空虚感6
三成家
約束の11時にやって来た玲二は、洋介の部屋のドアを勢いよく開け放った。
「よーすけー! ひっさしっぶりー!!」
無邪気にはしゃぎながら、椅子に座っている洋介に駆け寄る玲二。
「久しぶり、玲二! 元気だった?」
「オレはもちろん元気ー! 洋介も元気そうだね、良かったあ」
笑いあう玲二と洋介。
家に向かう途中、気まずくなったらどうしようと心配していたが、いざ会ってみると普通に接することが出来るものだと玲二は思った。
「ねーねー、洋介。今日はどうしたの? 急に会いたいだなんてメールしてきて……」
「フフッ、玲二が喜ぶようなビッグニュースだよ……そこの机の上にある封筒を開けてごらん」
「?」
不思議そうに首を傾げながらも、言われるがままに封筒を手に取り、開封する玲二。
「…………っ!!」
中に入っていたものを確認した瞬間、うなぎのぼりになる玲二のテンション。
「こっ、これは……これはあぁ!! 大人気アクション映画『96日間~鎮魂歌~』の特別鑑賞券じゃないかあっ!!」
大好きな映画の鑑賞券が出て来て騒ぎまくる玲二。
そんな彼のはしゃぎっぷりに洋介はクスリと笑う。
「お母さんがさ、仕事仲間から貰ったんだって。玲二がこの映画好きだって言ってたからさ、喜ぶかなあと思って」
「喜びを通り越して感動だよっ!! 見に行きたくてもお小遣いがピンチで見に行けず、ガックリしていたオレ……そんな所にこの鑑賞券! タダで見られるなんてスゴすぎるよーっ!!」
テンションマックス状態で玲二が叫ぶ。
あまりの玲二のハイテンションぶりに、最初は笑っていた洋介の顔も引きつる。
「そ、そんなに喜んでくれてボクも嬉しいよ。じゃあ、さっそく見に行こうか」
「うんっ!! あー、楽しみー! 楽しみすぎるー!」
「……お願いだから、映画館では騒がないでね」
乾いた笑いを浮かべながら、ちゃっかりと玲二に釘を刺しておく洋介であった。
******
玲二が家を出てから一時間後
佐々木一家が住むアパートの前に、雅也・伸男・秀の3人が集合していた。
「……本当に佐々木、留守なんだよな?」
「あの富永ってライターがそう言ってただろ」
不安そうな伸男に答える雅也。
しかし伸男の不安は消えないようで、落ち着きなく辺りを見渡している。
「あまりキョロキョロすると怪しまれる」
「でもよ秀……本当にアイツの作戦通りにすんのか? あんな みすぼらしいオッサンに従って大丈夫か?」
「じゃあお前だけ抜ければ? 俺らはやるけどな」
心配ばかりする伸男に、雅也が面倒くさそうに答えると伸男が慌てて首を振った。
不安ではあるが、やはり五万円の誘惑には勝てないようである。
「じゃあ行くぞ」
先頭に立って歩く秀に、残りの2人が続いた。
『佐々木』と書かれたプレートが付いている玄関の前に立ち、秀がチャイムを鳴らす。
ピンポーン
チャイム音が響き、数秒の間を置いてドタドタと駆けてくる足音が玄関の向こうから聞こえてきた。
『はい、どちらさま?』
男性の声がして、秀は深呼吸する。
深く息を吸って吐き出すと、富永に言われた通りの言葉を口にした。
「……月影 黒斗と申します。玲二くんに会いに来ました」
『月影…………あっ! 玲二の言ってた先輩か!』
ガチャリと扉を開けて、声の主が姿を現す。
「うわ……マッチョマン」
玲二の父・竜二のムキムキな身体に、雅也が羨望の眼差しを向ける。
「やあやあ、君が月影くんかー! 話は玲二から聞いてるぞ、いつも玲二が世話になってるね!」
「は、はい」
白い歯を見せてニカッと笑う竜二。
秀を完全に黒斗だと思い込んでいる竜二の様子を見て、伸男はホッと胸を撫で下ろす。
富永の情報は間違ってなかったようだ。
彼によると竜二は単身赴任から戻ってきたばかりであり、戻ってきて早々に妻が亡くなり、玲二から黒斗の写真を見せられていない可能性が高いとのことだった。
それを生かして素性を黒斗だと偽って部屋に入れてもらい、玲二の大切なものを壊す――これが富永の作戦である。
ちなみに秀が黒斗役なのは雅也曰く、一番身体がデカくて威厳があるかららしい。
「……ところで、今日はどうしたんだい? 玲二なら留守だけど」
「さっき玲二からメールがあったんです、もうすぐ帰るから先に部屋で待っててって。何でも俺に話があるらしく」
富永に言われた通りに秀が話すと、竜二はその言葉を疑うことなく頷き、玄関を大きく開いて3人を招き入れた。
「そういうことなら了解だよ。さあさあ、上がって上がって!」
「はい、お邪魔します」
促されるままに3人は竜二に頭を下げつつ、家に上がった。
「ここが玲二の部屋だ! 今、飲み物持ってくるから待っててくれ!」
そそくさとキッチンに向かう竜二の背中を見送り、3人は玲二の小さな自室を見渡す。
「……何もねえ部屋だな……つーか、本当に大切なものなんか置いてあんのかよ……」
勉強机、クローゼット、本棚――それしか置いていない手狭な玲二の部屋を見渡して、雅也が不安そうに呟く。
大切なものを壊せとは言われたが、玲二の大切なものが部屋にあるとは限らないし、そもそも存在しない可能性もあるのだ。
話を聞いた時や、家を訪ねた時には興奮していて細かいことを考えていなかったが、冷静になって客観的に見てみると、何とも行き当たりばったりな作戦である。
「……だいたい大切なものを壊せって……発想がガキ……」
「言うな秀……そのガキの発想に俺らはのっちまったんだ……」
伸男も興奮が冷めたのか、意気消沈している。
「テンション下げるんじゃねえ! とにかく、大切そうな物を見つけて こわ……」
「お待たせえっ!! コーラしか無かったけどー、君達 炭酸大丈夫?」
「ひゃああああ!!」
いきなり部屋に入ってきた竜二に驚き、悲鳴をあげながら抱き合う3人組。
「おお!? す、すまん! 驚かせてしまったかー!」
「い、いえ大丈夫ですっ! ハイッ!」
冷や汗をダラダラ流しながら笑顔で伸男が答える。
「そうかー、じゃあコレ。ゆっくりしていってな!」
爽やかに笑いながら竜二は、コーラ入りグラスが3つ乗せられたトレイを床に起き、部屋から出ていった。
「あー、ビビった! 話は聞かれてなかったみたいだな」
「おう……でも急ごうぜ。佐々木が帰って来たら話になんねえ」
伸男の言葉に雅也と秀は頷き、部屋を物色しはじめる。
しかし出てくるのはゲーム機や漫画、筆記用具ばかりで、玲二が心底大切にしていそうなものは見当たらなかった。
「何にもなーいっ! もう適当に壊そうぜ!」
「でもさ、後からオッサンにグチグチ言われるのもイヤじゃん?」
「大丈夫だって、バレないバレない!」
やる気を無くした伸男が、床に大の字になって目を閉じた。
「おい伸男! 真面目にやらないなら、お前の三万よこせよ!」
「うっせえなあ……最初から大切なものなんか無かったなら仕方ないだろ……」
うんざりとした口調で喋りながら、目を開ける伸男。
そんな彼の目に、額縁に入れられている色鮮やかな絵が映った。
「お……絵があるじゃん」
起き上がって、絵を見つめる伸男。
雅也と秀も、彼と同じものに視線を移す。
「本当だ。家具ばかり見てて気づかなかった。これは佐々木が描いたのか?」
「分かんねえけど……何か大切そうに飾られてるよな」
雅也が言った“大切そう”という言葉に秀が顔色を変えた。
「……それ、大切な絵なんじゃないか? これを破こう」
秀は、この絵を玲二の大切なものだと判断したらしい。
ニヤリと笑いながら秀は、富永のアドバイス通りに手袋をはめて額縁に触れた。
行動が速い秀に、雅也が慌てて声をかける。
「お、おい……本当にソレにすんのか? 誰が描いたかも分からないようなガキの落書きだぞ?」
「誰が描いたかなんてどうでもいい。わざわざ額縁に入れられてるんだ……それなりに大切にしているんだろう。とにかく、お前らは佐々木の親が来ないよう見張ってろ」
いつもより饒舌な秀の様子に違和感を感じる雅也。
「……お前、まさか楽しんでる?」
怪訝な表情を浮かべながら伸男が言うと、秀は底意地が悪そうな笑みを浮かべた。
「当たり前だろう……誰にも気づかれない見られないように、ミッションをやり遂げる……映画のスパイになった気分だよ……こんなスリル、滅多に味わえない……最高に刺激的なゲームだ」
秀にとって、玲二の大切なものを壊すことはゲームでしかない。
人目を忍んでミッションをクリアする潜入ゲーム――
遊びで――テレビゲーム感覚でやっているからこそ、彼は分からない
彼がミッションをクリアすることで、ゲームとは違って心に傷を負う者が居ることが――
ビリッ
額縁から出した絵を真っ二つに引き裂く秀。
「あーあ、やっちゃった……」
「仕方ない……見張ってようぜ」
部屋の入り口に2人で立ち、竜二が来ても中の様子が見えないようにする。
ビリッ
ビリビリ
「ハハハ……ハハッ」
笑う秀の手によって、幼い頃の玲二が描いたピクニックの絵が破られていく。
鮮やかな色で塗られた花。
美しい自然。
笑っている家族3人。
全てが、バラバラになっていく。
「…………」
画用紙が破られる音につられて振り向く雅也と伸男。
ちぎられた紙片や絵が破られていく様子を見て、先程までの低いテンションが嘘のように高揚していく。
綺麗な絵がこれでもかと言う程に破られていくのは彼らにとっては清々しい光景だった。
「おわり」
もはや何の絵だったのか原型が分からない程に、細かくバラバラに破られた画用紙を見下ろして、秀は仕事をやり遂げた職人のように爽やかに笑った。
「……じゃあ、出ていこう。佐々木が戻ったらヤバイし」
雅也の言葉に伸男と秀は頷き、部屋を出た。
「あれ? 帰るの?」
キッチンに居た竜二が、玄関で靴を履く3人に声をかける。
「はい、玲二から家じゃなくて違う所に来てほしいとメールが来たので」
「そうかー、ごめんね玲二が手間をかけて。また今度、遊びにおいで」
「はい」
竜二に会釈して、3人は家を出た。
******
雅也達が玲二の家を出た頃、富永は九条の娘・アヤを尾行しながら今後の作戦を練っていた。
(九条家に関する方針はこれでいい……問題は佐々木 玲二だな。あの悪ガキ共がちゃんと働いてくれるといいが)
手帳に文字を書きつつ、1人で歩くアヤをチラ見する富永。
不意にズボンのポケットに入れていた携帯が振動し、すぐさま携帯を取り出し画面を見る。
(……ガキ共からのメールか。失敗したとかじゃないだろうな)
若干の不安を覚えながら新着メールを開いて、内容を見る。
すると富永から険しい表情が消え、頬が緩んだ。
(へえ、成功したのか。なかなかやるじゃないかアイツら)
玲二の大切なものを壊すことに成功したとの旨が書かれたメールに満足そうに何度も頷く。
(じゃあ俺も自分の仕事をやらなくちゃ、な)
携帯を閉じてアヤの方へ視線を移す。
先程、手帳に綴った台詞を脳内に思い浮かべて、しょんぼりと歩いているアヤに近づいていく。
「やあアヤちゃん。こんにちは」
「ひゃっ!?」
いきなり後ろから声をかけられたアヤが、小さく悲鳴をあげた。
「あ、あれ…………オジさん、ママとよくお話してる人……?」
振り向いて富永の姿を見たアヤは、見覚えがある男に首を傾げる。
一方、富永はオジさんと呼ばれたことに不満を感じながらも、人の良い顔を浮かべてアヤに話しかける。
「アヤちゃん、今日は1人なの? 元気が無いみたいだけど、どうしたの?」
「……………………」
富永の言葉に何も答えないアヤ。
ジト目で富永を見上げる彼女の顔には「オジさん、怪しい」と書いてある。
警戒されていることを察した富永は、アヤの性格を踏まえて予め考えていた台詞を口にした。
「アヤちゃん、人を無視するのは失礼だってお母さんから習わなかった?」
「……知らない人と話したらダメだって、ママが言ってた」
予想通りに返された言葉に内心ほくそ笑む富永。
表情は崩さずに、子供に好かれそうな爽やかな声音で言葉を発する。
「オジさんはママのお友だちだから、知らない人じゃないよ。オジさんとママがお話してる所は、君も何度か見ただろう?」
「あっ……そっか」
納得したようにポン、と手を叩くアヤ。
彼女は母親から富永が記者であることを聞かされておらず、根が純粋な為に簡単に富永の言葉を信じてしまった。
思い描いていた理想通りに話が進み、気分が良くなった富永の舌は滑らかとなり、淀みなく次々と言葉が出てくる。
「アヤちゃんが元気ないのは、やっぱりお母さんのことで悩んでるから?」
「そ、そう! どうして分かったの?」
「君のお母さんからも相談をされてるからね。最近アヤが変わって、どうすればいいのか分からないって」
「えっ……ママもアヤのことで悩んでるの?」
富永の言葉がウソだと知らず、鵜呑みにするアヤ。
母が自分のことで悩んでいるときき、顔をうつむかせて落ち込む。
「……ママがアヤのことで悩んでるのは……やっぱりアヤのことが嫌いだからなのかなあ……」
「どうしてそう思うんだい?」
「……だって……パパが死んでから、ママ冷たいんだもん……グスッ、前は……たくさん、お話してくれ、た、のに……今は……ぜんぜん、アヤを、相手に、してくれ、ない……ヒック……だか、ら……アヤは、ママが嫌い、なんだ」
話している内に涙は零れ、しゃくり泣きながら言葉が紡がれていった。
母が仕事で忙しいのはアヤにも分かっている。
だが、頭では仕方ないと割りきっていても、やはり心の何処かでは寂しいと思ってしまうのだ。
その寂しさや不安は募り募って、自分に寂しい思いをさせている母に対する苛立ちへと変換される。
アヤも悪いとは思っていても、どうしても母にキツく当たってしまうのだ。
さらに寂しさや不安ばかり抱いているせいか、相手にしてくれないのは母に愛想を尽かされたからだと、マイナスなことばかり思ってしまう。
本当は、九条はアヤのことを大切に――生きる糧としているのだがアヤは知るよしもなく、2人の気持ちはすれ違う一方。
まさに親の心子知らずである。
(……これだからガキってのは)
表情には出していないものの、富永は内心アヤの言い分をバカらしく思っていた。
(相手にしてくれないイコール嫌われた、とか単純すぎだろ。ま、いいネタにはなるがな)
富永はここからが本番だと、深呼吸をして改めて気合いを入れる。
「アヤちゃん。お母さんの気持ちが知りたいなら、良い方法があるよ」
「グズッ……ほんと?」
うつむいていた顔を上げ、上目遣いで富永を見つめるアヤ。
「アヤ、ママがアヤのことをどう思ってるか知りたい。どうすればいいのか教えてオジさん」
予想以上に食いついてきたアヤの反応に、富永は心の中でガッツポーズをする。
「じゃあ、教えてあげるよ。とっておきの方法をね……」
─これで、九条家は終わりだ
そう確信しながら、富永はアヤに恐るべき提案をした。
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映画館
「あーっ! さいっこーに面白かったー!!」
映画館から出るなり満面の笑みを浮かべながら玲二が大声で言った。
「やっぱり96日間はサイコー! 名作中の名作だよっ!」
やたらとテンションが高い玲二とは対照的に、側を歩く洋介はひどく疲れた様子である。
「あの最後のカーチェイスは大迫力だったなあ、まさか巨大クルーザーの上であーんな大アクションするとはっ! スゴかったよね、洋介!」
「あ……ああ、そうだね……」
笑う洋介だが、目は疲れきっているせいで死んだ魚のように生気が無く、口の端は引きつっている。
予め玲二には映画館で騒がないよう注意をしていたのだが、そんな注意は興奮状態の玲二にはまるで意味を成さなかった。
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数十分前 映画館内
「うおーっ! そこだライアン! そこで右フックーっ!」
映画が盛り上がる度、主人公に声援を送る玲二。
「だめだめ違う! 後ろだってば! その電柱の影に隠れてんのっ!!」
まるでスポーツ観戦で野次を飛ばす観客のように席を立って騒ぐ玲二。
そんな彼と、隣に座る洋介に他の観客が白い目を向けるが、映像しか見えていない玲二は全く気に止めず、洋介だけが肩身の狭い思いをしている。
「れ、玲二……頼むから静かに……」
「そこだーっ!! 今だアッパーッ!」
玲二の叫び声に消されてしまう洋介の忠告。
「……お客様。たいへん失礼ながら、他のお客様のご迷惑となりますので もう少しお静かに……」
ついに従業員がやって来て、玲二の肩を叩きながら声をかけるも、やはり玲二には聞こえていない。
「…………」
助けを求めるような視線を洋介に送る従業員。
そのうんざりとしたような顔には「何とかしてくれ」とハッキリ書かれている。
仕方ないので洋介も席を立ち、従業員と一緒になって玲二に声をかける。
玲二と洋介は一番後ろの席に座っていた為に、2人が立ち上がることで他の観客の視界を遮ることは無かったのが不幸中の幸いだった。
「玲二……頼むから静かにしてくれよ」
「ライアンー! 早くいかないとサムちゃんが危ないよー!」
「あの……だから静かに……」
「ギャーッ、サムちゃんがあああ!!」
全く周りが見えていない玲二に、ついに洋介の堪忍袋の尾が切れた。
「……静かにしろって言ってんのが聞こえないのかあああっ!!!!」
部屋の隅々まで響き渡る洋介の怒鳴り声に驚き、玲二の野次が止まった。
しかし、玲二よりも遥かにうるさかった洋介の声に、他の観客が冷たい視線を送る。
「は……はは、すみません」
苦笑いしながら洋介と玲二は席に座るのだった。
******
そして現在
「……本当に疲れた……主に精神的に」
「んー、どしたの洋介?」
「……いや、何でもないよ……」
自分が洋介の疲労の原因だという自覚もない玲二は、ただ首を傾げるだけだ。
(……まあ、いっか。玲二も元気になったみたいだし)
もともと洋介は、落ち込んでいるであろう玲二を元気づけようと彼を映画に誘ったのだ。
玲二が元気になるのなら、冷たい視線で見られたり疲れたりするのは安い代償だと洋介は割りきる。
「今日は最高の1日だったなー。ありがとう洋介!」
「どういたしまして」
明るい笑顔で礼を述べる玲二に、洋介も心からの笑顔で応える。
「へへへ、やっぱ持つべき者は友だよね。オレってホント、良い友達や親に恵まれてるな! 幸せものだよっ!」
無邪気に笑って言う玲二。
一方、洋介は突然立ち止まり、どうしたのかと玲二は振り向いた。
「……玲二、変わったね」
「へっ?」
いきなり変わったと言われて意味が分からない玲二。
顔や髪型がおかしいのかと思い立った彼は、慌てた様子で顔や髪をペタペタと触りだす。
「アハハ……違うよ。外見的変化じゃなくて中身の方!」
玲二が何も言わなくても仕草で何を考えているのか分かった洋介が、笑いながら間違いを正す。
「な……中身?」
「うん……前の玲二は、笑っていてもどこか陰があったんだよね。でも今は心の底からちゃんと笑えてる。確か……月影さんだっけ? その人と出会ってから、玲二は良い意味で変わったよ」
ニッコリと微笑む洋介の顔を見て戸惑う玲二。
確かに玲二は弱い自分と決別したい――変わりたいという意志を持って黒斗の舎弟になった。
だけど、いつまで経っても自分は何も変わらず、弱いままの人間だと自責していた。
自分では変われていないと思っていたのに、洋介からは変わったと言われ、玲二は自分と他者の認識の違いに混乱する。
「……オレは……何も変わってないよ? 弱虫で泣き虫で……トラウマからも立ち直れてないままだ」
うつむいて洋介から視線を逸らす玲二。
謙遜でも何でもなく、本当に思っていることを口にする。
「そりゃあ、人間はいきなり劇的に変われないよ。玲二は自覚が無いかもしれないけど、ボクには分かる……少しずつ変わっていってることが」
うつむいたままの玲二へ、洋介はゆっくり歩み寄る。
「……例えばさ、前の玲二は学校のこととか話したがらなかったし、話す時もつまらなそうにしてたじゃん。でも、今は楽しそうに学校の出来事を話してる。些細なことだけど、変わってるだろ?」
洋介に言われて、玲二は黒斗の舎弟になる前の学校生活を思い出す。
からかわれてばかりで友達も出来ず、昼休みも1人寂しく弁当を食べていた――そんな退屈な日々。
だけど今は黒斗や鈴が居て、一緒に弁当を食べたり、放課後には一緒に寄り道したりして、楽しい日々を送れている。
前は毎日がつまらないと思っていたけど、今は楽しくて仕方ない。
「……でも、確かにオレの日常は変わったけどさ……オレの内面は変わってないじゃん」
「変わったよ。心からの笑顔がその証」
玲二の目を真っ直ぐ見つめながら言う洋介。
しかし、玲二は納得していないのか気難しい表情を浮かべている。
「……今はまだ分からなくてもいいよ。でもね玲二、その先輩達は大切にしなよ。きっと今も、これからも……君の支えになってくれる大切な存在になるから」
「……うん!」
黒斗と鈴の姿を思い浮かべ、笑顔で玲二は頷いた。
******
数十分後
洋介を家まで送り届けてきた玲二はアパートに戻ってきた。
「ただいまー」
「おう、お帰り!」
キッチンから竜二がひょっこりと顔を出した。
顔には卵の黄身らしきものが付いている為、また料理の練習をしていたようである。
(……お父さん、昨日もこうやって頑張ってたのに……努力を無駄にさせちゃった……)
雅也達に弁当を捨てられたことを思い出し、ガックリと肩を落とす玲二。
「ん? どうしたんだ、肩を落として」
「ううん……ちょっと疲れただけ」
心配をかけさせまいと、竜二をごまかす。
「そうか。あ、月影くんとはちゃんと会えたか?」
「へっ? 兄貴?」
いきなり黒斗の名前が出て来て驚く玲二。
目を丸くする息子に、竜二は黒斗が家に来ていたことを伝える。
「お前が用があって月影くんを家に呼んだんだろう? しばらくした後に、外で会うことになったって帰ったけど」
「いやオレ、兄貴を呼んでないし……今日はメールもしてないんだけど……」
「ええ? おかしいなあ」
話の食い違いに困惑する玲二と竜二。
実際に家を訪ねて黒斗と名乗ったのは秀達なのだが、父から口で黒斗と告げられた玲二は黒斗本人が家に来たとしか思えない。
これも富永の思惑通りだが、玲二達は知るよしもない。
「……まあ、後で兄貴に連絡してみるよ」
「そうか。じゃあお父さんは料理の特訓に励むな!」
そそくさとキッチンに戻る竜二。
玲二も自室へ向かう。
「……え?」
だが、廊下から見えた部屋の様子に身が固まる。
床に置かれている、壁に掛かっていた筈の額縁。
その近くでバラまかれている、カラフルな紙片。
─まさか
震える足を叱咤しながら部屋に入り、膝をついて紙片を1枚手に取る。
「……オレの……絵……」
紙片に描かれている、母親の顔を見た玲二はポツリと呟いた。
「……どうして……? 誰がこんなことを……」
思い通りに働かない頭で必死に考えるも、誰がやったのか見当もつかない。
(オレが留守の間に部屋に入れる人なんてお父さんだけ……でも、お父さんがこんなことする訳…………)
そこまで考えた所で、玲二は先程の竜二の言葉を思い出した。
“月影くんを家に呼んだんだろう?”
(……お父さんは、兄貴を部屋に上げたと言ってた……つまり……犯人は……兄貴?)
黒斗を疑う玲二だが、すぐに首を振って考えを消した。
(オレのバカ! 兄貴がそんなことする訳ないじゃないか! 兄貴を一瞬でも疑うなんて……最低、だよ……)
指先から力が抜けて、持っていた紙片がハラリと床に落ちた。
バラバラにされて、原型の無い絵を虚ろな瞳でボンヤリと見つめる。
“この絵は、ママの宝物だわ!”
母が宝物だと言ってくれた絵。
母がスゴいと誉めてくれた絵。
思い出を描いた、自分でも自慢に思っていた絵。
無くなった。
無くなってしまった。
「…………お母さんの宝物…………なくなっちゃったよ」
その言葉と共に、玲二の目から涙が溢れた。
あっという間に視界は涙で滲み、バラバラになった絵が見えなくなる。
「…………うっ、うぅ……」
犯人に対する怒りよりも、悲しさ、虚しさが沸き上がる。
色鮮やかな花。
美しい自然。
楽しそうな家族3人の笑顔。
全部、バラバラになった。
もう戻らない。
母と同じで、もう元には戻らない。
─お母さんの宝物、こんなんにしちゃって……ごめんなさい
声を押し殺して泣く玲二には、亡き母へ謝罪することしか出来なかった。