第一話 ネコ耳少女
目を開けると、そこにはボロボロに穴の開いた木造の天井が見えた。
ここは・・・どこだ?なんだか体中がこそばゆい。気が付くと、体の上に藁でできた布団がかけられていた。
「・・・なんだこりゃ」
布団をどけて起き上がる。
首を何度か鳴らして周りを見ると、農作業で使うような鍬や鎌、それにパンパンに膨れた袋がいくつも積み上げられていた。
部屋、というよりも。どうやら物置のようだった。埃まみれだし、見事な蜘蛛の巣も張ってるし。むしろなんでここにこんな即席で作ったようなベッドがあるのか不思議なぐらいだ。
「イタッ。なんだよこれ」
急にズキッと頭痛が走り、右手を頭にあてがった。
なにかにカチ割られたようにガンガン響く。暫く体を折り曲げて激痛と戦っていると、徐々に抜けていくように痛みが和らいでいった。
二日酔いか?いや酒なんて飲んでないはずだけど。風邪でもひいたのかな。大きくため息をついて気持ちを落ち着かせていると、急に物置の扉が開かれた。
「あっ、起きました?」
「・・・え?」
そこに立っていたのは、コップを乗せたお盆を持った巫女さん姿の美少女だった。
「顔色悪いですよ?お水飲みますか?」
「ああ、どうも。頂きます」
言われて気付いたが、喉はカラカラに乾ききっていた。
会釈して少女から手渡しで水の入ったコップを受け取り、一気に飲み干した。口から喉、そして胸に順に水が染みわたっていく感触がすこぶる気持ちいい。
「ぷはーっ。うまい」
「よっぽど喉が渇いてたんですね。でも一気に飲むと体に悪いですよ?」
大人でいうところのビールでも飲み干したような充実感に浸っていた俺を、少女はニコニコ笑いながら眺めていた。
「いや、本当に助かったよ。ありがとう」
「いえいえ、喜んでもらえて良かったです」
空になったコップを返すついでにお礼を言うと、少女の頭のてっぺんに付いている二つのネコ耳がひょこひょこ動いた。
んん?待て待て。なにかおかしいぞ。なんで彼女の頭にネコ耳がついているんだ。
「あのー。それってコスプレってやつですか?」
「こす、ぷれ?なんですかそれ。おいしいものですか?」
ネコ耳に視線を合わせながら尋ねると、彼女は不思議そうに首を傾げてまたネコ耳を動かした。
コスプレは、おいしいのか?いやいや考えるところはそこじゃないだろ!
そもそもコスプレのところのネコ耳は動くものなのか?腰まで届いている彼女の褐色の綺麗な長髪のてっぺんには、間違いなくフサフサのネコ耳がついている。
「あの・・・ちょっといい?」
「はい、なんでしょう」
理性よりも興味が上回った。思い立って、俺が手招きすると、少女は従順に腰を曲げて顔を近づけてきた。
「・・・よっ」
「ひゃうっ」
俺がとった行動。それはズバリネコ耳に触れることである。
少し強めにギュッと掴むと、少女は全身を震わしてやたら可愛い声を上げた。
「おお、柔らかい・・・」
「ひゃい、こそばゆいです~」
少女は悶えるように体をジタバタさせた。なんなんだこの可愛い生き物は。思わずずっとこうしてたくなるような衝動に駆られる。じゃなくて!一体どうなってるんだこれは。
俺の手の中で、ネコ耳はプルプル震えていた。ふにふにと柔らかく、じんわりと丁度ひと肌ぐらいの温かみがあった。はたしてコスプレのネコ耳が震えるだろうか。温かみがあるだろうか。
「もしかして・・・これ本物?」
「そうです。これは正真正銘私の耳ですよ!」
少女は体を捻じって無理やり俺の手から耳を引き剥がした。
よっぽど辛かったらしい。肩で息をしながら、その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「ごめん。悪気はなかったんだ。ただどうしても確かめたくて」
「い、いえ、いいんです。こういうのは慣れっこですから・・・」
苦笑いを浮かべながら、少女は乱れた巫女服を手早く直した。
「猫族の耳は他の種族の方たちにとって魅力的なものらしいですから。でも触られると、こそばゆいのでちょっと困りますけどね」
「ね、猫族??」
「はい。あなたはヒューマン・・・人間の方ですよね?」
訳が分からず混乱している中、とりあえず俺は頷いた。
そうだ。俺は人間だ。それは間違いない。だけどこの少女が猫族だって?いやそもそも猫族ってなんだ??
「もしかして、尻尾とかもあるの?」
「はい、もちろんありますよ。ほらっ」
少女はこちらにお尻を向けて、袴の隙間からぽろっと出ている褐色のふさふさした尻尾をフリフリと振った。
冗談交じりに言ってみただけなのに。思わず口が半開きになってしまった。
「もしかして猫族を見たのは初めてですか?」
「あ、ああ。初めてだな、こんなの・・・」
「なるほど。それなら驚かれるのも無理もないかもしれませんね」
見せびらかすように変幻自在に尻尾を振りながらそう言う彼女は、どこか誇らしげだった。ちょっとばかり、認識がずれている様な気もしたけれど。
「でも、髭はないんだな」
「ありますよ。今は擬人化してるので生えてませんが、元の姿に戻ったらあります。でも、今はこの服を着てるので戻れませんけどね」
俺は驚きが続きすぎて少しばかり疲れてしまった。
少女に見えないように隠れて頬をつねってみたが、目の前のネコ耳と尻尾は何一つ変わらなかった。
大きく鼻から息を吸い込むと、土っぽい匂いの中に甘い香りが交じっているのを感じた。おそらくこの少女の匂いなんだろう。当の本人は急に黙った俺を気遣っているのか、少しそわそわしていた。
「えっと・・・そうだ。もう一つ聞きたいんだけど。なんで俺、こんなとこに寝てたんだ?」
「それ、は・・・」
とりあえず一番聞きたかったことを尋ねると、少女は言い渋っていささか困った表情を浮かべた。
「実は私もわからないんです。今朝、ここに肥料の袋を取りに来たら、あなたがそこで寝ていて・・・。びっくりしたんですけど、息はちゃんとしてたから起きるまで待っていたんです」
少女の返答は、かなり俺の意表をついたものだった。
いつのまにか俺がここで寝ていた?俺はすぐさま記憶を辿ろうとしたが、途端先ほども襲った激しい頭痛が再び訪れた。
「だ、大丈夫ですか!?」
「大丈夫・・・ちょっと頭痛がしただけだから」
頭痛は先ほどよりも長引かず、すぐに痛みは引いた。
けれど少女は思っていた以上に心配だったらしく、あたふたとどうしましょう、どうしましょうと狭い物置の中で狼狽えていた。なんとも律儀な子である。
「よかったです・・・急だったのでびっくりしました」
「ごめんごめん。さっきもこんなことあったんだけど。もう大丈夫だから」
彼女の心配を解くために大袈裟に笑って見せる。そのおかげか、少女はふうーっと、ため息をついて肩の力を抜いてくれた。
それにしてもこの頭痛はなんだ。まるで記憶を辿ったことへの罰のようだった。
「あ、そういえば君の名前は・・・」
不意に思い出したように俺が聞くと、少女はなにかを察したようにニッコリとまた笑って答えた。
「自己紹介がまだでしたね。私はこの猫族を治める長の孫の、アイカ、といいます。どうぞよろしくお願いします。あなたは――――」
「俺の名前は、名前は・・・」
ふとその時気付いた。俺の名前はなんだろう。
こうしてここに居るのだから、名前があるはずなのに。ぽっかりと穴が開いたように自分の名前が全く出てこなかった。
無理やり思い出そうとすると、また頭痛の片鱗が現われる。一体どうなっているんだ俺は。
「ごめん、わからない」
「自分のお名前がわからないのですか??」
「ああ。全然思い浮かばない。なんでだろう」
思わぬ俺の返答に面を食らったアイカは目を丸くした。本当に、心の底から驚いているようだった。
「記憶、喪失・・・なんでしょうか」
「そうかもしれない。どうしてここで寝ていたのかも思い出せないんだ」
「困り、ましたね・・・」
二人してうーん、と唸る。そんなことをしたところでなにも解決しないのだが。それほどまでに今の状況は不可解で、そしてどうしようもなかった。
「とりあえず、ここに居てもしょうがありませんし。よかったら家に来ませんか?もしかしたらお母様かお父様がなにか知っているかもしれません」
「うーん。でもいいのか?見ず知らずの奴を家に入れちゃって」
「構いませんよ。あなたから悪い気配は感じません。それに今は非常事態ですから」
アイカはまた、俺を安心させるような優しい笑みを浮かべた。まさしく言うとおりだった。彼女のこの好意を無碍にはできないし、そもそも甘えるしか今の俺には選択肢なんてなかった。
「じゃあ、お願いするよ」
「はい。喜んで」
嬉しそうに微笑みながら、アイカは俺に手を差し延べてきた。
白く、綺麗な女の子らしい手だった。俺は少し緊張しながら、その手に自分の手を乗せた。
「あれ?」
その時、自分の手の甲を見て気が付いた。
なにやら黒い筋のようなものが、甲になにかの紋様を刻んでいた。最初からあっただろうか。彼女に引き起こしてもらう間、俺はずっとその紋様を見つめていた。
「キャッ!?」
完全に起き上がったところで、アイカが黄色い悲鳴をあげた。
慌てて空いている片手で覆った顔は、みるみる赤くなっていた。一体なにが起きたんだ。落ち着いて状況を確認してみると
「あ・・・」
すぐにそれに気付いた。アイカの目の前で、俺はなんと一切包み隠さぬ「全裸」状態だったのだ。
「おわあっ!す、すまん!!」
俺は慌てて彼女の手を解いて、藁の布団へと駆け込んだ。
なんで俺全裸なんだよ。むしろなんで今まで気付かなかったんだ。
そういえば、やたら藁がちくちくしてたな・・・と、思い出した時にはもう遅い!
「・・・なにか着る物、持ってきますね」
「う、うん。お願い、します」
アイカは手で顔を覆ったまま一礼し、逃げるようにして物置から出て行った。
これはなんの羞恥プレイだろう。走っていくアイカの尻尾が、終始ピンッと反り立っていた姿が、妙に残像に残る。
――――斯くして、俺はアイカという猫族の少女と出会ったのだった。