すれ違い6
「それにしても、みどりさんも酷くね? 自分の娘を売るなんてさ」
「いいじゃない。あたしは今まで苦労して苦しんできたんだから、好きにしたって罰は当たらないわ。
それに子供は親の言うことを聞くのが当たり前でしょ。あの子ときたら、育ててやった恩も忘れて口答えばかり……本当、どうしようも無い子」
田舎での退屈な暮らしに嫌気がさし、18歳にして家出同然に故郷を飛び出したみどり。
慣れない都会で、みどりは風俗商売をやりつつ何とか生活をしていた。
一志は店にやってくる客の1人で、みどりの美貌を一目で気に入り、執拗に求婚を迫った。
“一生をかけて大切にする”
“マンションに住んでいて金には困っていない”
そんな言葉に騙され、みどりは一志と結婚した。
実際には暴力を振るわれ、ボロアパートに住み、引き続き水商売をさせられることとなったのだが。
娘のみきほの機転をきっかけに、みどりは24年間続いた地獄から脱出し、自由を手に入れた。
以前から憧れていたパチンコに通い、中毒となったみどりの心は淀んでいった。
───パチンコが楽しくて仕方なく、回していないと落ち着かない。
───普段の生活が物足りない、刺激が足りない。
───回したい、回したい、回したい。
欲求を抑えられないみどりは毎日、夜遅くまでパチンコ屋に入り浸った。
家事や娘のことなど日に日にどうでもよくなっていった。
みどりがパチンコ屋に居る時間が増えていくにつれて、不満が募っていったみきほの態度が悪くなっていき、みどりは反抗してくる娘を逆に疎ましく思い始めた。
───だって、こっちの方が楽しいんだもの。
───あたしは今まで苦しんできたの、だから今は自由を満喫したっていいじゃない。
───言うことを聞かない、親を困らせる娘なんか どうでもいいわ。
みきほへの苛立ちと共に、つぎ込む金の量も増えてくる。
だが、金も無限に沸いてくる訳ではない。
負けが重なれば、金はどんどん減っていく。
みどりは勝てば調子にのって、更につぎ込み最後には負けてしまう性分だった為、金の減りは人一倍激しかった。
そんな中、将太と出会ったのは財布が底をついた時だった。
いつものようにパチンコ台を回し、最後の札束も使いきり、帰ろうと立ち上がったみどりを、隣の台を回していた将太が引き止めた。
「おばさん、お金が無くて困ってんの?」
「うっさいわね、関係ないでしょ」
「直ぐに金が入る方法があるけど、知りたくない?」
“直ぐに金が入る”という単語に惹かれて、みどりは席に座り、将太の言葉に耳を澄ます。
「……本当に、すぐ入るの?」
「はい。簡単なお仕事をしてもらいますけどね、お金は前払いでお渡ししますよ~」
「簡単な仕事って、どんな?」
みどりの質問に将太はニヤリと笑い、彼女に耳打ちをした。
「俺、性欲を持て余してるんですよ。誰でもいいからヤりたくてヤりたくて仕方ない。だから、金を払ってヤらせてくれる人を探してんです」
将太の下劣な言葉に、思わずみどりは身体をのけ反らせる。
「……あんた見境ないわね。こんなオバサンの身体なんかでムラムラする訳?」
「まあ、熟年も需要ありますからね~。俺は別に興味ないけど友達にソッチ系がいますから、問題ないですよ~」
「そ、そう……」
みどりは悩んだ。
確かに金は欲しい。
金が無ければ生活もままならないし、金に余裕があればパチンコも出来る。
しかし見知らぬ若者達に身体を売るのは、さすがのみどりにも抵抗があった。
「ど~しますか?」
ニタニタと笑いながら急かしてくる将太。
「うっさいわね、今考え中……」
文句を言おうと将太の顔を見たみどりの脳裏に、1つの提案が浮かんだ。
悪魔の如き、恐ろしい案がーー
口角を吊り上げ、底意地の悪そうな笑顔で将太を見る。
「ねえ、アンタは若い子の方が好き?」
「まあね~」
「じゃあ私じゃなくて、娘とヤったら? 処女だし、その方がやる気出るでしょ」
平然と娘の貞操を売るみどりに、さすがの将太も怪訝な顔をするが、それも一瞬だけだ。
やはり母親のモラルうんぬんより、己の性欲に忠実のようだ。
「……へへへ、なかなか話が分かる人ですねえ。商談成立~! じゃあ、コレ前払いの十万ね」
「ありがとう。娘の帰り道とかよく使う道は、また詳しく教えるわ」
みどりに罪悪感は無かった。
ただ自分が好きなように出来ればいいと、子供は親に尽くすべきだと、そんな歪んだ思いだけが支配していた。
───私が幸せなら、みきほも本望でしょ?
地獄から脱出し、自由を得た母親は、代わりに大切な何かを失った。
人として、母として、大切なものをーー
「じゃあ、俺は帰りますね~。また店で会いましょ~」
「ええ。みきほが退院したら教えるわ」
将太が椅子から立ち上がる音がして、放心していたみきほは我に返った。
急いで、尚且つ物音を立てないよう自室に逃げ込む。
ガチャ
扉を開きみどりと将太がダイニングから出て来て、玄関から外に出ていった。
おそらくみどりは見送りの為に出たのだろう。
それを見たみきほは、ダイニングを経由して台所に向かったーー
******
ガチャ バタン
戻ってきたみどりは玄関に鍵を掛け、後片付けの為にダイニングに向かう。
自分や将太が使っていたカップをまとめる途中、茶色い封筒と、5枚の万札が視界に止まる。
「ふふ……これだけあれば、しばらくは回し放題ね……」
合計15万の現金を見て、興奮のあまりみどりの口から感想が洩れる。
札を手に取り数を数えるみどり。
そんな彼女に背後から忍び寄る影ーー
「ママ」
ここに居る筈が無い娘の声が聞こえ、みどりは勢いよく振り向いた。
そこには、濁りきった虚ろな瞳でこちらを見つめてくるみきほが立っていた。
左腕は包帯が撒かれていて、右腕は背中に隠している。
「みきほ!? 何でアンタが居るのよ、病院は!?」
「…………」
みきほは質問には答えず、ジリジリとみどりににじり寄ってくる。
完全に目が据わっていて、不吉なオーラを発している娘にただならぬものを感じ、みどりは後ずさる。
「ママ、あたし聞いちゃった。今の会話、ぜーんぶ」
人形のように感情を欠片も感じさせない顔で言葉を紡ぐみきほに、みどりはゾッとする。
「ママは、あたしより、パチンコの方が、お金の方が、大切だったんだね」
「み、みきほ。貴女が何をするつもりか知らないけど、やめなさい。もう、本当に縁を切るわよ!?」
あまりの不気味さに恐怖を感じるみどりは、涙目になりながら叫ぶが、みきほは聞こえていないかのように眉1つも動かさない。
後退していくみどりの背に壁が当たり、追いつめられてしまった。
「ヒッ!」
目の前に迫るみきほは、悪魔のように恐ろしい笑みを浮かべていた。
「……ククッ」
「なっ……」
「アッハハハハハハハ!! ハハハハハハ!!」
狂ったように笑い出すみきほ。
そんな娘の様子が以前の父親とかぶって見え、無意識のうちにみどりの身体が震えだす。
「もっ……! もう、いい!! みきほ、アンタ、もういい!!」
恐怖感がピークに達したのか、みどりは大粒の涙を流しながら床に膝をつき、土下座をする。
「お願いします!! 出ていって下さい!!」
「……マーマ」
みきほが笑うことをやめても、みどりは土下座を続ける。
「お願いしますお願いしますお願いします!! 出ていって下さい、でていってよおおお!!」
「うるさいんだよ、このヒステリックババアアアァ!!」
みきほの怒鳴り声に、みどりがビクリと肩を振るわせ、顔を上げる。
「あたしのこと、どう思ってるの!? まだ娘として愛してる!? 正直に答えてっ!!」
「……愛して……なんかいないわよっ!! アンタは悪魔よ!! やっぱりあの男の娘だわ、恐ろしい!! 今までの恩を忘れて自分1人で育ってきたような顔をして、ふざけんじゃないわよ!! 親に暴力を振るう子なんて、もう娘じゃないっ!!」
喉が潰れそうな大声でみどりは叫んだ。
「へー、そうなんだー。まあ、そんな気はしてたけどねー」
幼子のような口調で笑うみきほ。
「でもねママ。あたしは、やっぱりママのこと好きだよ、大好きだよ。でも、でもね…………」
素早い動きでみきほが後呂に隠していた右腕を前に出し、大きく振りかぶった。
その右手に握られているのは、照明に照らされて鈍く光っている包丁ーー
「いやあああああっ!!」
悲鳴をあげながら、みどりは包丁を持つみきほの右手を掴み、止める。
「憎い憎い憎い!! 許せない許せない許せない!! 何でアンタが母親なのよっ!! こんなクズが!!」
何とか振り払おうとするみきほだが、左腕は使うことが出来ないうえ、足の痛みもあって押されていく。
敵わないと分かっているが、それでもみきほは抵抗を続ける。
「中途半端に優しくするからっ!! 最初から冷たかったら、あたしはアンタに依存せずに済んだのに!!」
───暴力を振るう父親は、みきほにとって最大の恐怖であった。
───友達も居ない、兄弟も居ない。
───心の拠り所は、母親だけだった。
───だから母が大事で大切で。
───今は冷たくされても、いつか昔のように戻ってくれると信じていた。
───信じていた、のに。
「あたし、ママのこと好きっ!! だからこそ許せないのよっ!! あたしよりパチンコを優先させたこと! あたしの身体を売ったこと! あたしに寂しい思いをさせたこと全部!! あたしは……もっと構ってほしかった!!」
「うるさい、うるさいっ!! アンタは自分のことばかりじゃないの! 何で……何で娘にまで束縛されなきゃいけないの!! もう……いい加減にしてええ!!」
渾身の力で、みどりはみきほの右手を振り回した。
グシュ
嫌な音がみどりの耳に届いた。
その音をきっかけに、みどりは冷静さを取り戻し、自分の手を見る。
みきほの右手を掴む、己の手。
そして、みきほの右手に握られた包丁の刃先は、持ち主の脇腹に突き刺さっていたーー
「う、うぅっ……」
みどりが手を離すと、みきほはフラフラと2、3歩下がり、そのままドサリと仰向けに倒れこんだ。
「は、はぁっ、はあっ」
苦しげに上下する脇腹に刺さったままの包丁。
そこを中心に赤い染みがジワジワと広がっていく。
「あ……ああ……」
揉み合っている間に包丁が、みきほに刺さってしまった。
意図せぬ出来事に、みどりの思考は停止する。
「ま、ま……」
倒れているみきほが、こちらに視線を向けてきた。
「まま……いたいよ、いたい……たすけ、て……」
「っ!」
血濡れた手を伸ばしてくるみきほを見て、みどりは携帯を取りだし、救急車を呼ぼうとする。
だがーー番号を打ち込む途中、みどりの脳裏にある考えがよぎった。
───今、ここでみきほを助けて良いの?
───みきほは私に殺意を抱いている。
───救急車を呼んで助けたとしても、またいつか、私を殺しに来るかもしれない。
───夫の次は、娘に怯えて生きていくの?
───せっかく自由を手に入れたのに、これじゃあ……前と変わらないじゃない!
ある決断をしたみどりは、ゆっくりとみきほに歩み寄る。
みきほの傍らに立ち、脇腹に刺さっていた包丁を一気に引き抜いた。
「っ、あぁぁ!!」
痛みのあまり、みきほは悲鳴をあげ、脇腹から鮮血が噴き出し、互いの体を濡らしていく。
「まま……なにを……」
「みきほ。ママの幸せの為に……死んでくれる?」
「え、なにを いっ」
次の瞬間、みきほの首に包丁が突き刺された。
「ッ!!」
声無き悲鳴をあげるみきほ。
それでも、みどりは包丁で更に首を抉り刺していく。
刃先が奥に突き刺さっていく度に傷口から血が漏れて、みきほの首の下にドロリとした血溜まりを広げていく。
「アンタなんか……もういらないわ」
みどりは冷酷に呟くと、包丁に全体重を乗せた。
喉笛を貫かれ、肉の裂ける生々しい音と共に血が噴き出すと、みきほの身体は完全に脱力した。
「……はぁっ」
みきほが死んだことを確信し、みどりはゆっくりと身体を離して死体を見下ろした。
白目を剥いて息絶えたみきほの顔には、涙の筋がハッキリと残っている。
「…………」
みどりはその場に尻餅をつき、血濡れた手で顔を覆い、これからのことを考える。
娘を殺した罪悪感や後悔など、みどりには無かった。
ただ、自分が裁かれないようにするにはどうすればいいのかーーそれだけしか考えていなかった。
(みきほの狂ったような大声は隣の住人にも聞こえているでしょうし、世間体も私の方が遥かに良い。
腹に包丁が刺さってしまった後も、みきほは襲いかかってきて、やむなく私は殺してしまった、ということにしておけば何とかなりそう)
作戦を練り終えると、みどりはゆっくりと立ち上がり、警察を呼ぼうと携帯を取り出した。