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 俺たちは茶理と別れ、砂漠を越え、ゼシュの密林へと入った。椎香を旅の辛さから守ってきたマントもずいぶんとくたびれてしまっている。

 ゼシュの密林はグローニュからの豊富な水源を得て成長した黒い森だ。鳥の声が収まらず、獣が人の作った僅かな街道を我が物顔で往来している。ふと地面をみると、丸いツチグリというキノコがぽつぽつと生えていた。俺は踏み潰さないように避けて歩く。


「しかしキノコ娘が、そんなに身近にまぎれているとは思わなかった」

「キノコ娘によってそこらへんは違うからね。堂々としているヤツもいれば茶理にみたいにひっそりと暮らしているよ」

「ひっそりとね……砂漠のど真ん中で水着を着て日光浴してる姿を見た時は、俺もついに終わりかと思ったよ」

「普段は腰掛けている袋の中に隠れているんだよ、たまに頭だけだして周りを伺ったりするけどね」

「キノコ娘にもいろいろいるんだな。しかしあの子にはどうやら俺は嫌われたみたいだな」


 椎香がキョトンと首を傾げた。


「そうかい? 茶理もゾクタのこと気に入っていたと思うけど」

「ずっと睨みつけられていたよ。椎香を危険な目にあわせているから、良い気はしないのかもな」


 プッと椎香が吹き出した。今度は俺が首を傾げる。


「く……くふふ、あはは」


 堪え切れなくなったのか椎香は笑い出してしまった。


「違う違う、あいつはいつも日差しが強くて砂っぽいところにいるからさ、いつも目を細めていたもんで目つきが悪くなったのさ。あれが地なんだよ」

「なんだそうだったのか」


 助けてもらっておいて悪いとは思ったが、あの奇妙なキノコ娘の姿を思い出し、俺たちは2人で笑いあった。



 その夜、砂漠を横断するときに最低限のもの以外は捨ててきたため、食事は質素になるはずだった。だけど椎香がいろいろなキノコを見つけてきてくれたので豪華なキノコ鍋だ。でも俺は相変わらず、シイタケは目をつぶって呑み込んでいる。


「むぅ」


 椎香は不満そうに口を尖らせた。悪いとは思うのだけど、俺のシイタケ嫌いは年季が入っているのだ。


「一体シイタケのどこか嫌いなのさ」

「それは……」


 俺は着ていたマントをバサリと広げる。キィンとマントの内側に縫い込まれた鉄片が音を立てた。


「えっ!?」


 俺は椎香を抱えると、即座に走りだした。マントに刺さった矢をへし折る。刺さったままだと動きにくい。

 ピィと笛が鳴った。あそこまで近づかれるまで気がつかないとは不覚だ。飛んでくる矢から椎香を庇いつつ必死に走る。



 肩を強く叩かれた。すぐに熱く、鋭い痛みが全身を貫く。


「ゾクタ!」


 椎香が悲鳴を上げた。装甲マントは身軽な分、鎧としては不十分な品物だ。鉄片の隙間を縫って突き立った矢が俺の肩口でビリリと振動している。

 痛みによる絶叫を噛み殺し、俺は走り続けた。マントがじわじわと赤く染まっていく。



 やがて、グローニュの恵み(川)にかかる橋まで追い詰められた。向こう岸にも何人もの兵士という名の盗賊がいる。

 俺は椎香を降ろすと、マントの裾を口に加え、肩の矢を無理やり引き抜いた。気の遠くなるような激痛が襲う。マントを噛み破らんばかりにギリリと歯が鳴った。


「抜いちゃダメだよ! 血が出ちゃう!」


 椎香の言うとおり、傷口からあふれるように血が吹き出した。だが矢が刺さったままでは満足に弓を引けない。


 俺は背中の弓を構え、対岸の兵たちに向けて次々に矢を放つ。後ろのやつらが追いつくまで、ほとんど時間がない。あと3度呼吸する間に対岸の兵を片付けなければならないだろう。

 びゅうと矢が飛び、1呼吸する間に3人の兵士が倒れた。そして2呼吸する間には5人の兵が倒れた。あと2人、俺は全神経を集中して矢をつかもうと矢筒に手を伸ばし。


「がっ!」


 右手の甲を射抜かれた。

 耐え切れず、ついに俺は弓を落とした。後続にも追いつかれ、橋の向こうに残った2人もこちらへ渡ってくる。


「ゾクタ! ゾクタ!」


 椎香が泣きながら叫んだ。俺は左手で腰の曲刀シミターを抜く。流れ出る血がびちゃびちゃと地面に落ちて音を立てた。



「見事なもんだ」


 渡ってきた1人がぱちぱちと拍手をした。



「たった1人で、キノコ娘を守りながらよく闘いぬいたもんだ」


 オッゴン=ザイ訛りを隠そうともせず、そのスラリとした細身で金髪碧眼の男は言った。


「じゃがもうオシマイじゃ、楽になり」


 後ろから俺の右手を貫いた射手も現れる。射手は腰の直剣ロングソードを引き抜きジリジリと間合いを詰めてきた。構えた姿から強い威圧感を感じる。俺と同じようにいくつもの修羅場をくぐり抜けてきた男なのだろう。


「さあやれ」


 碧眼の男は射手に命令した。少し待てば10人は後続がくるだろうに。

 射手は碧眼の男の命令に対して、かすかに唸ったが、俺に向かって飛びかかってきた。俺は後方に一歩下がりながら曲刀を構えて迎え撃つ。

 俺の曲刀は空を切り、射手の直剣が腹をえぐった。もう力を失いつつある俺に射手が剣を振り上げる。


「嫌だ!」


 椎香が俺を引っ張った、力が抜けていた俺は引っ張られるままに椎香の方へと倒れこんだ。その先はグローニュの恵み。俺と椎香の身体は橋の下へと落下していった。


「チッ!」


 バシャンと水柱が上がり、それを見た碧眼の男は舌打ちした。


「あの傷では助からんだろう、あとは任すぞ」


 碧眼の男はそう、射手に命ずるときびすを返して去っていった。射手はぺっと地面につばを吐き、流れ行くグローニュの恵みを睨んだのだった。



 酷く寒かった。この寒さは初めて牢獄に入れられたあの日のことを思い出す。貧しかったかつてのイックア国の牢獄は、吹きすさぶ寒風が入り込み、凍傷で死ぬ者があとを絶たない地獄だった。そんな中に1人投げ込まれ、後悔と絶望によって皮膚の内側も冷たく凍え、このまま独りで死ぬのだと、そんなことを考えていた。

 熱を感じた。暖かい熱が身体を包み込んでいる。心が安らぐ熱だ。凍えるような寒さと一緒に痛みが消えていき、俺の意識はまた暗闇の中へと溶けていった。



 俺は目を醒ました。首筋にスゥスゥと穏やかな寝息がかかっている。首を動かすと、俺の隣で椎香が眠っていた。


「……?」


 むにゅりと柔らかい感触が腕と脇を包み込んでいる。なんというか……落ち着くな。頭では、早く起きなくてはいけないと分かっているのだが、心地よさと全身に漂う倦怠感に意思が負け、そのまましばらくぼんやりとまどろんでいた。


 ゴロゴロと雷鳴が鳴った。遠くから雨の音が聞こえる。俺はもう一度目を開けた。どうやらここは小さな横穴のようだ。俺は椎香のマントにくるまれていた。


「あ」


 椎香がぱちりと目を開けた。俺と椎香の目が合う。


「あわわ」


 と焦ったように椎香は立ち上がる。そのせいで、椎香のスラリとした肌色が目の前に現れた。


「きゃあ」


 慌てて今度はしゃがむ。そういえばバッテンの髪飾りはつけたままなんだな。


「む、向こうを向いとくれよ」


 素直に寝返りをうった。傷口がズキッと痛んだ。

 後ろではいそいそと椎香が着替える音がした。ここまでさせてしまうとは、俺は護衛失格だな。



「あ、あんたが冷たくなっていたからさ! 温めようと思ったんだ!」

「分かってるよ、ありがとう、命の恩人だ」


 椎香はする必要もないのに、あれから言い訳を続けていた。俺は応急手当をされた身体を見る。少し未熟な部分はあるが、しっかりと包帯が巻かれていた。それでも、まだ身体には強い倦怠感が残る、本調子とは言えない。


「ふぅ……」


 ようやく落ち着いたのか、椎香が静かになった。なにかごそごそと手荷物をあさっている。


「はい」


 取り出したのは、容器にはいったキノコの煮物だ、キノコといってもほとんどシイタケだが。


「ごめんよ、あんたを置いていくわけには行かなかったらから、自分の扱えるシイタケくらいしか手にはいらないんだ」

「十分だよ……」


 俺は差し出されたスプーンでシイタケを口に入れた。意を決してすっかり柔らかく煮こまれたシイタケを噛み締めた。口の中で潰れたシイタケからじわりと、よく味のついた汁があふれた。柔らかいシイタケを噛む度に汁が口の中を覆い、胃袋が早く寄越せと食道を引っ張る。まあ慌てるな。俺はもう一度噛んでからごくりと喉を鳴らして、十分に味わったシイタケを飲み込んだ。


「美味いな」


 俺は少し驚いて声を上げた。椎香の顔に、今なんて言ったんだこいつはという表情が浮かび、続いてついにやったという達成感が浮かび、そして「だろう?」と得意気な笑顔が浮かんだ。



 俺がシイタケを嫌いだったのは精神的なものだ。トラウマだった。

 俺が罪を犯した日。その日に椎香はこの国にやってきた。

 俺の母親は飢えて、そして病んでいた。薬を買う金どころか明日食うものすらまともに手に入らなかった。どうしても金が必要だった。

 だから斬った。少し悪どいことをしていたが、殺されるほど罪があるはずもない商人を斬った。

 金を持って薬と食料を買いに行ったところで捕まり、俺は囚人となった。せめて母を救ってくれと泣いて頼んだが、誰もが貧しかったあの頃のイックア国に、他人を救う余裕など誰も持っていなかった。

 そんなイックア国に椎香がやってきた、沢山のキノコと菌床を抱えて。キノコ栽培の方法や食べれるキノコの知識などを惜しげも無く、椎香は俺たちに与えた。飢えていた人々は救われた。干したシイタケは薬の原料にもなった。

 あと1日、あと1日違えば、俺は罪を犯さなかった。いくら悔いても、斬って流れた血は二度と戻らない。罪を償おうにも、俺にできることは人斬り稼業、昔やっていた学究がっきゅうの技は忘れ果て、人を斬ることしかできやしない。救った人より斬った人の方がずっと多かった。


 そのはずだったのに、今日のシイタケはとても美味しく感じた。なるほど、これを知らずに死ぬのは確かに死にきれないものだあるな。



 外は雷雨だ。これほど激しい雨なら、盗賊たちもまともに捜索できないだろう。俺たちはここで一晩明かすことにした。

 ピシャアアン!と雷が鳴った。椎香がそわそわしている、怖いのかと聞いたら「怖い? 楽しいじゃないか!」と嬉しそうに言われた。


「うわあ、外でてえな! 跳ね回りてえな!」


 キノコ娘は色々あるんだなと、外をじっと見つめ、雷が鳴る度に楽しそうに立ち上がる椎香を俺は眺めながら俺は思っていた。



 そして夜が明けた。雨は小雨に変わっている。振った雨が霧となって森を覆っていた。


 俺は腰の曲刀を傷ついた右手で一度振る。痛みは走るが、なんとか動きそうだ。弓はもうない。


「いくか」


 俺は眠っていた椎香を起こすとすっかり少なくなってしまった荷物を道具袋にしまった。椎香がずっと持っていた鍋もいたるところが傷つき凹んでいた。川に落ちた時に俺のマントは脱がして捨てたらしい。鎧にもなる装甲マントだったし仕方ないだろう。砂漠を渡るときに捨てた道具、そしてあのとき捨てた水筒はずっと砂に埋もれてしまうのだろうか。旅立ちのときにいた馬は宿場街に置いてきた。仲間ももういない。


「準備できたよ」


 だけど椎香だけはしっかりと離さないように、ここまで守ってきた。



 密林を進む、俺は予感めいたものを感じながら森の出口へと向かった。

 思った通り、あの射手と3人の盗賊が隠れもせずに立っていた。

 俺は曲刀を抜き、用意したものを左手に持ち、まっすぐ奴らの元へ歩いて行った。射手の顔が驚きと、人斬り稼業以外何もできないはみ出しもののみが見せる、命のやり取りに対する憧憬どうけいを口元に浮かべる。

 盗賊の1人が笛を手にした。俺は左手に掴んだ石を投げ、呪文の最後の一言をつぶやき、完成させる。


「鎮まれ!」


 盗賊は笛を口に加え息を吐き出した。だが、笛は沈黙したままだった。

 石に込められた静寂の魔法は範囲内で発生する音を消す。戦いの場に聞こえる音は、平和な鳥のさえずりだけだ。

 盗賊は慌てた様子で口を動かした。射手が肩を叩くと、俺を指さした。盗賊の眼が駈け出した俺の姿を捉える。


 直剣を構えた3人の盗賊は走ってきた俺を迎え撃つべく走りだした。ざわわと木々が風で揺れた。

 一瞬の交差のあと、1人の盗賊が首から血を流して倒れた。すぐさま盗賊は反転し、俺へと剣を突き出す。俺は曲刀でそれを叩き落とすと、手首を返して相手の動脈を薙いだ。血が吹き出て盗賊は音もなく倒れた。バサバサと鳥が飛んだ。

 残った1人は焦ったのか、がむしゃらに剣を大上段から振り下ろした。俺は地面を這うように転がり、膝の裏を深く斬りつける。そしてバランスを崩した盗賊の首の裏に曲刀を叩きつけた。


 立ち上がった俺を、射手はじっと見つめていた。口元には抑えきれなくなった、高揚がはっきりと現れている。俺も同じような顔をしているのだろうか?

 お互いに1歩踏み出し、そこで足を止めた。音がなくても強い殺気を感じ取ったのか、森は静かだった。静寂が暫しの間続く。


「ゾクタ、生きて!」


 隠れていた椎香が叫んだ。同時に俺たちは跳んだ。

 ヤツの剣は鋭く、そして重い。それにヤツの急所は鎧によって守られている。

 音もなく、しかし激しく直剣と曲刀がぶつかった。つばぜり合いによる均衡は、僅かな間すら続かず、すっと2つ武器が動いた。


 奴はそのまま踏み込み剣で俺の首を貫くべく突き出した。俺は手首で刀を切り返した。


「ひっ……」


 椎香が息を呑んだ。首の皮から、毛筋一本の幅もないところに奴の直検が突き出されている。

 そして射手は倒れた。

 俺の曲刀はヤツの脇の下から肩口へと、深く、命を奪うのに十分なほど深く、斬り上げていたのだった。

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