連鎖1
あるアパートの一室――
「あ、あん……」
ベッドの上で、2人の男女が真っ昼間から致している。
互いに一糸纏わぬ産まれた時の姿で、激しく、情熱的に愛しあっていた。
「ハ、ア……今日は、これくらいにしておくわ。明日の仕事に響くとマズイし」
真っ赤な顔をした女が荒い呼吸をしながら言うと、馬乗りになっていた男は残念そうに眉を八の字に しながら離れていった。
「ごめんね」
「ううん、僕の方こそゴメンね。押しかけちゃって」
汗で濡れた金色の前髪をかきあげながら、男は頭を下げた。
ベッドから降りた女はタオルケットで身体を包み、棚の中から取り出したハンドタオルを男に手渡す。
「ありがとう」
礼を述べながら男は顔や身体の汗を拭き取り、丁寧に畳まれた己の私服を拾い、身につけていく。
「シャワーくらい浴びていけばいいのに」
「いや、大丈夫大丈夫。気にしないで」
全ての衣類を纏うと男は、やや古風な眼鏡を付け、紺色のクラッチバッグからインスタントコーヒーの袋を取り出した。
「これ、良かったら飲んで。美味しいよ」
「まあ、ありがとう! 明日の朝、仕事前に飲むわ!」
「うん。じゃあ、また今度ね」
嬉しそうにコーヒーを受け取る女に笑顔で手を振り、男は部屋を後にした――
******
同日 午後17時前――
「それにしても良かったなあ。ケイちゃんが元気になって!」
「……そうだな」
嬉しそうに笑う鈴と、無表情の黒斗。
2人は今、友人である竹長 恵太郎の自宅へと向かっていた。
恵太郎と鈴は中学時代からの付き合いであり、黒斗とも認識がある青年。
しかし彼は小遣い稼ぎの為に三度のおやじ狩りを行い、死神である黒斗に断罪され、右足を無惨に切り取られた。
死神に襲われたショックのあまり、しばらく家に引きこもり、鈴達とも距離を取っていた彼だったが立ち直ってきたらしく、今日の誕生日パーティーに黒斗と鈴を招待したのだ。
「高校生にもなって……それも男が誕生パーティーかよ……」
やれやれ、といった様子でボヤく黒斗。
「まあ、ケイちゃんって親御さんに可愛がられとるからな! ええんちゃう? 微笑ましくて!」
「微笑ましい以前に溺愛しすぎだと思うが」
さんざん甘やかされ、好きなようにさせられてきた結果がおやじ狩りなのだから笑えない。
が、残念なことに恵太郎がおやじ狩りをしてきたことを知っているのは黒斗だけであり、鈴も彼の両親も、恵太郎への認識は“死神に襲われた可哀想な子”であり、お咎めが無いのだ。
他愛ない会話をしている間に、2人は恵太郎の家へ辿り着いた。
赤い屋根が特徴的な、2階建ての一軒家。
鈴は何度か来たことがあるが、黒斗は初訪問である。
「こんちはー、橘です!」
インターホンを鳴らし、鈴が元気よく言うと数秒の間を置いて扉が開かれた。
「いらっしゃーい! 鈴ちゃん久しぶりねえー!」
扉を開けて現れたのは、恰幅が良い金髪お団子頭の主婦。
厚い白塗りに紫色の派手なアイライナー、そして熟した苺のように真っ赤な唇が特徴的な厚化粧の女を見て、黒斗は口元を引きつらせる。
「オバさん、お久しゅう! 今日はお邪魔させていただきます!」
「どうぞどうぞ、ゆっくりしていってね! ……あら、貴方は はじめましてね?」
鈴の後ろに立つ黒斗に気付いた恵太郎の母親が、声をかけてきた。
「……月影 黒斗です。はじめまして」
「まあまあ貴方が黒斗くんね! やだ、イケメンじゃな~い! オバさんと付き合ってくれない?」
「……遠慮しておきます……」
「やあねえ、冗談よ! 照れちゃってもー、可愛い!」
独特のテンションと、見た目に似合わぬやたら乙女チックな仕種の母親に鳥肌が立つ黒斗だが、何とか無表情を装うことに成功する。
「まだご馳走作ってる途中なの! 恵太郎の部屋で待っててね!」
「はーい」
家に上がると母親はキッチンに戻っていき、鈴と黒斗は言われた通り2階にある恵太郎の部屋へ向かった。
「おや鈴ちゃん」
途中トイレから、これまた恰幅の良い黒髪の男性が現れた。
「オジさん、お久しゅう」
「相変わらず可愛いねえ、今度デートしないかい?」
「アハハ、考えておきます」
「そうか、嬉しいなあ! ガッハッハ!」
周囲に髭を生やしている大口を開けて笑う姿は、まるでゴリラのようだ――と黒斗は何気に失礼なことを思う。
それに加えて、歯の隙間に引っ掛かっている大きな歯垢が下品で気持ち悪く、黒斗は さりげなく彼の顔を直視しないように視線を逸らした。
「で、君が恵太郎が言ってた月影くんか。若かりし頃の私にそっくりな男前じゃあないか」
「……それはどうも」
誉められた筈なのに、黒斗は何故か素直に喜べなかった。
恵太郎の父親と別れ、目的地に辿り着くと、鈴が扉をノックした。
「どうぞ」
ぶっきらぼうな応答が聞こえると、鈴は扉を勢いよく開いて中に足を踏み入れた。
「こんちはケイちゃん! 久しぶりやなー!!」
「おー、久しぶりー。あ、やべっ、くそっ」
鈴とは対称的にテンションが低い恵太郎は、椅子に座ってテレビゲームに勤しんでいた。
どうやら苦戦しているらしく、せっかく来てくれた友人達に見向きもせず、画面に釘付けとなっている。
「適当に座っててくれ、今これセーブして切るから。……あー、また弾かれた!」
「あっ、ケイちゃんアカンて! ソイツ、剣よりショットガンが有効やで!」
どうやら鈴もやったことがあるゲームらしく、恵太郎の隣に立ち、攻略のアドバイスを始めた。
「ゲージあらへんの? デビルトリガーした方がええと思うけどな」
「マジで!? 仕方ない、最後のデビルスター使うか……さあ、勝負だ!」
「頑張れケイちゃん! あ、デカイ一撃来るで!」
「……………………」
鈴と恵太郎の会話に入れず、1人蚊帳の外の黒斗。
動き回るのも失礼なので、とりあえず適当に座って部屋の中を見渡す。
乱雑に収められた漫画本、辺りに散らばる脱ぎ散らかした服、ゴミ箱に入り損ねたティッシュ。
恵太郎の雑把な性格を反映してか、部屋の中はお世辞でも綺麗とは言えない散らかりようだった。
(……母親も掃除くらいしろよ)
頭の中を蝶々でも飛んでいそうな恵太郎の母親を思い浮かべる。
しかし、あの母親が綺麗に整理整頓している姿がどうしても思い浮かべない。
それどころか、先程の外見にミスマッチな仕種と喋り方を思い出し、身の毛がよだつ。
(……不快なことは忘れよう)
頭を振って母親の姿を消し去る黒斗。
次に目に止まったのは、棚の上に置かれた額縁だ。
中に入っている写真は一家勢揃いのものであり、今より幼い顔つきの恵太郎が映っている。
背後に学校が見え、恵太郎が学ランを着ていることから中学の入学式に撮った一枚だと推測される。
不機嫌そうな顔をしている童顔の恵太郎。
何故か口をタコのように突き出している母親。
大口を開け、磨かれていない黄色い歯が丸出しの父親。
そして、おそらく兄弟なのであろう、やはり恰幅の良い眼鏡を掛けた地味な青年。
(…………デブ一家じゃねえか)
恵太郎以外、体が横にデカい竹長家に黒斗が抱いた感想であった。
「オッス、待たせたな月影」
恵太郎の声が聞こえて、そちらを見ると、既にゲームを終わらせた恵太郎と鈴がこちらを見つめていた。
「ああ。久しぶりだな竹長」
「あ、ああ」
黒斗と目が合った途端、恵太郎が表情を歪ませ、顔を背けた。
やはり死神と同じ赤い目を見ると、どうしても拒否反応が出てしまうようだ。
「悪い……」
恵太郎自身も、友人に対して失礼な態度をとっていると思っているのか、バツが悪そうな顔で謝罪を口にする。
「仕方ないことだろう。俺は気にしてないさ」
本当に気にしていない黒斗は軽い口調で言い、鈴も頷きながら黒斗の隣に座った。
「でも、本当に久しぶりやなケイちゃん。あれから、変わったこととか無かったんか?」
「特には無いな。……ただ、お袋がうるさかっただけで」
げんなりした様子で恵太郎が続ける。
「お袋が見舞いに来る度に、“可愛そうな恵太郎ちゃん!!”とか“お母さんが死神から守ってあげる!”とか言いながら、ギュウウウって抱き締めてきたんだよ……別に抱き締めるのが悪い訳じゃねえけど……その……な……」
「アハハ……」
あの巨体が細身の恵太郎を潰しそうな勢いで抱き締めるイメージが容易に想像でき、黒斗と鈴が乾いた笑いを発する。
「……で、そっちはどうなんだよ?」
「ウチらは……まあ色々あったけど、一番大きいのは、やっぱクロちゃんに舎弟が出来たことやな!」
何故かドヤ顔で言う鈴。
一方、恵太郎は頭上にハテナマークでも浮かんでいそうな表情だ。
まあ、いきなり“舎弟”が出来たと言われては無理もないだろう。
「佐々木 玲二くんっちゅうてな、ウチらの担任の息子なんよ! 素直で良い子やで!」
「へー、何でソイツがよりによって月影の舎弟に?」
「…………」
“よりによって”という部分に引っ掛かりを覚える黒斗だが、無闇に口を挟んだら話が脱線するかもしれないので、黙って2人の会話を聞く。
「ウチも分からんけど、何かクロちゃんクールでカッコよくて、憧れたんやって」
「月影がクール!? ネクラの間違いじゃ……」
「黙れ死ね」
さすがの黒斗も“ネクラ”の一言は見逃せず、鋭い眼光で恵太郎を一瞥すると、彼はビクリと肩を振るわせ、苦笑いで場を濁した。
「あ、そういえばケイちゃん。伸也さんはどしたん? 姿、見いへんけど」
「兄ちゃんなら、用事があって出掛けたぜ。パーティーまでには戻るらしいけど」
2人の会話から、伸也という人物が恵太郎の兄であり、あの写真に写っていた地味な男だと黒斗は推測する。
「竹長の兄貴か……また、濃い奴じゃないだろうな……」
性格に特徴がありすぎる恵太郎の両親を見た後なので若干の不安を覚える黒斗だが、鈴はブンブンと首を振って、その考えを否定した。
「そないなことあらへん。伸也さんは紳士的で、めっちゃ優しい良い人やで!」
「そうだぞ! 俺の兄貴は、親父やお袋と違ってマトモな人間だからな!」
「あー、分かった分かった」
2人分の擁護を聞いて、黒斗もそれ以上は何も言わなかった。
「恵太郎ちゃん達、準備が出来たから降りてらっしゃいねえー」
「はーい」
2階までハッキリと聞こえる母親の声に恵太郎は返事すると、傍らに置いてあった松葉づえを使って立ち上がった。
「ケイちゃん大丈夫?」
「平気だって。慣れたしな」
松葉づえを使う恵太郎と共に、黒斗と鈴は階段を下って食堂に向かった。
「ほら、座って座って!」
母親に促されて、黒斗達3人は席に着く。
ゴトッ
大きな音を立てて、四角いテーブルに置かれたのは巨大なスペアリブ。
他に並んでいるのはレモンステーキ、焼き肉の盛り合わせ、牛丼、豚カツ等――とにかく肉料理のオンパレードである。
(うっ、ぷ……)
見てるだけで胸焼けしそうな油ぎった料理の数々に、思わず黒斗と鈴はうつむいて視線を逸らす。
一方、恵太郎は毎度のことなので特に反応は無く、父親に至ってはヨダレを垂らしながら喜んでいる。
「えーっと、これで皆揃ったかしら?」
「お袋、兄ちゃんが居ないぞ」
「伸也ちゃん、まだ帰ってないの?」
「ただいまー!」
玄関から爽やかな声が響き、数秒の間を置いて食堂の扉が開かれた。
「…………なっ」
現れた恵太郎の兄の姿に、黒斗は言葉を失った。
太陽の光を吸い込んだかのようにキラキラと輝く、柔らかそうな金色の髪。
中性的な美しい顔立ちに、切れ長なアメジスト色の目、形の良い唇。
長身かつスラリとした体格。
その姿は、写真に写っていた地味で太めの男とは180度異なる、爽やかでスマートな好青年であった。
「お帰り兄ちゃん」
「ああ、ただいま。ふう、良かった間に合って」
乱れた髪の毛を優雅な仕種で直し、伸也は恵太郎の向かいの席に座った。
「あ、鈴ちゃん久しぶり。えーっと、そっちの子は……」
「前に話した月影 黒斗だよ」
「そうか、君が黒斗くんか。いつも恵太郎と仲良くしてくれてありがとう。僕は恵太郎の兄、伸也。宜しくね」
「……宜しく」
爽やかに挨拶をする伸也。
それを見た黒斗は堪らず、隣に居る鈴に耳打ちをした。
「おい。あれが竹長の兄貴か? 写真と全く違うじゃないか」
「写真……? ああ、ケイちゃんの部屋のか。だってアレ、昔の写真やもん。あれから伸也さん、死に物狂いでダイエットしてたんや。で、結果は」
「大成功、か……」
チラリと伸也を覗き見て、写真の姿と照らし合わせるが、同一人物とは思えない程の変化っぷりだ。
唯一変わらないのは、装着している古風な眼鏡だけ。
まさに劇的ビフォーアフターである。
(……元の姿は良かったんだろうな。竹長も顔は悪くないし)
同じ人間でも体格によって印象や外面が全く異なる。
伸也は太っていたせいで見栄えが悪かったのだろう。
つまり、恵太郎達の両親も痩せれば美形・美女の可能性は高い。
まあ、この夫婦は例えそうだとしても、汚い歯垢、度を越えた厚化粧などが台無しにしてしまうだろうが。
「それじゃあ、全員揃ったことだし……恵太郎ちゃん、誕生日おめでと! かんぱ~い!」
母親がウイスキーの入ったグラスを掲げて音頭をとると、全員がコップを掲げ、「おめでとう」と祝いの言葉を口にした。
「いただきます!!」
食事が始まると同時に、父親がスペアリブに食い付いた。
口回りをソースで汚し、人目を憚らない豪快かつ野性的な食いっぷりに黒斗は目を逸らす。
逸らした先のテーブルにあるのは肉、肉、肉――
ちなみにバースデーケーキの代わりなのか、レモンステーキにロウソクが刺さっている。
肉料理を好まない黒斗にとっては、悪夢のような光景だった。
しかし一口も食べないのは失礼なので、仕方なく豚カツを受け皿に入れる。
「黒斗くん大丈夫? 肉、苦手なんじゃない?」
そんな彼の様子を察したのか、伸也が気遣うような目を向けてきた。
「いえ、大丈夫です。まるでダメって訳では無いので」
「そう? 無理して食べなくてもいいからね」
紳士的に笑う伸也に黒斗が頭を下げると、鈴が声をかけてきた。
「な? 伸也さん、エエ人やろ?」
「……ああ。弟と違ってな」
「うるせえ! このネクラ!」
「……俺はネクラじゃない。クールとネクラの違いも分からないのか?」
互いに睨み合う黒斗と恵太郎。
2人の視線がぶつかる場所には火花が散っていそうな迫力だ。
祝いの場でありながらケンカを始めそうな2人の様子を、鈴は「またか」と呆れながら見つめ、母親と父親に至っては食事に夢中で全く気にしていない。
「コラ、2人共。皆で楽しくご飯を食べている時にケンカしちゃダメだろ」
一番の良識人である伸也が注意を促すと、渋々黒斗と恵太郎は目線を外した。
「フフッ、さすがのクロちゃんとケイちゃんも伸也さんには形無しやな」
そう言って笑う鈴。
対して黒斗と恵太郎は未だに不満そうな顔だ。
「そういえば、鈴ちゃんと黒斗くんは如月高校に通ってるんだろ?」
「はい、そうですよ」
「じゃあ、小野寺 詩織っていう女の先生を知らないかな?」
伸也の言葉に、鈴があごに手を当てて思考する。
数秒の間があった後、思い出したようにパンッと手を合わせて頷いた。
「知ってます! 小野寺先生、確か1年生の数学教師やった筈です」
笑顔で言った後、鈴は首を傾げた。
「……あれ? 何で伸也さん、小野寺先生のこと知っとるんですか?」
「ああ、僕と小野寺さんは高校生の時の同級生だからね」
「へえー」
鈴が相槌を打つと、伸也は更に続けた。
「小野寺さんには色々と親切にしてもらってたんだ。高校を卒業して、彼女が大学に通った後は疎遠になってしまったんだけどね。そうか、小野寺さんは元気にしてるんだね」
安心したように、うんうんと頷く伸也。
そんな彼の様子を見て、鈴がニヤリと笑った。
「もしかして伸也さん、小野寺先生のこと……」
「ハハハ! そんなんじゃないって!」
「えー、ホンマですか?」
笑いあう鈴と伸也。
恵太郎は我関せずといった様子でステーキを頬張り、黒斗は黙ったまま伸也を見つめていた――
「それじゃ、お邪魔しましたー」
誕生パーティーを終え、家を出る黒斗と鈴。
そんな2人を見送るのは恵太郎と伸也。
ちなみに恵太郎達の両親は、ウイスキーの飲み過ぎで完全にくたばっており、食堂の床に転がっているままだ。
「気をつけて帰れよー。俺みたいに死神に襲われたら洒落になんねえからな」
「今日は楽しかったよ、小野寺さんに会ったら宜しくね」
「うん、じゃあまたなーケイちゃん、伸也さん!」
手を振って遠ざかる鈴と黒斗を見送り、恵太郎と伸也は一息ついた。
「さて、恵太郎。後片付けしなくちゃな。お前はゴミとか拾っておいてくれるかい。僕が皿とか洗うから」
「へーい。たくっ……誰の誕生日だと思ってんだよお袋達……」
ブツブツ文句を言いながら家に入る恵太郎。
弟に続いて伸也も家に入ろうとするが、直前で立ち止まり、黒斗達が去っていった方を振り向いた。
「……明日、楽しみだ」
ニヤリと笑いながら伸也はポツリと呟いた。