第二話 レンカの誕生
依然顔をリンゴ色に染めて目を伏せているアイカから男性用の袴を受け取り、俺はようやくこの薄汚い物置から外に出ることができた。
「おお・・・。なんか凄いことになってるな」
細いあぜ道の両側を、とてつもなく大きな面積の畑と田んぼがどこまでも広がっていた。
畑で作られていたのはなにやら実の付いた緑の葉っぱ。一面がみずみずしい緑一色で、風に揺られながら日差しをはじくその光景は、まさに壮観だった。
「ええ。この辺り全域、全て「マタタビ酒」の原料を生産するために利用されているんです」
「マタタビ酒?マタタビ酒って、あのマタタビのか」
「どのマタタビを想像しているのかはわかりませんが、ここで作られたマタタビのそのほとんどが、猫族自慢のマタタビ酒の原料になっています」
アイカはそう言って、くいくいっと、なにかを飲むような仕草を見せた。
なるほど。猫族なだけに、マタタビ酒か。確かに猫はマタタビ酒を好むとよく聞く。猫自身が酒を造るというのもおかしな話だが、一応道理は通っている気がした。
もしかしたら俺の持つ猫の価値観と、ここの猫族の人達はそう変わらないものなのかもしれない。
「あそこの坂を上った先が、マタタビ酒を造る酒蔵の集まりになっています」
アイカの指差す先には少し急勾配な坂が続いていた。周りにはなにやらロープが垂れ下がっていて、坂の向こう側からは白い煙があがっていた。
「私の家に着くまでの間、少し見て回りましょうか」
坂を登りきると、辺りの風景が一変した。
広く長い一本道を挟むように、江戸時代の街並みのような木造の長屋がずーっと果てしなく奥まで続いていた。
その屋根屋根に煙突が連なるように何本も生えていて、それぞれが盛んに白い蒸気を吹き上げていた。
「もしかしてこれ全部・・・」
「はい。ここにあるのはぜ~んぶマタタビ酒を造るための酒蔵です。マタタビ酒を作るには、極上のマタタビとそれに合う極上のお酒も必要なんです」
両手を一杯に広げてその凄さを表現するアイカ。子供のようにはしゃぐ光景は見ていて微笑ましかった。上機嫌さを表すように、先程から彼女の尻尾も興奮気味にフリフリ度を増していた。
「これは凄いな・・・」
それにしてもあの畑や田んぼも壮観だったが、ここの光景もまた壮大なものだった。大きく息を吸い込むと、仄かにアルコールの匂いが鼻をついた。この道を歩いているだけで、もしかしたら酔ってしまうかもしれない。
長屋といっても酒蔵一つ一つは区切られているようで、それぞれに白いのれんにお酒の名前らしい小難しい漢字が達筆で書き殴られていた。
なんだか渋くてカッコいい。まさしく男、といった感じだが少々圧力が強すぎて気後れしそうだ。
「この辺は酒蔵しかないのか?猫族の奴らはみんなどこに住んでるんだ?」
「この通りは全部酒蔵ですね。そこの十字路を左に曲がった先にまた別の通りがありまして、そこが私達の生活区域になっています」
終始ニコニコのアイカの案内に従って十字路を曲がると、今度は別の長屋が続いていた。
けれど今度は先ほどのような猛々しさはなく、代わりに大勢の猫族の人達で通りは溢れていた。
道行く人みんなにネコ耳と尻尾がついている。それも黒色からぶち柄など一つ一つ色や形が違った。
見ているだけでもおもしろいが、その分ネコ耳の希少価値が下がるのは少しだけ残念に感じた。
「ここから暫く市場になっています。ここでみんなそれぞれ食材などを調達するんですよ?」
「なるほどなあ。さっきの所とは大違いだな」
これまた所狭しとひしめく商店の数々。
威勢の良い客寄せの大声が色んな所から飛び交ってくる。店頭には色とりどりの新鮮な魚・魚・魚・・・そして魚。おいちょっと待て。さっきから魚屋しかないぞ。
「勘違いかもしれないが、ここ魚屋しかなくないか?」
「勘違いもなにもその通りですよ。私達猫族の主食は基本的に魚ですから。一応ほかにも生活用品店などもありますが、ほとんどが魚屋ですね」
先ほどの通りは酒臭かったが、今度は生臭さで空気が満たされていた。
そうか。人間の姿をしていても、こいつらの正体は猫なんだよな。そう考えればこの光景も不思議と自然に見えてきた。
「ちなみにこれだけの海産物が揃っているように、この地域では漁猟も盛んです」
「ふーん。ということは、さっきのマタタビ酒とこの魚が猫族の特産品ってことか・・・」
「特産品・・・。そうですね。そうとも言えるかもしれません」
唐突に、なぜかアイカの声が急にか細くなった。なにか良くないことでも言ってしまっただろうか。どことなく、その整った顔立ちにも寂しさが入り混じっているような気がした。
「そ、それにしても、なんだか楽しそうに説明するな。アイカは」
「あ、気付きましたか。実はこの町を知らない人に案内することは滅多にないんです。特に人間の方はここにほとんど訪れませんからね」
心持ち重くなった空気を払うように俺が言うと、アイカは再び瞳に温かみを戻して答えた。
「なるほど。じゃあ俺は珍しい来客ということか」
「そうですね。だから張り切って案内したくなるんです。この町には良いところがたくさんありますから、それをいっぱいいっぱい知ってほしいんです!」
爛々と語るアイカは本当に楽しそうだった。心からこの町を愛している。そんな素直な気持ちが言葉以上に伝わってくるようだった。
ふと、俺は自分が居た町をどう思っていたのかと考えた。こんなにも好きでいただろうか。
その片鱗さえも思い出せないところを見ると、どうやらそうでもなかったらしい。
「アイカ様こんにちわ~」
「はい、こんにちわ」
「こんにちわ、アイカ様」
「はい、こんにちわです」
通りを歩いていると、子供から大人まで大勢の猫族の人達がアイカに声をかけ、それ以外の人も皆会釈をしてアイカに挨拶をしていた。
「みんなに慕われてるんだな。アイカは」
「そんなことないですよ。ここの人達はみなさん気さくな人達ばかりですから」
いや、どう考えてもアイカの人柄によるものだろうと、俺は思った。挨拶をされたらきちんと丁寧に返すし、こうやって少しの間一緒に居るだけでも、その心の綺麗さというか清らかさが言わず語らずのうちに感じ入ることができていた。
そういえば猫族の長の孫とか言っていたが、それを差し引いてもアイカの人徳だ。なにより挨拶する人がみんな優しい笑顔を浮かべていた。
もしかしたらその自分の魅力に気が付かず、わざと振りまくのではなくあくまで自然に接するから親しみやすいのかもしれない。
ということは、ここでそれを説明するのは愚の骨頂であるということだ。
「それにしても随分と歩いたけど。まだアイカの家には着かないのか?」
「・・・あっはい。なんでしょう!?」
「もしかして、今魚に見惚れてた?」
「す、すいません。少々お腹がすいてしまいまして・・・」
頬を赤らめて苦笑いを浮かべるアイカ。素直に言うところもそうだが、お腹をすりすりとさすっている姿は実に愛らしかった。
「家に着いたらまずご飯にしましょう。ええっと・・・なんだかあなたと言うのも他人行儀ですし。ここで一つ、名前を決めませんか?」
「名前か。そうだな。アイカの家に行くんだし、名前ないと色々不便か」
こんにちは、初めまして名無しです。というのもややこしいことになりかねん。
「ふーむどうするか。そうだ。ここはせっかくだし、アイカに決めてもらおうか」
「え、私ですが!?いいんですか??」
「あ、ああ。いいよ。思いついたのを好きにつけてくれ」
予想以上に食いついてきたことに少し驚いてしまった。
一気に目を輝かしてから、アイカは腕組みをしてうーん、と唸りながらなにやらブツブツ呟き始めた。いや、そこまで本気で考えなくてもいいのだが。
暫くそうしたまま歩いた後、アイカはようやく思い立ったように顔を上げた。
「レンカ、というのはどうでしょう。私のアイカ、という名前のアイは恋愛の愛の文字で書くのですが。そこでもう片方の、恋をあてがってみたんですが・・・」
「レンカ、か。うん、いいんじゃないか?ということは、俺達は恋愛コンビか」
「そうですね。二人そろって恋愛です・・・」
自らその一言を告げると、なぜかアイカは顔を真っ赤にして俯いた。はて、またおかしなことを言ったかな俺は。もしかしたら何気なく、彼女を困らせる言葉を言ったのかもしれない。そのわりには、アイカの尻尾は元気よく動いているように見えた。
「さ、さてさて!レンカさん」
「お、初レンカだな。どうした?」
「お待たせしました。次の曲がり角を曲がった先が、私のお家です」
市場エリアを抜け、いつのまにか周りは生活感あふれる長屋になっていた。
洗濯物が干してあったり、ドタバタと中を駆け抜ける音が響いたり。市場に比べて人数も少なくぐっと静かな場所だが、その分落ち着いた空気が漂っていた。
「ようやくか。では・・・って。おい待て」
「なんですか?」
「もしかして、これを登れと?」
「はい!」
目の前にそびえたつ大きな朱色の鳥居。
それをくぐった先には思わず呆然と立ち尽くすほどに石段が果てしなく先まで続いていて、ゴールらしきもう一つの鳥居はもはや手のひらサイズに見えた。
「まじっすか」
「まじっすー!」
親指を立ててアイカは陽気に笑った。アイカの「~っす」口調もそれはそれで可愛いものがあるのだが、それとこれは別問題だった。
なんでよりによってあんなところに家なんて建ててるんだ。俺は思わずここの住人に対して、一種の怒りのようなものを覚えてしまった。
「それではいきましょう。出発進行~」
「お、おい」
アイカに無理矢理手を引かれて俺は石段を登り始める。
はたしてあのゴールに辿り着いた時に、俺はちゃんと存在しているのだろうか。冷め切った心を撫でるように、ひんやりとした冷たい風が頬をかすめた。