連鎖3
体育館に向かう黒斗と鈴だったが、やはり入り口の扉には鍵が掛かっており、中には入れなかった。
「レイちゃん、体育館の中に居るんかな?」
「だろうな」
どうにか中を覗けないかと体育館の周囲を回ってみるが、窓は1つ残らずカーテンが閉められており、完全に封鎖されている。
ガチャリ
扉が開く音が聞こえてそちらを見ると、落ち込んだ様子の玲二が出てきていた。
「レイちゃん!」
「えっ? ……鈴ちゃん、兄貴!?」
思わぬ人物の登場に玲二は心底驚いた様子を見せるが、やがてホッと息を吐いた。
「何か……2人の顔を見たら安心した~……あんな物々しい警官の聴取のあとだから尚更……」
「聴取? いったい何があったんやレイちゃん」
「う、うん……とりあえず場所変えよ?」
「せやな……」
玲二に促され、黒斗達は体育館から移動した。
******
「……ここなら人目につかないだろう」
如月高校を出て、黒斗達は小さな広場に辿り着いた。
無闇に人に聞かれては騒ぎが大きくなりかねない為、人気の無い場所を選んだのだ。
黒斗と鈴が玲二に視線を向けると、彼は一息吐いてから事の顛末を話し始めた。
小野寺が錯乱し、訳の分からないことを言っていたこと。
黒板に頭を打ち付けたこと。
自らの眼球を抉り取り、死んだこと。
事情聴取の為に、目撃者である1年E組全員が体育館に集められたこと。
全てを聞いた鈴は小野寺が亡くなったことに驚きを隠せなかったが、それ以上に小野寺が突然狂ってしまったことに衝撃を受けていた。
「いきなり叫んで、自分の目玉を取るなんて……異常すぎやろ……小野寺先生、今朝は普通だったのに……」
「うん……何を言ってるかも分かんなかったし、オレらの言葉も通じてなくて……こういうのも何だけど……その……まさに“キチガイ”そのものだったよ……」
小野寺がハサミで眼球を抉り取った光景を思い出し、身震いする玲二。
一方、玲二の話を腕を組み、黙っていた黒斗が口を開いた。
「…………おそらく、ドラッグが原因だろう。さしずめ幻覚・錯乱の症状か……」
その言葉に玲二がヒッと息を呑み、首を振って否定する。
「小野寺先生は優しくて良い人だったし、いきなり様子がおかしくなることなんか無かったよ。先生が麻薬中毒者な訳ないよ!」
「自らの意思で吸わなくとも、他人の手によって知らない内に麻薬を混入されることだって珍しくない」
黒斗の言ったことに何も言えない鈴と玲二。
確かに実際、飲み物などに麻薬や睡眠薬を入れられて、本人が気付かない内に薬漬けにされている事件は多発している。
小野寺がその被害にあったとしてもおかしくはないだろう。
「だとすると……誰が小野寺先生に薬を?」
「さあな……それを探るのが警察の仕事だろ」
他人ごとのように黒斗は言うと、腕を上げて身体を伸ばした。
「お前らも、知らない人間から貰った物を不用心に食わないことだな。次の被害者になりたくなければ」
「う、うん」
ゴクリと唾を呑んで、鈴と玲二が頷く。
(……これで1度目……)
不安そうな表情を浮かべる2人を尻目に、黒斗は小野寺に薬を盛った犯人の罪をカウントした。
******
黒斗・玲二と別れ、1人帰路につく鈴。
「鈴ちゃん」
不意に呼び止められ、振り向いた先に居たのは恵太郎の兄、伸也だった。
「あ、伸也さん。こんにちは」
ペコリと頭を下げると、伸也が駆け寄ってきた。
心なしか、呼吸が荒く感じられた。
慌てていたのだろうか。
「今、如月学校の前を通りかかったら警官が居たんだ! 何か事件があったのか!? 君も月影くんもケガはない!?」
切羽詰まった様子で詰め寄る伸也の勢いに圧され、思わず仰け反る鈴。
手を突きだし、まあまあと宥める。
「落ち着いて下さい、ウチもクロちゃんも無事です! ……ただ……」
「ただ?」
一呼吸おいてから、鈴は重たい口を開いた。
「……小野寺先生が……亡くなってもうたんです……」
重苦しく呟かれた言葉に、伸也は大きく目を見開き、絶句した。
「……まだ詳しくは分からないんですけど……自殺……らしいです」
黒斗が言っていた麻薬については、あえて触れないことにする。
確証がある訳ではないし、直接小野寺が錯乱した場面を目撃した訳でもないのだから。
「……そんな…………小野寺さんが……」
うつむき、低い声を発する伸也。
伸也が小野寺に好意らしき感情を抱いていると思っている鈴も自ずと落ち込む。
「あの、その……伸也さん……」
言葉をかけようとするが、何を言えばいいのか分からない。
───お気の毒でした?
───元気を出して下さい?
───あまり気を病まないで?
どれもが安っぽく、気休め程度にしか思えず、鈴が紡いだ言葉は不自然に中断してしまう。
そんな彼女を気遣ったのか、伸也は柔らかい笑みを浮かべて明るい口調で話し始める。
「君が気にすることじゃないよ! ほら、僕みたいなホストと真面目な小野寺さんじゃ釣り合わないから最初から駄目だったというか……ああ、何を言ってるんだ僕は」
荒唐無稽なことを言った伸也は、自分で自分の頬を叩いた。
「……ぷっ。伸也さんってば……」
思わず吹き出してしまう鈴の頭に、伸也の小ぶりな手のひらが乗せられ無遠慮に撫で回される。
「やっぱり鈴ちゃんは笑ってる方が可愛いよ。僕のことは気遣わないで」
「は、はい……」
美しい伸也の顔が目の前に迫り、無意識のうちに鈴の顔が赤く染まった。
「じゃあ、僕は行くね。またウチに遊びにおいで」
「はい!」
ブンブンと元気よく手を振る鈴に手を振り返し、伸也はその場を後にした。
しばらく歩き続けた後、伸也は携帯を取り出すと短文のメールを打ち出した。
文章はたった一言、『成功した』とだけ書かれていた――
******
伸也が向かった先は、寂れたラブホテル。
ピンク色のペンキは所々が剥がれ、看板に書かれた文字も1つ2つは無くなっており、扉にはスプレーで落書きがされている。
そのうえ若いカップルが寄り付きそうにない八百屋や魚屋が並ぶ、小ぢんまりした商店街に建てられている為、完全に悪い意味で浮いていた。
だが伸也はためらうことなくラブホテルに入り込み、勝手知った様子で3階の突き当たりにある部屋に向かった。
ギイイィ
古臭い音をたてて開かれた扉の先には、薄汚れたベッドに腰かける若い女性の姿があった。
ラブホテルとは思えぬ灰色の地味な一室に似合わぬ、桃色のフリル付きのロングワンピースを纏った愛らしい顔の女性は、伸也を見るなり笑顔を浮かべて飛びついた。
「伸さーん! 芽衣、会いたかったんだよー!」
フワフワなウェーブのかかった栗色の髪を揺らしながら、伸也の頬にキスをする。
「ゴメンね、芽衣ちゃん。忙しかったからさ」
そっと身体を引き離すと、芽衣はぷうっと頬を膨らませた。
だが不機嫌な顔も一瞬のうちに笑顔へ変わる。
「まあ許してあげる! 伸さん、ちゃんと仕事したみたいだし!」
「ありがとう。だから好きだよ芽衣ちゃん」
笑いあう2人。
女性の名は、榊原 芽衣。
この辺りでは、赤羽病院の次に大きな榊原病院の院長の一人娘である。
25歳という立派な大人の女性なのだが、幼い頃から蝶よ花よと可愛がられ、甘やかされてきたせいか未だに少女気質が抜けていない。
ちなみに、伸也と芽衣は恋人の関係にある。
伸也が勤めるホストクラブに芽衣が客として来た時に、伸也の方から彼女に惹かれたのだ。
芽衣も美男子に告白されて満更でもなく、ある条件付きで2人は交際を開始した。
「ねえねえ、成功したってホント? 芽衣があげた薬、役に立った?」
伸也の腕をグイグイと引きながら、一緒にベッドを座らせる芽衣。
「ああ。コッソリとコーヒーに仕込んでおいたら、見事に引っ掛かってくれたみたいだよ」
「さっすが伸さん! そして、小野っちは相変わらずのバカだね! ざまーみろって感じ! スッキリしたあ!」
芽衣はケラケラと笑いながらベッドの上に寝転がった。
彼女が言った「小野っち」とは、小野寺 詩織のことである。
芽衣と小野寺は幼馴染みであり、小・中・高一貫して同じ学校に通った仲の良い親友――“だった”。
半年前から、芽衣と小野寺の間柄は険悪なものへ変わっていた。
きっかけは“金”という些細な――しかし大きな問題。
両親から甘やかされている芽衣ではあるが、さすがに小遣いは人並みだ。
だが金遣いが荒い芽衣は、すぐに小遣いを使い果たしてしまう。
貰える小遣いが足りず、思う存分に遊べない芽衣は、親友の小野寺に頼み込んで金を貸してもらったのだ。
しかし、芽衣は貸してもらう度に使い、返さない内にまた使いきってしまう。
こんなことばかりが繰り返される為、さすがに心が広い小野寺も怒りを覚え始めた。
金を返してほしいと芽衣に文句を言ったのだが、芽衣は小野寺を無視し、あわよくば借金を踏み倒そうとしていた。
小野寺も芽衣も互いに譲る気も無く、いつしか芽衣の中では小野寺の存在が邪魔になってきていた。
そんな時に芽衣が出会ったのは伸也。
彼は芽衣に惚れ、「君の為なら何でもする」と告白してきたのだ。
そして芽衣は、その言葉の通り、伸也に恐ろしいことを頼んだ。
「邪魔な奴を始末してくれるなら、芽衣のお婿さんにしてあげる!」
天使のような笑顔で囁かれた悪魔の言葉を、伸也は二つ返事で引き受けた。
“愛”という感情は、時に人を強くして、時に人を狂わせる。
芽衣からの愛を得る為に、伸也は悪事に手を染めたのだ。
伸也は芽衣から小野寺を始末を頼まれ、足がつかないよう入念に下準備を進めていった。
幸いにも小野寺には恋人はおらず、男に飢えてホストクラブにも しょっちゅう通っていたので伸也の作戦は順調に進んだ。
小野寺が望む理想の男を演じて口説き落とし、彼氏となり、身体を重ね、教師である小野寺に悪評がたたないよう、ちゃんとした職業に勤めるまで関係は内密にしてほしいと、それらしいことを言って誤魔化し、絶対の信頼を獲得した。
彼女が好きなコーヒーに麻薬を仕込み、それで全てが成功した。
伸也と小野寺が付き合っていたことは2人だけの秘密。
遺体から麻薬が検出され、小野寺の身辺調査をしても、犯人が伸也に結びつく可能性など無いに等しい。
全て伸也の策略通り……完全犯罪である。
「やっぱり伸さんに頼んで正解! だ~い好きっ!」
「ありがとう、嬉しいよ」
身体を起こして抱きつく芽衣に、伸也は嬉しそうに笑った。
「ところで、ピカリンはど~なったのお? 順調?」
「うん。そっちも今晩には片付ける予定」
「スゴーい! いっぺんに済んじゃうね!」
芽衣が始末を頼んだのは小野寺だけではない。
もう1人の幼馴染み――“ピカリン”というあだ名の人物も、伸也に始末を頼んでいるのだ。
「じゃあコレ! 大事に使ってね!」
そう言って芽衣がポーチから、白い粉が入った小指サイズのビンを取り出し、伸也に渡した。
コレは伸也が小野寺に仕込んだモノと同じ種類の麻薬。
榊原病院が秘密裏に制作した新種の麻薬で、摂取すれば幻覚・錯乱状態を引き起こし、痛覚を感じなくなる。
そして、身体に入れた量によっては心臓発作を引き起こして死亡のケースもある、非常に危険で毒性の強いドラッグだ。
「ありがとう。それじゃ、僕は仕事するとしよう」
ゆっくりとベッドから立ち上がり、芽衣に手を振りながら部屋を出ていく。
「じゃあね芽衣ちゃん、愛してるよ」
「うん! 芽衣も愛してるよー!」
バタン
伸也が部屋を出て、数分が経過すると芽衣は疲れたように溜め息を吐いた。
「……はあ。何が愛してるよ、なのよ。キモイっての」
仰向けでベッドへ倒れる。
(まあ、あとはピカリンだけだし、それが終わったら用済みね。フッてストーカーになられてもウザいし、こっそり薬漬けにして殺しちゃえばいいもん)
芽衣には伸也への愛情など無かった。
ただ、邪魔者を片付けてもらうだけの便利な操り人形としか認識していなかった。
確かに伸也は美男子で、何でも言いなりになる良い男。
だが、それだけじゃ芽衣には物足りない。
その気になったら伸也並み、もしくは以上の男なんかいくらでも作れるのだから、伸也にこだわりはしないのだ。
全てを終えた時、芽衣は最初から伸也を消すつもりだった。
彼女にとって伸也は、ただの捨て駒にすぎない。
(もうすぐ、ぜーんぶ終わる! 好きでも無い男に愛想を使わずに済むんだわ!)
ご機嫌な様子で、芽衣は鼻歌を歌いながらホテルを後にした。
******
「ただいまー」
疲れた様子で伸也は扉を開き、自宅へと入った。
時刻は丁度、午後に変わったところだ。
ひとまず、渇いた喉を潤そうと伸也がキッチンに向かうと、テーブルに恵太郎がだらけた様子で座っていた。
思わぬ先客に、伸也は目を丸くする。
「おー……お帰り兄ちゃん……」
「お帰り、じゃないよ。学校はどうしたの? あと母さんは?」
「母さんなら友達と隣町まで買い物……それに学校は休んだよ……昨日、肉ばっか食いすぎたせいかな……朝からスッゲー下痢続いて、今やっと治ったトコ……」
覇気の無い声で答える恵太郎の顔色は確かに悪い。
おそらくキッチンとトイレを何度も行き来し、出す物を全て出しきったからだろう。
「なあ兄ちゃん……今日は、また何処か出かけんの?」
「うん、4時頃から用事があるんだ」
伸也は答えながら冷蔵庫を開け、中に入っていた天然水を一気に飲み干した。
冷たい水分が全身に染み渡り、何とも言えない快感に包まれる。
その傍ら、恵太郎は不貞腐れたように眉を寄せ、伸也を睨んでいる。
「最近、兄ちゃん出かけてばっかりだ……なーんか、怪しい」
「ええ?」
弟の言っている言葉の意味が分からず、苦笑する伸也。
困ったように眉を八の字にする兄へ恵太郎は さらに詰め寄る。
「もしかして兄ちゃん、俺に隠しごとしてね? 怒らないから言ってみろよ」
図星をつかれた伸也の表情が僅かに歪んだ。
(そうだ……恵太郎は僕に関してはヤケに鋭いんだった)
普段は人の気持ちなんて探ろうとも分かろうともしない恵太郎だが、兄である伸也にはグイグイと踏み込んでくるのだ。
そして、伸也が何か秘密を抱えている時も見抜いてしまう。
「……隠しごとなんかしてないよ。気のせいだよ」
どうにか誤魔化そうと、背中に冷たい汗を流しながらも平常心を保つ。
「……でもさあ」
「恵太郎は何も心配しなくて大丈夫だよ、僕を信じて」
伸也は恵太郎が安心するような言葉を紡ぎ、小ぶりな頭に手を乗せて撫でた。
「……分かったよ、兄ちゃん信じる」
恵太郎がそう言うと、伸也はゆっくりと手を離した。
やや名残惜しそうに恵太郎が片手で、己の髪の毛を撫でる。
そんな弟の仕草を見て、伸也の胸がチクリと痛んだ。
犯罪に手を染めてしまったとはいえ、恵太郎をはじめとする家族達を大切に思う気持ちはあるし、嘘をついて欺いていることに、良心の呵責もある。
しかし、もう後戻りは出来ない。
ここまで来たら、何が何でも目的をやり遂げるしかないのだ。
「……恵太郎は、道を踏み外しちゃダメだよ」
「えっ? 何か言った?」
ポツリと呟かれた伸也の言葉は、恵太郎の耳に届かず、虚空へと消え入った。
「ううん、何も。じゃあ、ちょっと外に出掛けてくるね。3時までには帰るよ」
そう言うと伸也は早足でキッチンを出ていき、そのまま自宅を後にするのだった。
「…………やっぱり、怪しい」
1人残された恵太郎は、訝しげな表情で呟くと携帯を取り出し、メールをうち出し始めた――