すれ違い5
コンコン
ノック音が響き、みきほは扉の方を見る。
「……どうぞ」
ぶっきらぼうにみきほが応答すると、扉が勢いよく開かれ、賑やかな声が響きわたった。
「こんちはー! みきほさん、元気ですかー!!」
「病院で騒ぐなバカ」
「アハハ……みきほさん、こんにちは」
「みんな……来てくれたんだ!」
思わぬ来客に一瞬みきほは驚いた表情をするが、すぐに笑顔になり、3人を歓迎する。
一方、みきほの痛々しい姿を見た鈴と玲二は顔をしかめた。
「うわ……身体中、包帯だらけや……大丈夫なんですか?」
「大丈夫、大丈夫。頭にも腫瘍とか出来てなくて、骨折と捻挫だけだから」
心配ないと、みきほは軽い口調で言った。
「そうですか……でも、元気そうで良かったー! あ、さっき廊下でみきほさんのお母さんと話しましたよ!」
「えっ……ママ……と?」
みきほの顔から笑顔が消えた。
「はい! すっごく綺麗で優しそうなお母さんですね!」
「…………」
ハイテンションでみどりの第一印象を述べる玲二だが、みきほの耳には入っていない。
「……ママ、何か言ってた?」
「いや、特には……みきほさんのこと宜しくって言うてただけで」
「ふーん……」
みきほは無表情のまま返事をして、3人へと向けていた視線を外し、うつむいた。
そんな彼女の様子を見て、とぼけた顔をしていた玲二が真剣な表情で口を開いた。
「……間違ってたらごめんなさい。みきほさんの悩みって……もしかして、お母さんのこと?」
この場にいた全員が、言葉を発した玲二に視線を移した。
3人の注目を集めたまま、玲二は続ける。
「お母さんと何か揉めてるの? ……今回のケガも、それと関係あるんじゃ? 」
以前、親友である有理に裏切られ、誰にも悩みと真実を打ち明けることが出来なかった玲二。
今のみきほと同じように悩みを1人で抱え込み、苦しんでいたからこそ、玲二にはみきほの思いを察したのかもしれない。
「…………」
玲二の言葉を聞き、今度はみきほが皆の視線を集める。
「……アンタ達には関係ない。仮にそうだとしても、これはあたしとママ、親子の問題でアンタ達がでしゃばってくるようなことじゃない!」
押し黙っていたみきほが声を張り上げ、黒斗達を睨みつけた。
「しょせん他人のアンタらには、あたしの気持ちなんか分かんない! あたしとママのこと、何も知らないくせに知ったような顔しないでよっ!!」
感情が高ぶると共に、みきほの目から堪えていた涙が零れる。
頬を伝い落ちた雫は、ベッドの白いシーツにパタパタと音を立てて吸い込まれていく。
止まらない涙を拭うことをせず、みきほは自由が効く右手でシーツを握り締める。
泣き出してしまったみきほに、鈴も玲二もかける言葉が見つからず、何も言えない。
みきほのしゃくりあげる声だけが病室に響く。
そんな中、黒斗が一歩前に出て、みきほに声をかける。
「ハッキリ言わせてもらう。風祭、お前は母親に依存しすぎだ」
「……!」
黒斗の淡々とした物言いに、みきほは顔を上げ、鈴と玲二は息を呑んだ。
「どうしようもない母親だったら離れていけばいいだろう。お前は18歳、世間では立派な大人として見られ、1人で生きていくのも十分可能な年齢だ。そんなになるまで、母親と一緒にいる意味なんてあるのか?」
「…………」
うつむいたまま、みきほは何も答えない。
自分でもよく分からないのだ。
母が好きなのか憎いのか。
大好きと言うには憎悪が邪魔をして、憎んでると言うには愛情が邪魔をする。
離れたいけど、離れたくない。
愛憎入り交じった矛盾する感情に、ただみきほは混乱することしか出来ない。
「……まあ、最後に決めるのはお前だがな」
「……うん」
掠れた声で、みきほは返事をした。
「……ごめん、怒鳴ったり、して」
「ううん、オレこそ余計なこと言って、ごめんなさい」
互いに頭を下げて謝罪するみきほと玲二。
「ウチら、そろそろ帰りますね。今日は安静にしたって下さい」
「あ、そういえば気になってたんだけど……あたしが入院してるの、どうして分かったの?」
「ああ、大神くんに聞いたんです」
「は?」
淀みなく答えられた鈴の言葉に、みきほが頭にハテナマークでも浮かんでそうな表情を浮かべた。
「せやから大神くんですよ。大神 義之くん。みきほさんの幼馴染みやろ?」
「幼馴染みって……あたし、そんなヤツ知らないよ? 誰、大神って」
訳が分からないという様子で紡がれたみきほの言葉に、鈴が凍りつく。
「そ、そうなんですか。ウチら、用事があるんで、これにて失礼させてもらいますわ」
震える唇で下手な言い訳をしながら、鈴は黒斗と玲二を連れて病室を出ていった。
「……どういうことや……大神くんのこと、みきほさん知らないやないか」
みきほの病室から離れた場所で疑問を口にする鈴。
「ま、まさかとは思うけど……大神くん、ストーカーやったりするんかな?」
「……それは無いだろう」
有りそうだが有り得ない鈴の考えを、黒斗は首を振って否定する。
「せやな……やっぱり大神くんを問いただすしかあらへんかな」
「都合が悪くなったらだんまりの男だ。そう簡単に口を割らないと思うがな」
「……何にせよ」
後ろで黒斗と鈴の会話を聞いていた玲二が、ようやく口を開く。
「あの大神って人に、あまり近づかない方が良いと思う……不気味、だし……」
消え入りそうな声で呟かれた玲二の言葉に、鈴が腕を組んで答える。
「とはいえ、同級生やからイヤでもウチらは顔合わせんといけないんやけどな。……でも、確かに大神くんって変なとこ多いな……」
「……本当は、大神さんが死神だったりとか……」
「いやいや! まっさかあ、ありえへん!」
玲二の大神死神説を、鈴が手を振って否定する。
「………」
一方、黒斗は玲二が言った通り、大神が人間ではない可能性を考えるが、やはり筋は通らなかった。
大神が人外だったならば彼を一目見た瞬間、そういった気配を僅かにでも感じる筈なのだ。
だが黒斗は大神に嫌悪感を抱いても、そういった類いのものは感じなかった。
「……何にせよ、奴は怪しい。佐々木の言う通り、あまり大神には近づくな」
「うーん……まあ、2人がそう言うなら分かったわ」
黒斗と玲二の警戒を聞いて、ようやく鈴が首を縦に振った。
(……しかし俺以外の死神に、怪しい男子高校生……人間界にも随分と変なのが沸くようになったもんだ)
増えていくばかりの謎に、黒斗は深い溜め息を吐くのだった。
******
みきほが入院して5日後
腕の骨折はまだ完治していないが、足の具合は大分良くなり、あとは様子を見て退院といった所までみきほは回復していた。
だが結局、あれからみどりが見舞いに訪れることは無く、見捨てられたような気持ちのまま、みきほは日々を過ごしていた。
「あの娘、可哀想よねえ。家族が見舞いに来てくれないなんて」
自身の病室に戻る途中だったみきほが、休憩所にいる他の患者の会話を耳にして足を止める。
「…………」
壁に隠れて様子を伺うと、30代くらいの女性が2人で会話していた。
「何か親と揉めてるんじゃないの?」
「そうだとしても、あれよね。親も子供に関心が無いってことでしょ」
「まあねえ。可哀想ねえ、親に愛想つかされるなんて惨めねえ」
「…………」
本人達はみきほに同情していて他意は無いのだろう。
しかし、その言葉はみきほにとっては鋭利な刃物のように心に突き刺さる。
物音を立てないよう、ゆっくりと病室に戻っていく。
(……関心が無い、か。本当にママは、あたしに愛情も無いのかな……もう、1人で生きてかなくちゃいけない時なのかな……)
歩きながら考えにふける。
(ママはどう思ってるんだろう。知りたい。だけど、本心なんかどうやって探れば……)
「いい方法があるよ」
不意に背後から聞こえてきた声にみきほが振り返ると、そこには不適な笑みを浮かべた茶髪の青年が立っていた。
「だ、誰よアンタ」
「母親の気持ちを知りたいなら、チャンスは今夜しかない」
「チャンス!?」
問いを無視して青年が言い放った言葉に、みきほが食いつく。
「そうだ。今夜23時すぎ、家に帰ってみればいい。母親の本心を知ることが出来るぞ」
「家に帰れったって……許可なく病院を出ることなんて出来ないし」
「大丈夫。その時になれば、行けれる」
そう言うと青年は、みきほの横を早足で通りすぎる。
呼び止めようとみきほは振り向くが、既に青年の姿は無かった。
「え……」
ほんの一瞬の間に青年が消えたことに驚愕する。
狭くて一本道の廊下で隠れる場所なんて無いし、曲がり角も歩いて数秒はかかる場所にある。
2、3秒で到達出来る訳がない。
(何なの……)
自分以外、誰も居なくなった通路で、みきほは立ち尽くすのだった。
******
午後22時すぎ
消灯時間が過ぎ、静寂に包まれた赤羽病院。
(……やっぱり、出れそうにないなあ)
みきほは物陰に隠れて、病院内を見回っている警備員の様子を伺っていた。
あれから病室に戻った後も、みきほは青年の言った言葉が気になって仕方がなかった。
本当に母の気持ちを知ることが出来るならば……そう思ったみきほは、どうにか家に戻ろうと行動を開始したのだ。
正面玄関は予想通り閉まっていたので、非常口から出ていこうと考えたが、やはり警備が厳しく、中々動けない。
さて、これからどうするか。
脳みそをフル回転させて案を練るが、良い考えは浮かばない。
ドサッ、バタ
その時、みきほの耳に重たいものが倒れるような音が届き、それが聞こえた方面に視線を向けると、先程まで元気に動き回っていた警備員達が皆、倒れていた。
(な、何が起きたの!?)
死んだように動かない警備員達を心配して駆け寄るみきほ。
膝をついて容態を確かめる。
誰かに襲われたような外傷は無く、呼吸も安定していて苦しんでいる様子は無い。
(……これが、“その時”ってやつ?)
警備員達が突然眠ってしまう不自然な現象が、あの青年の言っていた、病院から出られるタイミングなのだろう。
みきほはゆっくりと立ち上がり、非常口から病院の外に出ていった。
******
病院から出て来たみきほは、真っ直ぐ自宅へと向かった。
大分良くなったとはいえ、足の具合はまだ完全では無い為、歩くスピードが遅く、長距離移動の為か足に鈍痛を感じ始める。
だが、母の本心を知りたい一心でみきほは痛みに耐え、己の身体を叱咤しながら歩き続けた。
そして、ようやく自宅に辿り着いた時には、時刻は午後23時すぎ。
あの青年が言っていた時間にタイミング良く辿り着いたのだ。
(これで……ママの気持ちが分かる!)
緊張感からか、心臓の鼓動は早くなり、ドクンドクンと音を鳴らせる。
早まる気持ちを抑えつつ、みきほは音を立てないよう慎重に、ゆっくりと玄関のドアノブを回す。
鍵が掛けられていなかった扉は音もせずスムーズに開かれた。
扉を通り、5日ぶりの我が家に入ったみきほは靴脱ぎ場に、母と自分以外の革靴があることに気付く。
───誰か来ている。
そう思ったみきほは、辺りを警戒しながら母の姿を探して進む。
「でもね、あの台つまんないのよ。盛り上がりにかけるというか何と言うか!」
やたらとテンションが高い母の声がダイニングから聞こえ、みきほは扉の隙間から中の様子を覗き見た。
ダイニングに居るのは母、そしてスーツを着崩している、見るからにチャラそうな男。
「そんなこと無いッスよ~。激アツの時にはめちゃくちゃピカピカしてキレイですよ~」
「ッ!」
聞き覚えのある声に、みきほは絶句した。
───どうして?
───意味が分からない、何故コイツが。
母と一緒にいる男――
それは2年前、みきほをレイプした男だった。
忘れようにも忘れられない、あの気色悪い声に間違いない。
(何でママとコイツが……)
予想外の出来事に目眩を覚えながらも、みきほは2人の観察を続ける。
「……と、まあ大当たりが来まして、勝っちゃったんですよね~。みるみるうちに玉が貯まる、貯まる」
「いいなあ。私なんか当たったと思ったら、外れちゃうのに。将太くんは運が良いわねえ」
「まあ、それが俺の取り柄ッスから」
みどりと将太という青年は、タバコを吸いながら2人で楽しそうにパチンコの話をしている。
「ところで、お子さん入院中なんでしょ? 具合どんなんですか?」
「知らなーい。様子を見に行ってないもの。もうすぐ退院だとか主治医が電話で言ってたような気がするけどね」
「じゃあ娘をほったらかしてパチンコしてるんだ! アハハ、薄情~」
ゲラゲラと笑いだす将太。
一方みどりは、先程とうって変わって不愉快そうに眉間にシワを寄せる。
「薄情も何も、先に手を出したのはアイツよ。産みの親に暴力を振るったんだから、当然の報いだわ。それに……」
一度言葉を切り、タバコの灰を皿に落としてから続ける。
「アイツの入院費用のせいで思う存分、打てなくてイライラするのよね。金が足りないったらありゃしない」
「へ~、金欠なんだ。……あ、もしかして俺を呼んだのは……」
将太の言葉を全て聞く前に、みどりが頷き口を開いた。
「前と同じ、十万で良いわ。ただ、あの娘が退院してからになるけど」
「りょ~かいです! こんなこともあろうかと、既に金は用意してあるんで」
そう言うと将太は、懐から茶色い封筒を取り出し、みどりに手渡した。
みどりは受け取った封筒の中を確認すると、満足そうに笑ってテーブルの上に置く。
「相変わらず準備が良いわね、ありがとう」
「いやいや、こちらこそ! 楽しみだなあ……みきほちゃん、2年前と比べて成長したかなあ」
「したんじゃないの? 知らないけど」
(……どういう、こと……)
会話を盗み聞きしていたみきほの身体が震える。
“前と同じ、十万で良いわ”
“相変わらず準備が良いわね”
“2年前と比べて成長したかなあ”
2人の会話と、やり取りの手際の良さに強い違和感を覚えるみきほ。
────やだ……聞きたくない。
────これ以上、聞いたら取り返しがつかなくなる。
そう思いながらも、足は石になってしまったように固まって動かない。
「まあ、みきほちゃんの身体については、みどりさんより俺の方が詳しいかな! 処女を奪った男ですから」
「えっ、アンタが最初にやったの? 2年越しの真実ね。だったら処女代として、もうちょっと金を貰いたかったわ」
「あ、しまった。仕方ないなあ、追加しときますよ。五万でいいです?」
「ウフフ、ありがとう」
みきほは全てを悟ってしまった。
2年前、みきほが襲われたのは偶然ではなかったこと。
みどりは、みきほがレイプされたと知っていたこと。
そしてーー
母 が 娘 の 体 を 金 で 売 っ て い た 事。
頭が鈍器で殴られたようにガンガンと痛む。
冷たくて嫌な汗が全身を流れ落ちる。
視界がボヤけて、神経がマヒしたように感覚が無くなる。
耳を塞ぐことも、立ち去ることも出来ないみきほに、容赦なく残酷な会話が紡がれていく。