すれ違い4
今から2年前――
学校が終わり、校門から出るなりみきほは携帯を開き、受信メールを確認した。
『受信メール1件 ママ』と表示された画面から、届いたメールの内容を確認する。
『今日も仕事遅くなる。いつものコンビニで弁当でも買って食べてて』
「…………」
悲しいくらい予想通りのメールを削除し、弁当を買う為に常連となったコンビニに向かう。
日も暮れはじめ、人気の無い路上にはみきほしか居ない。
今日は何を食べようかと、ボンヤリ考えながら歩く。
すると――
ガツッ
鈍い音と同時に後頭部に衝撃を感じ、視界がグルリと一回転して、地べたに倒れこむ。
(……いた、い…………ま、ま……)
誰かに頭を鷲掴みにされる感覚と共に、みきほは意識は失った。
******
(……うっ……)
次にみきほが意識を取り戻した時、真っ暗な場所で仰向けに倒れていた。
(何か……巻かれてる……)
両目から後頭部にかけて布のような物の感触があることから、みきほは目隠しをされていると察する。
口にも轡がくわえられており、声を出すことも出来ない。
「……っ!」
身の危険を感じたみきほは本能的に身体を起こそうとする。
だが、鎖の冷たい音が響き渡るだけで、腕も足も全く動かない。
「アハハ、今日は上玉じゃん」
「情報によると処女らしいぞ。初々しいねえ」
「マジかよ! じゃあ、俺がこの子の初めて奪っちゃおうかな!」
「ズルいぞ! ここは公平にジャンケンだ!」
知らない男の声……それも1人ではなく複数人のものが聞こえ、みきほの心臓がバクバクと激しく波打った。
性行為に疎いみきほだが、これから自分がどうなるのか安易に想像出来る。
「よっしゃあ、おれの勝ちい! 初めてをいただきます!」
野太い男の声が響き、みきほの身体に声を発した本人が馬乗りになった。
「っ!!!」
デリケートゾーンに気色悪い物体を無理やりねじ込まれ、今まで感じたことのない激痛がみきほを襲った。
(イタイイタイイタイ!! やめて! やめてよ!!)
轡のせいで悲鳴をあげることも出来ないみきほ。
結局、彼女は複数の男達に身体を弄ばれ続けた。
******
「おらっ、降りろ」
車の座席から蹴り落とされ、無様に地面に転がるみきほ。
「…………」
ようやく自由になった震える両手で目隠しを取り、全身びしょ濡れとなった己の身体を見やる。
制服は所々が破られていて、全身はぬるぬるとした液体がまとわりついている。
「……ママが、帰る前に洗わなきゃ……」
痛む身体に鞭を打って立ち上がり、おぼつかない足取りで人目を忍びながら自宅に向かう。
******
何とかアパートに辿り着いた時の時刻は21時。
みどりが帰ってくるのは23時くらいなので、間に合ったと安堵の溜め息をこぼす。
静かに玄関を開けて、浴場に向かうみきほ。
だが――
「みきほ?」
途中、いるはずのない母親の声が聞こえ、みきほの中の時間が一瞬停止した。
───いつも、この時間には居ないくせに、どうして今日に限って……。
「みきほ、どうしたのよ、その体」
「……何でも、ない。水溜まりに、転んだの」
母に心配をかけたくない為に、みきほはとっさに嘘をついた。
「………………」
沈黙が続き、みどりの様子が気になって、振り向く。
「……あっ……」
そこに立っていた母は、汚いものでも見るような蔑む眼差しで、みきほを見つめていた。
「……そう。さっさと風呂に入りなさい」
それだけ言って、母は寝室へと入って行った。
後に残されたみきほは、へなへなとその場に座り込む。
(……ママに、軽蔑、された……)
声を押し殺し、ポロポロと涙を流す。
みきほにとっては、レイプよりも、大好きな母にあんな目で見られたショックの方が大きかった。
そして、この事件以降、みどりの態度は更によそよそしくなり、ろくに会話を交わすことも出来なくなってしまった。
******
「みきほ!? アンタまだ起きてるの!? 毎晩毎晩、夜遅くまで起きててバカじゃないの!」
みどりのヒステリックな声で、みきほは回想から現実に引き戻された。
「……おかえり」
「お帰りじゃないわよ! 明日も学校なんでしょ! 早く寝なさい! あと台所に置いてある鍋、何が入ってるの!? 何か泡立ってたけど!」
「それ、カレーだよ。今日、友達が作ってくれた。あたしも少しは手伝ったんだ、ママも食べたら?」
カレー、と聞いた瞬間、みどりは表情を大きく歪ませた。
「あれがカレーですって!? あんな気持ち悪い物体すぐ捨てなさい! 豚のエサにもならないわ!」
みどりの酷い暴言に、みきほの頭に血が登った。
わざわざカレーを作ってくれた黒斗達の誠意、不慣れな包丁を悪戦苦闘しながら野菜を切った自分の努力、そしてイヤな顔1つせずに、自分に包丁の使い方を教えてくれた鈴の優しさ。
それら全てをバカにされ、否定されたように感じたからだ。
「……何で、そんなこと言えるの? 悪いのは見た目だけで、すごく美味しいのに。食べもしないで捨てなさいとか、気持ち悪いとか!! 作った人に失礼とは思わないの!?」
「何を大声出してんの! 静かにしなさい! あんなカレーよりもママが作ったご飯の方が美味しいし、好きでしょ? 今度作ってあげるから、アレは捨てとくわよ」
悪びれる様子も無く言い切ったみどりに、みきほはキレた。
「へえ!! 今度っていつ!? 何月何日何時何分何秒!? 口ばかりで、実際に作ったことなんかないじゃない!! いつもパチンコばっか行ってるくせにっ!!」
「誰がパチンコに行ってるって!? 行ってないわよ! 仕事だって言ってるでしょ!!」
「嘘つき!! あたしが何も知らないと思ったら大間違いなんだから! ママの嘘つき、嘘つきー!!」
パンッ
癇癪を起こして泣き叫ぶみきほの頬を、みどりが思い切り平手打ちした。
「大声を出して、みっともない! 何をそんなに怒ってるの!! アンタ、頭おかしい!! やっぱり血を引いた娘ね、いきなり叫んで前のお父さんそっくり! いつか暴力を振るわれそうだわ!!」
「あたしの頭がおかしい? 前のお父さんそっくり? いつか暴力を振るわれそう?」
“お前は頭がおかしいんじゃ!!”
───昔、アイツがママに言ってた言葉。
───今は、ママがあたしにそう言っている。
───似ている。
───大嫌いだったパパと、今のママ。
───殴るか殴らないかの違いだけ。
───中身は、同じ……。
「……へえ、そうなんだ。そうなんだあ!! ママは、あたしのこと、そんな目で見てたんだあ!!」
興奮したみきほは、みどりの両手首をガッシリと掴んだ。
「痛いじゃないの!! 離しなさいよ!」
振り払おうとするみどりだが、手首を掴む力は非常に強く、抵抗できない。
「ねえ、ねえ!! あたし、2年前にボロボロの状態で帰ってきたことあったよねえ? あれ、どう思ってんの!? あたしが男を引っかけてきたと思ってんの!?」
「そうよ! 今のアンタはおかしいからね、何をするのか分かったもんじゃない!!」
「へえー!! そうなんだ、そうなんだあ!! アハハハハハハ!!」
大好きな母に信用されていなかったことを知り、みきほは大きなショックを受け、錯乱した。
狂ったように笑いだす娘を見て、みどりの背中を冷たい汗が伝った。
「やっぱり頭おかしいんだわ……もう、いい……出ていきなさい!! アンタみたいな恐ろしい子、私の娘じゃない!!」
「もういいのはコッチだよ!! ママなんか大嫌いだっ!!」
掴んでいた両手首を乱暴に離し、玄関に向かって駆け出す。
「あんたは恐ろしい子だわ! いつかきっと、ろくでもないことをやらかす!」
後ろからみどりの声がしたが、みきほは無視して外に出た。
行く宛など無いが、今は互いに興奮状態にある。
しばらく時間を置いた方が良いと、僅かに残っていた理性がみきほに告げていた。
「ママのバカ、バカ、バカ! あたしのこと……あんな風に思ってたなんて……」
母に悪態を吐きながら、鉄製の階段を降りていく。
ドンッ
後ろから背中を思い切り押され、両足が階段から離れ、みきほの身体が宙に浮く。
「えっ?」
時間がゆっくりと流れているように感じながら、みきほは後ろを見た。
目に映ったのは、階段の上から両手を突き出している母の姿。
ガンッ、ガンガンガダン
やかましい鉄の音を響かせながら、みきほの身体が階段を転げ落ちる。
頭を、腕を、足を、固い段に強かに打ち付けて、みきほは地面に転がった。
(……い、た…い……)
───身体中が痛い。
───腕も足も、自分の物じゃ無いようにピクリとも動かない。
(マ……マ、が……あたし、を…………)
そのまま、みきほは意識を失った。
******
翌日の放課後――
如月高校2年A組 教室内――
「それじゃ、皆さん気をつけて帰って下さいねー」
終礼を終えて、佐々木が教室を出ていくと生徒達は友達と喋ったり、さっさと教室を出ていったりと各々の行動をする。
鈴も席を立ち、前の席に座る黒斗に近寄った。
「クロちゃん、今日はヒマ?」
「バイトも用事も特には無いが……何かあるのか?」
「うん……昨日、みきほさん元気なかったやろ? せやから……何か気になってな……」
うつむき、憂いの表情を浮かべる鈴。
「……だからって毎日毎日、家に押しかけるのもどうかと思うぞ。それに風祭が悩みを打ち明けるとも限らないだろ」
「……うん。自分でもお節介すぎるとは思うし、クロちゃんの言った通り、みきほさんが悩みを言ってくれるとは限らへん……。
でも、相談にのることは出来へんでも、少しでも気晴らしになればって……」
鈴が言い終わると、黒斗は鞄を肩にかけて立ち上がった。
「…………分かったよ。佐々木も誘って、校門で待ってるぞ」
「おおきにな、クロちゃん……」
礼を述べる鈴に黒斗は片手を振り、教室を後にした。
鈴も自分の席に戻って、鞄に荷物を詰め込む。
「橘」
声をかけられ、鈴が顔を上げると大神が目の前に立っていた。
「みきほの家に行くつもり?」
「そうやけど……どないしたん?」
首を傾げる鈴に、大神は無表情のまま口を開いた。
「実はさ……みきほ入院してるんだ」
「ええっ!? 何でや!?」
“入院”という穏やかではない言葉に鈴がガタン、と音をさせながら、勢いよく立ち上がった。
焦燥感に駆られた表情の鈴とは対象的に、大神は他人事のような涼しい顔をしている。
「昨夜、階段を踏み外してケガしたらしいんだよ。命に別状は無いけど片腕を骨折、片足を捻挫したって」
「そ、そうなんか……命あって何よりやったけど、みきほさん、とんだ災難やな……大丈夫やろか……」
心配そうに呟く鈴。
そんな彼女を大神は鼻で笑うが、鈴は気づいていない。
そのまま大神は何事も無かったように言葉を続ける。
「それで僕、みきほの見舞いに行こうかと思ったんだけど、どうしても外せない急用が入ってさ。だから変わりに橘達に見舞いに行ってほしいんだ。その方がみきほも喜ぶだろうし」
「なるほど、分かったわ! みきほさんの見舞いはウチらに任せてや!」
張り切った様子で言い切った鈴に、大神は満足そうに頷く。
「ありがとう。みきほは赤羽病院に入院してるから、宜しく」
「了解や!」
笑顔で敬礼ポーズをとり、鈴は早足で教室を出ていった。
「……ほんと純粋だな、鈴は。愚かなほどに」
ポツリと呟かれた大神の言葉は、教室内の喧騒にかき消されるのだった。
******
如月高校 校門前
鈴が出てくるのを待つ黒斗と玲二。
2人の間には沈黙が流れている。
もともとお喋りな玲二は、沈黙が落ち着かずウズウズしているが特に話題も思い浮かばず、どうしようかと悩んでいる。
何かギャグでも言おうかと思ったが、この間の黒斗の冷たい反応と手痛いツッコミを思いだし、開いた口を閉じる。
それでも何とか会話を試みようと、声をかけてみた。
「兄貴! 鈴ちゃん遅いね!」
「そうだな」
「…………」「…………」
会話終了。
またも気まずい沈黙が、この場を支配した。
「2人共! おまっとさん!」
玲二が頭を抱えだした所に、鈴が校舎から飛び出し、2人に駆け寄ってきた。
「遅かったな」
「かんにんな! ちょっと大神くんと話しとったんや」
大神の名前を聞き、黒斗と玲二の顔色が変わった。
「みきほさん、階段踏み外してケガして入院しとるらしいんや。それで、大神くんに変わりに見舞い行ってほしいって頼まれてな!」
「……また大神か。本当に都合よく情報を持ってくる男だな……わざとらしいほどに」
「…………」
黒斗は苛立った様子で喋り、玲二は無言のままうつむいている。
「まあまあ、そんなこと言わんと! 赤羽病院らしいから、はよ行こや!」
言うが早いが、鈴は1人先に歩きだす。
黒斗と玲二も、彼女の後を追って歩きだした。
******
赤羽病院 病室内
「着替え、この袋の中にあるから。ちゃんと看護婦さんに言うのよ」
「…………」
ビニール袋を棚の上に置きながらみどりが言うが、ベッドに上半身を起こして座っているみきほは顔を背けたまま応答しない。
みきほは頭に包帯が撒かれ、左腕と右足にそれぞれギプスが付けられている。
「ママ忙しいから、あまり来てあげられないわよ。ちゃんと先生や看護婦さんの言うこときくのよ」
「…………」
やはり、みきほの返事は無い。
溜め息を吐きながらみどりは、みきほの向いている方向に移動し、両腕の袖をこれ見よがしに捲った。
「……昨日のことは、ママ一生忘れないからね」
昨日みきほが強く握ったせいで付いた両手首の痣を見ながら、みどりは恨めしそうに呟くと、振り返ることなく病室を出ていった。
扉が閉められた音がすると、みきほはギプスが付けた腕と足を見る。
(……階段から娘を突き落とした人がよく言うよね……)
みきほが意識を取り戻した時には、母が既に病院や世間に“娘が階段を踏み外した”と偽りの真実を話した後だった。
嘘を話しまわった母に吐き気を催す程の嫌悪感を抱いたが、それでも本当に憎みきることは出来なかった。
いつか、昔のような母に戻ってくれるかもしれないと、まだ僅かに信じていたから。
******
みきほの病室から出たみどりは、ハイヒールをカツカツと鳴らしながら早足で廊下を歩く。
「確かこの先だよね、みきほさんの病室」
前方から歩いてきた3人組の学生が娘の名を口にしたのを聞き、みどりは足を止めた。
眉間に寄せていたシワを戻し、いかにも愛想の良い笑顔を浮かべて声をかける。
「貴方達、みきほの友達?」
「えっ! は、はい、そーですけど……」
いきなり声をかけられ、玲二が驚きつつも答えると、みどりは両手を合わせて喜ぶような仕草をする。
「まあ、貴方達だったのね! みきほが言っていた子達は!」
「……もしかして、みきほさんのお母さん?」
鈴の言葉にみどりは頷いた。
「ええ、はじめまして。いつも娘がお世話になってます」
「いえいえ! こちらこそ、毎日家におしかけてすんまへん!」
頭を下げるみどりに、鈴も頭を下げる。
「……風祭、階段から落ちたと聞いたんだが」
「そうなのよ……昨夜、コンビニに行くって出掛けたはいいけど、足を踏み外しちゃったらしいのよ」
「うわ……痛そう……みきほさん、大変だなあ……」
平然と嘘をつくみどりだが、鈴と玲二はそれを信じて疑わない。
ただ1人、黒斗だけは眉を寄せてみどりを見つめる。
「本当に?」
「は?」
「本当に階段を踏み外したのか? ……誰かに突き落とされたとか……その可能性は?」
疑いの視線を向けてくる黒斗の視線に、みどりは居心地が悪そうに顔を背ける。
「そ、そうよ。他に誰も居なかったし、私が見てたんだから間違いないわ」
「…………」
「私、忙しいから。じゃあ、みきほを宜しくね」
逃げるようにみどりは、そそくさと立ち去って行った。
「クロちゃん、何であんな変なこと言うんや?」
「……別に」
さっさと歩きだす黒斗。
それを鈴と玲二は疑問の表情を浮かべながら着いていった。