復讐6
その頃
「ふわ、あ~あ……」
町外れの廃工場内の内にある正方形の手狭な部屋で、恵太郎は赤く錆び付いているステンレス製の作業台に横たわりながらアクビをした。
(……大神の野郎が、しばらく大人しくしていろっつーから仕方なく引きこもってるけど……すっげー退屈だぜ……)
半目でボンヤリと薄汚い天井を見つめる恵太郎の全身からは、退屈オーラが出ていた。
何しろ、彼が身を潜めている場所は廃工場だ。
遊び道具になりそうな物も無ければ、テレビやゲーム機といった娯楽品も無い。
仮にあったとしても、電気が通っていないので使えない。
携帯電話も大神と共に行くことになった時、家に置いてきてしまった。
何も無い場所で、外出まで禁止されている恵太郎が時間を潰す手段など、ボーッとしているか昼寝するくらいしかない。
(せっかく お巡りから拳銃を奪ったのに使えないなんて、つまんねーの)
右手を閉じては開くのを繰り返しながら、巡査を殺害した時のことを思い出す。
首の皮を、肉を、骨を、手刀一発で容易く断ち切った、あの爽快な感触。
地面に転がる生首が浮かべる、何が起きたのか理解していない間抜けな表情。
まるで噴水のように勢い良くふき出る美しい鮮血。
人を殺す快感さを思いだし、身体が疼きだす。
肉を斬りたい。
血が見たい。
─こっそり抜け出して、手頃な奴を殺してやろうか
「悪そうな笑みを浮かべてるねえ」
「うおっ!」
突如 顔を覗きこんできた大神に驚き、不謹慎な考えが恵太郎の脳裏から消え去った。
「驚かせんなよ大神!」
「ハハハ……このくらいで驚くなんて、君はノミの心臓の持ち主かい?」
「ああ!?」
恵太郎は身体を起こして大神を睨みつけると、彼に対する不満を口にした。
「大体いつまで こんな鉄臭い場所に居なきゃなんねえんだよ。外には出れねえわ やることはねえわで、いい加減 頭に来てんだけど?」
苛立ちと不機嫌を隠すことなく喋りながら、指先で作業台をトントンと叩く恵太郎。
そんな彼を見た大神は思わず失笑してしまい、その笑いが更に恵太郎の怒りを買った。
「テメエ、何がおかしい!!」
「だってねえ……まるで、オモチャを取り上げられて拗ねている幼子みたいだったからさあ……」
「幼子!? つまり俺がガキだって言ってんのか!?」
大神の皮肉に激昂する恵太郎。
しかし、大神は眉1つ動かさずに恵太郎を一瞥した後、部屋の出入口へと足を進める。
「まあ、そう かっかするな。手土産を持ってきてやったんだから」
「手土産?」
復唱する恵太郎だが、大神は振り返ることなく扉を開いて部屋を出ていった。
慌てて恵太郎は作業台から降り、彼の後を追う。
部屋を出た先にある踊り場で、5段しかない階段の上から下を見下ろす大神の背中を見つけた恵太郎は小走りで駆け寄り、彼と同じ方向へ視線を落とした。
「なっ……!?」
予想だにしていなかった人物の姿を見た恵太郎の表情が固まる。
彼の視線の先には、手足を鎖で縛られている鈴の姿があったのだ。
瞼を閉じて、死んだようにグッタリと横たわる鈴を見た恵太郎の背中を冷たいものが伝い、咄嗟に大神の胸ぐらを掴んだ。
「テメエッ!! まさか橘を ころ」
「殺してないさ。気を失っているだけだ」
恵太郎の言葉を遮って淡々と言うと、大神は煩わしそうに恵太郎の手を振り払い、乱れたコートの襟を無駄に優雅な仕草で直す。
「…………手土産って……橘のことか?」
ドスの利いた低い声は、明らかに怒りを含んでいるものだ。
そのことに気づいているのかいないのか、大神は口角を吊り上げながら段差の下で横たわる鈴を指さす。
「せっかくの手土産だから、ちゃんと使ってくれよ? 人質にするのも良し、月影の目の前で惨たらしく殺して、奴を絶望のどん底に突き落とすも良し……使い方は多種多様だ」
まるで鈴を人間ではなく物のように扱う大神の言葉に、ついに恵太郎の怒りが爆発した。
「…………ざっけんなあっ!!」
隣に立つ大神の顔を渾身の力で殴りつけ、倒れる彼の胸ぐらを掴む。
「勝手なことを しやがって!! 橘は復讐に関係ないだろっ!!」
唾を飛ばしながら怒鳴る恵太郎だが、大神は彼が憤怒した理由が分からず、無表情のまま首を傾げる。
「……意味不明だね。君が今まで楽しんで殺した極道や巡査だって、復讐に関係ない人間だったじゃないか」
痛い所を突かれて、ウッと言葉を詰まらせる恵太郎。
確かに極道一家と巡査は復讐と無関係だ。
極道一家は、大神から身につけた力を試すよう指示をされたからだと言い訳が出来るが、巡査に至っては指示をされた訳でもなく自発的な殺人であり、言い逃れは出来ない。
それに、殺人に楽しんでいるのも事実だ。
だけど、それでも恵太郎には鈴を殺すことが出来ず、殺したいとも思えなかった。
彼にとって鈴は、ただの友達ではなく特別な存在だから――
今から2年程前――まだ、恵太郎が中学三年生だった時のことだ。
彼は親から甘やかされて育ったせいか、自己中心的でワガママな性格をしており、素行の悪い不良生徒として周囲から忌み嫌われていた。
廊下を走るは言うに及ばず、遅刻・居眠り・窓ガラスを破壊等は可愛いもので、酷い時には他の不良生徒と取っ組み合いのケンカをしたり、器物破損を繰り返したりと やりたい放題やっていた。
さらにタチが悪いのが両親で、恵太郎が悪さをして学校に呼び出されても息子を注意するどころか甘やかし、挙げ句の果てには学校側の管理不足だと言い出すモンスターペアレントぶりである。
そんな恵太郎には学校も手を焼いており、開校始まって以来の問題児として彼を扱っていた。
だが ある日、彼の日常に影を落とす出来事が起きる。
恵太郎が通う白金中学の制服を着た少年が空き巣に入り、金を盗んだ事件。
被害者の自宅方面から走り去る不審な学生を、通行人がチラッと見ただけで顔や容姿、身長などハッキリしていない。
だが、学校の教師も同級生も、誰もが皆 「こんなことをするのは竹長に決まっている」と証拠も無しに決めつけたのだ。
『泥棒』のレッテルを貼られた恵太郎は学校中の人間から白い目で見られ、時には陰湿な嫌がらせを受けたりもした。
いくら恵太郎が腕っぷしに自信があると言っても数の暴力には勝てず、また騒ぎを起こしたりしたら自分の立場が悪くなると思い、グッと堪える日々が続いた。
「やーい、ドロボー!」
「これでも使って足を洗えよな!」
清掃時間、見るからに底意地の悪そうな笑みを浮かべた男子生徒が恵太郎の顔に、汚れた雑巾を投げつけた。
「っ……テメエら いい加減にしろよ! 何度も言ってる通り、俺は無罪だ!」
「じゃあ不審な学生が目撃された時、お前は何処で何をしてたんだよ?」
「……家で、1人でゲームしてた」
「はいアリバイ無しー! やっぱり お前が犯人だー!」
ゲラゲラ笑いながら、ビシッと効果音がつきそうな勢いで恵太郎を指さす生徒。
それに便乗して他の生徒達も指をさしたり、雑巾やらチョークやら投げつける。
どんなに違うと言っても信じてもらえない。
しかし、これも今までの自分の行いが悪かったせいなのだろう。
思わぬ形で返ってきた因果応報に、恵太郎は自嘲し、全てを諦める。
だが、そんな彼にも救いの手を差しのべる者が居た。
「……アンタら…………いい加減にせえよっ!!」
ホウキで床を掃いていた1人の女子生徒が突然 声を張り上げ、クラス中の生徒が その女子生徒に視線を移した。
注目の的となっている、透き通るような青空色の髪を三つ編みで1つに纏めている少女――橘 鈴はホウキを握りしめながら、険しい表情で生徒達を一瞥する。
「アンタら何なん? 何で竹長くんを犯人やって決めつけるんや? 無闇に人を疑うのは良くないで!」
「何だよ お前はよー! 竹長にはアリバイも無いし、コイツは とんでもない不良なんだぞ? 空き巣だって やってる筈さ」
「アリバイが無い言うけどな、逆に竹長くんが犯人やって言う証拠だって あるんか?」
「そ、それは~……」
唯一の手がかりは白金中学の制服を着た少年というだけ。
容姿が不明の現状では恵太郎が犯人だという証拠は無いし、彼以外にもアリバイが無い生徒は数多く居る。
鈴の正論に男子生徒は何も言い返せず、視線を さまよわせて頭を掻くことしか出来ない。
「……う、うるさーい!! 竹長が犯人だったら犯人なんだ~!」
逆ギレする男子生徒。
すると周りの生徒も「そうだ そうだ!」と煽りだす。
「……あーあ……そないなこと言っちゃって……後悔するで?」
「ハアッ!?」
思わぬ言葉に恵太郎を含む生徒達が、間の抜けた声を発した。
「ははははは! 何が後悔する、だよ! バッカじゃねえのお!?」
腹を抱えて笑いだす生徒達だが、鈴は全く動じずに無い胸を張って不敵な笑みを浮かべている。
その笑みからは恵太郎が犯人ではないという絶対の自信と信頼の色が見え、恵太郎は困惑する。
彼女とは三年生になって初めて同じクラスになり、会話も交わしたことがない ただの同級生という名の他人という関係だ。
それなのに、何故 鈴は ここまで自分を信じてくれるのだろうか。
何故、わざわざ不利な立場の人間に味方してくれるのだろうか。
鈴の善意に恵太郎は、ただただ戸惑うばかりだ。
「ふふん、竹長くんの無実が証明された時、泣いてもしらんで?」
「ふん、もし竹長が無実だったら裸踊りでもしてやるよ」
「言ったなー! その言葉、忘れたらアカンで!」
ニッコリと笑いながら、鈴はホウキを持って教室を出ていった。
「…………あっ……お、おい!」
扉が閉まる音で我に返った恵太郎は、慌てて鈴の後を追う。
「橘!」
「ん? どないしたんや竹長くん」
廊下を掃き掃除していた鈴が、小動物のように小首を傾げた。
「な、何でだよ……何で俺なんか庇ったりしたんだよ?」
「何でって……だって無実の人間が犯人だ犯人だ言われて、嫌がらせされとるんやで? そんなん見てたら腹が立つし、黙って見過ごせる訳ないやろ」
さも当然のように言う鈴に、恵太郎は さらに問う。
「さっきから俺が無実前提で話してるけどさ……どうして、そこまで信じられる訳? 俺達、別に友達でも何でも無いのによ……」
目を伏せる恵太郎に鈴は近寄り、彼の肩に手を置いた。
「嘘をついてるかどうかは、目え見れば分かる。竹長くんは嘘をついてない目をしとった、だから信じた。こんな単純で簡単な理由やで」
優しく微笑む鈴の姿が、恵太郎には天使のように見えた。
「……俺は、白金中学始まって以来の問題児だぜ? こんな俺に味方したら、お前も変な目で見られるぞ?」
「変な目 上等や! それに、ウチが もう悪さなんて させへんからな! 今回のことで身に染みたやろ? 普段から行いが悪いと、こうやって疑われるようになるんやで!
せやから、もう こんなことにならないよう、竹長くんが真人間になる手伝いをさせてもらうで!」
腰に片手を当てながら言う鈴に、恵太郎は開いた口が塞がらなくなった。
─もう悪さなんてさせない?
─真人間になる手伝い?
─これって、これからも俺に関わる気満々ってこと?
超展開に頭が追いつかない恵太郎。
こめかみに指を当てて、冷静になろうとするも混乱している思考は静まってくれない。
そんな彼の心情も知らずに、鈴は恵太郎に手を差し出して握手を求めた。
「……てな訳で、これから宜しくな! ケイちゃん!」
「………………………………って、ケイちゃんって何だ!?」
「竹長 恵太郎くんやから、ケイちゃんや」
「そうじゃなくて! 何で、いきなり くだけた呼び方になってんだよ!」
「だって、ウチら もう友達やろ?」
キラキラと宝石のように瞳を輝かせる鈴に、恵太郎は色んな意味で敵わないと悟った。
「……ハハッ、おもしれー奴……」
苦笑しながら鈴の手を握り、握手を交わした。
誰も信じてくれなかった中、唯一 信じてくれた鈴。
全てを諦めて、流れに身を任せていた自分に差し伸べられた手。
何の疑いもなく信用してくれた、友達になってくれた鈴に恵太郎は心の底から感謝した。
この数日後、犯人が捕まり恵太郎の無実が証明された後も、鈴と恵太郎は親友として楽しく日々を過ごしていった。
だが皮肉にも、高校二年生になった恵太郎はオヤジ狩りを繰り返し、断罪されてしまうのだが。
「…………橘は親友であり、どうしようもねえ俺を信じて友達になってくれた恩人なんだ。だから橘は……橘だけは何があっても殺さねえ」
淡々と言うと、恵太郎は大神から手を離し、ゆっくりと立ち上がった。
「………………」
大神は無表情のまま上半身を起こし、上目遣いで恵太郎を見つめる。
何も言わずに、氷のように冷たい眼差しを向ける大神が何を思い、何を考えてるかは分からない。
だが、少なくとも良い気分でないことは確かだ。
「…………う……ん…………」
横たわっていた鈴の身体が小さな呻き声と共にピクリと動き、ゆっくりと瞼が開かれて水色の瞳が露となった。
「…………こ、ここは……?」
まだ意識がハッキリしていないのか、か細い声で呟きながら鈴は身体を動かす。
すると手足に縛られている鎖がジャラリと音をたて、縛られた手首を見た鈴が目を見開いた。
「な、んやコレ……鎖……!?」
「気がついたようだね」
階段の上から大神が声をかけると、鈴は不自由な手のひらを床につけて上半身を起こし、恵太郎と大神の姿を見上げた。
「け、ケイちゃん……!? 何で……何でケイちゃんが大神くんと一緒に居るんや……!?」
「………………」
表情を凍りつかせる鈴と、ばつが悪そうに顔を背ける恵太郎。
そんな2人の様子を見た大神は冷笑し、恵太郎の肩へと腕を回した。
「僕達はね、月影を殺す為に結託した相棒同士なんだよ」
「クロちゃんを殺す……!? 相棒……!?」
信じられない、という表情を浮かべる鈴。
「……何で……? 何でクロちゃんを殺さなアカンの!? クロちゃんが何をしたって言うんや!!」
「だって、月影は しに」
「ムカつくからだよ!!」
月影は死神なんだよ――そう紡がれる筈だった大神の言葉は、恵太郎の大声によって掻き消された。
「アイツは、いつでもスカしてて、カッコつけていて……見てるだけでイライラすんだっ! だから殺してやるんだ!」
「……何やの、ソレ。そないな理由で……クロちゃんを殺すっちゅうんか? …………意味、分からへんわ。……ケイちゃんとクロちゃんは友達で……仲も良かったやないか……なのに、何で……」
恵太郎の吐いた咄嗟の嘘を信じ、沈痛な面持ちで恵太郎の目を見つめる鈴。
そんな鈴の顔を見た恵太郎の胸がチクリと痛み、彼女の視線から逃れるように恵太郎は俯き、拳を握った。
「…………俺は……あんな奴を……一度も友達だなんて思ったことはねえ!!」
怒鳴るように言い切ると、恵太郎は肩に回されていた大神の腕を引き剥がすと、踵を返して作業台がある部屋へ戻っていった。
(…………チクショウ……大神の奴、余計なことをしやがって!)
ガタンと乱暴に鉄製の扉を閉めて錆び付いた作業台に腰を下ろすと、ギイッと音をたてながら扉が開かれ大神が部屋に入ってきた。
「……どうして月影が死神だと、兄の仇だと、真実を明かさなかったんだ?」
「……アイツには……そういう汚い事情を知ってほしくねえんだよ……それに月影が死神だと分かったら、橘は きっと悲しむ……ショックを受ける……だから……」
肩を小刻みに震わせながら呟く恵太郎。
すると大神は ゆっくりと彼に近付き、かつて黒斗に切断された筈の右足に片手で触れた。
「……まあ、橘は置いておくから好きにすれば いいよ。そうそう、言い忘れる所だった。今夜、月影が ここに来るよ」
「な…………っ!!」
言葉を発する前に、大神に触れられている右足に電気が ほとばしったような痛みがはしり、恵太郎は声なき悲鳴をあげた。
「……ゆっくり休むといい。今夜に備えて……ね……」
「…………ど…………い……う……こ、と…………」
痛みが引いた瞬間、恵太郎は抵抗できない程 強い睡魔に襲われ、そのまま意識を深い闇の中へと落とした。
******
「………………」
手足を縛られていて身動きが とれない鈴は階段の踊り場で1人、恵太郎のことを考えていた。
“…………俺は……あんな奴を……一度も友達だなんて思ったことねえ!!”
(……2人が仲良しって……友達だって思ってたんは、ウチだけだったんか……?)
ボンヤリと考える鈴。
恵太郎と大神が この場から立ち去って長い時が経つが、時計が無いので何時間経過したかも、現在の時刻を知る手段も無い。
(……どうして、こないなことに……)
恵太郎も黒斗も、鈴にとっては かけがえのない大切な親友。
そんな親友2人が殺しあうことに、鈴の胸が刃物で抉られているように痛む。
(……ケイちゃん、クロちゃんと喋ったり遊んでたりしてた時、楽しそうにしてたやん……あれは、全部 演技やったんか?)
皮肉を言い合ってケンカばかりする“悪友”という呼び方が相応しい関係だった2人。
そう思っていたのは自分だけだったのだろうか。
黒斗は ともかく、恵太郎は彼を快く思っていなかったのだろうか。
マイナス思考となってしまい、暗い考えを消すように首を振る。
(…………疑ったりなんかしたらアカン……ケイちゃんは本当に楽しそうに笑っていた……あの笑顔はウソやない!)
楽しそうに黒斗と皮肉を言い合っていた時の恵太郎の笑顔を思い浮かべ、彼の笑顔を信じる決意をする鈴。
(だとしたら……やっぱり怪しいんは大神くんやな……そもそも面識の無い2人が一緒に行動してるのも変やし……)
最初から恵太郎が黒斗に殺意を抱いていた訳ではないのなら、やはり大神が彼を唆したに違いない。
それに恵太郎に失った筈の右足が戻っているのも、人ならざる存在であろう彼の仕業だというなら納得だ。
だが、何故 大神が恵太郎を唆してまで黒斗を殺そうとするのか――その理由だけは どうしても分からない。
カン カン
リズム良く響く、鉄の床を歩く音に反応し、音がした方向――階段の上を見上げる。
すると、段差を下って こちらに向かってくる恵太郎の姿が見えた。
「ケイちゃん……」
恵太郎が目の前に立つと、思わず鈴は肩を強張らせた。
「…………もうすぐ、月影が ここに来る。お前を助けに……な」
「えっ……!?」
黒斗が ここに来る。
それを聞いた鈴は青ざめ、全身から血の気が引いた。
─クロちゃんが殺されてしまう
─クロちゃんだけやない、ケイちゃんまで人殺しになってまう……!
最悪の結末を思い浮かべてしまい、鈴の身体が小刻みに震えだす。
だが、怯えてる場合でもショックを受けている場合でも無いと自分自身に言い聞かせ、鈴は恵太郎の目を真っ直ぐ見つめて口を開いた。
「ケイちゃん、お願いやから正気に戻ってや! きっとアンタは、大神くんに利用されとるだけや!」
必死に叫ぶ鈴。
しかし恵太郎は、そんな彼女を嘲るように見下ろし鼻で笑う。
「俺は正気そのものだぜ? 俺は他の誰でもない自分の意思で、月影を殺そうとしている……。大神だって、利用されてるんじゃなくて利用してやってるんだよ」
腰に片手を当てながら得意気に言う恵太郎。
まさに聞く耳を持たない、と言った様子だ。
それでも鈴は諦めずに、彼の説得を試みる。
「……こんな、悲しいこと やめようや…………ウチは、大切な友達に傷ついてほしくない。また、3人で仲良く遊ぼ……な?」
目に涙を浮かべながら、懇願するように恵太郎を見つめる鈴。
一方、恵太郎は黙ったまま彼女を見下ろしている。
「…………クロちゃんを……殺さないで……」
そう言い終えると同時に、鈴の目に溜まっていた涙が一粒 頬を伝い落ちた。
恵太郎にも黒斗にも傷ついてほしくない。
彼女が発した言葉には、そんな思いが込められていた。
─お願い、ケイちゃん
気持ちが通じることを祈り、恵太郎を瞬きもせずに見つめる。
「……………………うぜぇ」
恵太郎が そう呟いた次の瞬間、彼は右足を振り上げて無防備な鈴の頭を思いきり蹴飛ばした。
「あぐっ……」
蹴られた勢いのまま、床に倒れる鈴。
ズキンズキンと鈍く痛む側頭部。
目眩のせいで激しく縦や横に揺れ動く視界。
口の中が切れたのか、口内から鼻にかけて広がる鉄の味。
継続する これらの感覚は鈴を苦しませるのに十分だった。
「……ケ、ケイちゃ、ん…………」
激しい目眩の中、必死に恵太郎の姿を捉えようとするも、今度は腹部に蹴りを入れられてしまう。
「あぁっ!」
苦痛の声をあげる鈴を、恵太郎は汚い物を見るような目付きで睨みつけている。
「……そうかよ……俺よりも月影の方が大切なのかよ! 俺よりも付き合いが短い月影の方が好きなのかよっ!!」
「ち、違う……ケイちゃんもクロちゃんも……どっちも大切で……どちらかの方が好きだとか……そんなんやない……!」
「うるせえ! もう戯れ言なんか聞きたくねえ!」
鈴の髪の毛を掴み、恵太郎は強引に彼女の顔を自分に向けさせる。
「月影は必ず殺す……全身をバラバラに引き裂いて、綺麗な顔を鮮血で汚して、惨めに惨たらしく殺すんだ……アッハハハハハ!!」
「……ケイ、ちゃん……」
数時間前の彼とは まるで別人のような狂気に満ちた表情。
この数時間の間に、何が彼をここまで変えたのだろうか。
考えても答えが見つかる訳もなく、鈴は ただ涙を流すしかなかった。