第六話 学園へ
猫族の町を出発して数十分、出るのが遅くなったせいか辺りは暗くなり始めていた。
「ここか・・・」
馬車から降り立つと、初めて踏むコンクリートの固い地面に少々戸惑った。猫族の町は、舗装なんて一切されてなかったからなあ。
「それにしても、ちょっとイメージチェンジしすぎじゃないか?」
大きな門の先に見える、洋風なちょっとした王宮にも見える大きな白い校舎を見ても、今の俺には凄いというより違和感しか感じない。
「まああの町は基本、和風かつ古風な建前だからなぁ。俺は好きだけど。でもまあ、こんなに豪華でけったいな建物はここぐらいにしかないけどなぁ」
「・・・とりあえずお前はちゃんと服を着ろ」
「おお、すまんすまん。つい忘れちゃうんだよなぁ」
妙に訛りが効いた上半身裸の男が、のんびりと用意してある制服に着替える。
それだけ聞いたらこいつは立派な変質者(俺が言えたことではないが)だが、ここまで来れたのは彼のおかげなのだから、そう強くも言えない。
「たくっ、ここまで来る間アイカのことばっか話しやがって」
「いや~すまんなぁ。俺アイカさんのファンでなぁ。久しぶりにアイカさん以外の人乗せたし、せっかくやからアイカさんの魅力をたっぷり聞かせてあげたくてなぁ」
そう言って爽やかな笑顔を向けてくる。こうして見ると全くもって悪気はないように見える。
だがその内容は・・・なんというか、基本情報から非常にコアなところまで、それこそ掘れるとこまで掘り下げた素敵(笑)なお話だったわけで。
アイカの好きな食べ物とかはまあ良かったけど、スリーサイズからよく着けている下着の種類までいくとさすがの俺も引いた。むしろ鳥肌が立った。
そんな話を延々聞かされた俺は、ある意味新世界を見た気がする。
これはアイカに教えられないな。顔を真っ赤にしてくれればまだ良い方だ。
まかり間違えば相当な期間深い亀裂が生じる気がする。
「どうする?一応寮まで案内しようかぁ?」
「そう、だな。できればお願いしたいけど、いいのか?」
「お安い御用さぁ。頼まれたのは学園の寮までだからなぁ。遠慮しなくていいさぁ」
任せろとばかりに胸を叩いて笑う。正直助かる。いきなり編入することになったおかげで、寮の場所どころかどんな学園かも俺は知らないのだ。
「じゃあお願いするよ、ミノル」
「よしきたぁ。任せてくれぇ」
頭についている長い耳をピンと立たせながら、ミノルはずんずんと歩いていく。俺は挙動不審気味にキョロキョロと見回しながら、ぼちぼちその背中を追った。
彼の名前はミノル。人間ではなく馬族の男の子。
わざわざ自分の町も納税で忙しい中やって来てくれて、猫族の町から擬人化していない馬の姿で馬車を引いてここまで俺を連れて来てくれた人だ。ちなみにいつもはアイカを乗せて登校しているらしく、学園ではアイカとクラスメイトらしい。
最初に馬の姿で喋った時には、真面目に腰を抜かしそうになったものだ。馬車に乗っている間もずっと馬と会話という未知なる状態だったが、ちょっとアイカの話題を振ったところで彼の地雷を踏んでしまった。
アイカのことを饒舌に語りながら淡々と走り続けるミノル。
言ってることは引くレベルだが、連れて行ってくれてるのだから文句は言えない。なんとも扱い辛い奴なのだ。
「それにしても、いきなり編入だなんて。大変だねぇ」
「うーん、そうだな。でもまあそれが一番良い方法だっただろうし」
もしもあそこに居続けたらどうなっていたのか。多分当分家から出られなかっただろう。それにこれは、ライカさん達にとって精一杯の対処だったのではないだろうか。
猫族の町を出る前にライカさんと少し話したけど、その会話は今思い出してもすごく頼りになるものだった―――――
「ライカさん、どうしましょう。もしかしてここは罰を与えられるのでしょうか」
「さあな。一応お前を追放するし、それにお前は元々猫族の人間じゃない。少しは揉めるだろうが、それはお前なんかが心配することじゃねえんだよ」
「そうですか・・・」
「それにしても運が良かったな小僧。相手が竜族の子供で。あれはただ身の程をわきまえず調子をこいていただけだろうが、もしも明日来る竜族の役人相手だったら、いくら強力な魔法が使えても今のお前じゃ間違いなく殺されてただろうな」
ライカさんはそう言って俺の額にデコピンする。俯いていたレンカの顔は弾かれるように反り返った。
「お前がなに考えてんのか知らねえが、俺達は大丈夫だ。それとも竜族を殺したことを悔やんでんのか?それこそ意味のないことだ」
「なにせあいつらは、死んでも転生するんだからよ」
ライカさんによると、竜族は死んでもまた新たな竜族の子供として生まれ変わるらしい。あの時地面に残った小さな炎がそう。あれからまた新しい命が生まれるのだ。
ライカさんいわく、竜族が強い理由の一つは何度も生き返られるからだ、とのこと。
その後に、だからこそ俺は竜族が大っ嫌いなんだとも付け加えていたけれど。
「こっからはお前がなんとかしろ。どう生きてくかはお前次第だ」
「とりあえず・・・まあ、死ぬなよ。我が愛しき娘がもしかしたら悲しむかもしれないからな」
ライカさんは平手で俺の背中を叩いた。ライカさん的には軽くかもしれないが、俺の体は思いっきり前へのけ反った。力強すぎんだよおっさん。
背中をさすりながら見上げると、ライカさんは今までで一番笑っていた。
釣られて俺も笑う。少し目頭が熱くなってきたのが自分でもわかった。
なんだろうこの安心感は。やめてくれよ。俺は砂が目に入ったように見せかけてごまかした。
自分では大丈夫と思っていたけれど、もしかしたら本当は心の拠り所が欲しかったのかもしれない。
「・・・学園で、ライカさんの手の届かない時は、俺がアイカを守ります」
「当たり前だ。このクソガキッ」
ライカさんのもう一発の平手打ちは、身を捻じってかわした――――
「もしかして、なにかワケありかい?」
「ん・・・まあ、そうだな」
「話しにくいなら話さなくてもいいさぁ。誰だって秘密の一つや二つあるからなぁ」
「・・・お前良い奴だな」
ミノルはえへへ~と嬉しそうに顔を緩ませた。全く、これでアイカのことがなかったら本当に立派な人間なんだけどなあ。いや、もしかしたらアイカのファンだからこそこんなに穏やかでいられるのか?
ミノルとはここまでにかなり話したが、自分が異端者であることは言ってなかった。俺が竜族を殺したことも同じく。
どうせいつかバレるんだ。今わざわざ騒がせる必要もないだろう。
「さあ、ここが学園の男子寮だぁ」
「おお・・・って、あれ?」
門をくぐってずーっと左に行った先に建っている建物。
特に装飾等はないシンプルな外装で、コンクリートで固められた壁に空いているたくさんの窓は暗く、ほとんど電気が付いていないようだった。
洋風な校舎に比べるとかなり地味な建物だ。しかし気になったのが、その隣には同じように人が住めるような建物があることだ。そっちの方はやたらオシャレなレンガ造りの洋風な館だった。
「なあミノル。隣の建物って・・・」
「おお、レンカ君いいところに目をつけるなぁ。隣の建物は女子寮だよ。全然グレードが違うんだろぉ?つまりは、そういうことさぁ」
なにがそういうことなのか。まあ大体は見当がつくけどさ。
俺がまじまじと眺めていると、ミノルは不敵な笑みを浮かべて忠告した。
「女子寮には手を出さない方がいいよぉ?ただでさえセキュリティが強い上に、今は「虎」がいるからねえ。一体何人の同志が狩られたことか」
感慨深そうに頷き、ついには遠い目までしだしたミノル。
いや例えなんの弊害もなくても、そんな地雷に手なんか出さねえよ。それよりも俺は、ミノルの言った「虎」の方が気になった。
「虎ってなんだ?」
「んー?ああ、まあ明後日になればわかるさぁ。今はとりあえずレンカ君の部屋を・・・」
なぜか言い渋るミノルは逃げるようにして男子寮の扉に手をかける。
すると、向こう側にミノルよりも先に人が居たらしく、扉が勢いよく勝手に開いてミノルの顔にドアが激突した。
「んあ?なんだ今の音」
出てきたのは学園の制服を着た茶髪の男。男は背中にギターを入れているようなバックを背負いながら、鼻を押さえて悶絶しているミノルに気付いてようやく事態を理解する。
「おお、ミノルじゃん。今帰りか。どうだった今日のアイカさんは」
「や、やあユウスケ君。今日も綺麗だったよ。ちょっと寂しそうに見えたけどなぁ」
おい、ミノルに謝るんじゃないのかよ。ミノルはミノルでなに普通に受け答えしてんだ。それも痛さを我慢してまでアイカのことを報告してやがるし。
なんだか俺はすこぶる呆れてしまった。もうなにも文句が言えない。
「ん?そっちに居るのは誰だ?」
ミノルのアイカに関する報告を聞いた後、男は俺の姿に気付いて怪訝そうな表情を浮かべた。警戒されてるな。すかさずミノルが赤くなった鼻を晒しながら紹介を始めた。
「彼はレンカ君。今日の昼ぐらいに管理人さんも言ってただろぉ?学園に編入する人が、新しく寮に入るって。そのために僕はあの町に行ったんだから」
「ああ、そうかそうか。お前がアイカさんの所から来た奴か。んん?ってこいつ猫族じゃなくて人間じゃん!」
「え、まあそうだけど」
茶髪の男は口をパックリ開けて大袈裟なぐらい驚いていた。表情が二転三転したり、なんだか忙しい奴だな。
ようやく平然を取り戻した彼は、今度は目一杯顔を輝かせて突然俺の手を握ってきた。
「うおおっ!やっと人間の奴が寮に入ってきた。あ、俺ユウスケ。学園の音楽を牛耳るギタリストのユウスケだ。お前はレンカだったよな。これからよろしくな!」
そう言ってユウスケと名乗った男はつかんだ手をブンブン振り回し始めた。痛い痛い!なんでこいつはこんなにハイテンションなんだ。
助けを求めるように目線でミノルにSOSを送ると、ようやく気付いたミノルが納得したように頷いた。
「実はこの寮で人間は今までユウスケ君だけだったんだなぁ。やっと同じ種族の人が来たから、嬉しいんだよぉ」
違う、彼がこうなった説明を求めてるんじゃないっ!助けてほしいんだ!!
結局ミノルがその願いに気が付くことはなく、ユウスケが興奮しながら喋るネタが尽きるまで俺の腕が休まることはなかった。
ああ、腕の感覚が無くなっていく。もしかしたら明日は筋肉痛だな。
「おっと、もうこんな時間だ。もっと話してたいけど俺行かないと」
「今日もバンドの練習なのかい?」
「ああ。と言っても今日はみんな居ないから俺一人だけどな。でもまあなるべくサボりたくないし。それじゃあな、二人とも。また明日!」
笑顔で軽く会釈すると、ユウスケは俺達を置いて走り去っていった。ミノルは隣でのんびりと手を振っている。なんだろうこの温度差は。
まあこれから一緒に住む奴だし。一応俺も、小さく手を振っておいた。
「なんとも騒がしい奴だな」
「うん、ユウスケ君は楽しい人だよぉ。アイカさんのファンに、悪い人はいないさぁ」
ミノルはふふんと、自慢げに胸を張る。割とガッチリ体形なミノルがやると、服がパツンパツンになって破れないか少し心配になった。
というかあいつもアイカのファンなのかよ。まあうすうす気づいてはいたけどさ。
もしかしてアイカのファンって相当居るんじゃ?と思うと、俺は身震いをせざるをえなかった。
「じゃあ行こうかぁ。管理人さんに部屋の鍵はもらえばいいからぁ」
「わかった。あれ、ミノルは寮に住んでないのか?」
「いいやぁ、僕も住んでるよぉ。307号室だから、いつでも遊びに来ていいよぉ」
「・・・そうか。ああ忙しいんだろ?ここまででいいぞ」
「そうかい?大丈夫だったら僕、そろそろ自分の町に帰るけどぉ」
「ああ、後は大丈夫だ。ありがとな、ミノル」
お安い御用と、ミノルが言いかけたところで、聞き覚えのあるメロディと共に館内に放送がかかり出した。
「ピンポンパンポーン♪ただ今、風紀委員が門の前に無断停車してある車を撤去しました。心当たりのある人は、直ちに学園管理局まで来るようにっ!ピンポンパンポーン♪」
「あれ、もしかしてこれって・・・」
やたら元気でハキハキした女の人の声を聞いて、ミノルの顔は一気に青ざめていった。
「ま、待ってよぉ。それ僕のだよぉーーーーー!!」
悲痛な叫びをあげながら、ミノルは大慌てで寮を飛び出し校舎目指して走りだした。
ああ、これ俺も行った方がいいのかな。あそこに止めたのは俺を案内するためだし、元を辿れば俺が原因か。
「・・・行くか」
俺は一つ頷いて、あっという間に小さくなったミノルの背中を追いかけて、紺色の空の元へと飛び出した。