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「…………」
その夜、椎香はじっと黙って塞ぎこんでいた。
「おい元気だせよ、シイタケ娘、スープがすっかり蒸発しちゃってるじゃないか」
俺は煮込みすぎているスープ鍋を火から離そうとした。
「あ、いや、まだだよ、煮物はゆっくり時間をかけて味を染み込ませるんだ」
「煮物? スープじゃないのかこれ」
「ああそうだよ、煮物だ、ごはんに合うんだよこれが」
「ごはん?」
「こっちにはごはんはないんだったね、まあごはん抜きでもいけるさ」
そう言うと、また椎香はじっと鍋を見つめ出した。
「なあ、なんだってあいつら、笑ってたんだい?」
「あの2人か、名前はなんだったかな」
「アパルとイブン=サービトって名前だよ、仲間なのに憶えていなかったのかい?」
非難がましい目で、椎香は俺のことを見た。
「こういう稼業だと、ちょくちょく仲間が変わるもんでね、いちいち憶えていたら頭が破裂してしまうのさ」
俺は肩をすくめるが、椎香は納得した様子もなく俺のことを見つめている。
「酷いじゃないか、あいつらはあたいたちの為に犠牲になったんだ!」
「そうだな、名前は憶えていないが、他のことは少しだけ憶えている」
俺は椎香の隣に座ると、少しだけ思い出話をした。
「そのマント。刀傷のある男、ええっとアパルか。あいつが選んだんだ」
「え?」
「キノコ娘が着るんだからと張り切ってさ、乾燥に弱いんだろう? 何十人もの仕立屋を巡って、それぞれの店で何十着も比べてさ。大して違いはしないのに、少しでも旅の負担が軽くなるようにって。俺はあいつの体臭がマントに着かないか心配だったよ。どうだ? 変な匂いはしないか?」
答える代わりに椎香はぎゅっと着ているマントを握る。
「キツネ顔のやつは遺書を書いていてな、任務で死んだ時のためにってことで。プノムに渡してあるんだ」
「遺書!?」
「その内容が傑作なんだよ」
「読んだの!?」
「ああ読んだ、俺たち3人全員が読んだ」
驚いている椎香に俺は話を続けた。
「まあ聞けよ、その内容の大半がな、椎香の自慢なんだよ。こんなべっぴんのキノコ娘の護衛なんて嬉しいって具合にな。あげくには墓はシイタケの形にしてくれって書いてあってさ」
椎香も少しだけ笑った。
「俺たちは結局のところは、肉切り包丁振り回す人斬りだ。戦場で倒れるならまだ名誉、敵地に潜入して工作しているときに味方の矢が飛んできて死んでしまうなんてこともざらにある」
風が吹いた。鍋の中からシイタケのいい香りが立ち上がった。
「そんな俺たちの最期がさ、国が誇る、美人のキノコ娘を守って竜に挑むってさ……すごく恵まれているんだよ」
「でも……」
「守られていりゃいいんだ椎香は、俺たちはそのためにいるんだ。だからそう落ち込むことはない、もしあいつらのことが心に残ったのなら、笑ってありがとうと空に向かって言ってくれればそれであいつらは報われる」
そろそろ良いんじゃないかと俺が言うと、椎香は慌てて鍋を火から外した。
翌日、俺たちはコス=セラピス谷の宿場街に昼過ぎ頃に到着した。
「ほぉ、てーしたもんだ」
椎香は町の中央にかかる石橋を見て椎香は驚嘆の声を上げた。
石橋は目もくらむような高さの谷を超えてかかっている。朝方には霧上にかかる橋の様子がまるで雲の上を歩いているように見えるだろう。
「一体、こんなすんげえものどうやって作ったんだい?」
「たしか、すごく力の強い……いや、身体がでかいだったかな? とにかくキノコ娘が谷をまたぐほど巨大なキノコを作ってくれてな。それを作業台にして橋を作ったんだ」
「ほへぇ、すげえなあ」
「ああ全くだ、どうやったらあんなものができるのか、見当もつかないな」
俺たちは2人で眼前にかかる橋をほへーと眺めていた。
「おーい、椎香さま、ゾクタ殿」
口の周りを覆う刺さりそうな程にチクチクとした剛直な髭と、対照的にクルクルとちぢれたくせ毛の髪をした、残った最後の1人の兵がやってきた。
「通行許可もらってきましたよ、さ、渡りましょう」
俺たちは谷をかかる石橋を超えて、街の反対側へと向かった。途中で椎香が欄干から谷の下を覗き込み「すっげえな」と連呼していたが、髭面の兵は椎香が落ちはしないかとハラハラしている様子で、傍から見ている俺はその二人の様子が面白くて思わず笑ってしまった。
俺と椎香は、2人で街を観光していた。髭面の兵は宿を探しに行き、今はいない。
旅人が行き交う宿場街では、さまざまな人が暮らしている。褐色の肌をした南のブトニア人や黄色い仮面を被ったアスガルドの放浪の民。北方の巨人であるピクト人。それらが思い思いに往来を歩き、文化が交じり合っている。
「わわっ、なんでえそりゃ」
「ははは、すげえだろ嬢ちゃん、こいつはオイラが小さいころ出会った異国の人にちなんだもので、こうしてかけると」
そう言って露天商は真っ赤に染めたガラスを嵌め込んだ色眼鏡をかけた。
「目の前が真っ赤になるんだ!」
「意味わかんねえ!」
椎香がツッコミを入れると、露天商ははははと笑った。
「オイラも分からないんだ、でもさ、その女の人、なんというか変わった黒い上着を着ていたけど、えらい美人さんでなぁ、森で迷っているところを助けてもらったんだ。なんかアタシに触れると火傷するぜとか言われて手は握ってもらえなかったけど」
「へえ」
「その人がかけていた炎みたいに真っ赤なメガネがかっこよくてなぁ、それでオイラも真似して作ってみたわけさ」
全然似てないんだけどねと露天商はまた笑った。
「ふぅ、楽しかったよ、宿場街ってのはてえしたもんだね」
俺たちは宿の一室を借りて、くつろいでいる。
湯を張った桶を借り、旅の垢も落とした。衝立があるというのに、椎香はやたら恥ずかしがっていた。なんでも「音が聞こえるのも恥ずかしいんだよ」だそうだ。よく分からない。
今は、椎香の話に相槌を打ちながら俺と髭面は武器の手入れを行っていた。
トントンとノックの音がした。
「桶を引き取りに来ました」
俺は立ち上がろうとしたが、それを手で制して髭面が立ち上がった。たしかに桶へは髭面の方が近い。
「ご苦労さん」
髭面は任せればいいのに、桶を抱えて扉のところまで持っていった。
「ビジクは力持ちだねえ」
椎香はすっかり冷めたお湯が入った桶を軽々と抱えた髭面に驚いた様子で賞賛の言葉を贈った。髭面のやつ、嬉しそうに顔を赤くしている。
「ああ、ありがとうございます」
受け取りに来た男は礼を言いながら奇妙な動きで手首を返した。
「ビジク!」
俺が警告の叫び声をあげるより早く、男の手首から飛び出たナイフが髭面の腹へと吸い込まれた。
「うぎゃ!?」
だがそれと同時に、髭面は桶を相手の頭に叩きつけた。衝撃と大量の水を頭から浴び、よろめいた相手に節くれ立った拳が叩き込まれ、暗殺者は動かなくなった。
「不覚……」
髭面がよろよろと膝をついた。腹からはナイフが突き出ている。
「大丈夫かい!?」
慌てて椎香が髭面の元に駆け寄った。
「血で汚れますので」
髭面は手で制止しようとしたが、その手を払い椎香は髭面の傷口に近づいた。
「ああ、ひどい、どうしよう」
椎香は口に手を当て、ポロポロと涙をこぼした。それを見て、腹が破れているのは自分だというのに、髭面は慌てた様子で「泣かないで下さい」と椎香を慰めている。
「タオルと止血帯だ」
俺は応急手当をしようと道具を取り出した。椎香はそれをひったくるように奪うと、髭面の腹に当てた。
「ああ、お召し物に血が」
「そんなことはどうだっていいよ! ナイフは抜くのかい!?」
「は、はい、そのままでお願いします。抜くと血が出るので」
「あいよ!」
髭面は申し訳無さと嬉しさが混じって、顔を赤くしている。俺は応急手当を椎香に任せて荷造りを大急ぎで行った。
「外は囲まれているだろうな」
「ですな、いやはや、正念場だ」
髭面は俺を見て小さく頷いた。他に手はない。
「それにしても良かったですな」
「何がだ?」
「ゾクタ殿を制止したお陰で俺が刺されたことですよ」
髭面はうんうんと頷いき、言葉を続けた。
「ゾクタ殿は椎香さまの煮物の美味しさを理解されていない、あれを知らずに死ぬなんて、俺なら死んでも死にきれないですよ」
「そんなに美味いのか」
「ほっぺが落ちるくらい」
そう言って髭面は髭まみれの頬を引っ張る。俺は思わず吹き出してしまった。
「死ぬとか何を言ってるんだい!」
椎香が不安そうに声を上げる。
「ゾクタ殿、椎香さまをどうかお頼み申す」
「ああ、必ず守る、剣にかけて」
「だから何を言ってるんだい! アタイにも分かるように喋っとくれよ!」
俺は道具袋から取り出した予備のマントを髭面に渡した。髭面はそれに毛布を包み膨らみを作ってから、ロープで身体に巻き付ける。
「外の包囲を突破する程度の働きはできましょう」
「頼んだ」
外は暗い。縛り付けられたマントの中に椎香がいないと断定できないほどに暗い。髭面は囮となって俺たちのための血路を開くべく、そうしたのだった。
「ダメだよ! 他にも美味いシイタケ料理が沢山あるんだ! まだ死んじゃダメなんだよ!」
「申し訳ない椎香さま、この傷ではもう旅は続けられませぬので」
「椎香、分かってやってくれ」
椎香は少しの間、目を伏せた。そしてぱっと顔を上げると、髭面の首に抱きついた。髭面のやつは目を白黒させている。
「ビジク、ありがとう、ありがとう」
刺さりそうな髭を生やしたビジクの頬に顔をピタリとつけ、椎香はそう言った。
ギクシャクした動きでビジクはゆっくりと椎香の腕を解いた。一瞬、椎香の顔を見つめてから、満面の笑みを浮かべて言った。
「生きてて良かった、生まれてきて良かった」
俺たちは人を斬って飯を食う。そんなやつらだ。俺みたいな囚人や、親の顔も知らないような、いくらでもある全うな生き方ができなかったやつらなのだ。俺たちは漠然と、最期は本当につまらない、炉端の石ほどの価値もない、そんな最期を迎えるのだと思っていた。
「よし、行くぞ」
俺は椎香の手を取ると、外へ飛び出した。取り囲んでいた盗賊たちの大半が髭面を追っていなくなっている。
走りながら俺は呪文を唱えた。がさりと反対側の窓で音が鳴る。取り囲んでいた残りの盗賊たちは思わず窓を見た。
「チュー」
ネズミが窓をカリカリと引っ掻いている。盗賊たちは肩を竦めた。そして、その時にはすでに、俺たちは包囲の外へと抜けだしていたのだった。
「いたぞ! 追え!」
宿を抜けだして10分もしないうちに、盗賊たちは俺たちを見つけ追いかけてきた。
「数が多すぎる、北の囮はすでに壊滅したか」
200人に守られた囮はすでに見破られてしまったのだろう。あとはゼシュの密林を抜ければアギル国は目の前なのだが、仕方がない。
「まずいんじゃないのか?」
俺たちは路地裏を駆けた。これだけ騒いで衛兵が来ないところを見ると、すでに裏で手は回っているか。衛兵たちもまさか追われているのがキノコ娘だとは思うまい。
上を見上げると谷間にかかる橋のように、洗濯物が建物をまたぐ紐にかけられていた。
「持ち主には悪いが、もう一度洗濯してもらおう」
俺は走りながら矢を続けざまに2本射る。矢は洗濯紐を貫き、盗賊たちの上に洗濯物を落とさせた。
「うわ! なんだこりゃ!」
頭から洗濯物を被り、盗賊たちはもみ合いながら転んだ。
「てえしたもんだ」
椎香は震える弓を見ながらそう言った。
だが追手は次から次へとやってくる。
「街を出る前に一度撒いておかないとな」
俺は焦り始めていた。思っていたより遥かに数が多い。
「はぁ、はぁ……」
椎香はよく頑張っている。手加減なしで走っているというのに、必死に着いてきていた。
どうすればいい? 歯噛みしながら角を曲がったところに奇妙な女の子が座っていた。
球体のような大きく、そして丸いスカートを履いた女の子だ。椎香と同じようにモコモコしたファーを首に巻いている。変な形の、なんというか山をそのまま乗っけたようなフワフワした茶色い帽子を被り、手には取っ手の無いコップを持っていた。そしてなにやらか彼女の周りは埃っぽい。
「すまん! 借りるぞ!」
俺は風の魔法を唱える。追ってきた盗賊が角を曲がったところで、女の子の周りに風を起こした。
「ひゃああ」
女の子から悲鳴が上がる。
「ぎゃああ」
追手からも野太い悲鳴が上がる。女の子の体中にまとわりついていたもの、そして頭の上に乗っかっていた帽子のようなものが風で巻き上がり、盗賊たちを襲ったのだ。
それはフケだった。帽子に見えるほどにたまったとんでもないフケだ。それを顔面に浴びて、盗賊たちは目を抑えて蹲ってしまった。
「いくぞ椎香!」
チャンスは今しかない、俺は町の外へ向けて、椎香の手を引いて走りだした。
「椎香、貸しだからねぇ」
後ろのほうで女の子の声が聞こえた気がしたが。走っている俺にはよく聞こえなかった。