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デスサイズ  作者: LALA
Episode2 痛み
3/118

痛み1

 

 まだ太陽も登りきらず、人の姿も少ない早朝。


 エプロンを着け、片手に大きな袋を持った年若い主婦がゴミ捨て場に向かって歩いている。



 ゴミ捨て場に辿り着いた主婦はカラスが袋を漁っている場面を目撃し、嫌悪感を露に睨みつける。


 溜め息を吐きながら、近くに落ちていた小石を拾い、投げつけるとカラスはギャアギャアと鳴きながら飛び去って行った。



「全くもう!」


 カラスが破った袋から飛び出した生ゴミから強烈な悪臭が立ち込め、空いた片手で鼻を摘まむ。


 さっさとゴミを捨てて帰ろうと、ゴミ捨て場に近寄る。



「……!?」


 生ゴミの下から伸びている赤黒く染まった動物の腕を見つけ、驚きのあまり言葉を失う。




 ─まさか




 強い胸騒ぎに襲われ、汚れることもいとわずに生ゴミを掻き分けていく。



「っ!!」



 露になった動物の姿を見て、尻もちをついてしまう。



「いやあああああああ!! ネネちゃん……ネネちゃんがああぁ!!!!」




 掻き分けられた生ゴミの下から出てきたのは、2日間行方不明になっていた愛猫あいびょうの、全身を切り刻まれた死骸だった。




******




「……ん……?」


 眠りから覚めた黒斗が感じたのは、いつもの朝とは違う違和感だった。


 枕もとに置いてあるスマホを手に取り、確認した時刻は7時すぎ。


 いつもなら鈴がキッチンで騒がしく朝食を作っている頃だというのに、今日はいやに静かだ。



 だがそれよりも。



 布団の中にいる、足下でもぞもぞ動いている柔らかいモノの違和感が強かった。


「…………」


 ゆっくりと布団をめくっていく黒斗。



 足に掛かっていた布団をめくり、そこに居たのは――




「橘ー!!」


 ドタドタとやかましく階段を駆け下り、ダイニングで辺りをキョロキョロと見回している鈴に呼びかける。



「あ、おはよクロちゃ……」


「これは何だ!?」



 挨拶をしようとした鈴の言葉をさえぎって、黒斗はズイッと手に持っていたモノを突きつける。


 黒斗の手に握られていたのは、まだ小さな三毛猫だった。


 猫の姿を確認した途端、鈴がパアッと明るい笑顔を浮かべる。



「おおー! 見つかって良かったー、何処におったんやリンー!」


「ミィー」


 リンと呼ばれた子猫は、黒斗の手から逃れると鈴の足に頭を擦り付けた。



「……おい……その猫は何だ?」


 黒斗の言葉に鈴は、足下の子猫を抱きかかえてニッコリと笑った。


「聞いて驚けー! 実はな……この子、拾ったんやー!」

「…………は?」


 ジャジャーン、と効果音でも付きそうなテンションで放たれた鈴の言葉に、黒斗は呆気にとられる。



「やっぱり驚いてるやろ? まあ、そりゃそうやろな、フッフッフ!」



 正直、驚いたのは鈴の異様に高いテンションになのだが、面倒くさいのでここは黙っておく。



「昨日な、帰り道で拾ったんよ。電柱の側で、ダンボール箱に入れられてたのを見つけたんや」


「それはまたベタな展開だな」



 興味がなさそうにテーブルの椅子に座る黒斗だが、お構い無しに鈴は話を続ける。


「ウチ、ほっとけなくて……家に連れて帰ったんや。当然、おかんにはめっちゃ叱られたけど……何とか説得して飼ってもええことになったんや!」



 ご機嫌な鈴だが、対する黒斗は無表情のままである。



「……で、何故お前の猫が俺の布団に入り込んでいたのか説明が欲しいんだが」



「いや、な。この子めちゃくちゃ甘えんぼでなー。ウチの行くとこ行くとこ着いてくるんよ。今朝もクロちゃんの家に着いたら、いつの間にか後ろに居て驚いたわー。とりあえず、仕方ないから一緒に連れて入ったんやけど……」


「……勝手に人の家に猫を入れるな。ていうか毎回毎回、人の家に入り込んでんじゃねえ」



 溜め息まじりに言う黒斗だったが、鈴は逆に「鍵をかけんほうが悪いんや!」と開き直る。



「で、ちょっと目を離したすきにリンが居なくなってもうて、探してたんや。まさかクロちゃんの部屋に入ってたとはなー。堪忍かんにんなー」



 両手を合わして謝る鈴を見て、黒斗はやれやれと肩をすくめるのだった。




******




 如月高校 校門前




 一緒に登校してきた黒斗と鈴。2人の後を着いてくるリン。


「さてと。ほな、リン。家に帰らんとアカンで、ここは学校なんやからな」


「ミー」


 座り込んで首を傾げるリン。


「ええ子やから、ちゃんと家で待ってるんやで! 帰ったら、いっぱい遊ぼな!」


「ミャーン」



 鈴がそう言うとリンはこちらに背を向けて走り去っていき、向こうから歩いてきた大神とすれ違った。



「おはよーさん、大神くん!」


 手を振って声をかける鈴だが、大神は挨拶を返すことなく横を通り抜ける。



 失礼な態度をとる大神に黒斗はチッ、と大きく舌打ちをする。



「ちょっ、聞こえるで!」


「聞こえるようにしたんだよ」



 忌々しげに見つめてくる視線を感じたのか、大神は足を止め、こちらを振り向いた。



 その眼には、明らかに怒気が含まれている。


「堪忍な、大神くん! クロちゃん、ひねくれとるから許したってやー」


「…………」


 鈴が間に入って仲裁するが、大神は無言のままだ。



「言いたいことがあるなら言えよ」


「しっ!」


 慌てて鈴が黒斗の口を塞ぐ。



「…………」


 気まずい沈黙が、その場に舞い降りる。



「…………あの三毛猫は、橘の飼い猫?」


 沈黙を破ったのは意外なことに大神だった。


 驚いた鈴は一瞬言葉を失うが、すぐに気を取り直して質問に答える。



「せや。名前はリンっちゅうんや! かわええやろー!」


「ああ。とても可愛いよ」


「やっぱり!? そうやろー! めっちゃかわええやろー!」


「……飼い主バカめ」



 黒斗がポツリと呟くが、愛猫を褒められて有頂天になっている鈴の耳には入らない。


「でも、気をつけた方が良い」


「え? 何に?」


 一呼吸おいて、大神が口を開く。



「今朝、行方不明になっていたペットの猫が遺体となって見つかった。遺体は全身を無惨に切り刻まれている状態だったらしく、犯人もまだ見つかっていない。君の飼い猫も、こんなことにならないように気をつけるんだな」



「そ、そんなヒドイことする奴がおるんか……許せへんわ……。警告、おおきにな大神くん」


 素直に礼を述べる鈴。



「……こないだの連続殺人の時もだが、やけに事件に詳しいな。ただの男子高校生のわりに」


「…………」



 不信感を露にする黒斗だが、大神は黙ったままきびすを返し、校内へと入っていった。



「……チッ、都合が悪くなったらだんまりか。ムカツクな」


「まあまあ……何でクロちゃん、大神くんにキツくあたるんや? もっと仲良うしようや」


「生理的に受け付けないんだ」



 一目見た時から、黒斗は大神に嫌悪感を抱かずにいられなかった。


 自分と同じ赤い目を見ていると落ち着かないし、感情の欠片を一切感じさせない所も、いけすかない。


 そして――死神のことなら何でも知っているような素振りが何よりも気にくわないのだ。



(俺の正体に気づいてるかと思ったが、そうでもないらしいしな……掴み所の無い奴だ)



 苛立ちながらも、黒斗は鈴と共に校内に入るのだった。




******



 放課後




 リンのエサを買いに行くという鈴と別れ、黒斗はアルバイトをしているコンビニに向かった。


 いくら死神といえども、黒斗は表向きは一介の男子高校生。


 世間体や食費を考えれば、イヤでもやらなければならないのである。



 いつものように同僚達への挨拶もそこそこに、制服に着替えてレジに立つと、早速レジにタマゴパックを持った少年が並んだ。


 商品をスキャンして値段を伝えれば、少年はサイフの中からモタモタと小銭を出しはじめる。




「…………」





 ─遅い




 とろくさい少年の動きにイラッとする黒斗。


 さすがに口で急かしては店長に叱られるので、「早くしろ」という思いを持って少年を見つめると、申し訳なさそうに頭を下げてスピードを僅かに早めた。



 何気なく黒斗は少年の姿を観察する。



 猫っ毛の銀髪と、エメラルドグリーンの瞳。


 女顔の童顔で、綺麗というよりは可愛い系だろう。



 如月高校の紋章が着いた青いブレザーを着ているので、同じ学校に通っているようだ。




「ふざけんなコラアァァ!!!!」


 突如、店内に怒声が響き渡り、驚いた少年が手に持っていたサイフを落としてしまう。


「あ、わわわわわ!!」


 床に落ちたサイフから小銭が飛び散り、慌てて少年が拾い始めるので、黒斗も手伝う。



「す、すいません」


「辞職など許さんぞっ!!」


「うひいぃ」



 少年が黒斗に頭を下げるが、再び響いた怒鳴り声に驚き、肩を強張らせた。


 店内に居る他の客も、何事かと声の主に目を向ける。


 小銭を拾い終わり、黒斗も同様に声がした方向を見やると、顔を真っ赤にした50代くらいの男性が電話ごしに怒鳴りこんでいる姿が見えた。



「今度ふざけた事を言いおったら、ただじゃおかないからな!!」


 通話を終えると、男はドスドスと足音をたてながら棚に置いてあるビールを手に取り、もう1つのレジに向かった。





「すいませんでした、これで丁度です! あ、レシートは大丈夫でーす!」


「丁度いただきます。ありがとうございました、またお越し下さいませ」



 受け取った小銭をレジの中に入れ、出口に向かう少年の背中を見送る。



 その時



「邪魔じゃ!」


「あだっ」



 ドスドスと喧しい足音をたてながら走ってきた男が少年を強く押しのけ、さっさと店を出ていってしまった。


 一方、押しのけられた少年は大きくよろめいて倒れこみ、そのせいでタマゴが割れてしまった。


「うきゃー! タ、タマゴがああー!」


 頭を抱えて叫ぶ少年に、黒斗は深い溜め息を吐きながら近寄る。



「大丈夫ですか」


「オ、オレは大丈夫ですけど、タマゴがー……」


「お取りかえ致しますよ」



 黒斗の言葉に少年は瞳をウルウルとさせながら、頭を下げる。


 その様子を見ていた周囲の客が、ぶつぶつ呟き出す。




「やーねー、あのオジサン」


「ほら、アイツあれだろ、カーメイクはやしの社長」


「ああ、あのブラック企業の……」


 客たちの声を聞きながら、黒斗は新しいタマゴを取りに行くのだった。




******




 翌日の放課後





 学校が終わり、さっさと家に帰ろうとした黒斗だったが、いつもよりテンションが高い鈴に呼びかけられ、自宅までの帰り道を共にすることになった。




「でなー、ウチが朝起きると、ミャーミャー鳴きながら甘えてくるんよ! 可愛くてたまらんわー!」


「へー」



 学校を出てから、鈴の猫自慢を聞かされ続けてうんざりしている黒斗は生返事で答えるが、鈴は全く気にしていない。




「ミィー」



 猫の鳴き声が聞こえ、黒斗が足を止めた。



「どないしたん?」


「……お前の可愛いリンが迎えに来たようだぞ」


「えっ?」



 言われて鈴が周囲を見回す。



「ミャーン」


「あっ!」



 鳴き声がハッキリと聞こえて、鈴が振り返ると、その先にはリンが居た。


 リンの姿を認めた鈴が満面の笑みを浮かべる。


「リンー! 迎えに来てくれたんかー、ええ子やなあ!」


「ミャー」


 鈴が声をかけると、リンは彼女の胸に飛び込んできた。



「…本当、よくなつかれてるな」


 ゴロゴロと喉をならしながら甘えるリンを見て黒斗が呟くと、鈴は照れくさそうに笑う。



「せっかくやし、ちょっと遊んでくか?」


 そう言うと鈴はリンを抱きながら、黒斗と共に近くの公園へと入っていった。




「さ、公園の中で自由に遊びや」



 犬を連れた子供が1人しか居ない寂れた公園のベンチに座り、鈴がリンに言うが、リンは鈴の膝の上で丸まった。


 どうやらリンは鈴の膝が心地好いようである。



「ホンマかわええなあ」


「お前、そればっかり言ってるな」


 鈴の飼い主バカっぷりに呆れながら、黒斗も隣に腰かけた。



「だって、動物を飼うの夢やったもん。ペットショップは高くて、おかんに頼めへんかったし……このリンとはウチ、運命的なもんを感じるんや」



 そう言ってリンを見つめる鈴の目は優しく、リンへの深い愛情を黒斗は感じられた。





「ネコちゃん可愛い」


 いつの間にか近くに寄ってきていた幼い少女が、リンを見て声をかけてくる。


 茶色いセミロングヘアーの少女であり、隣にはペットの茶色い毛並みのチワワが居た。


 チワワはリードで繋がれており、手綱を少女がしっかりと両手で握っている。


「おおきにな! お嬢ちゃんのチワワも、かわええで!」


「ありがとう! この子、ココアっていうの。カナの誕生日に、ママとパパがプレゼントしてくれたんだ」


 カナが頭を撫でると、ココアはどこか幸せそうな顔をした。



「お姉ちゃんのネコちゃん、お名前なーに?」


「リンやで。風鈴ふうりんから取ったんや」



「なでなでしてもいい?」


「もちろんや!」



 ありがとう、と礼を述べるとカナは手を伸ばしてリンの頭を撫でる。


 するとリンは気持ち良さそうな顔をして、もっと撫でろと言わんばかりに、カナの手に頭を押しつけてきた。



「かわいい~」


 しばらくリンを堪能たんのうした後、カナは手を離した。



 それを確認すると鈴はベンチから立ち上がる。


「じゃ、お姉ちゃん達そろそろ帰るな」


「お姉ちゃん、明日も来る? またリンちゃんなでたい」


「ええで! じゃあ明日はお姉ちゃんにもココアちゃんなでなでさせてやー」


「うん!」



 笑顔で頷くカナの頭を撫で、鈴は「また明日な!」と手を振り公園を出て、黒斗も後を追った。




「うう…ちょっと、おトイレ」


 公園に1人残されたカナは、ココアのリードをしっかりと鉄棒に結ぶと、公園内のトイレに入っていった。




「…………」


 カナがトイレに入るのを見計らったように、白い作業着を着て、黒く大きな鞄を持った男が公園に現れ、鉄棒に繋がれたココアに近寄っていく――




******




「ふう、スッキリした!」


 数分後、トイレから出てきたカナがココアを繋いでいた鉄棒に目を向ける。


「…………え?」


 鉄棒に繋いでいた筈のココアが居ない。


「ココア?」


 公園内を見回しても、他に誰も居ない。


「うそ…うそだよね? ココア……ココアー!」


 慌てて公園から飛び出し、周囲を見回すがココアは何処にも居ない。



「うわああーん……ココアが…ココアが居なくなっちゃったあぁ…………」


 カナはその場に座り込み、泣き出してしまった。



 そんなカナの様子を、遠くから白い作業着の男が面白そうに見つめていた。




******




 その日の夜






「バカをぬかすな! ただでさえ人手不足だっていうのに!」


 カーメイク林の社長である林 菊三きくぞうは、自宅で電話ごしに、怒鳴りちらしていた。



 林の怒りの原因は、従業員の1人が辞職を申し出たことである。


 彼の会社は塗装、鈑金ばんきんを行なっており、自営業の小さな工場ではあるが、そこそこ知名度がある。


 だがここ最近、従業員達が次から次へと辞職していき、深刻な人手不足に悩まされていた。


 これ以上、人を減らさない為にも林は必死に食い下がるが、従業員は考えを変えない。


「どこにも雇ってもらえず、途方にくれていた貴様を拾ってやった恩を忘れたのか!!」


『それは本当に感謝しています。……ですが…………限界なんです。もう、林さんのやり方には付いていけない。僕、明日故郷に帰ります。今までお世話になりました』

「ま、待て…」




 ツー、ツー、ツー……




「あのクソ野郎がっ!!」


 電話を切られた林は、乱暴に携帯をテーブルの上に放り投げ、頭を抱えた。



「何が“ついていけない”だ。どいつもこいつも、甘ったれおって!」


 林自身に自覚は無いが、林の企業運営はかなりのスパルタであり、ブラックである。


 従業員への長時間労働、残業は当たり前で、時には社員教育と称して暴力を奮うこともある。


 そして、いかなる理由があろうとも突然の休暇は認められない。


 家族が危篤きとくだから実家に帰らせてほしい、急用が入ったから休ませてほしい、そういった事情があっても林は「やかましい」と一蹴し、勤務を強制するのだ。


 従業員達も他に働き口が無い者が多く、唯一の職場を失う訳にはいかないので我慢を重ねてきた。


 だが、募りに募った不満はここに来て爆発して、その結果が今の辞職の嵐である。



 残念なことに、林は己に原因があるのだと全く解っておらず、従業員達のワガママだと思ってしまっている。




 ピリリリリ




 電話の着信音が鳴り響き、直ぐに林が通話に出る。


「もしもし…」


『もしもし、菊三かい?』


 聞こえてきた穏やかな老婆の声に、林はチッと苛立ちを露に舌打ちをした。


『菊三や…お願いだから帰っておいで。少し…ほんの少しだけでいいの、お父さん、最後に一目でいいからあなたの顔を見たいって…』


「うるせえな!! 親父なんかどうなったって知るかよ!! 迷惑かけないうちに、さっさとくたばれと言っておけ!!」


『何てことを言うの! あなた、お父さんにどれだけ可愛がってもらったと…』


「ガキの頃のことだろうが!! もう二度とかけてくんじゃねえぞ!!」


 涙声で叫ぶ母親を無視して電話を切り、そのまま携帯の電源も切った。



「くそったれが!!」


 頭をガリガリと掻きむしり、テーブルに顔を突っ伏す。


(うう…千加子ちかこ……会いたいよ…)


 林 千加子。



 5年間連れ添った、現在は別居中の妻。


 3年前くらいから態度が冷たくなり、半年前に「しばらく会いたくない」と置き手紙を残して、家から出ていった。


 妻のことは心から愛している林は、何度も電話やメールを送っているが、千加子から返答は何も無く、そのことが一層、彼を苛立だせていた。




(どいつもこいつも人の気を知らねえで、勝手なことばかり言いやがる!)




 ―ムカつく



 ―ムカつく



 ―ムカつく



 ―ムカつく




 ゆっくりと林は立ち上がり、寝室へと入っていった。




 林の寝室の中には、茶色いチワワ……カナの愛犬ココアが口にくつわをはめられた状態でケージに入れられていた。


「キュ……ピー、ピィ」

 轡のせいで吠えることができないココアの口から、怯えを含んだ声がもれる。



 夕方、公園でカナがトイレに入っている間にココアをさらったのは林だ。



 カナと鈴が互いにペットを自慢している場面を目撃し、その時からココアに目をつけていた。


 隠しもっていた麻酔針でココアを眠らせ、持っていた鞄の中に押し込み、そのまま家に連れて帰ったのだ。




「ククッ……覚悟はいいか、クソ犬」


 ニヤリと笑うと林は手袋をはめて、机に置いてあった包丁を手に取りココアに近寄る。


 その包丁には返り血がこびりついていた。



「どいつもこいつもムカつくけどよ…一番ムカつくのはお前ら動物なんだ!!」


 ケージを開けて、ココアの首を掴んで引きずり出すと、腹部めがけて勢いよく包丁を降り下ろした。



 グシュッ



「キュー、ピッ、ピッ……」


 痛みにココアはもがくが、小型犬の力では人間の手から逃れることは出来なかった。



「俺みたいに頑張ってる人間は評価されなくて、お前ら畜生チクショウは可愛いってだけでチヤホヤされる………本当に腹が立つぜ!!」


 そう叫ぶとココアの腹に刺さったままの包丁を真下に動かし、さらに腹を裂いていく。


 グチュグチュグチュ


 肉が裂ける音と共に血しぶきが飛び散り、林の顔にかかるが、彼は包丁を動かす手を止めない。


「ざまあみろ!! ハハハハ!!」


 既に息絶えているココアを見下ろしながら林は狂ったように笑いだす。


「何の役にも立たないくせに、可愛がられて愛されて……ムカつくんだよ!! いい気味だ!!」



 辞職していく従業員。



 理由も言わずに家を出た妻。



 こんなにも自分は頑張っているのに、どうして誰も解ってくれないのか。



 どうして皆、離れていくのか。




 そんな事を考えているうちに、いつしか林の怒りの矛先は、他人のペットへと向けられるようになった。


 役に立たなくても、頑張らなくても、ただ“可愛い”という理由だけで愛され、必要とされる存在。




 自分とは真逆の存在。



 林には許しがたい存在。




 抑えきれない苛立ちと怒りに突き動かされ、林は衝動的に猫を捕まえて殺した。


 首輪が付いていたので、飼い猫であったのだろうが関係ない。


 むしろ、飼い主に自分と同じく、愛する者が突然いなくなる悲しみを、痛みを味あわせてやりたかった。




「さーて、と」


 ココアの腹部に大きな穴を開けたことを確認すると、林は躊躇ちゅうちょすることなく、その穴に両手を突っ込み内臓をわしづかみにした。



 ブヂャ


 グチュッ



「あのガキが見たら、一生忘れられないようにしてやる」


 猟奇的な笑顔を浮かべながら、林は掴んでいた内臓を一気に引っ張り出す。


 生々しい音と、大量の血と共に引っ張り出された内臓を満足そうに見つめると、透明のポリ袋の中に入れた。



「ハハハ……明日が楽しみだぜ…ハハハハ!!」


 空っぽになりながらも、噴水のように血が噴き出し続けているココアの腹を見ながら、林は楽しそうに笑うのだった。




******




 翌日の放課後




 昨日、カナと交わした約束の為に、鈴はリンを連れて、昨日の日名田ひなた公園へと向かっていた。



「カナちゃんとココア、もう来とるかなー?」

「ミィー」


 鈴の言葉に返事をするように、肩に乗ったリンが鳴き声をあげた。



「あ、橘」


 向かいからやって来た大神が鈴に気づき、声をかけてきた。


「大神くん、今帰り?」


「うん。橘は?」


「ウチは、ちょっと公園に用があってな」


 その言葉を聞いて、大神の眉がピクリと動いた。


「公園って……日名田公園?」


「そうや」


 一瞬の間があった後、困ったような表情を浮かべた大神が口を開く。


「行くの、やめた方がいいと思うけど」


「えっ? 何でや?」


「…なんとなく、かな。どうしても行くっていうなら止めないけど」


 言いたいことだけ言って、大神はさっさと行ってしまった。


 相変わらずマイペースな男である。


 特に気にすることなく、鈴は目的地に向かった。




******




「ん? あそこに居るのは…」


 見覚えのある姿を認め、鈴が駆け寄る。


「カナちゃん!? どないしたん!?」


 そこに居たのは、大粒の涙を流しながら歩くカナだった。



「ひぐっ……うっ、うっ…」


 片膝をついてカナの目線に合わせると、ハンカチを取り出して彼女の涙を拭う。



「どないしたん? いじめられたんか?」


 鈴の言葉にカナは「ちがう」と呟き、首を振る。


「あのね…昨日、お姉ちゃんが帰ったあと、カナ、おトイレ行ったの……それで、戻ってきたら、ココアが……居なくなっちゃったの……」


「ええっ!?」


 しゃくりながら話されたカナの言葉に驚く鈴。



「パパとママが探しに行ったけど、見つからなくて……それで、カナ、ココアが公園に戻ってないかなって……思って……」



 落ち込むカナ。


 一方、鈴はそんな彼女を励ますように、小さな両肩に手を置いて語りかける。



「話は、よう解った。ほな、一緒に公園まで行こか。そんでココアが居なかったら、お姉ちゃんも探したる!」


 力強い鈴の言葉に、カナは涙を拭って「ありがとう」と礼を述べた。




******




 日名田公園まで来た鈴とカナ、そしてリン。




「あのね、昨日、ココアをあっちの鉄棒に……」


 指をさしながら鉄棒を見やっていたカナの言葉が止まる。



「カナちゃん?」


 目を大きく開いたまま、ピクリとも動かないカナに声をかけるが返事はない。



「?」


 不審に思い、カナの見ている方向に視線を移す。




「っ」


 あまりの驚きに声が出なかった。


 一瞬で頭の中が真っ白になり、放心状態で“ソレ”を見つめる。




「お姉ちゃん、アレ……」


 幼い少女の震えた言葉で正気に戻り、咄嗟に鈴はカナの目を手で塞いだ。



「見たらアカン!!」


 既に見た後だとは解っていたが、反射的に出たのはこの言葉だけだった。


 自分が見た“ソレ”が何なのかよく解っていないカナは、ただ戸惑うだけだが鈴は全身を震えさせ、必死に嘔吐感を抑える。





 2人が見たモノ、それは――





 鉄棒に、腹に穴が開いた状態で逆さ釣りにされているココアの死骸と、その横に吊るされているポリ袋に入ったココアの内臓だった。




******




 騒ぎを聞きつけた黒斗が日名田公園に辿り着くと、公園の周囲には大勢の人だかりが出来ていた。


 人がロクに寄りつかない寂れた公園が、一番注目を集めたのが事件が起きた時とは、なんとも皮肉な話である、と内心思いながら人の群れを掻き分けていく。


 最前線に立てた黒斗は、リンを抱きしめたままの鈴が警察から話を聞かれている所と、カナが母親に抱きついて泣きわめいてる場面を目撃した。



 数分後、話を終えた鈴が黒斗に気づき、駆け寄ってきた。


「クロちゃん、来てたんか…」


「騒がしかったからな……何があった?」


 黒斗の問いに、鈴はうつむきながら答える。



「昨日、公園でチワワ連れてた子、覚えとる?」


 黙って黒斗が頷くと、鈴は続けた。



「その子のチワワがな……酷い殺されかたをして、鉄棒に吊るされとったんよ…」


「……そうか」


 互いにそれ以上何も言わずに、人だかりを抜けていく。



「…………こないだ大神くんが言うとった、猫の殺害事件と犯人が同じかもしれへんって……」


 人だかりを抜けた鈴が立ち止まり、肩を震わせながら拳を握りしめる。



「……何で…こんな酷いことをすんのや……犬も猫も……ウチらと同じで、生きとるのに…!」


「……動物の命は、軽く見られることが多い。皆が橘みたいに、動物の命を重んじれる訳じゃないんだ」


 鈴は何も言わず、顔をうつむかせたままだった。




(ククッ…あのガキ、大泣きしてるな)



 人の群れに紛れ、カナの様子を見ている林は必死に笑いを堪えていた。


 カナの行く先を先回りした林は公園に、ココアのむごたらしい死骸を設置し、わざとカナが目撃するように仕向けたのだ。


 最初のネネという猫も同じように、飼い主が最初に見つけるように死骸を置いた。



(こんなことぐらいで泣くガキの気持ちがわかんねえな。俺の方が、もっと悲惨なめにあってんだよ)


 心の中で毒づく林。


 その時、激しい悪寒が林を襲い、同時に殺気を含んだ視線を感じた。



(だ、誰だ…?)


 気味の悪い感覚に、林は冷や汗を流しながら周囲を見回し、視線の主を探す。


「!」


 ほとんどの人間が現場に視線を向けている中、林は己を真っ直ぐに見つめてくる少年……黒斗の存在に気づいた。


(チッ、気持ち悪いガキだ!)


 血のように真っ赤な瞳で、射抜くような視線を送ってくる黒斗に嫌悪感を抱いた林は、足早にその場を立ち去った。



「…………今回で2回目……」


 ポツリと呟かれた黒斗の言葉は、誰にも届くことなく消え入った。

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