復讐2
放課後
如月高校 2年A組 教室内
一日の授業を終え、生徒達は解放感溢れる表情で帰り支度をしている。
そんな中、鈴は膝の上に乗せているノートを真剣な表情でジッと見つめていた。
(……まずは作戦その1を決行やな! さあ、やるでー!)
ノートをパタンと閉じ、顔を上げて黒斗の背中を睨みつける鈴。
そんな彼女が手に持っているノートの表紙には、『クロちゃん&レイちゃん仲直り大作戦!』と書かれている。
「クロちゃん!」
いつものように声をかけると、これまたいつものように黒斗が振り向く。
目と目が合い、鈴の心臓が一瞬ドキンと鳴るが、緊張していることを悟られないように、普段通りに振る舞う。
「レイちゃんも誘って、一緒に帰ろうや?」
表面上は平静を装っているが、内心では「うわー! ちゃんと普通に言えとるよなっ!? ちゅうか、いつも言ってる言葉なのに緊張するうう!!」と軽くパニックになっていた。
ちなみに鈴が考えた作戦その1は、いつものように3人で下校し、楽しく会話をして気まずさを解消しようと言う、何とも単純明快な内容である。
そしてコレを思いつくのに二時間もかかったのだから恐れ入る。
まあ、それは普段 聡明な彼女が、黒斗と玲二の不仲にここまで心を乱されているということでもあるのだが。
(さあ頷け……いつものように、分かったと言うんや!)
ゴクリと固唾を呑んで、黒斗の返答を待つ。
しかし、何でもかんでも作戦通りにいく訳ないのが現実というものである。
「……悪いが、今日はバイトがあるからパスだ」
鈴が二時間もかけて考えた作戦は、バイトによって崩されてしまった。
「ば、バイトーっ!?」
ガタンと席を立ちながら叫ぶ鈴。
「何でやねん! 何で今日に限ってバイトのシフトが入っとるんや!? 嫌がらせなんかっ!? 人をバカにしおってからに!」
涙目でギャアギャア叫ぶ鈴に、黒斗は若干 引き気味である。
鈴にしてみれば、せっかくの作戦がぶち壊しになって泣き叫びたくもなるだろう。
が、何も知らない黒斗から見れば、いきなり癇癪を起こしているようにしか見えないのである。
「嫌がらせも何も、シフトを入れてるのは店長であって俺じゃないからな…………悪いが、そういうことだ。今日は先に帰る」
頭を掻きながら黒斗は席を立ち、さっさと教室を出ていってしまった。
残された鈴は落ち込んだ様子で、ゆっくりと椅子に座り直す。
そんな彼女へ、後ろから内河が歩み寄ってきた。
「月影の奴めええ~! 橘からの羨ましい誘いを断るとは!! 貴様はそれでも橘スキーか!? 橘に誘われたらバイトだろうが補習だろうが、全部殴り捨てて下校するのが男として正しい姿であろうがっ!!」
男としてはともかく、人としては正しくないことを鈴の真後ろで叫ぶ内河だが、鈴は考え事に夢中で彼の声が耳に届いていない。
(うう……やっぱりクロちゃんは強敵やな……こうもアッサリと作戦その1を破られるとは……けど、ウチかて簡単には諦めへんで!)
グッと拳を握る鈴。
「俺は断言するっ! 橘に誘われたら、アイドルのコンサートを観に行く予定があろうが、居残りを命じられようが、他の何よりも橘を優先すると! だから橘! あんな男失格の月影は放っておいて、俺と一緒にかえ」
「ウチは負けへんからなー!」
「へぶっ!!」
立ち上がった鈴が振り上げた拳が、見事に内河のアゴに命中し、アッパーを食らった内河が倒れた。
「…………ん!? 内河くん!? おったんか!? うわああ、堪忍やでー!」
慌てて内河を抱き起こす鈴。
が、内河は鼻血を出しながらもどこか満足そうに笑っていた。
「ふ、ふふふ……さすが橘……パンチが重い……だが、パンチが重いのは、俺への愛が込もっているからなのだ! まさに愛は強し! さあ、熱い接吻を……」
鈴の顔が近い今がチャンスだとばかりに、唇をムチューと突きだす内河。
しかし、彼の唇に触れたのは鈴の唇ではなく手のひらだった。
「こらアカン……意味不明なこと言っとるし、頭を打ってもうたかも……保健室に連れて行った方がエエかな……」
心底 心配そうに内河を見つめる鈴。
そんな彼女を見た内河から流れる鼻血の量が倍増する。
(……キスは出来なかったが…………橘の顔と手の匂いを嗅げただけで幸せだあああ!! くんか くんか!)
口を塞がれていたので、心の声を口に出さずに済んだ内河であった。
******
数分後
内河を保健室に連れていった鈴は、彼が心配だったので保健室に残って様子を見ようとしたが、養護教諭から「貴女が居ると余計に治らないから」と言われて保健室を追い出され、下駄箱に向かっていた。
下駄箱に辿り着いた鈴は、玲二の下履きがロッカーに入っていることを確認し、見つからないように下駄箱が見える廊下の角へ身を潜める。
(クロちゃんは捕まらへんかったけど……こうなったらレイちゃんだけでも捕まえるで!)
目を光らせて、下駄箱を見つめる鈴。
鋭い目付きをしながら角に隠れている彼女を、廊下を歩く生徒達が奇異の目で見るが、集中している鈴はそんなことが気にならなかった。
そして数分後
(来たっ!)
顔を下げて歩く玲二を視界に捉え、鈴はいつでも走り出せるように全神経を集中させる。
玲二が下履きを取り出し、しゃがみこんで靴を履いている所を狙い、鈴は彼の元へと走り、肩をガッシリと掴んだ。
「ひあぁっ!?」
ビックリした玲二は声を裏返しながら振り向き、そして表情が固まる。
そんな玲二とは対照的にニッコリと笑う鈴。
「レイちゃん、一緒に帰ろうや」
穏やかに笑顔で言う鈴だが その目は笑っておらず、「絶対に逃がさへんで」と全身で物語っていた。
「は、はいぃ……」
逃げられないことと逆らえないことを悟った玲二は頷き、そのまま彼女に引きずられるようにして学校を後にするのであった。
******
「……ふう、ここでなら ゆっくり話せそうやな!」
鈴と玲二がやって来たのは、人があまり来ないことで有名な日名田公園と同じくらい寂れている日笠公園。
所々ペンキが剥がれ落ちている赤いベンチに2人は腰掛ける。
「あの、鈴ちゃん……手……そろそろ離してもらえないかなあ?」
未だにしっかりと握られている右手を見つめながら玲二が言うが、鈴は首を横に振るばかりだ。
「だってレイちゃん、離したら逃げそうやもん!」
「そ、そーですか……」
諦めたようにガックリと項垂れる玲二。
いくら友達と言えども、やはり女の子に手を握られるのは気恥ずかしいのか、頬が少し赤くなっている。
「さて、早速やけど本題や。レイちゃん、何でウチやクロちゃんを避けるんや?」
「…………」
単刀直入な鈴の言葉に、俯いたまま何も答えない玲二。
そんな彼の手を強く握りながら、鈴は玲二へ顔を近づかせる。
「黙ってたら分からへん。ウチは怒っとる訳やないんや。ただ……もう1度、レイちゃんと仲良くしたいだけなんや……」
「……鈴ちゃん……」
泣きそうな顔をしている鈴を上目遣いで見る玲二。
逃げることも誤魔化すことも許されない状況。
意を決した玲二は、左手の握りこぶしに力を入れながら重たい口をゆっくりと開いた。
「…………だって……オレ…………汚い……から……」
震えながら呟かれた言葉の意味が分からず、首を傾げる鈴に玲二は続ける。
「……オレをいじめてた3人が……新しいいじめのターゲットにされてるんだ…………でも、オレは……その3人を助けようとも、いじめを止めようとも思えないんだ……それ所か……いい気味だって……ざまあみろって……思ってるんだ……!」
玲二の右手に力が入り、手を強く握られた鈴の肩が一瞬ビクッと跳ねるが、その手を振りほどくことはせずに黙って玲二の言葉を待つ。
この手の痛みよりも玲二は苦しんでいるのだから。
「オレは、オレがいじめられていた時……黙って見てた奴らは皆クズだって思ってた……でも、オレも同じなんだよね……オレも、見て見ぬフリをしてるクズで……汚くて醜い人間なんだよね……」
「…………」
「こんなオレには……兄貴や鈴ちゃんの側に居る資格なんか無いんだよ…………だから、一緒に居ちゃいけないって……そう……思って……」
玲二の目から大粒の涙が零れ、声も涙声となり小刻みに震える。
「……いじめは許せない…………だけどアイツらも許せない…………そんな汚い自分が……オレは……嫌い……だ……」
言葉を終えると、玲二の目から更に涙がボロボロ零れ落ちた。
「ひぐっ…………う、うっ……」
しゃくりあげる玲二を黙って見つめる鈴。
そんな彼女の顔も今にも泣き出しそうな程、歪んでいた。
玲二の葛藤を聞かされる度に、鈴の心も針で刺されているようにチクチクと痛んでいた。
いじめっ子を許せない、いじめを許せない、そしてそんな自分を許せない。
彼の苦しみは大きく、そして根深いもの。
何を言えばいいのかも、何を言えば正解なのかも分からない。
だけど、これ以上 玲二に苦しんでほしくないという確固たる気持ちはある。
だからいい加減な励ましはしたくない。
これが正しいのかは分からない――けど、何も言わずにはいられない鈴は震える唇を開く。
「……いじめてきた人達を許せんのは……当たり前やんか……許す必要もあらへんし…………」
予想だにしていなかった言葉を聞いた玲二がバッと顔を上げて、鈴を見つめた。
目に涙を溜めながらこちらを見つめてくる玲二の顔には、戸惑いと疑問を含んだ表情が張り付けられている。
「だって、自殺に追い込まれるまで酷いことをされてきたんやろ? 心も身体もボロボロにされたんやろ? そんなん許せる訳ないやん……! あと少しでレイちゃんは……死ぬ所やったんやで!」
今度は鈴の手に力が入り、玲二の右手が強く握られる。
「許せないのは……レイちゃんが本当に傷ついたから、悲しんだから、怒っとるからや。そこまでされて、簡単に許せる方が……あり得んわ」
「…………鈴ちゃんは……汚いって思わないの? いつまでも人を許せないオレを……」
「当たり前やん! 許せないってのは人間が持って当然の感情やで! 罪を憎んで人を憎まず言うてもな……そないに簡単には出来とらんのや、心ってのは」
鈴の言葉に玲二の心が揺らぐ。
人を許せないのは、自分が汚くて醜く狭い心の持ち主だから――そう思っていた。
だけど、彼女は許さなくてもいいと――許せないのが当たり前だと言う。
己の考えとは真逆の鈴の考えに、玲二は困惑しつつも黙って彼女の言葉を待った。
「許せないなら許さなくてもエエ。いつか……許してもいいって、許せるって思った時に……許せばエエんや」
ポン、と玲二の頭に鈴の左手が乗せられる。
「……でもな……いじめだけは許したらアカンで。いじめていた人達を許せても、“いじめ”っちゅう存在だけは許したらアカン」
その言葉を聞いた玲二の脳裏に、今朝の雅也達がされていたいじめの光景が過る。
─錦織くん達は許せない
─でも、いじめはもっと許せない
雅也達が憎くて仕方なかった。
復讐だって、一瞬とはいえ考えた。
そして今、雅也達は自分が大嫌いな“いじめ”によって苦しめられている。
その光景を黙って見つめて内心ほくそ笑んで、本当にコレで満足なのか?
否――満足していないから、そんな自分が嫌いだから、こうして悩んでいるのではないか。
「……す、鈴ちゃん……オレ、オレは……」
後に続けようとした「どうすればいい?」という言葉を玲二は呑み込んだ。
自分のことだから、自分の心なのだから、自分で考えなくてはならない。
迷ったら人に聞いて、人の言う通りにする――そんな自分から変わりたいのではなかったか。
“……思い出すんだな……お前が本当に変わりたかった自分を……”
病室で黒斗に言われた言葉が頭の中でリフレインする。
(オレがなりたかったのは……人を傷つける強さを持つ人間じゃない…………自分の弱さと向き合って、乗り越える強さを持つ……人間だ……)
憎しみに駆られて忘れかけていた目標を思いだし、玲二の頬が僅かに緩んだ。
「鈴ちゃん」
「う、うん」
「……ありがとう……そして心配かけて、ごめんなさい。鈴ちゃんのお陰でオレ……自分と向き合えた気がするよ」
目には涙が溜まっており、泣いた後の痛々しい顔ではあるが、その表情はスッキリしているようだった。
玲二の顔を見た鈴は、彼が僅かにでも元気を取り戻したことに喜び、笑顔を浮かべる。
「……なあ、レイちゃん。クロちゃんとも話をしてくれへんか?」
「うっ……兄貴……と?」
黒斗の名前を聞いた玲二の肩が強張る。
ケンカした訳ではないが、黒斗が怒っているような気が何となくする玲二はなかなか首を縦に振れない。
「……だって……兄貴……怒ってる気がするし……」
「まあ、怒っとるな」
「やっぱり!?」
ヒイイイと怯えながら片手を頭に付ける玲二。
黒斗がキレたら怖いことは、舎弟だけあって熟知しているので、どうしても会って話をする度胸が沸かない。
それ所か、舎弟を辞めさせられるのではないかと不安で仕方ない。
冷や汗を流しながら怯える玲二、鈴は「まあまあ」と宥める。
「クロちゃんが怒っとるのは……ウチの勘やけどな、レイちゃんがいじめっ子に良からぬことを思ったことより、頼ってもらえなかったことやと思うんや」
「……頼ってもらえなかったこと?」
「そや。レイちゃんは首吊るまで限界きとったのに、ウチにもクロちゃんにも相談してくれなかったやん? 正直言うとウチもキレとったで。辛いのに頼ってくれないなら、何の為の友達かって」
病室で鈴が言っていた「頼ってほしかった」という言葉を思い出し、玲二の胸が締め付けられるように痛む。
「クロちゃんもウチと同じで頼ってほしかったんやと思う。せやから、レイちゃんもクロちゃんとキチンと話をした方がエエで」
「……うん」
いつまでも黒斗から逃げている訳にもいかないと、玲二は頷く。
「うん、じゃあ帰ろうか! 明日は学校 休みやし……レイちゃんもゆっくりしてな!」
「う、うん……でもね鈴ちゃん…………手……離してくれないと、帰れないよ?」
「……あっ! ご、ごめんやで!」
言われてようやく、手を繋ぎっぱなしだったことに気づいた鈴は、顔を赤らめながら手を離すのだった。
******
とあるコンビニ内
日付が切り替わる頃
バイトに勤しんでいた黒斗の元に、同じ時間帯に入っていた大学生の女性がやって来た。
「月影くん、深夜の人が来たから帰っていいって」
「分かりました」
「うん。じゃあ、お疲れ様ー」
「お疲れ様でした」
用件を伝えた女性は先に事務所に戻り、黒斗は売り場から無くなっているカップ麺を補充してからタイムカードを押して、事務所に入った。
女性は既に着替えて帰ったようで、事務所には誰も居ない。
黒斗はコンビニの制服から学校の制服に着替え、シフト表を確認してから事務所を後にする。
「お、月影くん。お疲れさん」
「お疲れ様です、菅さん」
事務所を出ると、ついさっき来たばかりの深夜バイトの菅と鉢合わせになった。
菅は五十代半ばの男性で、厳つい風貌ではあるが気さくで人が良く、客からも評判が良い店員である。
黒斗も菅のことは嫌っておらず、声をかけられたらキチンと返事をしている。
「今から帰りなんだよね? 気をつけて帰ってね、今日は物騒な事件があったから」
「……物騒な事件?」
黒斗が首を傾げると、菅は険しい表情で人差し指を立てながら語り始めた。
「まず、早朝……この辺りでは結構 幅を利かせていた西園寺組が何者かによって全滅させられたらしい。それも……全員 残酷な殺され方をしていたらしく、組長の首が警視庁の入り口に置かれていたとか……ううっ」
自分で自分の言っていることに怯える菅。
思わずツッコミを入れたくなるが、何とか堪える黒斗。
「それに昼頃も、お巡りさんの首が切断されている状態で見つかったらしいし……うう~、犯人おっかないよ……まだ捕まってないらしいし…………そんな訳だから、気をつけて帰るんだよ! 知らない人について行っちゃダメだからね!」
(知らない人って……オレはガキじゃないっての)
心の中でツッコミを入れつつも、黒斗は表面上では素直に頷き、軽く会釈をして店を出た。
静かで暗い夜道を1人歩く黒斗。
(……物騒な事件……か。どうやら、ついに竹長が動き出したようだな……)
僅かに感じる、邪悪な気配。
しかし、それが何処から発せられるのかが分からずに黒斗は歯がゆい思いを抱くと同時に、恵太郎の行動に疑問を覚える。
(……奴は、あくまでも兄の仇を討つ為に大神について行った筈……だから、その時が来たら俺の元へ直ぐに来ると思っていた……なのに何故、奴は関係ない人間を殺している……何を考えている?)
恵太郎の考えが理解出来ない黒斗。
そんな彼を嘲笑うかのように、ギシギシと気味が悪い虫の音のようなものが耳に届く。
すると黒斗は右手を挙げてデスサイズを取り出すと同時に、その刃先を右斜め後方の壁に突き刺した。
「ギ……ギギ……ジ……」
刃で貫かれているのは、目玉に蜘蛛の足を付けたような不気味な生物。
「……こんな玩具まで持ち出して必死だな……いったい何が狙いだ?」
グッと鎌をさらに突き刺すと、目玉生物はグチャリと音を立てながら潰れた。
紫色の血液がデスサイズの刃を濡らし、地面に滴り落ちる。
「必死なのは君も同じだろ? こんな下等生物にデスサイズなんか使っちゃって…………ああゴメン。君は鎌を振るしか能が無い奴だったね、ククク……」
黒斗の背後に立つ大神が笑いながら言った。
「……竹長は何を考えている? 何故、人々を殺しまわっている?」
「さあ……恵太郎本人に聞いてくれ。今の彼の行動には、僕は関与してないからね」
それだけ言うと、大神は黒斗に背を向けて歩き出した。
そんな大神の背に、黒斗はデスサイズを向ける。
「……やめておきなよ。言っただろ? 君が感情を消さない限り、僕には勝てないと」
「黙れ」
引く気の無い黒斗に溜め息を吐く大神。
「力の差を見せないと分からないのか?」
大神の右手が黒いオーラに包まれ、そしてその右手を黒斗に向けて振った。
すると黒いオーラは矢のような形となり、黒斗の顔を目掛けて飛んでいく。
「っ!」
横に跳んで黒い矢をかわす黒斗。
当たらなかった矢は壁に突き刺さり、矢の刺さっている周辺に深いヒビが入った。
「大神……!」
黒斗が大神を見ると、既に彼の姿は無かった。
『その程度じゃ僕は愚か、恵太郎にだって勝てないよ』
イライラする声だけがその場に響き、黒斗は唇を噛み締める。
持っていたデスサイズを瞬時に消し、1人その場に立ち尽くす黒斗。
(…………感情を消さない限り、勝てない……か……だがな、簡単に消せるものだったら…………俺は今この世界に居ないさ……)
自嘲するように笑いながら、黒斗は再び帰路につくのだった。
******
翌日 日曜日の朝 9時すぎ
玲二は1人、黒斗の家の前でウロウロしていた。
(……善は急げと思って、さっそく来たけど…………いざ、チャイムを鳴らす勇気が出ないよーっ!)
門の前でグルグル回っては、いきなり頭を抱え込み、またグルグル回ることを繰り返す玲二。
そんな明らかに不審な動きをしている彼を、通行人が白い目で見つめているが、玲二は気づいていない。
鈴に言われ、どうにか黒斗とわだかまりを解消しようとやってきたものの、なかなか面と向かって話す度胸が湧かない玲二。
やっぱり今日はやめて、明日 学校で話そうか――そんな気弱な考えを、玲二は首をブンブンと振って消し去る。
(だ、ダメだよ! こんな弱気じゃ! 今日はやめて明日なんて、このままズルズル引きずるばかりだよ! お母さんだって言ってた! 当たって砕けろって! よーし……)
深く息を吸い込み、頬をパンッと叩いて気合いを入れる。
そして震える人差し指に全神経を集中させ、チャイムのボタンを押した。
ピンポーン
小気味いい音が響き、玲二の肩が強張る。
数秒後、閉ざされていた玄関が開かれ、黒斗が姿を現した。
「あっ、兄貴っ!」
思わず背筋を伸ばす玲二。
そんな彼の元へ、黒斗は無表情のまま歩み寄る。
「…………何の用だ?」
「えと、あの、その……特に用は無い……ことはなくて! 実は……えっと……」
しどろもどろな玲二を見て、溜め息を吐く黒斗。
そんな彼の溜め息に反応し、ビクリとする玲二。
(あ、兄貴……もしかして苛立ってる……? あわわわ……何か言わなきゃなのに、兄貴の顔を見たら上手く舌が動かなくなっちゃったよおー!)
緊張のあまり涙目になって頭を抱える玲二。
別にケンカした訳でもないのだが、数日間 顔を見て話さず、そのうえ避けていた相手なのだから いざ会話をしようと思っても、なかなか言葉を紡げない。
(……うう……ダメだダメだダメだ! こんなんじゃダメだ! オレは、変わるんだああっ!)
モジモジしている自分に渇を入れるべく、玲二は右手で拳を作り、その拳で己の顔を思いっきりぶん殴った。
「ぷぎゃふっ!」
力が入りすぎたのか、想像以上の痛みに玲二の目が回る。
「……お、おい……大丈夫か? 色々と……」
さすがの黒斗もいきなり玲二が自分を殴ったことに驚きを隠せず、目を丸くして戸惑いの表情を浮かべている。
「ピヨピヨ……ぶるぶる! だ、大丈夫です! 頭も心も大丈夫!」
首を振り、胸をドンと叩いて笑顔で言う玲二。
しかし黒斗は訝しげな目で彼を見つめており、玲二の不可解な行動に不審感を抱いているようである。
まあ、いきなり会話相手が自分を殴ったら誰でも不審に思うだろうが。
「……何かもう、大丈夫じゃない気がするか……」
「大丈夫ですっ! そんなことより兄貴……オレと…………オレと、腹を割って話しましょう!!」
「……は?」
会話の流れが急展開すぎて理解が追い付かない黒斗。
──落ち着け
──コイツが変なことを言い出すのは、今に始まったことじゃない
こめかみに指を当てて、冷静さを保つ。
「……腹を割るって……つまり……今までのことを、キチンと話したいと?」
自殺のこと、何も相談しなかったこと、病室でのこと、今まで避けてきたこと。
そういった様々なわだかまりを解消したいと、そういう意味で「腹を割って話す」ということなのかと黒斗は玲二に問う。
すると意味が通じたことに安心したのか、玲二は柔らかい笑みを浮かべながら頷いた。
表情こそ笑顔であったが、その目には もう逃げないという決意の色が見られた。
何を言われても、自分が傷つくことになっても ちゃんと話して和解したいという決意が。
「…………どうやら本気のようだな。いいだろう……俺もお前と、色々 話したいことがある」
玲二の思いを受け取り、黒斗は真剣な表情で頷いた。
「とりあえず場所を変えよう。静かに話せる場所が良い」
「は、はい! だとすると海辺か河原ですね!」
「……はあ?」
確かに海辺や河原は静かな場所ではありそうだが、何故その2つに限定するのか理由が分からない黒斗は間の抜けた声を出す。
呆けた様子の黒斗とは対照的に、玲二は瞳をキラキラと輝かせて拳を握りしめた。
「だって、男と男の本音のぶつけあいと言えば夕日が沈む海辺か河原での殴りあいでしょ!?」
「……………………」
──前言撤回
──コイツはどこまでが本気で、どこからが冗談なのかさっぱり分からん!
漫画やドラマではお馴染みのシチュエーションを嬉々として語る玲二に、早くも疲れを感じる黒斗であった。