すれ違い2
ファミレスを後にした黒斗達はハイテンションの鈴に引っ張られ、スーパーに向かった。
鈴が作るのは みきほ1人分の夕食だけだが、万が一の事態に備えて黒斗と玲二も付き添う。
スーパーでは鈴が みきほに許可をとり、パプリカやらタマゴやら様々な材料を買い物カゴに入れていく。
「……あのさ。本当に大丈夫なの?」
さすがのみきほも不安になったのか、傍らにいる黒斗に問いかけるが、彼は黙って俯いたままだ。
黒斗は鈴の料理の腕前を語れるほど、詳しくはない。
何せ、黒斗が食べているのはスクランブルエッグや目玉焼きといった簡単な物ばかりなのだ。
本格的な料理は見たことがない。
「まあ……大丈夫だろ。…………たぶん」
そんな他愛のない会話をしている間に買い物を済ませた鈴が戻ってきて、スーパーを後にした。
******
「……ここがあたしの家。3階に住んでる」
ごく普通の3階建てのアパートを指さしながら、みきほが言う。
階段を登り、【風祭】と書かれた札がついている扉を開いて中に入る。
広い一軒家に住んでいる黒斗には、若干狭く感じられるが、母親とみきほの2人暮らしならば丁度いい広さだろう。
「よーし、それじゃ早速とりかかるで!」
制服の袖を二の腕まで捲り、台所に立った鈴が買い物袋を漁りながら言った。
「何が出来るかはお楽しみやから、台所を覗いたらアカンで!」
鈴がそう言うので黒斗達はダイニングへ向かい、大人しく席に座って待つ。
「………………」
特に話題もなく、黒斗もみきほも口数が少ない為、必然的にダイニングは沈黙に包まれる。
(……気まずい、何か話題を……)
沈黙に耐えかねた玲二が どうにか場を明るくしようと、あまり出来の良くない脳みそをフル回転させる。
だが2人の興味を惹くような話題も無く、頭を抱えこむ。
(うう……兄貴はともかく、みきほさんがなあ……ずーっとブスッとしてて怖いし……)
そこまで考えて、玲二の脳内に名案が思い浮かんだ。
「みきほさん!」
「……何?」
突然、声を張り上げた玲二にみきほが注目する。
「みきほさん、いつもしかめっ面だよね! 笑えばいいのに!」
「うっさい! 余計なお世話だし! 楽しくないのに笑ってるとかキモすぎでしょ」
「だから、オレが笑わせてあげるよ!」
自信満々に胸を叩く玲二。
彼はエヘンと咳払いをすると、ゆっくりと口を開いた。
「……レイジブルガリアヨ~グルトッ!」
「……………………」
玲二がみきほを笑わせる為に言った言葉を聞いた瞬間、黒斗とみきほがフリーズした。
「……今のは何……?」
震える唇で紡がれたみきほの言葉に、玲二がやはり自信たっぷりに答える。
「だから“めいじ”と“れいじ”をかけて……」
バシッ
玲二が言い終わる前に、黒斗が素早く頭を叩く。
「あ、兄貴、痛いって……」
バシィン
無言のまま、もう1発くらわせる。
「痛い痛い! 兄貴、怖いよ! 無言が一番怖いからっ!」
涙目になりながら叫ぶ玲二を、黒斗は冷ややかな目で見つめ、みきほに至っては目を合わせようとしない。
渾身のギャグがスベり、玲二も意気消沈して顔を俯かせる。
「おまちどおさん! 鈴スペシャル完成やでー!」
顔や身体中をソースやら何やらで汚した鈴が、満面の笑みで完成した料理を持ってやってきた。
「さ、みきほさん。冷めへんうちに食べてや!」
鈴がテーブルに料理が乗った皿を置くが、それを見たみきほが目を丸くする。
「……これは……何……?」
鈴が作った料理。
真っ赤なスープに浸された、これまた真っ赤で伸びきった麺類の上に、ブサイクな形で切られたオレンジ色のパプリカがぶちまけられ、妙に細長いウィンナーとデコボコのタマゴが申し訳程度に添えられている。
「当ててみてや!」
軽い口調で言う鈴だが、この料理が麺類であること以外わからない。
「……ラーメン?」
「ちゃう」
みきほの言葉に、鈴が首を振る。
「分かった! うどんでしょ!」
「ちゃう」
玲二の答えも違うようだ。
「もう鈍いなあ! どっからどう見ても、立派なナポリタンスパゲティやろ!」
鈴の言葉に、みきほと玲二が息を呑んだ。
一方、鈴の料理がみてくれ悪いことを知っている黒斗はあまり驚かなかった。
「ナポリタン……このスープに浸った伸びきった麺がナポリタン……?」
目の前のナポリタンが、自分の知っているナポリタンと大きく異なっていることにショックを受けたみきほが、死んだ魚の目をしながら呟く。
「文句は食べてから言うて下さい! 味は保証します!」
「…………」
鈴の熱意に負け、みきほは一緒に運ばれてきたフォークで麺を絡み取り、おそるおそる口に入れた。
見た目が最悪のナポリタンをみきほが口に含むと、黒斗と玲二が心配そうに見つめる。
「…………」
何とも言えない微妙な表情を浮かべながら、みきほはベチャベチャのナポリタンスパゲティを咀嚼し、そして飲み込んだ。
「………………見た目によらず、美味しい……」
予想外の感想に玲二は驚愕し、鈴は満面の笑みを浮かべた。
「えっ、えっ? 本当に!?」
「うん。一口食べてみたら?」
みきほにフォークを渡された玲二が、ほんの一口だけナポリタンを試食した。
「……美味しいっ!! 何コレ美味しすぎるよ! トマトソースの味付けが絶妙で、更にこのスープのお陰で麺に味が染み込んでる!」
「せやろ! ウチの自信作、鈴スペシャルやで!」
腰に両手を当ててドヤ顔で言う鈴。
その間にも、みきほは次から次へとナポリタンを口に運んでいき、やがて完食した。
「美味しかったー! こんなに美味しいナポリタン、生まれて初めて!」
食事を終え、満足したみきほが笑顔を浮かべながら言った。
「へえ。仏頂面ばかりだと思ってたが、ちゃんと笑えるじゃないか」
「あっ……う、うっさい!」
ニヤニヤ笑っている黒斗の言葉に、みきほが頬を赤く染めながら悪態をつく。
「……まあ、美味しかったのは事実だし。その……ありがとう」
「どういたしましてや。喜んでもらえてウチも嬉しいわ!」
照れ隠しで顔を背けながら礼を言うみきほに、鈴が笑顔で答えた。
「……あたしより年下なのに料理が上手って凄いよね……尊敬するかも」
「そんなに料理って難しいもんちゃうで? 慣れれば簡単や! みきほさんにも、直ぐに出来るようなるで!」
「無理だよ……だってあたし、包丁だって握ったことないし。料理なんか、米を握っておむすびにするか、フライパンで焼いてるホットケーキを引っくり返すぐらいしか出来ない」
「……それって“料理”に含まれるのか?」
思わず疑問を口にする黒斗だったが、みきほが無言で凄まじい殺気を含んだ眼差しを向けてくる為、それ以上何も言わずに進展を待つ。
「無理なことありまへん! 人間、やれば出来るっちゅうやろ! 何だったらウチが毎日でも、料理を教えに来てもええですよ!」
鈴の言葉を聞いたみきほの目から殺気が消え、彼女に視線を移した。
「……ほんと? また、あたしの家に来てくれるの?」
「はい! みきほさんが良かったらですけど!」
それを聞いて、みきほは花が咲くような可愛らしい笑顔を浮かべて頷いた。
「勿論! むしろ大歓迎だから!」
興奮した様子のみきほは、鈴の手を取り微笑む。
「あの……これで あたし達、友達って奴? 家に来てくれる人って、友達に分類していいんだよね!?」
「は、はい。ウチら、もう友達やと思いますけど……」
「そうそう! オレと兄貴もね!」
「あ、ありがとう!」
右手を挙げて言い放つ玲二に、みきほが微笑んだ。
「……本当は友達が欲しかったのか」
微笑ましい光景を眺めながら、ポツリと黒斗は呟いた。
******
その後、鈴が滅茶苦茶に散らかした台所を4人で片付け、日も暮れてきたので黒斗達は帰ることにした。
「ほな、また明日お邪魔しますね!」
「オレも、面白いゲーム持ってきます! 兄貴と一緒に!」
「……って、俺もかよ……」
アパートの下まで3人を送り、みきほは笑顔で手を振って、見送った。
黒斗達が帰った後、みきほは入浴を済ませ、明日の学校の準備をして、自室で携帯を弄っていた。
(……友達。あたしにも友達が出来た)
人見知りであり、なかなか素直になれない性分のみきほは、学校でも浮いていて“友達”と呼べる相手は居なかった。
みきほ自身も、一般の女子高生が興味を持つような化粧や恋話に疎い故、共通の話題が無かったことも浮いている原因の1つでもあった。
だから友達なんか出来ないと半ば諦めていた所、いっきに3人も気の良い友達が出来たのだから人生何が起こるか分からないと、みきほの口許が無意識の内に緩む。
ガチャガチャ
玄関の鍵が開かれる音が聞こえて、みきほが携帯に表示されている時刻を見ると、23時を過ぎていた。
喜びに浸っていた間に、かなりの時間が経過していたようだ。
玄関が開き、母親が中に入ってくる音を確認すると、みきほは自室を出て、玄関で靴を脱いでいるであろう母の元に向かった。
友達が出来たという喜びを、母と分かち合いたいと思ったのだ。
「ママ! お帰りなさい!」
既に就寝していると思っていた娘が現れて、40代後半の黒いセミロングの母親――風祭 みどりが驚いた様子を見せる。
「あんた、まだ起きてたの!? 明日は学校じゃなかったの!?」
「うん、そうなんだけど……ママに知らせたいことがあって」
「何よ? 手短にしてちょうだいね」
興味が無さそうに冷たく答えるみどりに、心がチクリと痛みながらも、みきほは笑顔で口を開く。
「あのね……あたし、今日友達が出来たんだ……3人も」
「へー。同級生?」
「ううん、違う学校の子。男の子2人と、女の子1人」
それを聞いたみどりが、訝しむように眉間にシワを寄せて、みきほを見つめた。
「違う学校の子? 変な子とかじゃないの? 厄介なことに巻き込まれない内に縁を切りなさいよ」
会ったこともないのに、一方的に黒斗達を不審がる母に、みきほが苛立つ。
「変な子とかじゃないし! 何でそんな冷たいこと言うの!?」
「ママはみきほが騙されないように注意してあげてるだけじゃない。それで怒るなんて、おかしいわよ」
「騙されたりなんかしてないし! あいつら、良い奴らだし!」
「はいはい。ママ疲れたからもう寝るわ。みきほも早めに寝なさいよ」
みきほの話を聞き流したみどりは、やはり一方的に話を打ち切った。
「……ママ、今日も遅かった。仕事、13時までじゃなかったの?」
「仕事が残業になったのよ。それで その後に会議があって、こんなに遅くなったの。まったく、皆ママが居ないと何も出来ないんだから困っちゃうわ」
洗面所で、みどりはメイクを落としながら溜め息まじりに言う。
「みきほ、明日も学校でしょ? 早く寝なさい」
「……分かったし」
俯きながら返事をすると、みきほは重たい足取りで自室に戻っていった。
部屋に入って扉を閉めると、みきほは扉に凭れながら座り込んだ。
「……ママのウソつき。パチンコに行ってたくせに」
みきほの母、みどりはチェーン店のパン屋に勤めている。
基本的に就業時間は午前5時から午前10時までで、残業やらで遅くなっても13時か15時には終わる。
そんなみどりが、夜遅くまで何処に行ってるのかと言うと、答えはパチンコ屋である。
重度のパチンコ中毒者であるみどりは、娘に仕事と偽って、毎日パチンコ屋に通っているのだ。
今日も例外ではなく、みきほが15時頃に母が勤めているパン屋に電話をかけたら、午前10時には仕事が終わって帰ったと言われた。
(……昔は、あんなんじゃなかったのに。どうして変わっちゃったの……)
ガックリと項垂れて、変わる前の……昔の優しかった時の母を思い出す。
“みきほちゃん。みきほちゃんはママの宝物だよ”
“みきほちゃんが居るから、ママは生きていけるの”
“みきほちゃんは、そのままの優しい子でいてね”
“みきほちゃん、ママと2人で頑張ろうね。そして幸せになろうね”
「……ママは今、幸せかもしれないけど……あたしは幸せじゃないよ」
生気の無い眼から、一筋の涙が零れ落ちた。
******
翌日の放課後
「へへっ……こんにちはー」
大きなビニール袋を持った鈴と、その後ろに佇んでいる黒斗と玲二の姿を見たみきほが笑う。
昨日の約束通り、3人はみきほの家に遊びに来たのだ。
「いらっしゃい! ほら、上がって上がって!」
頬を赤らめながら、3人を促すみきほは本当に嬉しそうだ。
「よいしょっと」
台所へと辿り着いた鈴は手に持っていた袋をシンクに置くと、中からニンジンを始めとする野菜や牛肉の切身、そしてカレーのルー等を取り出した。
「今日はカレー作ろうと思います。カレーやったら、作り置きも出来るし」
隣に立つみきほに、鈴がニッコリと笑いかける。
ちなみに黒斗と玲二も、今日は手伝いをしてほしいと頼まれて台所に集まっている。
「カレー好きだから嬉しい! ……でも、材料までごめん……」
申し訳なさそうに頭を下げるみきほ。
「ええって、ええって! 家にあった余り物を、冷蔵庫の奥から引っ張り出してきただけやから!」
気にしないで、と鈴が片手をヒラヒラ振りながら言った。
「余り物って……腐ってる物が混ざってないだろうな?」
シンクに置かれた野菜を怪訝そうに見つめる黒斗に、直ぐさま鈴が抗議する。
「失敬やな! ウチのおかんは、あれでも神経質なんやから食べ物を腐らすことはあらへん! ……ただ、大量に食材を買ってくるのがキズやけど……」
「へー! オレのお母さんは、よく食べ物腐らせるよ! こないだ1ヶ月も賞味期限が切れたヨーグルト、オレ気づかずに食べちゃってエライめにあったなあ、アハハ」
「笑いごとじゃないだろ……ヘタしたら救急車ざただぞ」
一歩間違えれば食中毒でも起きてそうな事件を笑いながら話す玲二に、黒斗がボソッとツッコミを入れた。
そんな彼らを置いといて、鈴がみきほに話しかける。
「今日は、みきほさんにも手伝ってもらいますね」
「えっ。でも…あたし、本当に料理とかサッパリたよ?」
「やから、ウチが教えながら作ります。昨日、約束しましたからね」
「あ、ありがとう!」
笑顔で笑いあう鈴とみきほ。
そんな微笑ましい光景を見ていた玲二が、不安を黒斗に洩らした。
「……兄貴、オレも料理ダメだけど大丈夫かな?」
「……とりあえず無事に済むとは思わないことだな……」
これから待ち受けているであろう大騒動を思い、黒斗は深い溜め息を吐くのだった。
******
「ギャー! 指切ったあああ!」
またも聞こえてきた玲二の悲鳴に、本日何度目かの溜め息を吐く黒斗。
「クロちゃん! ウチ、今は手ぇ離せへんから頼むわ!」
みきほに付きっきりの鈴から指示を受けた黒斗は、牛肉を切る手を止めて玲二のもとに向かう。
「兄貴、血が出た! 血ーがー出ーたーよー!!」
ギャアギャアと騒ぐ玲二の人差し指を見るが、出血というより、血が滲んでいる程度である。
この程度のケガで自分の作業を中断させられた黒斗は、苛立ちを露に玲二をギロリと睨みつける。
「大げさに騒ぐな。こんなもの傷口を洗って絆創膏でも付けときゃ治る。いちいち作業を止められる俺の身になってみろ」
冷ややかで、とてつもない威圧感を醸し出しながら言う黒斗に、玲二はすくみ、「すんません!!」と謝りながら絆創膏を取りに行った。
それを見送った黒斗は、鈴とみきほの様子をコッソリと伺う。
「こ、これで良い?」
「あきまへん! 包丁を使う時は、こっちの手を猫手にせえへんと危ないですよ!」
不慣れな包丁を使うみきほに、親身となってレクチャーする鈴。
作業を始めて、1時間近くは経とうとしているが、こんな調子なので未だに材料を包丁で切る作業が続いている。
完成にはまだまだ時間がかかるだろう。
「こ、これでどうよ!」
気合いを入れながら、みきほがニンジンを切る。
しかし、その形は小さく歪だ。
「はあ……上手くいかないな」
「大丈夫。最初は誰でも、そんなもんや!」
しょんぼりするみきほに、鈴がグッと拳を握りながら元気つけるように言った。
「ウチかて、最初おかんに習ってる時は相当やったで」
「鈴は、お母さんに料理教えてもらったの?」
「はい! 手取り足取り教えてもらいました!」
手取り足取り教えてもらった割に、料理の みてくれが悪すぎる――という言葉が黒斗の脳裏に過ったが、話が脱線しそうなので黙っておく。
「鈴のお母さん、どんな人?」
「ちょっといい加減でキツい所あるけど、家庭的で料理がめっちゃ上手いで! 女手1つでウチを育ててくれたし、料理とかたくさん教えられたんや」
「そう……なんだ。いいお母さんだね」
みきほは言いながら、自分の母親のことを思う。
(あたしは、ママに料理教えてもらえなかったな)
仕方ないとは分かっている。
ほんの3年前までは、自分達親子は特殊な暮らしをしてきたし、毎日が必死だったから、料理を教えてもらう余裕も暇も無かった。
だけど――
(やっぱり寂しく思うのは、あたしのワガママだよね)
自嘲するようにみきほは笑うと、考えることを辞めて、目の前のニンジンに意識を集中させた――