僭越(せんえつ)ながら私が ご説明いたします。


  宜しいですか、お誕生日というのは感謝の日なのです。お誕生日を迎えた方に、生まれてきてくれて ありがとう、と感謝の気持ちを伝える日なのです」


「……生まれてきてくれて、ありがとう……」




 誕生日を何とも思っていなかった黒斗だが、松子の言葉を聞いて興味が湧いたのか、彼女が言ったことをポツリと復唱する。


 すると咳が治まった松太郎がニヤリと笑いながら彼の肩に手を回した。



「松子の言う通り、誕生日とは生まれたことを感謝して祝う日だ。だから皆、感謝の気持ちを込めて贈り物をするんだぜ」


「感謝、か…………」


 黒斗はボンヤリと日向子と過ごした日々を回想する。



 家族として共に暮らすように なってから はや3年。


 その3年間に、日向子への感謝の気持ちは数えきれないほど存在する。




 名前をつけてくれたこと、母になってくれたこと、人間について色々と教えてくれたこと――これらだって、数多い感謝の ほんの一部でしかない。




(……思えば、俺って面と向かって感謝の気持ちを伝えたことって無かったな)


 心の中では母に いつも感謝しつつも、その思いを言葉にしたことは無い。



 照れくさいというのもあるが、一番の理由は伝え方が分からなかったからだ。



(でも、今はチャンスだ……お母さんの誕生日ということもあるし、急に感謝の気持ちを伝えたって おかしくない)


 せっかくだから誕生日の祝い事に参加しようと、黒斗は松太郎と松子を交互に見つめた。


 すると彼の気持ちに勘づいたのか、松子が後ろに回していた手を前に出した。


 出された手に握られていたのは便箋(びんせん)と鉛筆であり、それを差し出された意図が分からず黒斗は首を傾げる。



「……便箋と鉛筆なんて、何に使うんだ?」


 黒斗の素朴な疑問に松子は穏やかな笑みを浮かべながら答えた。




「これは愚兄の提案なのですが…………日向子様に感謝の気持ちを(つづ)った お手紙を贈り物と するのは いかがでしょう?


  相手の顔を見て声に出すより、こちらの方が気恥ずかしさが無い分 思っていることを素直に出すことが出来ると思います」


「……手紙、かあ」



 松太郎の意外にも まともな案に賛同する黒斗だが、心の奥には不安がある。



 何せ、彼は手紙どころか文字を書いたことだって無い。


 仮に書いたとしても、文字は間違いだらけで文章も お粗末で荒唐無稽(こうとうむけい)な手紙になり、最悪 母に思いが伝わらないのでは――と、マイナスな考えが浮かんでくる。



 どうにも乗り気でなさそうな黒斗に苛立ったのか、松太郎は彼の肩に回していた手を離し、真正面から訝しげな視線を向ける。



「何だよ、俺様の案を否定するつもりか?」


「ち、違うよ。その あの……手紙……書き方が分からなくて……」


 もごもごと小声で黒斗が呟くと松太郎は一瞬 呆気にとられたように目を点にしていたが、数秒後に大口を開けて笑いだした。




「アハハハハ!! 手紙の書き方なんて どうだって良いんだよ! 大事なのは お前の気持ち!


  お前が思ったこと、感じたことを思うがまま書けばいいんだよ!」


「愚兄の言う通りです。素直な気持ちを お書き下さい。もしも分からない文字など ありましたら、お教えいたしますので」


 人の良い笑顔を浮かべる2人に諭され、黒斗は松子から渡された便箋と鉛筆を受けとる。




「……分かった。思うこと、全部 書き殴ってみる……!」


「おう、それで いいんだよ! 分からんことが あったら遠慮なく聞け!」


 偉そうだが頼もしい松太郎に笑みを零すと、黒斗は共同椅子の上に便箋を広げ、母への思いを綴り始めた。




 ******




 黒斗が内河兄妹と手紙を書き始めた数十分後――日向子は1人、腕を後ろに組みながら沈痛な面持ちでイチイの木が ある場所へと向かっていた。



「……………………」


 イチイの木が見えると、日向子は足を止めてソレを見上げる。



 相変わらずの鮮やかな深緑色。


 他の大木よりも存在感が あり、風に揺れて なびく葉。


 その一部は太陽の光を浴びて、艶やかに美しく輝いている。



 何年経っても変わらない、思い出の木。


 日向子が初めて黒斗と出会ったのも、この木の根元だった。



(……血塗れに なって木に(もた)れている黒ちゃんを散歩中に見つけた時は、息子に なるだなんて思わなかったわ……)


 あの日あの時この場所で、出会ったことが全ての始まりだった。



 黒斗と出会ってからの満ち足りた日々は、日向子に とって かけがえのない宝物となった。



(……最初は譲治さんの代わりだった。私が寂しいから、1人が嫌だから……そんな自分勝手な理由で あの子を ここに住まわせた……)


 愛する夫を亡くし、悲しみに暮れる暇も無く逮捕されて牢屋に22年間も入れられて。


 出所したかと思えば、町の住人――それも友達だった相手からも『魔女』と呼ばれて忌み嫌われて。


 譲治の家も、譲治と結婚する前に1人暮らししていた実家も既に無くなっていて。


 半ば追い出される形で町を出て、裏山に あった木こりが住んでいたのであろう空き家に1人で住み始めた。



 絶望、孤独、空虚感――それらは日向子の世界をモノクロに染めた。




 だけど黒斗と出会い、彼を息子として愛することでモノクロだった世界に色が戻った。



(いつしか譲治さんの代わりではなく、“黒斗”として彼を見て愛して……幸せを得た)




 たかが3年。されど3年。


 何よりも大切な思い出。


 何よりも大切な息子。





(だから……失いたくないの……何をしてでも)


 過去を懐かしむような優しさと切なさが入りまじった表情から一変、日向子はイチイの木の根元に佇む男を憎しみが こもった鋭い目付きで睨みつけると、ゆっくりと歩み寄った。


 腕は未だに後ろで組んでいるままだ。




「……お待たせしてしまい、すいません」


 日向子が全く悪びれた様子の無い謝罪の言葉を発すると、男――関谷 研一は醜悪(しゅうあく)な笑みと共に ゆっくりと振り返った。



「おうおう、やっと来たねえ。呼びつけた癖に人を待たせるとは……いやはや魔女とは やはり格が違いますなあ」


 無駄に洗練された優雅な動きで お辞儀をする研一。


 その腹立だしい言葉と仕草に日向子は苛立ちを覚えるも、にっこりと微笑んで感情を隠す。




「で、何の用なんだ? わざわざ小声で喋っていたということは、あの子に聞かせたくない内容なんだろ?」


 研一の言葉に日向子は コクリと頷いた。




 実は昨日 日向子は研一の帰り際に、今日の午前中 イチイの木で会うという約束を取りつけたのだ。


 それも、盗み聞きしていた黒斗が聞こえない程 小さな声で。



 黒斗の方から見える彼女は背を向けていた為、何か言葉を発していることにも彼は気づいていなかった。



「で、用事って何さ? まさか、俺が譲治の洗脳を解いたことに今さらケチを付ける気か?」


「洗脳……殺したの間違いでしょう? 大体、文句があるなら真実を知った時に言ってますよ」




 日向子が譲治と姑殺しの犯人を知ったのは出所し、裏山に住むようになってからだ。


 ふらりと家に やって来た研一が彼女を魔女だと(ののし)り、さらっと自分が譲治を殺したと告げて去っていった。




 夫と姑を殺した研一を憎んでいないと言えば嘘になる。


 だが、今 大事なのは――やるべきことは憎悪に駆られた復讐ではない。


 大切な息子を守ることだ。



「……じゃあ、さっさと本題に入ってくれないかい? 俺は暇を持て余している君と違って多忙なのでねえ。グフフフ」


「ふふ、何も お仕事をせずに兄の すねかじりをしている貴方が忙しいだなんて、寝言は寝てから仰って下さいます」


 互いに敵意を剥き出しに会話をする2人。


 やがて日向子は ほぅ、と溜め息を吐くと、笑みが消えた真剣な表情で研一を見つめた。




「…………貴方は……黒ちゃんを養子として引き取りたいと、そう言っていたわよね? 仮に引き取ったとして……貴方は黒ちゃんに どんな環境を与えるの? 貴方が あの子の父親になるの?」


「どんな環境、だって? ハハハハ!! そんなの決まってるじゃないか!!」


 笑う度に研一の(たる)んでいる腹が だらしなく揺れ、彼は その腹を両手で支えながら言葉を続ける。



「一生 俺の部屋に住まわせて見つめるんだ。2度と外には出さないさ……外なんか出たら、あの子の白い美肌が日に焼けてしまうし、何より 変な虫が付いてしまう!


  あの子は俺だけの物なんだから……傷も汚れも付かないよう、大事に大事に扱わないとっ!!」


 興奮のあまり真っ赤に血走っている目を大きく見開き、まるで舞台の役者のように大袈裟に手を広げながら声を張り上げる研一。


 それを見た日向子は、この男は もう駄目だと――手遅れなのだと悟った。



「……一生 外に出さず、鑑賞するだけだなんて……そんなの“物”と同じじゃない!!」


「黙れ この魔女め!! お前は俺から譲治を奪っただけでなく、あの子まで奪うのか!?」


 キッと睨みながら研一が一歩 踏み込むが、日向子は怯むことなく やや曲がり気味な背筋をピンと伸ばす。


「……奪われたのは私の方です……貴方は勝手に譲治さんが私に惑わされたと妄想し、拒絶された悲しみのあまり殺した……」


「俺が被害妄想者だってのか!? お前が悪いんだ!! お前が譲治を洗脳したから譲治は死ななくてはならなくなった!! 譲治を愛していた俺に、愛する者を殺させるという残酷なことをしたんだ!!」


「愛している人が自分のものにならないから殺す……そんなの本当の愛じゃない……貴方の愛は ただの押しつけ……一方的で独りよがりなものよ!!」



 一歩も譲らない日向子と研一。


 2人の口論はヒートアップしていく一方である。




「ハアハア……やっぱり お前じゃ話が通じない……あの子……黒斗くんは何処だ!? 黒斗を出せ!! 俺が直々に説得して連れていく!」


 獣のように歯を剥き出しにして怒鳴る研一。


 どうやら大分 苛立っているようだ。




「黒ちゃんは居ません。居たとしても会わせませんし、あの子は絶対に貴方の元へ行かないわ。だって、貴方のことを嫌っているもの」


「嫌っている……だと……!?」


 ショックを受けたのか彼は2、3歩 後退り、蒼白になって冷や汗が滲んでいる額を右手で覆う。




「…………まさか、ね。まさか、あの子まで洗脳済みだったとは……どうして俺が愛した男は皆、殺されなくてはならないんだ……悲しいよ…………せっかく譲治が居ない寂しさを紛らわしてくれる子が見つかったと思ったのに……」


「……………………」


 ブツブツと呟かれた息子を殺すという言葉を聞いて、日向子は覚悟を決めた。



(…………黒ちゃんまで、殺させは しない……! あの子は私の命……生きる意味……!)


 生唾を飲み込み、後ろで組んでいた腕をバッと前に出す。


 露となった両手が しっかりと掴んでいるのは、料理用の短い包丁。


 だが毎日 ()いでいる お陰か その刃先は鋭く、まるで血を求めているかの如く不気味に(きら)めいている。




「お、お前……何だよ、それ!? そ、そんな物を取り出して何を するつもりだ!?」


 先程までの傲慢(ごうまん)な態度から一変し、怯えきった様子を見せる研一。


 目は落ち着きなく あちこちを さまよっており、まるで焦点が合っていない。




(ああ、今の私……きっと醜い顔に なってる)


 自分の顔なので見ることが出来ないが、歪に吊り上がっている口角の感触から察するに悪人じみた表情を浮かべているのだろうと日向子は思う。


 だが、なりふり構ってはいられない。



 この狂った男を(ほうむ)る為なら、息子を守る為なら、息子との未来を守る為なら――自分の手が血で汚れても構わない。


 そんな覚悟で、彼女は包丁を構えたのだ。




 ──ごめんね黒ちゃん、お母さん嘘ばかり吐いて



 ──でもね、私の こんな醜い姿を貴方が見たら……きっと幻滅するでしょうから



 ──黒ちゃんの中では、貴方が好いてくれた、愛してくれた“綺麗”な私のままで いたかったの



 ──自分勝手な お母さんで ごめんね



 ──でも、もう終わり……これで、終わりにするから……全てを




 包丁を突き出したまま、じりじりと研一に にじり寄る日向子。




「やめろぉっ! 俺を誰だと思ってるんだ!? 華族だぞ!? 貴族議院の弟だぞ!?」


「華族? 兄が議員? それが どうしたっていうの? 貴方が何者であろうが、私には息子を殺そうと企む悪魔でしかないわ」


 穏やかな声で喋る普段の日向子とは別人のように違う、無慈悲で冷酷で突き刺さるような声に研一の肩がビクリと跳ねる。



 完全に優位に立っている日向子はクスリと不気味に笑いながら、一歩、また一歩と研一へ近づく。



 彼女が歩く度にテンポよく聞こえる草が踏まれる音は、まるで研一の命が終わるカウントダウンのようだ。




「や、やめてくれ! もう2度とアンタにも黒斗くんにも近づかない! だから許してくれえっ!!」


 必死に命乞いをする研一だが、日向子の決意は揺るがない。



「……そんな言葉……信用できないわ!」


 そう叫ぶと、日向子は包丁を突き出した状態で研一へと突進した。




「ギャアアアアアアアア!!!!」


 死を悟った研一の悲痛なる声が辺りに響き渡る。




 だが その悲鳴は一瞬で消え去り、恐怖で歪んでいた研一の顔が勝利を確信した不敵な笑みへと変わった。




「…………なーんちゃって」


 イタズラが成功した子供のように無邪気な口調で呟きながら、研一は懐から取り出した拳銃を日向子へ向けて迷いなく引き金を引いた。




 ダーーーーン




 物々しい音と共に、深緑色の穏やかな草原に似つかわしくない真っ赤な花びらが飛び散った。

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