第三話 アイカの家と、異端者と
今回は少し長めの文になっています。
「えっと・・・これ、家?」
息も絶え絶えに、すぐにでもこの場で寝転びたかった気持ちが、強制的に消去されいつのまにか俺はぽかんと口を開いていた。
「そうですよ。さあ行きましょう。レンカさんが来ることはもうお父様にもお母様にも言ってありますから、どうぞ遠慮なさらずに」
当たり前のようにそう告げる彼女は、なんの気なしに俺の手を引いてずんずん歩いていく。
目の前に広がる景色が近づいてきた。家ではない、これは景色だ。
石段の上の鳥居をくぐった先に続く石造りの道。その先には、黄金色に輝く巨大な社を構える、豪邸なんてものを軽く踏みにじる超巨大屋敷がそびえ立っていた。
猫族の長が居る家。その事実を決して忘れていたわけではないのに。
俺は今、これ以上ないほどにこの場から逃げたいという衝動にかられていた。
「ただいま戻りました~」
まさしく自宅に帰ったような勢いで(いや彼女にとっては自宅なんだけど)、アイカが白い大きなお札が二枚張られた引き戸を開く。するとすぐさま、待ってましたとばかりに大勢の着物姿の女性達が列になって現れた。
「お帰りなさいませ、アイカお嬢様」
寸分たがわぬ重なった声で、女性達はお辞儀をしてアイカを出迎える。
ま、まさか、これが俗にいう使用人ってやつか。頭がクラクラしてきた。こちらに向けられた整いすぎた笑顔の群れが、余計に俺の混乱を誘っていた。
いかん、なんだか武者震いがしてきたぞ。
「どうしたんですか?ボーっとして。ほら、はやくお母様とお父様のところへ行きますよ」
またしてもアイカが棒立ちになっていた俺を引きずるように手を引いて、列の間を突き進んでいく。俺はその時気付いた。これがアイカの「普通」なのだと。
俺の手を握るアイカの手には迷いなんて微塵もなかった。この非現実的すぎる空間は、彼女にとって日常の空間で見飽きている光景なのだ。
心の中で罪悪感が芽生える。俺は初めて、アイカを遠くに感じてしまった。
「お父様、お母様。先程お伝えしました人間の御方をお連れしました」
「・・・入れ」
「どうぞ~」
一体どこまで歩いたのかわからなくなるほど長い間廊下を進んだ先。一際派手な、色鮮やかな花々が金粉と共に描かれた襖の前へとたどり着いた。
アイカが襖の前で声を上げると、中から男の声と女の声が同時に返ってきた。
「失礼します」
心の準備を、と言いかける前にアイカは襖を開いた。
中は派手な入り口の割にシンプルな、一面畳が敷き詰められた広い和室だった。それ故にしたためられた御前の壁にかけられている「猫に小判」、とくずれた文字で書かれた掛軸が一層目立っていた。
その掛軸を背景に、着物姿の一人は正座、袴姿の一人は座禅を組んだやはりネコ耳が生えた女と男が座っていた。
「ふん、いつまでそうやって手を握ってるんだアイカ。もう部屋に着いたんだし、さっさとそんな手離せ」
俺とアイカが手を繋いでいるのを見て、男はすごい剣幕で不機嫌そうに言い放った。
「え、ああすいません・・・」
「いけませんよ、ライカさん。アイカももう立派な女の子なんですから。男の子と手をつなぐぐらいで噛みついてはいけません。ましてお客様を怒鳴るなどもってのほかです」
「お母様の言う通りです。レンカさんの手を取ったのは私です。そもそもそんなこと、お父様に文句を言われる筋合いはないです!」
「だ、だが!ぐぬぬっ・・・」
解こうとした俺の手を、アイカは更にぎゅっと強く握った。少し痛い。
お父様と呼ばれた男は今にも俺を噛み殺そうとギリリと歯ぎしりをたてたが、アイカの母親らしい女性とアイカのダブル攻撃によって、苦虫を噛むような表情を浮かべながら舌打ちを打った。
俺は驚いた。なにが驚いたってアイカの父親の鬼のような気迫にも驚いたが、それ以上にそれに打ち勝つアイカの姿に驚いた。
従順、素直、上品。アイカに抱いた俺のイメージはそんなところだが、横で俺の手を握っている少女は間違いなく今強く父親に反抗していた。
もしかしたらこれがアイカの素の姿なのかなと、俺は思った。
長の孫だろうと、実質は俺とそれほど年は変わらないだろう一人の女の子だ。外では気丈に大和撫子な振る舞いをしているが、家では親とちょっとした一悶着するような、普通の女の子なのだ。
そう考えてみて、俺は改めてアイカの凄さを実感した。
この少女は自らの身の程をわきまえ、それを苦とすることなく全うし、あまつさえそれを自分の魅力に繋げている。
生き様が違いすぎた。いつしか俺は、彼女を尊敬の眼差しで見ていた。
「まあ立話もなんでしょう。どうぞ、お座りください」
母親の女性に促されて、俺達はご丁寧に敷かれた座布団へと腰を下ろす。
あれ、まだ手を離さないのか?チラリと隣を窺うと、アイカは目の前の父親とまだ睨めっこを続けていた。
いつまでやってるんだあんた達は。それとアイカ、どんどん握る力を上げるのはやめてくれ。なんかミシミシ言いだしてるぞ、おいっ。
「おい小僧。もしもうちのアイカに手を出したら殺すぞ」
アイカとのつばぜり合いが不毛の戦いだと見限ったのか、今度は俺に矛先を向けてきやがった。
「いいや、話しかけても殺す、同じ空気を吸っても殺す。ああ、もう全部やってるか。ならば今からお前を殺す!!」
「ま、待て。間に色々省き過ぎだお前!」
「なにっ。お・ま・え・だ・とぉ~~~~っ!?」
しまった。つい勢いに流されて本音が口を滑ってしまった。
アイカよりもずっと大きな褐色の尻尾を反り立てた父親の中で、なにかがプツリと切れるような音が聞こえた気がした。やばい、まじで殺される。
冗談ではなく本気で。想像ではなく物理で。殺られる。俺は防衛本能に従って思わず身を引いた。
「いい加減にしてくださいっ。ライカさん」
その時だった。隣で俺と父親とのやり取りを終始和やかに眺めていたお母さんが、いきなりぱしんっと、父親の頭をかなり強くはたいた。
「今日は親バカを見せつけるために来てもらったんじゃないんですよ?猫族の長の跡取りとして、しっかりしてくださいな」
「イテテテ・・・。し、しかし。こんな奴に、俺達のアイカを」
「はいはい。なにも今すぐアイカがこの家を出ていくわけじゃないんですから。そう気張らなくてもいいでしょう」
あれ、話を聞いているとなにか大きな勘違いをされているような気がした。
本気で痛そうに手で押さえる父親の頭を、お母さんが慰めるように優しくさすっていた。慰めるもなにも、自分自身が与えた鉄槌なのだが。
「・・・アイカ。とりあえず手、離してくれ」
「あ、すみません。つい握ったままにしちゃって」
思えばずっと彼女の手を握っていたことがそもそもの発端な気がする。
アイカの手を反対の手でツンツンと突くと、ようやく気が付いたようにアイカは手を解いてくれた。
見事にくっきりと自分の手にアイカの手形を浮かび上がっていた。か弱そうに見えて、結構力強いんだな。お母さんもだけどさ。
もしかしてこの家は、男のお父さんよりもアイカ達女衆の方が良い意味で強いのでは?疑うような視線を向けると、それに気付いた父親は慌てて母親の手を振り払ったが、その尻尾はなんとも嬉しそうにフリフリと動いていた。
「ん、うんっ。さて、お遊びはこの辺にして、本題に入るか」
脱線させた当事者がなにを言ってる、というツッコミをぐっと堪える。
咳払いをした父親は、先ほどまでとは違いキリッとした真剣な眼差しを向けていた。ふざけられる空気ではなかった。
「まずは自己紹介からだな。俺はそこのアイカの父親にして、猫族二代目跡取りであるライカだ。先程の無礼、一応お詫びをしよう」
「あ、いえ、とんでもない。俺も口がすぎましたから」
一応、という言葉がひっかかったが、ライカさんのお辞儀を追うようにして俺も腰を折り曲げる。小さくまったくだ、という声が聞こえたような気がしたが気にしない。
「仲直りができてよかったです。私はアイカの母親の、ユリカと申します。初めまして、どうぞよろしくお願いします」
ほかの二人とは違い、白一色の耳がお辞儀と一緒にひょこっと動いた。なんとも穏やかな笑みを浮かべる人で、男勝りのライカさんと正反対の心の持ち主のような気がした。むしろアイカによく似ている。
「それで、あなた様は・・・」
「あ、申し遅れました。自分はレンカと言います。どうぞよろしくお願いします」
「レン、カ・・・?」
俺が自分の名前を告げると、ライカさんは口を半開きにしてユリカさんを見た。
ユリカさんはそれに黙って頷いて応える。
「おいアイカ。まさかその名前、お前が付けたのか?」
「はい。彼は名前を失っていましたので、私が恐縮ながら名付けさせてもらいました」
ライカさんは心底びっくりしたように目を丸くした。
一体どうしたんだ。レンカ、という名前になにか問題があったのか?また怒鳴られるような気がして、俺は息をのんだ。
「そうか。さすがは我が愛しき娘。いいセンスをしている」
えっ、それだけ?ライカさんは予想に反して、なにか感慨深げにゆっくり一度頷いた。少し拍子抜けだったが、俺にはどうなっているのかがさっぱりわからない。
「お前、記憶を失っているとアイカから聞いたが、本当か?」
「は、はい。物置にて、アイカさんに見つけてもらったんですが。どうしてそこに居たのか、どうやってそこに入ったのか。全然わからないんです」
「気付いたら、自分の名前さえわかりませんでした」
ユリカさんは大層ショックを受けたように口に両手を添えた。隣でアイカが、不安いっぱいな目を向けているのがわかった。
「記憶喪失ねえ。正直猫族ではそういったケースは聞いたことがない。一種のトラウマで一部の記憶が抜け落ちることはあるかもしれないが、名前すらわからないというのは特殊だろう」
「まあ、少なくとも嘘は言っていないようだな。邪心のある者はこの家に入ることさえできない。結界が張られているからな。お前も玄関で札を見ただろう?」
言われて玄関の戸に張ってあった二枚のお札を思い出す。結界、ねえ。にわかに信じ難いが、猫族なんてものがあるのだから、そういうのがあっても不思議じゃない気がした。
「さて、そこでなんだが。記憶喪失はともかく、母上がお前に会いたいと言っているんだ。お前をここまで招き入れたのもそれが主な理由だ。これから案内する、ついてこい」
有無も言わせず、ライカさんは立ち上がる。無意識にアイカの方を見ると、アイカは静かに頷いた。大丈夫だと言ってくれているようだ。
俺は立ち上がり、和室にユリカさんとアイカの二人を残してライカさんの後を追った。
「ここだ。中で母上がお前を待ってる」
「は、はい」
「なにをしている、さっさと入らないか」
躊躇する俺を無理やり押し込むように、ライカさんが先ほどの和室より豪華な襖を開けて俺の背中を押した。
アイカもそうだったが、ここの家の人は初見の人に無神経すぎやしないか?
ここの跡取りであるライカさんの母親ということは、猫族の長ということだろう。それなら少しぐらい緊張させてくれてもいいじゃないか。
幾多の不満を胸にとどめ、恐る恐る顔を上げると、そこには四方をカーテンで遮られた大きなベッドが置かれていた。
そのカーテンの先に、うっすらと人影が浮かび上がる。どうやらあの人が猫族の長のようだ。
「やあ、はるばるよく来たね。私は猫族の長である、マイカという者だ。お初にお目にかかる、レンカ殿」
「え・・・?」
ひどく年老いたようなしゃがれ声で、ゆるやかにマイカさんは俺の名前を呼んだ。
どうして名乗ってもいないのに俺の名前を知っているんだ。アイカから聞いたのか?
「直接顔を見せられなくてすまないね。身体が悪くて、客人に見せられる姿じゃないんだよ。全く、猫族の長なんて名ばかりだ」
「いえいえ、そんな・・・」
猫族の長と言うからもっと厳かな人だと思っていたが、意外にも穏やかで落ち着いた人に見えた。マイカさんはそのまま話を続ける。
「君は、自分がどんな存在か、理解できているかい?」
「え、なんですか突然。一応、人間ですけど。それ以外になにかあるんですか?」
「そうか。やはり知らないのか。なるほど、なるほど・・・」
カーテンの向こうのマイカさんが、のんびりと頷く。当の俺はいきなり意味深なことを言われて、少々混乱していた。
「じゃあ、これからのためにも教えてあげよう。自分の、両手の甲を見てごらん?」
マイカさんの言うままに、俺は手のひらを反して両手の甲を見る。
アイカに物置で起こされた時に気付いたことだ。両手の甲に、黒い筋のようなものでなにかの紋様が描かれていた。よくよく見れば、一つの複雑なマークにも見えた。
「黒い筋で、なにかの絵が描かれていないかい?」
「は、はい。描かれてます。黒い筋で。あの・・・これはなんなんですか?」
どうして見てもいないのにそこまでわかるのかも不思議だったが、それ以上に俺はこれがなんなのかを知りたかった。マイカさんは、これの正体を知っている。
その口ぶりは、俺がこの瞬間に来ることを知っていたようなものだったから。
「それは紋章。魔法を操るためのものだよ。そしてその紋章はその中でも、闇属性の魔法を操ることができる紋章だ」
「闇属性の・・・魔法?」
俺はまじまじと甲に描かれた紋章とやらを見た。これはそんな大層なものなのか?見れば見るほど、不気味にしか感じない絵なのだが。
「闇属性の魔法を使える者は、限りなく居ないと言っていい。その力は強大で、あらゆる属性を破滅させる力を持つ。あまりにも強き故に、皆から恐れられ、憎まれ、蔑まれ。ついにはこう呼ぶようになった」
マイカさんは一呼吸を置いて、見定めるように告げた。
「異端者、であると」
「異端、者・・・」
その言葉が、静寂なこの部屋のどこまでも響いていくような気がした。
どうでもいいことですが、この回は5555文字で仕上げることができました。次回か、その次に戦闘シーンが入っていく予定です。