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デスサイズ  作者: LALA
Episode9 涙
60/118

涙8

 

 同日 午後22時すぎ


 日向子の家の前



「……ふう、やっと帰ってこられた」


 野菜や糸を両腕で抱き抱えながら、ゲートを潜って帰還してきた黒斗。



 松太郎と別れた後、黒斗は勇気を振り絞って通行人から八百屋と呉服屋の場所を聞き出し、頼まれていたものを何とか買うことが出来た。


 そこまでは良かったのだが、問題は彼が頼まれていた買い物を終えた後に起きてしまったのだ。



 その問題とは、帰り道である。


 買い出しを終えたのは良いが帰り道が分からず、結局 黒斗は夜になるのを待ち、ゲートを通って帰って来たのだ。



(……日向子さんが寝てますように)


 熱が あるのだから横になって眠っていてほしいという気持ちも勿論あるが、迷子になって夜まで帰って来なかったことがバレてしまうのは恥ずかしい。



 黒斗は恐る恐る扉を開け、足音を立てないように静かに家へ上がり込む。


 すると、居間の机に顔をつっ伏して眠る日向子の姿が見えた。



 手荷物を畳の上に置いて そっと彼女の側に寄り、シワが刻まれた額に右手を押し当てて熱を図る。



(……まだ ちょっと微熱が残ってるけど、大丈夫そうだ)


 頬も熱を帯びた赤色ではなく健康的な薄い桃色で、呼吸も一定のリズムを保っている。


 おそらく、疲れが出ていただけだったのだろう。



 ホッ、と吐息を漏らして日向子の額から手を離し、黒斗は松太郎に言われた言葉を思い出す。




 “日向子さんの力になってほしい”




 真剣な様子で そう言った松太郎の顔が脳裏に鮮明に浮かぶ。



(……俺だって……力になれるものならなりたいさ……)


 悔しげに拳を握り締める黒斗。



 最初は寂しさを紛らわす為だった。


 1人で居るのがイヤだったから、日向子の「一緒に住まない?」という誘いに乗っただけだった。


 互いに寂しさを埋め合わす為の存在。



 だが この1週間を日向子と共に過ごしていく内、黒斗の中で彼女は ただの同居人以上の存在となったのだ。



 生まれてからずっと、1度 人間界に来ただけで後は1人監獄で過ごしてきた彼に、日向子は沢山の『初めて』をくれたのだ。



 初めて与えられた優しさ。


 初めて与えられた名前。


 初めて食べた ご飯。


 初めて見る人間の生活。


 初めて教えられた人間界の知識。



 まるで卵から(かえ)ったばかりの雛鳥が、初めて見たものを母親だと思うように、黒斗は『初めて』を沢山くれた日向子へ母親に対するような愛情を抱くようになった。


 そんな大切な人だからこそ、黒斗は日向子の力になりたい――それなのに日向子は変わらず、寂しそうに笑うばかり。



(……俺じゃダメなのかな……俺じゃ日向子さんの寂しさを消せないのかな……)


 落ち込む黒斗。


 すると日向子の身体が動き、閉じられていた瞼が開かれ 露となった黒い瞳が彼の姿を捉えた。



「……黒斗くん、帰ってたの?」


 寝ぼけた様子で顔を上げ、目を擦る日向子。


 どうやら起こしてしまったようだ。



「帰って来るの、待ってたけど……うたた寝しちゃったみたい……帰りが遅いから、町まで行こうかと思ったけど……入れ違いに なったらと思って……」


「…………すいません」


「ん、いいのよ。良かった、ちゃんと帰って来て」


 優しい笑みを浮かべる日向子だが、対称的に黒斗は沈痛な表情である。


 日向子は2、3度パチパチと瞬きをした後、俯く黒斗の顔を覗きこんだ。



「……どうしたの? そんな泣きそうな顔をして……」


「っ……何でもないです」


 ぷいっ、と顔を背けるも 日向子の小さな両手が頬を包み込み、強引に彼女の方へ顔を向けさせられる。


 黒斗は その手を振り払うことをせず、顔を向けたまま目を伏せて、日向子を見ないようにする。


 だが、そんな態度が却って日向子に火を点けたようで、彼女は眉を潜めながら黒斗の伏せられている目を凝視した。



「何でもないなら、そんな顔をする訳ないでしょう? ちゃんと正直に話して? 町で何かあったの? だれかにいじめられたの?」


「……………………」


 黒斗は黙ったまま何も言わない。



 勝手に他人から日向子の過去を聞いた後ろめたさもあるせいで、正直に話そうにも話しにくいという気持ちもある。


 適当に嘘を言って誤魔化そうにも、洞察力に優れている日向子には簡単にバレてしまうだろう。


 何を言えばいいのか分からず、黒斗は ただ押し黙ることしか出来ない。



 すると、不意に日向子の表情が歪み、顔を俯かせた。



「…………やっぱり……黒斗くんは、私のこと信用してない?」


 悲しげに呟かれた その言葉を聞いた黒斗は息を呑み、伏せていた目を上げた。



「……黒斗くん ずっと敬語だし、よそよそしいし……甘えてくれないから……だから、私のこと頼りないって……信じてないのかなって……」




 ──ちがう




 その言葉を口にしようとしても、唇が震えて上手く動かない。



「……私じゃあ、黒斗くんの寂しさを消せないんじゃないかって……いつか、あなたは この家を出るんじゃないかって……」


「そんなこと、ないです!!」



 震えていた唇を必死に動かし、無理やり声を絞り出したせいで大声となってしまった黒斗の言葉に日向子の肩がビクリと跳ね上がる。



「…………俺は……日向子さんが大好きです。大好きで大切だからこそ…….貴女の力になりたいんだ。悲しんでいたら励ましてあげたいし、寂しい思いは させたくない。


  ……なのに、日向子さんは何も言ってくれないから……頼ってくれないから……俺は……頼りないと思われてるんじゃないかって……思って……」



 俯き、両手でズボンを強く握り締める黒斗。


 今にも泣きそうな顔をしているというのに、彼の目には涙すら滲んでいない。


 強張っている肩をプルプルと震わせながら、黒斗は さらに続ける。




「……日向子さんが弱音を吐いてくれなかったら、俺は どうすれば貴女の力になれるのか分からないし、周囲から向けられる悪意からも守れない。


  だから、頼ってほしかったんです……でも貴女は何も言ってくれないし、いつも寂しそうにしてるから……俺は……役立たずなんじゃないかって……居る意味が無いんじゃないかって……」


「そんなことないわ!」


 今度は日向子が声を張り上げて、ズボンを握り締めている黒斗の右手を両手で包み込んだ。



「役立たずなんかじゃない…………あなたが一緒に居てくれて、私は本当に嬉しいの。


  まだ出会って1週間しか経ってないけど、無邪気で、健気で、何事にも一生懸命で優しい黒斗くんに……私は息子に対するような愛情を抱いてるの」




 日向子も黒斗と同じで、最初は彼のことを寂しさを紛らわす為の存在としか見ていなかった。


 だけど黒斗と共に過ごしていくうちに、愛情が芽生えたのだ。



 純真無垢で幼子のように どこか危なっかしくて放っておけない黒斗。


 幼い頃に親を亡くし、夫は結婚して直ぐに死に、温かい家庭を知らなかった日向子にとって、黒斗は可愛い息子のような存在なのだ。




「……私のせいで黒斗くんを苦しませて ごめんなさい。心配をかけたくなかったから、嫌われたくなかったから何も言えなかったの。


  でもね、私も あなたが甘えてくれなくて寂しかったの。いつも寂しそうにしてるのに、何も出来なくて……辛かった」


 日向子の手に力が入り、手を握られている黒斗が顔を上げると切なそうに表情を歪めて涙目となっている日向子の顔が視界に入った。



(……俺も日向子さんも、同じ気持ちだったんだ)



 黒斗は日向子に頼ってもらえないことを悩んでいた。


 日向子は黒斗に甘えてもらえないことを悩んでいた。



 そして互いに信用されていないのではないかと思い込み、何も出来ない自分に苛立ちを覚えていた。



 お互いにお互いを思うがあまり、擦れ違っていた気持ち。



 だが、取り返しがつかなくなる前に本音を話して互いの気持ちに気づけたのだから良かったのだろう。


 黒斗も ようやく日向子の本当の気持ちが聞けて、肩の荷が下りたように身体も心も軽くなった。



 だが1つだけ悩みがあった。


 それは――




「……ごめんなさい。俺のせいで日向子さんを不安にさせて。でも……俺は……甘え方が分からないんです……甘えることが出来る相手も……親も居なかったから……」



 身体の一部を与えてくれた『父』であるタナトスは居た。


 だが、彼は『父』ではあるが『父親』ではなかった。


 甘えるという言葉の意味は理解していても、甘える相手が居なかった黒斗は どう甘えればいいのか分からないのだ。



 日向子が甘えてほしいというなら そうしたい――だが やり方が分からず、黒斗は歯噛みをする。


 すると、不意に日向子が優しく抱き締めてきた。




「ひゃっ!? ひ、日向子……さん?」


 突然の抱擁に驚き、声が裏返る黒斗。


 そんな彼を抱き締めたまま、日向子は口を開いた。




「…………親が居ないのなら……私が……黒斗くんの母親になってもいい?」


「…………え?」


 予想だにしていなかった日向子の言葉に、黒斗の思考がフリーズする。




 ──日向子さんが母親?



 ──俺の……母親に?




 混乱しているせいか、上手く考えが纏まらない。


 その間にも日向子は さらに言葉を紡いでいく。



「さっきも言ったけど、私は黒斗くんのことを、本当の息子のように愛情を抱いてる。だから……だから、ただの同居人ではなくて、家族になりたいの。あなたの……母親になりたいの」


 一言、一言を区切って言い聞かせるような日向子の言葉を聞いて、黒斗の脳裏で松太郎の声が再生される。




 “日向子さんが求めているのは、友達とか そういうんじゃなくて……もっと深くて確かな絆だから。


  俺達には その絆を紡げないけど、お前なら出来る気がするんだ”




(……日向子さんが求めてるのは……家族……)


 固まっていた思考が動きだし、彼女が求めるものに黒斗は気づいた。




 ──日向子さんも俺と同じなんだ



 ──ずっと1人だったんだ



 ──だから、“家族”が……欲しかったんだ



 ──そして、家族が欲しいのは俺も同じ……



 答えが決まった黒斗は、頬を緩ませながらも言葉を発した。



「……俺の方から お願いしますよ。日向子さんの……息子に……家族にならせて下さい。ずっと……あなたと一緒に居たいんです」


「……黒斗、くん……」


 日向子の腕に力が入り、さらに強く抱き締められる。



「…………ありがとう……ずっと一緒よ……私の可愛い……黒斗」


「………………うん。おかあ……さん」


 抱き締められているので日向子の顔を見ることは出来ないが、震えている声から彼女が涙を流していることに黒斗は気づいていた。


 だから黒斗も彼女の背中に腕を回し、包み込むように優しく抱き締めた。



(家族なら……助け合える。家族なら……一緒に苦難を乗り越えられる)



 何よりも強い絆で繋がっている家族。


 お互いに悩みを打ち明けあい、支え合える家族。



 血は繋がっていなくとも愛情を、本物の家族を得た黒斗は これ以上ない幸せを感じた。


 そして、これからは自分が日向子――否、母を しっかり守るのだと強く誓った。




 この日、月影 日向子の息子になった黒斗は『月影 黒斗』となったのだった。




 ******




(……あの時は……本当に幸せだった)


 モノクロの草原に佇む黒斗は回想を中断すると同時に瞼を開き、色が無いイチイの木を見上げる。



(……お母さんと家族になれた時、これからは お母さんに頼ってもらえるんだと、そして お母さんの力になれるのだと……そう信じて疑わなかった。だが、それは大きな間違いで……愚かな考えだった)


 握り締めた拳で、黒斗は悔しげにイチイの木を強く殴りつけた。


 静かな草原に鈍い音が響くが、それは ほんの一瞬だけで、すぐに静寂が戻る。




(……どうして気づけなかったんだ……どうして俺は……あの時……)


「……黒ちゃん……お願い、自分を責めないで……」


 拳をイチイの木に つけたまま歯軋りをしていた黒斗の耳に届いたのは懐かしい――二度と聞くことが出来ない筈の声。




 ──まさか。



 ──ありえない。




 心臓が早鐘を打つ。


 ありえない、そんな訳が無い――そう思っていても、心の何処かでは期待している自分が居る。



 恐る恐る振り向く黒斗。




 すると、今は亡き母――月影 日向子の姿が視界に映った。




「……お母さん?」


 身体全体で振り返り、ゆっくりと歩み寄っていく黒斗。


 すると、日向子は こくりと頷いたあと優しく微笑んだ。




「久しぶりね、黒ちゃん」


 柔らかそうな白髪、薄紫色の着物、深いシワが刻まれた顔。


 目の前に居る彼女は記憶の中の母と同じ姿をしていた。


 身体が半透明になっていることを除けば。




「……何故お母さんが ここに?」


「……あなたが心配だったから……心残りが あったから、この世に魂だけとなって残っていたの。ずっと……ずっと黒ちゃんを見ていたの」


「俺が心配だったから? 俺のせいで……お母さんは人間界に縛りつけられていたのか……?」


 自分が原因で日向子の魂が この地に縛りつけられていたと知り、落ち込む黒斗。


 そんな彼の肩を、日向子は元気づけるように軽く右手で叩く。



「暗い顔しないの。お願いだから自分を責めないで……あなたは何も悪くないんだから」


「……そんなことない……俺が弱くて、無知で、愚かだったから……お母さんを守れなかった、死なせてしまった」




 悔しげに唇を噛みながら、黒斗は再び過去を思い返した。

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