断罪者1
罪は罰せられなければならない。
だが、この世界には罪を犯しながらも罰を受ける事なく生きている者も居る。
法律、権力、金、あるいは巧妙な工作――
様々な恩恵に守られて、人が裁けない罪人がいる。
人が裁く事が出来ないならば、その罪人は罰する事が出来ないのか――
******
「しつこいんだよ! いい加減に諦めろ!」
夜も遅くなり、人波もまばらになっている街。
そんな中、更に人気の無い路地裏で覆面を被った男が、1人の中年男性に一方的な暴力を振るっていた。
「さっさとよこせや! オラッ!」
地べたに横たわっている男性に、覆面の男は鳩尾に容赦なく鋭い蹴りを入れていく。
「う、げぇ、ぐっ……」
激しい衝撃に意識が飛びそうになるが、それでも男性は歯を食い縛り、茶色い長財布をしっかりと握り締めたまま離さない。
「……このかね、は…………いのちより、だいじなんだ……! わたしたり、なんか……しないっ!」
キッ、と覆面の男を睨みつける男性。
彼には この財布を手放す訳には いかない理由があった。
何故なら、財布の中には病に苦しむ妻の手術費用が入っていたからだ。
男性の家庭は決して裕福とは言えない――俗に言う“貧乏”である。
一般的な家庭ならば払えるような手術費用だって、彼にとっては数百万もの価値が ある大金だ。
ようやく集めた妻の命を救う金を、こんな人間のクズに渡すものか――そんな強い思いを持って、彼は財布を握りしめる。
しかし、その反抗的な態度が男の逆鱗に触れた。
「だったら殺す気で奪い取ってやるよっ!!」
叫び声と共にヒートアップしていく暴行。
鳩尾だけでなく頭部や急所にも殴打は及び、男性の財布を握る力がついに弱まる。
その隙を見逃さずに覆面の男は財布を奪い取り、中を確認すると満足げに頷いた。
「命より大切なら もっとしっかり守るんだな」
覆面の男はそう吐き捨てると足早にその場を去っていった。
その背中を男性は唇を血が滲む程に噛み締めながら見つめる。
(……こんな……こんなことが……許されていいのか……)
悔し涙を流しながら、男性は握り拳を地面に叩きつけた。
******
(へへへ……これだけありゃあ、当分遊びまくりだぜ……)
財布の中に入っている数十枚の紙幣にニヤニヤが止まらない男。
彼は辺りに人が居ないことを確認すると、中から札だけを抜き取り、用済みとなった財布をゴミのように地面へ投げ捨て、覆面を脱ぎとった。
露となる素顔――それは まだ幼さを残した、十代後半くらいの少年のものだった。
(こないだのオッサンはしけた金だったけど、今回は当たりだな)
暖かくなった懐に満足して口笛を吹く少年。
彼はスキップに近い足取りで、自宅へと向かう。
───何度目だ?
「はっ!?」
突如 襲ってくる強い悪寒と殺気。
それによって全身の毛が逆立った少年は、立ち止まると同時に勢い良く振り返った。
(な、何だ……今のは……?)
誰かの声が聞こえたような気がして周囲を見渡すが、今この路地には自分1人しか居ない。
それなのに、誰かにジッと見つめられているような薄気味悪い感覚がするのは何故だろうか。
念の為に少年は もう一度 辺りに視線を はしらせるも、やはり他に人の姿は無かった。
(……誰も居ないし、気のせいか。クソ、ビビっちまったぜ)
人目を気にするあまり、空耳が聞こえたのだろう。
そう考え、少年は踵を返して再び歩き出す。
だが、今度は後方から視線や声ではなく足音がしてきた。
コツ、コツ、コツと徐々に その足音は少年に近付いてくる。
空耳ではない、確かにハッキリと聞こえてくる それに少年の心が再び ざわつく。
(まさか……さっきのジジイが追いかけて来たのか!?)
こんな事ならもっと痛めつけておくべきだったと苛立ちつつも、男性を振り切ろうと走り出す。
だが彼を追う足音は一行に遠ざからず、それどころか近づいてきている。
(面倒くせー! こうなったらもう一度ボコボコにしてやらあ!)
あんな非力な中年くらい簡単に倒せると思いたち、拳を構えて振り返る少年。
だが彼が見ている方向には誰もおらず、ただ暗闇が広がっているだけだった。
警戒しつつ周囲を見ても、やはり人は居ない。
先程まで聞こえていた足音も聞こえなくなっていた。
けれど、誰かに見られているような得体の知れない不気味な感覚、そして芯まで凍りつきそうな寒さは消えないままだ。
(……気持ち悪い……さっさと帰るか!)
一刻も早く恐怖から逃れたい。
その一心から、少年は駆け足で帰路に つく。
だが、足を進めていた彼の目の前を不意に何かが勢いよく横切り、金属音と共にコンクリートの壁に突き刺さった。
「…………は?」
驚きの余り、それ以上の声が出ない少年。
放心したように口を半開きにしながら立ち尽くす彼の目の前には、銀色が広がっている。
その銀色は不気味に きらめいており、とても大きい。
そして、包丁とは比べ物にならない鋭い刃が付いていた――
「なっ、なっ、な……!?」
壁に突き刺さっているものが刃物と分かるや否や少年は我に返り、顔から血の気が引いていく。
見たことのない巨大な刃物に戦慄する少年。
そんな彼の首を、突然 横から伸びてきた手が掴んで、壁に身体ごと叩きつけた。
「がっ……」
衝撃で一瞬 息が詰まり、少年は目眩に襲われる。
二重三重になって見えるボヤけた視界の中、彼は襲ってきた者の正体を確かめるべく、必死に目を凝らして目の前に居る“誰か”を見やる。
だが、その“誰か”の姿を見た刹那、少年の目が信じられないとばかりに大きく見開かれた。
「……な、なんだよ……おまえ…………」
震えて裏返った声を発する少年。
そして そんな彼の首を掴んでいる人物、それは――
髑髏の仮面を着け、闇に紛れそうな漆黒のフードを身に纏い、身の丈以上の大きさを持つ巨大な鎌を持った――“死神”だった。
「何度目だ?」
「は……ぁ?」
質問の意図が解らず、疑問の声を漏らす。
だが、その反応が気にくわなかったのか死神の首を掴む力が更に強まった。
「人から金を強奪したのは何度目だ?」
そんなことを訊いてくる理由が分からない少年は眉を潜めるが、下手に反抗して絞め殺されることを危惧し、大人しく返答する。
「た、確か……3回……多分、今日で3度目だ!」
「……そう、3度目だ。自分が犯した罪の数を覚えていた事に関しては褒めてやろう。だが……」
壁に刺さっていた大鎌が引き抜かれ、少年に鋭い切っ先が向けられる。
「お前はやりすぎた。犯した罪に対する罰を受けてもらう」
抑揚なく紡がれた言葉を聞いた刹那、少年の穴という穴から一斉に汗が噴き出した。
───殺される。
そう直感した青年は、首を掴む死神の手を引き剥がそうとするも、その手は石像のようにピクリとも動かない。
「やめっ、やめてくれ……! たかが、おやじ狩りだろ!? 人を殺した訳でもあるまいし!! こんな事で殺されるとか、ありえないだろっ!?」
「確かにお前は直接的に人を殺してはいない。だが最初にお前が金を強奪した相手……ソイツはお前に金を奪われた事によって借金を返済する最後のチャンスを失い、家族と共に心中を図った。
そして先程、お前が襲った男が持っていた金は、血の滲むような努力の末にやっと手に入った難病の妻の手術費用。
直接 手を下していないとは言え、お前が彼らを死に追いやったも同然……仮に彼らに そんな事情が無かったとしても、強奪なんて どう見ても立派な犯罪だろう?」
「……わ、わ、分かったよ! 今 奪った金は返す、もう親父狩りだって しない! だから頼む許して……」
「……今さら遅い。相応の罰は受けてもらう」
半ばパニック状態となった少年は喉が潰れそうな程の大声で叫ぶが、死神から返ってきたのは あくまでも冷ややかで無慈悲な反応だった。
「いやだあああぁぁ!! 死にたくない、死にたくない!! 誰か、た、助けてええええっ!!」
泣きながら命乞いをする少年に向かって大鎌は降り下ろされ、肉が裂ける生々しい音と共に鮮血が壁に飛び散った。
******
「くぅ……」
傷口を押さえながら、宛もなく歩く中年男性。
警察に被害届を出しても金が戻ってくる確率など半分にも満たない。
あらゆる者に頭を下げ、あらゆる物を売りさばいて ようやく手に入れた金だったというのに――奪われてしまった。
何もかも終わってしまった。
「すまない…………すまない……愛子……!」
涙を流しながら男性は膝をつき、愛する妻へと謝罪の言葉を口にする。
その時――
男性の目の前に、茶色い何かがポトリと落ちてきた。
「こ、これは……!?」
まさかと思い、男性が落ちてきた何かを手に取ると、ソレは先程奪われた財布だった。
急いで中身を確認すると、紙幣は1枚たりとも減っておらず奪われた時の状態そのままだった。
──どうして?
──理由は解らないが、金は戻ってきた。
──これで妻は助かる。
──きっと、これは神助けだ。
「……ありがとうございます」
空を見上げて感謝の言葉を呟く男性。
そんな彼の様子を、死神がビルの上から見つめていた――
******
平凡な男子高校生、月影 黒斗の一日は騒音から始まる。
ガチャン ガシャン ドンガラガッシャン
眠っていた彼を起こす、耳を塞ぎたくなるような喧しい音。
毎度の事なので特に気にしないが、たまには静かに目覚めたいものである。
彼は溜め息を吐きながらベッドから起き上がると、学校へ向かう為の身支度を整え始めた。
青いブレザーの制服へ着替え、寝癖がついている黒髪に軽くクシを通し、鏡で身だしなみを確認して部屋を出る。
階段を降りてダイニングルームへと向かえば案の定、見慣れた人物の後ろ姿が目に入った。
「おはよーさん、朝ご飯はもう出来とるで」
綺麗で長い髪を三つ編みで1つにまとめた少女が、黒斗の存在に気付いて笑顔で振り向く。
「おはよーさんじゃない……お前は俺の奥さんか。いらないと言っているのに毎朝、飯作りに来やがって」
三つ編みの少女――橘 鈴は黒斗と同じ如月高校に通う同級生である。
彼女は非常にお世話やきというかお節介な性格で、1年前に黒斗が如月高校に転校してきたばかりの時もやたらと話しかけてきて、黒斗が両親と離れて一人暮らしをしていると知った時から、こうして毎日朝ごはんを作りに来るようになったのだ。
正直、黒斗は彼女をうっとうしく感じる時がある。
だが鈴は根は悪い人間ではなく、こうして世話を焼いているのも純粋な善意からなので無下にも出来ず、仕方なく黒斗は彼女のやりたいようにさせている。
「まあええやない。ご飯は一人で食べるより誰かと食べる方がウマいで! ほら、座って座って」
促されるまま席につくと、テーブルにゴチャゴチャな形になったスクランブルエッグと黒焦げの食パンが置かれた。
「……これはまた酷いもんだ」
「別にええやろ! パンは失敗したけどタマゴは安定の味やで」
呆れ果てたような視線を送るが鈴は全く動じない。
だが鈴の料理は見た目が不味そうでも、味は非常に良いという特徴があるのだ。
美味い物を食べさせてもらっているのは確かなので、黒斗も あまり文句を言わないでいる。
料理に手をつける黒斗と鈴。
しかし、テーブルについて向かい合っているというのに2人の間には会話が無い。
いつもなら もっと喋る筈の鈴が無言であることに不審を抱き、黒斗は思いきって口を開いた。
「……何かあったのか? 様子がおかしいぞ」
黒斗の言葉に鈴の肩が強張るが、間を置いて視線を合わせてきた。
「…………あのな……今朝、ケイちゃんのお母さんからメールが あったんや……。ケイちゃんが昨日の夜……“死神”に襲われたって……」
「なにっ……!?」
ケイちゃんこと竹長 恵太郎。
鈴の中学時代の友人で黒斗とも面識があり、何度か一緒に遊んだ事がある青年。
そんな彼が、世間から恐れられている無差別連続殺人犯の“死神”に襲われたと聞き、黒斗は驚いた様子をみせる。
「……容体は?」
「命に別状はないけど、入院しとるって。ウチも あまり詳しくは知らんのや。ニュースで やってへんかな」
そう言うと鈴はリモコンを使ってテレビをつけた。
『……3人の男性の命を奪った連続殺人犯である田島 良子容疑者は犯行を否定しており、警察は引き続き取り調べを……』
テレビでやっているニュースは連続殺人犯でも、死神のことではない人物のことだった。
「そうタイミングよく放送される訳ないってな」
「せやな……それにしても、あの連続殺人犯捕まったんかー良かったわー……まったく、ここ最近、連続殺人だの死神だの物騒すぎてイヤになるわ」
ふう、と溜め息を吐いた後に鈴は明るい表情を浮かべた。
「なあ……帰りにケイちゃんのお見舞い行かへん? ケイちゃんのお母さんからも、元気づけてやってほしいって頼まれたんや」
「……ああ。今日はヒマだからな、付き合ってやるよ」
「おおきに!」
朝食を終えて、元の明るさを取り戻した鈴と共に黒斗は学校へと向かうのだった。
******
如月高校2年A組 教室内
「はい、皆さん静かにー!」
ざわめく教室内にウェーブのかかった、腰まで届く髪が特徴的な担任教師の佐々木のぞみが入ってきて、生徒達に静粛を促した。
教師の言葉通り、生徒達は朝礼を行い、席につく。
「今日は転校生を紹介します。さ、入りなさい」
佐々木が扉の方を見やると、ガラガラと音をたてながら1人の男子生徒が入ってきた。
姿を現したのは、茶色い髪を無造作に伸ばした少年。
端正な顔立ちに赤い瞳が特徴的だ。
生徒達も珍しい赤目に興味を示しているようで、ハーフなのだろうか等と小声で会話を している。
一方 注目の的となっている少年は、特に緊張した様子もなく、無表情で教室内を見渡している。
「さあ自己紹介しなさい」
佐々木が挨拶を促すが、彼は無言のまま立ち尽くしているだけだ。
「ちょっと、聞いてるの? クラスの皆に自己紹介しなさい」
「…………大神 義之」
「……はい、転校生の大神くんです。皆さん、宜しくしてあげて」
ようやく口を開いたかと思えば名乗っただけの生徒に、佐々木は投げやりな様子で紹介を終わらせた。
その様子をジッと見ていた鈴が、黒斗の後ろの席から声をかける。
「なーんか無愛想なやっちゃなあ。クロちゃんよりもネクラな人がこのクラスに来るとは思わんかったわ」
「誰がネクラだ。俺は暗いんじゃない、クールなんだ」
「コラー!!」
怒声と共に黒斗の額へと白いチョークが投げつけられる。
「いでっ!」
「ホームルーム中にお喋りは禁止だと何度も言ってるでしょーが! ホラ、大神くんも何処でもいいからさっさと空いた席に座りなさい!」
少々短気で怒りっぽい佐々木は態度の悪い転校生と、私語をつつしまない黒斗に完全にご立腹のようであり、不機嫌を隠すことなく大神へ着席を命じた。
「…………」
これまた無言のまま大神は窓際の一番後ろを目指して歩みを進める。
途中 黒斗の席の横をすれ違った際、大神は殺気のこもった瞳で彼を睨みつけた。
「……君の目も赤いんだ。お揃いだね」
「えっ?」
呟かれた言葉に黒斗が反応し、顔を上げると同時に目と目が合う。
だが大神は何事も無かったように彼から目を逸らすと、空席へと向かっていった。
その様子を無表情のまま目で追う黒斗だが、心が何故か ざわざわとして落ち着かない。
(………人のことを言えないが……見ていて気分の悪くなる目だな……)
どろりとした血のように赤い大神の目に、黒斗は生理的嫌悪を覚えた。
「……どないしたん? そんな険しい顔して」
「……何でもない……」
胸焼けしたようにムカムカする感覚を堪え、黒斗もまた、何事も無かったように前を向き直した。
******
放課後
手早く帰り支度を済ませた鈴は、直ぐ様黒斗に声をかけた。
「クロちゃん、行こか」
「ああ」
その様子を見ていた周囲の同級生がすかさず冷やかしだす。
「ヒューヒュー! まーたネクラと橘がデートだデート!」
「橘ぁ、お前もネクラの何処がいいんだよお」
ちなみに“ネクラ”とは黒斗の蔑称である。
真っ黒な髪と、若干暗い性格(本人はクールと言い張っている)から付けられた。
「うっさい! デートやないって何度言えばわかるんやー!」
鈴が拳を振り上げて否定するが、同級生達はニヤニヤ笑ったままである。
「放っておけ。好きに言わせとけばいいだろ」
「クロちゃんがそんなやから、つけあがるんやで……全く」
ぶつぶつ不満を呟きながら、鈴は黒斗と共に恵太郎が入院している赤羽病院へと向かった。
******
赤羽病院内
恵太郎の病室を聞く為に、鈴が受付の看護婦に声をかけた。
「すんません、竹長 恵太郎くんの病室って何処ですか?」
「はい、それなら3階の1番奥になりますよ」
「おおきにー。行こか、クロちゃん」
愛想の良い看護婦に頭を下げ、2人はエレベーターへと乗り込む。
「さっきの受付の看護婦さん、エライ美人さんやったなあ……巨乳やったし……。ウチも大人になったら、ああいう風になりたいなあ」
3階に上がっていくエレベーターの中で、独り言を呟く鈴の胸元をチラリと横目で見た黒斗が言う。
「無理だろ」
一瞬の間があった後、エレベーター内にバチーンと大きな音が響いた。
******
「んーと……1番奥、1番奥と……。お、あった! ほらクロちゃん、はよう来てや!」
恵太郎の病室を見つけてはしゃぐ鈴の元に、黒斗は手形が付いて赤くなっている右頬をさすりながら歩み寄る。
「こんちはー! ケイちゃん見舞いに来たったでー!」
高いテンションで病室へと入り込んだ2人の目に入ったのは、掛け布団を頭まで被って震える恵太郎の姿だった。
「ちょっとケイちゃん、大丈夫?」
恵太郎の側へと近寄る鈴だったがベッドの横に立った瞬間、恵太郎が勢いよく起き上がり叫んだ。
「うわああああああっ!! 来るなああ!! 俺に近付くなあっ!!」
叫びながら腕を振り回して暴れる恵太郎から、黒斗は素早く鈴の肩を掴んで離れさせる。
「落ち着け竹長!」
そう怒鳴ると、恵太郎はこちらを認識したのか暴れるのをやめて黒斗と鈴を見つめた。
「あ……月影……と、橘……か」
友人の姿を見て、安堵の溜め息を吐く恵太郎。
「わ、悪い……大丈夫だったか?」
「うん、平気平気。ちょっとビックリしたけどな。それよりケイちゃんこそ大丈夫なん? ……死神に襲われたんやろ?」
「………」
鈴の言葉に頷くと、恵太郎は掛け布団をソッとめくった。
露になった全身に黒斗と鈴が息を呑む。
「ケ、ケイちゃん……右足が……」
「ああ……死神に切り取られちまったよ」
恵太郎の右足の付け根から下には何も無かった。
最初から彼に右足など無かったかのように、キレイに切断されていたのだ。
「ひ、ひどい……」
目に涙を溜めて震える鈴に、恵太郎は乾いた笑いを浮かべた。
「殺されるよりはマシだったけどな」
そう呟く恵太郎の脳裏に、死神に襲われた時の状況が鮮明な映像となって映しだされる。
*****
昨日の夜
恵太郎は3度目のおやじ狩りを終えて、後は家に帰るだけだった。
死神さえ現れなかったら。
「や、やだあああぁぁっ!! た、助けてくれ!!」
首を掴まれて身動きが出来なくとも、恵太郎は死への恐怖と生への執着から叫び、爪をたてて死神の手を引っ掻く。
(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない死にたくない死にたくないっ!!)
だが、無我夢中の抵抗も虚しく、恵太郎に鎌が降り下ろされた。
「グギャアアアアアァァァ!!」
右足の付け根に今まで感じた事の無い激痛がはしる。
「ギィ、ァッ……!」
傷口から血が溢れ出る。
皮膚が引き裂かれる音がする。
骨が砕ける音がする。
「イダイ!! イダイ、イダイよぉ゛!!」
あまりの痛みに涙があふれてくる。
叫んでも、叫んでも、無情な鎌が肉へと食い込んでくる。
「ヒ、ヒッ、ィ……」
いっそのこと気を失った方が楽だというのに、そうなってくれそうにはない。
鎌が押し込まれる度にグチュグチュと音が鳴り、ヌルヌルとした液体がズボンを濡らしていく。
気味の悪い感覚と痛みによって、恵太郎の口から逆流した胃液が漏れてくる。
(タ・ス・ケ・テ)
必死に唇を動かすが その言葉は声にならず、皮膚が、細胞が、骨が千切れる音と共に、恵太郎の右足が切り取られた。
「がああああああ゛あ゛ぁ゛っ!!」
ようやく死神が恵太郎の首から手を離すが、突然右足を失った為に、バランスを崩して地べたに倒れこんでしまう。
「あ、しがっ!! あしっ、おれの、あしが、ぁっ」
右足が無い状態で転げまわる恵太郎を、死神は仮面の奥に見える真っ赤な瞳で嘲るように見下ろしている。
「かえせかえせかえせ!! おれのあしぃぃ!!」
錯乱状態の恵太郎は、死神の鎌に刺さったままの右足に手を伸ばす。
だが彼の右足はガラスが粉々に割れるような音を響かせながら、跡形も無く砕け散った。
「あっ、あっ、おれの、あしがぁぁぁっ!!」
無様な姿で叫ぶ恵太郎だが、死神は無言のまま彼の懐から札束を抜き取り、そのまま立ち去っていった。
*****
「……ケイちゃん、どないしたん?」
鈴に声をかけられ、現実に引き戻された恵太郎は頭を振って脳内の映像を消し去る。
「いや……ちょっと昨日の死神のことを思い出してたんだ」
恵太郎の身体が微かに震えだす。
「……恐ろしい奴だった……。大きな鎌で、俺の……右足を……」
俯いて、今は無き右足があった場所を見やる恵太郎。
「傷の具合は大丈夫なん?」
「……右足を切り取られた直後は、血が大量に出て死ぬかと思ったけどさ……あの死神が立ち去った後に、突然血が止まって傷口も塞がったんだ。
……絶対にアイツは人間じゃない! 特にあの……仮面の奥に見えた真っ赤な目……! 思い出すだけで身の毛がよだつ!」
俯きながら頭を掻きむしる恵太郎を、黒斗と鈴は黙って見守るしか出来なかった。
「……今日はもう帰ってくれないか。いや、しばらく来ないでくれ。誰かと会う気にもなれないし、それに……」
一呼吸置いてから、恵太郎はポツリと呟いた。
「月影には悪いが……お前の赤い目を見てると、あの死神を思い出して嫌なんだ……!」
「……分かったよ。今はゆっくり休んどけ」
こちらを見ようとしない恵太郎に、黒斗はそう言うと、鈴と共に病室を後にした。