すれ違い7
(これで、あたしは本当に自由。もう誰にも気兼ねすることなく、誰にも束縛されることなく、誰にも怯えることなく、好きに生きられるの)
真の自由を手に入れたみどりは上機嫌で110番に電話をかけた。
プルルルル――
しかし電話は繋がらず、コール音が虚しく繰り返されるだけだ。
(何で出ないのよ!)
なかなか繋がらないことに苛立つが、やがて電話はブツリと音を立てて切られた。
(おかしいわね……)
いきなり切れたことを不審に思いながらも、みどりは再度かける。
だが結果は先程と変わらず、繋がる気配が無い。
プルルル、プッ――
「あっ…………も、もしもし…………」
コール音が鳴りやみ、画面に表示された“通話中”の文字を確認したみどりは、怯えきったような声色で演技をする。
『……………………』
「……もしもし?」
声をかけるが返答は無い。
「……?」
違和感を覚え、みどりは耳元から携帯を離して画面を見る。
『ザ、ザザーザー』
「なっ!?」
いきなり大きなノイズが受話口から響き、驚きのあまり携帯を落としてしまう。
『いた、ザザザ、よ……ザー、ママ、ザー、してこうなっ、ザザッ、たの……?』
「み、みきほっ!?」
ノイズ混じりに聞こえてきたのは、たった今 殺した娘の声。
携帯とみきほを交互に見るが、みきほは確かに死んでいるし、携帯に表示された番号も“110”だ。
『ザ、ザザ……いたいよ、くるし、ザ、よ、ザザ、たすけて、たすけ、ザザーザー、……』
「っ……うるさいっ!! 黙りなさい!!」
落として携帯を慌てて広い、震える手で通話終了のボタンを押す。
けれど、何度ボタンを押しても画面から“通話中”の文字は消えず、みきほの声も発せられ続ける。
『何で、何でこうなっちゃったの、ザザザ、あたしは、ただ……ザーザー、ママと、ザー、幸せに、ザー、暮らしたかった、だけなのに……』
「やめてやめてやめて!! やっと……やっと自由になれたのに、これ以上、ママを苦しませないでちょうだいっ!!」
声が出続ける携帯を投げ捨てると、みどりはみきほの死体に駆け寄り、包丁が刺さったままの首を強い力で絞めた。
力任せに絞められるみきほの首から、更に血が溢れ出る。
『いたいよっ!! いたい、いたい、いたい! やめてよ、やめてよっ、ママー!!』
ノイズが消えて、今度はハッキリとみきほの悲痛な叫びが響いた。
それに比例して、みどりの握力も強まる。
「黙りなさい!! ママの幸せを願うなら、さっさと成仏してよっ! 私は……アンタの為に何年間も耐えてきた……それなのに恩を仇で返すつもりなの!?」
ブチ ブチ ブチ ブチ
何かが千切れるような音が響く。
『いやあああ!! 苦しい、痛い、ヤダ、ヤダ!! 助けてええぇぇ!!』
グシャアッ
「がっ…………」
何かが肉に突き刺さるような音と同時に、みどりの左腕に激痛がはしり、視界に飛び散る鮮血が映った。
「イダッ……いた、いっ!!」
首から手を離し、反射的に痛む左腕を押さえようと右手を添えると傷口から飛び出ている鋭利な刃に指が触れた。
「なに、これっ……」
みどりが驚きの声をあげると、背後から刃の刺さっている部分を中心に強い力で引き寄せられる。
「あああああぁぁぁっ!!」
痛みと恐怖から悲鳴をあげるみどりの身体は浮き上がり、宙で勢いよく振り回された。
骨を貫通している刃物が軸となり、無理な体勢で回転されるみどりの左腕が嫌な音を立てる。
続いて硬いものが砕けるような音がした後、みどりは勢いよく床に叩きつけられ、刺さっていた刃物が引き抜かれる。
「が、はっ……あ、ハア、ハア……」
衝撃から一瞬詰まった呼吸を整え、痛む左腕を見る。
「ひぁっ……やあああ!!」
みどりの左腕は、曲がってはならない方向に曲がっていて、折れた骨が肉を突き破って飛び出ていた。
二の腕辺りから飛び出ている白い骨には皮の欠片と、大量の血液が付着している。
「誰かあああ!! 誰か助けてえ!!」
泣き叫ぶみどり。
ふと、床に転がったままの携帯が目に入り、それに向かって大声を出した。
「みきほ!! 聞こえてるんでしょ!? 救急車に連絡して、ママを助けてちょうだい! お願いよっ!」
『……………………』
返事は無い。
「みきほ、さっきのは謝るから、だから、たすけ……」
「今までさんざん酷いことをしておいて、自分が危うくなったら手のひら返して命乞いか……実に都合が良い女だな」
声がした方を見る。
黒いフードとドクロの仮面を着け、血濡れた大鎌を持つ人物が片膝をついて、みきほの亡骸に寄り添っていた。
「し……しにが、み……!」
ニュースや雑誌の記事で読んだ通りの姿を見て、みどりは黒フードの人物が死神であることを確信する。
「…………」
死神は無言で立ち上がるとフードを取り、仮面を外して素顔を晒した。
「アンタは……何処かで……」
黒斗の姿に見覚えがあるが、いつ、何処で会ったのかみどりは思い出せない。
そんな彼女に黒斗はゆっくりと歩み寄り、見下ろす形で問いかける。
「何度目だ?」
「はっ……?」
「自分の幸せの為に、娘を犠牲にしたのは何度目だ?」
冷酷に言い放たれた黒斗の言葉の意味が分からず、みどりは無言のまま首を傾げた。
「……分からないなら教えてやろう」
そう言い終えるなり、黒斗はみどりの首を片手で絞め始めた。
「ひぎっ、が……!!」
異常な握力で絞められ、黒斗の爪が食い込んでいる箇所から血が滲み、流れ落ちてゆく。
「グ、ィ……ヴヴ……」
息が出来ず、声を発することも出来ないみどり。
大きく開かれた目からは涙が溢れ、強く食い縛られた歯の隙間からも血混じりの唾液が漏れる。
「お前が自分の幸せの為に娘を犠牲にしたのは三度目だ。一度目は、パチンコ代の為に娘の身体を売ったこと。二度目は、殺意を持って娘を階段から突き落としたこと。三度目は、娘を殺したこと……」
「あ、がっ……」
黒斗は言い終わると、みどりの首から手を離し、距離を取った。
「がっ、ゲボッ、ゴホッ!!」
ようやく空気を吸い込むことが出来たが、傷の痛みと絞められた後遺症から咳き込み、吐血する。
しかし、黒斗は構うことなく鎌の切っ先をみどりの目の前に向けた。
「お前はやりすぎた。犯した罪に対する罰を受けてもらう」
「……な、に言ってんの……私は、間違って、ないわっ……!!」
声帯を痛めたのか、掠れたがらがら声でみどりは言葉を発した。
「私は、ずっと自由が無かった……夫に騙されて結婚して、暴力を振るわれて、娘を守りながら生きてきた可愛そうな女…………夫と離れられて、ようやく自由を手に入れたのよ……!
なのに、何がいけないの? 好きに生きて悪いの? 私は自由に生きちゃいけないの!? 私、間違ってるの!?」
みどりの言葉に、黒斗はゆるゆると首を振り、口を開く。
「間違ってはいない。今まで虐げられてきた分、反動で箍が外れたっておかしくない」
「でしょう!? それなのに、みきほは私を束縛して反抗してきた! 私が今まで苦しんでいたことを知りながらよ!?」
「そうだな。だが……今まで苦しんできたのは娘も一緒だろう」
黒斗の言葉に、みどりは思わず言葉を失う。
「年数の違いはあれど、娘も父親から暴力を受けて苦しんでいたのは同じだ。それなのに、お前は1人で全てを背負ってきたような顔をして悲劇のヒロインぶっている。
自分は辛い思いをしたから、可哀想だから……それを言い訳にして、娘の気持ちを考えもせずワガママを押し通してきた」
「ち、違う…………」
「自分の幸せの為に、娘を犠牲にした……」
「違うわっ!!」
涙を流しながら、みどりは精一杯の大声で反論する。
「みきほが死んだのは仕方なかった! 私は身を守る為に抵抗しただけ! 正当防衛よ!」
「…………」
「返す言葉も無いの? それもそうでしょうね」
黒斗が黙っているのは、自分が正論を言っているからだと思ったみどりの口角が僅かに吊り上がり、更に言葉を続ける。
「子供が親に反抗するなんて、あってはならないこと……産んでやった恩も、守ってやった恩も忘れて私を殺そうとした……そんな悪魔のような子は死んで当然じゃない! 夫にも娘にも恵まれないなんて、可哀想なのは わた」
みどりの言葉を遮るように、首へ鎌が突き刺さった。
「ギッ、アァ!!」
「それ以上、その不愉快で耳障りな声を出すな」
苛立ちを含んだ低い声で黒斗は言うと、鎌ごとみどりを持ち上げる。
「ヒ、ギ」
宙に浮かぶみどりの首から血が流れ、床に音を立てながら落ちてゆく。
「……確かに最初は正当防衛だった。だが、まだ生きていて、助かる可能性があったにも関わらず、お前は明確な殺意を持って、娘を殺した」
みどりを睨む黒斗の瞳が、赤く輝いた。
「確かにお前の身の上は同情出来るもので、一般的には“可哀想な人”なんだろう。……だが、今のお前は娘を殺した、ただの殺人者だ」
物凄い勢いで、鎌に刺さっているみどりの身体が振り回され、そして――
勢いそのままに壁へ叩きつけられた。
それと同時に みどりの首は肉片となって散開し、支えを失った頭部がゴロリと床に転がる。
叩きつけられた壁には、トマトが潰れたような大きな赤い染みが広がっていた。
さらに その周辺には潰れた首の破片と砕けた骨が散らかっており、壁に凭れた胴体からは生々しい赤色の噴水が出続けている。
「……………………」
何の感情も込もっていない眼で、凄惨な現場を見渡すと、黒斗は踵を返して、開いた黒い穴を潜ろうとする。
『……ザ、待っ、ザザザ、……ザ、』
床に投げられたままのみどりの携帯からノイズ混じりの声が聞こえて、黒斗は足を止めた。
『あたし……ザ、ザザー、あんた達が最初で、ザザッ、最後の友達、ザー、良かった……あり、がとう……』
「……橘と佐々木にも、遺言として伝えておく」
振り返らずに黒斗が言うと、携帯から音が消え、画面も電源が切れたように真っ暗となった。
「…………母親に依存しすぎて、離れることが出来ずに愛情が憎しみへ変わった娘……。手に入れた自由に酔いしれ、己のことしか見えなくなった母親……。最初は互いに思いあっていたのに、いつ、何処ですれ違ってしまったんだろうな」
───呟かれた言葉は、果たして誰に向けられたものだったのだろうか。
******
2日後の朝 黒斗の自宅内ダイニング――
「…………」
「…………」
互いに無言のまま、テレビを見つめる黒斗と鈴。
『部屋の中で遺体となって発見されたのは風祭 みどりさん、そして娘の風祭 みきほさん。娘のみきほさんは、首に包丁が突き刺された状態で発見され……』
ニュースに取り上げられているのは、みきほとみどりの遺体が発見された時の様子だ。
みどりは死神に殺され、みきほは包丁に付着していた指紋と、みどりの指についていた血液から、母親に殺害されたと推測された。
「……結局、ウチはみきほさんの力になれなかったんや……」
うつむき、涙を流す鈴。
「……そんなに自分を責めるな。どうしようもないことだったんだ」
「せやけど……! 友達なのに、何も出来なかった自分が、悔しくてしゃあないんや!」
「……それは違う」
黒斗の言葉に、鈴が顔を上げる。
「……“あたし、あんた達が最初で最後の友達で良かった。ありがとう”……この間、病院で風祭がそう言っていた」
「……みきほさん……が?」
「ああ。お前と佐々木は、風祭の心を僅かでも救ったんだ。何も出来なかったことは無い」
もし、みきほが鈴や玲二と友達にならなかったら、最後まで暗い感情を抱いたまま、生涯を終えただろう。
楽しい時など無かったみきほにとって、3人と過ごした時間は満ち足りていて、初体験の連続だった筈だ。
実際、死亡時のみきほの魂は殆ど憎悪に覆われていたが、ほんの僅かだけ友達を大事に思う優しさが残っていた。
「……そっか……みきほさん、そんな嬉しいこと言ってくれてたんか……それやったら……良かったなあ……」
涙を流しつつ、微笑する鈴。
「でもなクロちゃん。さっきの“お前と佐々木は”っちゅうのは間違いやで。正しくは“俺達”や。クロちゃんやって、みきほさんの友達なんやからな」
「……そうか」
僅かに口元を緩ませながらも、そっけなく黒斗が答えた。